中野さなえ活動日誌

花には太陽を こどもらには平和を

母のお骨に復興を誓うお盆

2011年08月13日 19時59分03秒 | 活動日誌

 

暑くてゴーヤも悲鳴かな。よれよれの葉っぱ。

 お盆です。お墓参りに行く人で、道は車でいっぱいで混んでいましたね。

 私は昨日、花を飾るなどして仏壇をきれいにしました。母の好きだった甘いものや果物も備え、あらためて母の出会った災害を考えました。

 実家の宗派は浄土真本願寺派、「お西」です。

 浄土真宗というのは、お盆だからといって、特別のことはしません。迎え火も炊きませんし、だからもちろん送り火もしません。仏はお盆にだけ帰って来るのではないとの考えらしいです。 提灯も飾らないし、また位牌も原則作りません。

 葬式の時には、白装束も着ませんでしたし、刃物もおきませんでした。母の葬式の時に来てくださった和尚さんの説教は変わっていました。「法名は、本来お寺さんがくれるものでお金を出して買うなど本末転倒、権力の表れだ。仏教が権力になびくとは嘆かわしい。自分もそんな転落をしたら、和尚はやめる」と言うのです。

 私は宗教のことは、門外漢です。良く分かりませんが、無宗教の私が母の新盆を迎えるには、諸々と都合の良い考えだなあ・・・と思っています。要は心なんだと解釈して。

 また忙しい日常で置き去りにしていたことを引き戻し、あらためてこの日を母を思う日にするという意味で、お盆はいいなあと思っています。

玄関にも花。ヒャクニチソウ。母の長野の友だちからのプレゼント。

 石巻の復興がなかなか進ます、瓦礫の山もまだ半分も片付かず、仮設住宅さえまだ入れない人が沢山います。漁業特区では、上からの押しつけの海への大企業の参入に、漁民は怒りに燃えて立ち上がっています。

 母のお骨箱を見ると、「いつ、普通の暮らしが戻るようになるのだろう。漁業が前のようにできる日はいつか」と思いがめぐります。

 母の入るはずのお墓のあるお寺も壊滅で、墓石が倒れただけではなく流されもし、どこが自分のお墓だったかさえわからない状態なのです。

 ですから、まだ母は納骨できないでお骨のまま、長野にいるのです。でも、納骨できないくらいはいい。遺体がまだ見つからない人もいるのですから。

 実家の墓は、地面と水平に納骨室のふたがあったので中の骨は流れなかったようですが、地面より上にふたのある新しいお墓では、中の骨もみんな流れてしまったようです。

 信心深い母を考えると、父の骨があればいつかは一緒にしてあげられるから、ありがたいことだと思います。そして、一日も早く復興をとげて、犠牲者とご家族のみなさんの無念さをはらしたいと、ジリジリとした思いのお盆でもありました。

 被災地から長野に来るのは大変なことなので、今度母のもとに家族が寄るのは1周期の時との決め事をしましたので、静かなお盆でもありました。娘たちは明日、来てくれるそうです。

 

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