蛙と蝸牛

本の感想。ときどき競艇の話。

詩歌の待ち伏せ(上)

2008年05月10日 | 本の感想
詩歌の待ち伏せ(上)(北村薫 文藝春秋)

詩歌に限らず、小説でも映画でも、十人並みの鑑賞力しかもっていない者にとっては、すぐれた解説を読んでから、再読、再見するといちだんと味わいが増すことが多い。

北村さんは、詩歌や小説のすぐれた解説をわかりやすくやってくれる第一人者だと思う。国語の先生をされていたせいか、北村さんの解説を読む前には「面白くもない作品だなあ」と思っていたものも、いきなり鮮明な色合いを持ち始めることが多い。
本書の冒頭にとりあげられた「集団」という詩がそうだった。「集団」という詩を読んだ時はなんとも思えなかったのに、解説をよんだとたん、濃厚な味わい深い詩に思えてきた。(私が単純なだけでしょうが)

本書は、俳句、短歌、自由詩、歌謡までふくめた広い意味での詩歌をとりあげている。その中で印象に残ったのは、「集団」を除くと次の三つだった。

①ほしがれひをやくにほひがする ふるさとさびしいひるめし時だ(田中冬ニ)

②不運つづく隣家がこよひ窓あけて真緋なまなまと輝る雛の段(塚本邦雄)

③おうた子に髪なぶらるる暑さ哉(園女)
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タンノイのエジンバラ

2008年05月07日 | 本の感想
タンノイのエジンバラ(長嶋有 文春文庫)

長嶋さんは、タイトルをつけるのがうまいと思う。というか、私が気に入って読んでみたくなるようなタイトルの作品が多いように思う。

本書は、表題作以外(夜のあぐら、バルセロナの印象、三十歳)の短編のタイトルは(私的には)イマイチだが、表題作には目をひかれた。(それで実際に読んだ)
「タンノイ」って何? で「タンノイ」に関係がある「エジンバラ」って?(わかる人には多分常識レベルなのだろうが)と考えてしまうし、語感もなんだかここちよい。

表題作は、隣室のわけあり母から女の子を一晩面倒みてくれと押し付けられた失業中の主人公の一夜を描いている。失業者の生活ぶりは妙にリアルだが、事件らしい事件も起こらず、翌日にはちゃんと母が迎えに来るという話。しかし、タイトルに影響されたのか、なんとなく良い。失業生活も悪くないかも、と思わせてくれる。
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ちくま日本文学006 寺山修司 (ちくま文庫)

2008年05月05日 | 本の感想
ちくま日本文学006 寺山修司 (ちくま文庫)

少し前まで寺山修司さんって競馬評論家だけど劇作家でもある人、くらいのイメージだったが、ある時、寺山さんの代表作の一つ
“マッチ擦るつかのま海に霧ふかし身捨つるほどの祖国はありや”
をよんで、「へえー本業(?)は歌人だったんだ」と今さらながら気づいた。

素人(というか、素人である私)にとって良い短歌、俳句というのは、読んですぐほぼ意味がわかり、その後歌われている情景が頭の中に展開されて、短編の小説を読み終わったような気分にさせてくれるものだ。
先にあげた短歌は、誰がよんでも
「ハードボイルド」
「東映やくざ映画の世界か」
「スパイ小説のシーンかも」
みたいな感慨をもたらすであろうし、北国の湿っぽい霧がどんよりとたちこめた、さびれた漁港のシーンが頭に浮かぶ(解釈本を読んだわけではないので正しい読み方かどうかわからないけど)。
そこで煙草をすいながら男が待っているのは大陸からの密航船だろうか?

短歌以外にエッセイ風の文書がいくつか収録されている。その多くが故郷での絶望と東京へのあこがれを書いたものだ。表現手法は斬新なものだったのだろうけど、テーマとしては今も昔もどの国にもある、どっちかというとありふれたもののような気がする。(今風にいうと「格差問題」ってやつだろうか)
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ロードス島攻防記

2008年05月03日 | 本の感想
ロードス島攻防記(塩野七生 新潮社)

奥付を見ると発行年は1985年。20年以上本棚に眠っていた本。さすがに活字のインクがところどころはがれていた。

著者は当時すでに人気作家だったが、巨匠というほどではなかった。この本でも、BLっぽい味付けがあって、読者サービスにも気配り(?)がみえる。

小アジアの小島ロードス島はコンスタンティノプール陥落後、キリスト教国の最前線としてヨハネ騎士団が領有していた。
騎士団の収入源は寄進とトルコ相手の海賊で、トルコにとっては主要海路上に播居する許しがたい存在だった。
スレイマン大帝は大戦力を結集してわずか数千人が守る島へ侵攻する。騎士団が圧倒的な力の差を埋めて何ヶ月もがんばれたのは、ヴェネツイァ出身の建築家が築いた近代的な城壁のおかげだった。

結局騎士団は降伏するが、数万人にもおよぶ損害を受けたスレイマンは降伏条件を遵守し、騎士たちは盛装をもって堂々と開城し、丁重なもてなしをうける。

いつもそうだったとは思わないが、現代の宗教がらみの紛争に比べるとずいぶん紳士的ですがすがしい。人類は様々な面で当時より進歩しているが、寛容さという面ではむしろ後退しているのかもしれない。
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