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或る大阪近鉄バファローズファンの
偏愛と放浪の記録

「我らが少女A」(著:高村 薫)

2020-12-21 23:28:20 | 【書物】1点集中型
 相当久しぶりの高村作品は合田シリーズ。って3年後に還暦ってどういうことだ、とその衝撃がでかすぎて(笑)どうにも想像できんと思いながらもとにかく読み始めたのであった。

 発端は、ある女性の他殺事件。被害者女性の家族からその周辺へと波紋は広がり、さらには現在は現場を離れている合田の手がけた12年前の変死事件が掘り起こされる。本筋はミステリのようで、しかし本質はそこにはない。
 人の記憶は失われる。ただ、どこか見えないところに溜まってもいる。そしてぼやけたまま引き出され、再構成される。あまりにも心もとない、これは「冷血」でもあった感じだなあと思い出す。12年前に少女だった女性は、死して再び人々の不確かな記憶の中に、少女として現れる。母、友人とその母親、遊び仲間、幼馴染、そして刑事。現実社会に本当に起きたことが淡々と背景にある中で、相も変わらず、登場人物ひとりひとりの生活も思いも、どこにどうやってこんなに取材しているのかと思わされる緻密さと鋭さ。モノローグのひとつひとつにドキッとさせられたり、その人の暮らす自分の見知らぬ世界を脳裏にまざまざと描き出してみたり。
 その一方で、これまた相も変わらずつかず離れずな合田と加納の様子は、何がどうなって今に至っているのか特に語られるわけでもない。ただ互いに日常にあるだけで、あるのが当然の存在であるだけ。でもそれがいつまで続くのかわからないのもまた現実だ。けれどそうした密やかな不安も日々の営みに微かに浮かんでは消え、そしてまた何かの拍子に顔を出す。いつかそれが何かの結果という形になるのかどうかは、今はまだわからない。

 制御できない自分を少しずつ変えていったADHDの青年の目に映った空は、もしかしたら希望だったかもしれない。けれどその人生も一瞬で変わる。あまりにも淡々と示されるその結末は「土の記」で感じた無常を思わせる。だけど今回は、物語は新しい命の兆しで締めくくられている。隣でひとつの命が失われても、自分が明日死ぬかもしれなくても、人は日々を暮らし続ける。

 それにしても、どんどん純文学になっていく高村作品。まあ、純文学って何だって話で、私の勝手なイメージでしかないわけだが、余韻がそんな感じなんだよね。そして合田は捜査の現場に戻るようだし、この刑事の話が続いていくのもまだまだ楽しみではある。

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