life goes on slowly

或る大阪近鉄バファローズファンの
偏愛と放浪の記録

「新リア王」 (著:高村 薫)

2009-07-31 01:14:34 | 【書物】1点集中型
 続編「太陽を曳く馬」がすでに発刊になったのに、何を今ごろって話ですが。本当に今ごろ読みました。やっと。

 さて今回のストーリーは、北洋船を降りて仏家となって久しい福沢彰之と、政治家の実父・榮とのまるで禅問答のような長い長い語り合い。とはいえ、心を通わすというような心温まるものというよりは、お互いがお互いの歩みを語りあうというのがベースなんですけども。
 「母はひとり、自分もひとり」と結んだ「晴子情歌」では20代半ばだった彰之は、40歳を過ぎていました。しかも、「そんなへまをした覚えはない」と言っていたはずの「息子」を手元においている状態で。

 前作「晴子情歌」もそうでしたが、合田雄一郎主演3部作(若干語弊があるけど)に代表されるような高村作品とは一線を画しているので、正直なところ1回読んだだけでは咀嚼しきれません。政治周りの話も不勉強なので理解しきれてないし。って、それがわかっていながら図書館で借りたんですけど(笑)。そのうちちゃんと買って読みます……そのうち……
 と、そういう、粗筋も説明できないような半端な読み方の中で、それでも最後に榮が彰之に向けた一言は何故か、ふと視界が開けるように感覚になじみました。
 
 君は今度こそ子を捨てよ。父も捨てよ。そうして私と晴子がなした命一つを、私たちの代わりに仏という名の数千年の夢に費やせ。ぎゃあてぃぎゃあてぃの空に叩き込め。この四十一年、一度も私を父さんと呼んだこともない君ならば。

 この場合、「空」はやっぱり「くう」と読むべきでしょうか。物語の最後、衣を1枚ずつ脱ぎ捨てるように自らを取り巻く人々一人ずつに語りかけては去らせていた榮の、今まで世間的には実子として遇することのなかった彰之への言葉のクライマックスがこれでした。
 実は恥ずかしながら「リア王」読んでません。本当は、一度は目を通しておいた方が感じるものもあるんだろうけど……まだシェイクスピアにたどり着けてない。(笑)ただ、これが高村氏なりのリア王の姿なのかなぁとは感じました。

 つい先日、「新日曜美術館」で高村氏がロスコの画を見て「こういう小説を書きたいと思った」と語るのを聞きました。きっとだいぶ前からロスコはご存知だったんだろうと思うので、「晴子情歌」の時点からロスコを念頭に置いていたのか、この「新リア王」でなのか、はたまた3部作を締めくくる「太陽を曳く馬」に対してなのかはわかりませんが。
 でもその時、高村氏が描きたかったことがなんとなくだけど感じられたような気がしていた、あの榮の言葉の裏付けをもらったように思えました。何がどうという説明はしがたいんだけど、逆に言えばそれこそロスコだから。姿も形も定かでなく、しかしただそこに存在する、存在としての生命。
 だから、子を、父を捨てよという榮の言葉は、父でもなく子でもなく、ただひとつの生命としてそこに在れという言葉ではなかったかとも思うのです。自らは決して辿り着くことのない岸に、彰之ならば辿り着くのだろうと。もしかしたらそれを見届けることで、榮は晴子への愛をより確かなものにするのかもしれない。そうして彰之が父からも母からも自らを切り離してもなお、榮にとって彰之は限りなく息子であり続ける。

 彰之の息子・秋道がペンキを散らかした板壁の、絵ですらないのかもしれない赤や緑は、意味をもたない、意味が必要ないという点ではロスコが投影されていたのかもしれません(榮はバスキアのようだと言ったけれども)。そして私はその赤や緑と、「晴子情歌」で母・晴子の書き綴った言葉に出てきた、彰之の戸籍上の父・淳三の描いた「青い庭」との対比を思い浮かべました。それがどういう意味を持つのかは、まだ私には理解しきれていないけど。

 実は今日、「太陽を曳く馬」を本屋でちょっと最初だけぱらっとめくってみました。で、「雄一郎」の名を見つけて「あれっ?」と思いましたが、そういえばだいぶ前のどこかのインタビューで、「新リア王」の次の作品には雄一郎が出てくるとあったような……と思い出しました。つーか、よく見たら帯に書いてあったんだけど(笑)。
 ま、なんだかんだ言って雄一郎のキャラは好きでしたので、おかげで読みたい感倍増しました。彰之は、秋道は、そして雄一郎は、人間のどんな姿を見ることになるのか。俄然楽しみになってまいりましたよ。でも最初は図書館で借りよう……。

 そういえば「レディ・ジョーカー」は文庫版書かれないのでしょうかね。けっこう待ってるんですけども。(笑)

お久しぶりです。いわくまさん。

2009-07-28 23:45:34 | 【野球】ペナント日誌 2009
 なんだかすっかり野球について述べる気力体力を失っていた昨今ですが、待ち時間にネット中継をふと見てみたら隈が投げてました。
 が、初回に早速失点していたので、「おいおい……せっかく久々に藤井と組んだのにー(実際1回飛んだだけだけど)」と今回もまたまた不安になったものでした。

 でも今回は追いついてもらってからが違ってました。本当にちらちらとしか見てないですが、けっこう3ボールになってたり、ボール先行も多かったように思えたけど終わってみたら無四球完投……とはいえ1死球だけども。
 けど、久しぶりに(だと思う)奪三振も2桁乗ったし。球数も120いかないという良い形だったので、私が見ていた時だけたまたまボール先行だったんでしょうかね(笑)

 最近は藤井の起用も、ホームゲームの延長12回で野手他に残ってないのに代打にすら出してもらえないとか、前回何故か隈と組んでなかったとか個人的になんだか良くわからない状態だったんで、これで今後2人とも安定してくれるといいんですが。
 ていうか、藤井どっかおかしいの? とも思いましたが、突然中谷が使われ出した時期だったので、色々悶々としてました(笑)。ま、今もしてないわけじゃないですけど。単に嶋の猶予期間が終わったということなのか、それとも……

 隈、お立ち台でちょっとうるんでましたかね? 小さい画面&無音で見てたので勘違いかもしれませんが(笑)なんとなくそんな風にも見えました。
 実に1ヶ月半ぶり、ようやくの7勝目。今年はこれからも山あり谷ありかもしれませんが、最後まで折れないで、自分を信じて投げ続けてもらいたいと思います。

 実際はそんなに観れてないんでこんな薄いコメントですけども(笑)
 とりあえず後半戦開始です。時間はそんなに残されてないけどねー。

「板極道」 (著:棟方 志功)

2009-07-16 23:04:06 | 【書物】1点集中型
 棟方氏の作品は、見ていて飽きない。とても好きな芸術家さんです。作品集を買おうかなとも思うんだけどやっぱり版画にせよ肉筆画にせよ、本物を見てしまった後ではどうしても比べてしまって、「やっぱ違うよなー」となって買わずじまいだったりするのです。あたりまえだけど。なので、もろもろの展覧会図録なども一度たりとも買えずにいます(笑)。見た作品を勉強するためのものと割り切って買えばいいんですけどね、本当は。

 話はいきなり横道から始まっちゃいましたが(笑)
 「板極道」、この本は棟方氏の自伝です。棟方氏といえば仏画の印象が強いですが、こうして訥々とした語り口の文章を目にすると、その仏画のイメージを引き写したような穏やかさが感じられます。もちろん、仏画も穏やかなだけではないんだけれども。
 でもその内には「描きたい」という情熱がいつも燃えていて、インスパイアされれば前後も周りも関係なくその場で描かずにいられない。北国の生まれながらも、とりどりの原色が好きだと述懐するのもなんとなく頷けました。

 わたくしは、「生んでいる」という仕事を願い、したいと思っているのです。自分の手とか、腕とか、からだを使うということよりも、板画がひとりでに板画をなして行く、板画の方からひとりでに作品になって行くというのでしょうか。――少しくどいでしょうが、板画が板画を生んでいる、そういうありさまを、わたくしは非常に大事だと思うのです。そして、それにこそ、どの仕事よりも、より仕業への真実というものがあるのではないかと思うのです。
 わたくしは、自分で板画をやっていますから、板画のことになると、鬼にもなり、蛇にもなり、仏にもなり、神にもなってもらいたいのです。わたくしの板画にそういうものを実現してもらいたいのです。自分でするのではなく、してもらいたいのです。ですから、わたくしがした仕事ではなく、板画がした仕事になってもらいたいのです。

(「『板極道』 戦後の作品をめぐって」より)

 これが棟方氏が、柳宗悦氏の「本当のモノは、名がえらくならずとも、仕事がひとりでに美しくなるようにきまっている」という教えを汲み取って、自分の血肉にしたがゆえに現れた言葉なんじゃないかと思います。
 その、朴訥ながら何か大きな意思を持つような画面いっぱいの表現に、思わず合掌したくなるような時があります。見る者をしてそんな気持ちを自然と起こさせてしまう(もしかしたら気持ち以前の反射にすらなっているかもしれない)、それが「板画がひとりでに作品になる」ということなのではないでしょうか。

 今まで自分が見てきた棟方氏の作品にこれまで以上の魅力を与えてくれるとともに、もっとこの人の言葉を知りたい、その画の根本にあるものを知りたい。そう思える1冊でした。

「暗号解読 ロゼッタストーンから量子暗号まで」 (著:サイモン・シン/訳:青木 薫)

2009-07-13 19:35:07 | 【書物】1点集中型
 先日出会った「フェルマーの最終定理」に続くサイモン・シン作品です。

 図書館で借りてきたので手元にもはや本がなくなっており(笑)いろいろうろ覚えですが、基本的には時代と暗号の関わり、暗号作成と解読のノウハウ、現代における暗号の立ち位置、そして究極暗号「量子暗号」に至るといった内容。
 暗号は単純な文字の置き換えに始まり、それに少しずつひねりが加えられていき、たとえば大戦中のドイツ軍が活用したエニグマ機のような形で一旦、頂点を極めたかに見えました。しかしそれも数学者たちをはじめとする解読チームの手によって破られます。このあたりが、頻度分析などから個々の文字を割り出す上で言語学者等の比重が高かった暗号解読という作業が、数学者たちの手へ渡っていく過渡期であったでしょうか。

 そして研究者たちはついに、永遠の課題と思われた「鍵配送問題」を解決――つまり、暗号文のやりとりに際して送信側と受信側が「同じ鍵」を共有する必要をなくすることに成功しました。これが「モジュラー」(「フェルマーの最終定理」でも重要な役割を果たしたあれ)を踏まえた、可逆性のない一方向関数から生まれた現代の暗号。これがいわゆるSSLサーバ証明書で活用されている「公開鍵」「秘密鍵」の仕組みにつながっているというのが、シン氏らしいわかりやすさで書かれてありました。
 PGP、RSAとか見たことのある字面が出てきましたが、やっぱり言葉だけ覚えようとすると無理があるなぁ、こうやって読めば理解できるなぁとまたまた思った次第です。

 暗号は何も暗号として作られたものだけが暗号ではなく、現代人にとっては古代文字も暗号だし、知らない「言語」も暗号である……というか、暗号として使用できるというのはある意味「目から鱗」の視点でもありました。その例として、第2次大戦中に米軍が使用した、先住民ナヴァホ族の言葉があげられています。ナヴァホ語が他の言語とつながりを持たず、さらに当時ほとんど研究の手が及んでいない言語であったから採用できたといいます。それまで決して厚遇されてきたとはいえないナヴァホ族でしたが、誇りを持って暗号技術者としての業務に従事していたたそうです。
 あとはやっぱり、大戦中のドイツ軍が誇ったエニグマ機ですかね。なんかこういう機械を作るのはちょっと図画工作的な部分もあって(いや、本当はもっとちゃんと機械なんだけど)そういう意味でも面白かったです。こんな形をしてたのね、と。パソコンのように演算処理ができるものではないので、むやみに巨大化してしまうパッケージもなんだか……ロボットを作っているような。

 かように、暗号の手法そのものの解説も興味深かったのですが、この本は(おそらく各所で言い尽くされているだろうけれども)暗号作成者と解読者の戦いという軸の世界史でもあります。それがあったからこそ、一方向関数をもとにした現代の暗号化通信の基礎が生まれて、今こうやって個人情報をネット上でやり取りしてもそれなりに安全性が保たれるようになったわけですから。
 暗号手法の究極形となるであろう「量子暗号」が本当に実用化されるかは今の時点ではわかりません。量子コンピュータ自体、実際に実現するものであるかがわからないので。でもこの量子の考え方を暗号に持ってくるという発想が、やっぱり学者さんだなぁと。
 暗号と数学。暗号と量子。一見結びつかなさそうな世界を結びつけてしまう、その着想の見事さに、「フェルマーの最終定理」に通じるシン氏の描きたかった点があるようにも思います。

激闘の果てに。 Wimbledon 2009 FINAL

2009-07-07 22:10:12 | 【スポーツ】素人感覚
 ロディックvsフェデラー。顔合わせこそ違えど、昨年に続きいろんな意味で歴史に残る1戦になったファイナルです。個人的には一昨年もかなり激闘だったとは思うんですが。

 いかにこの対戦成績(18-2)であるとは言え、今のロディックはフェデラーといえどそう簡単に勝てる相手ではないだろうという状態でした。実際、今年に入ってからロディック相手に何度かセット落としてるし、なんせロディックはSFでマレーを下して出てきたわけなので。見たかったんですけどねー、この試合も。

 この試合もお互いサービスは好調を維持。触れてもまともにリターンできない状態です。
 なので互いに無難なキープが続いてましたが、先にブレイクチャンスがあったのはフェデラーだったけどロディックはしっかり凌いでました。というか、決め切れてないぞロジャー。いったかと思ったお得意のフォアのdown the line、しかし怪しいそのwinnerがロディックの絶妙なるチャレンジでフイになった1本。あれは象徴的でした。
 対照的に、フェデラーはたった1度しか与えなかったチャンスをそのまま奪われてしまい、第1セットは7-5でロディック。

 第2セットに入っても、どう見てもつけ入る隙のないロディックのサービスゲーム。これはフェデラーとしてはタイブレイクに持っていくしかないんじゃないかと思いましたが案の定。全くもってお互いチャンスも作らず作らせず突入したタイブレイクで、ロディックが畳みかけて気づけば6-2。ロジャー大ピンチ!
 ……だったのに、フェデラーはここから盛り返して6-6に持ち込むとそのまま突っ走って8-6でタイブレイクを制してセットオール。なんなんですか、あなたは。

 第3セットもほぼ同様。強いて言うならば、ロディックが積極的に前に出てきているのがわかりました。あと、全体的にミスがとても少ない。ロジャーもそんなに多くはなかったと思うけど、今さらだけど去年までのロディックと全然印象が違うのはそこで、フェデラーが揺さぶっても崩れてくれない。スリップして転んでも、次のプレイは変わらない。とにかく高い集中力を持続させているのが伝わってきました。
 それでも、このセットも最終的にタイブレイクを制したのはフェデラー。サービスキープ自体は苦しんでいる印象はなかったので、ただロディックのサービスにどう対処するかの突破口がなかなか見いだせずにいたからこその展開だったんだと思います。あのサーブがボディに来られたらなかなかまともなリターンはできるものではないと思うし、あとは特に大事なポイントはもうこれでもかっちゅーくらいセンター狙いで来てましたね。

 そしてセットカウント2-1で迎えた第4セット、前半でロディックがこの日2度目のサービスブレイク。ファイナルセット突入を覚悟した瞬間でありました(笑)。
 その後も、フェデラーにブレイクチャンスが全くなかったわけではないけど、盛りあがるほどのチャンスはほとんどありませんでした。0-15や0-30と先にリードしても続かない。気づけば40-15、40-30にひっくり返されてそのままあっさりとキープを許すという展開でした。
 なんつっても、なんせロディックが切れない。フェデラーが鋭いクロスのストロークで思いっきりコートの外に追い出したのに、それをいっぱいいっぱいの場所から同じように切り返してwinnerを奪うロディック。鳥肌もんでした、実際。

 だがしかし、待てよ、今日のロディックを見てたらタイブレイクで取るしかない雰囲気なのに、ファイナルセットってタイブレイクないやん……どうするロジャー。
 ……そんな問いに答えてくれるはずもなく(笑)結局やはりフェデラーはロディックのサービスゲームをブレイクできないまま、誰も想像しなかった壮絶なるファイナルセットが始まりました。

 ロディックのサービスで始まったこの試合、ファイナルセットはフェデラーのサービスから。ただ、やっぱり淡々と続いていくんですよねこのセットも。気づけばゲーム数が2桁に乗り、第12ゲームが終わり、タイブレイクもなくこれまでと同じように進んでいく試合。
 このあたり、だんだんこっちの意識も怪しくなってきて(笑)今どういう状況なのかわかんなくなってきてました。ただ延々と続くキープ合戦。ヤマはどこにあるのか。このまま100ゲームとか行っちゃったらどうするの。とかアホなことを考えたりしていました(笑)。

 しかし、プレイの質自体はそんなに落ちた感はなかったですが、サービスの勢いはお互い少しずつ落ちていたかもしれません。20ゲームも過ぎると、それまでほど簡単にエースが取れる状態ではなくなっていたと思います。それでも相対的にはやっぱり互角で、どちらもここぞというところでは1本エースを取りに行き、それをちゃんと取ってしまう。もうどうしようこの2人。どうなっちゃうんだろう。と正直思っておりました。
 先にブレイクポイントを握られたのは確かロジャーだったんじゃないかな。それをここぞの集中力で取り返したら、あとはやっぱりお互いに危なげない。何をどうしたらこの展開が変わるのか。エンドレスとしか思えない。(笑)

 そんな感じで、流れ的にはほとんど変わることのななかった試合でしたが、第29ゲームにはほんの少しだけ違う波が起きたような気がします。フェデラーがこれも淡々とキープしたゲームですが、最後の2本くらいがロディックのミスだったんです。それまでにはあまり見なかった明らかなミス。
 逆にそういうのはフェデラーにこそあった(というか、ロディックが本当にミスしなかった……いや本当はしてるんだけど、してない。だだ崩れしないという意味で、そういう印象を受けるプレイをしてたと思う)ので、これはもしかして……とちょっと思いました。でも今日のロディックはそういうこっちの一瞬の考えを吹っ飛ばすプレイばかりをしてたので、確信にまでは至りませんでした。

 ただ、素人が画面越しに一瞬だけでもそう感じたぐらいなので、実はロジャーはあの時見極めてしまったのかもしれません。最初で最後のチャンスを。

 第30ゲーム(今さらだけどこのタイブレイク不採用って、殺人的ルールですな)、デュース、フェデラーのアドバンテージ。
 3本続いたラリーを、センターに入ったボールをロディックが捉えきれずに打ち上げてしまい、フェデラーにこの試合最初のサービスブレイクを献上するとともに、ゲームセットを迎えることになったのでした。

 フェデラーの目には、全豪や全仏のような涙はありませんでした。どれにも勝るとも劣らない試合であったにもかかわらず、そしてピート・サンプラスの目の前でその記録を抜き去る勝利を挙げたにもかかわらず、感無量というよりはむしろほっとしていたように見えました。
 試合後のプレスカンファレンスで、「最後の最後までアンディ(のサービスゲーム)をブレイクできなかったので、いらいらもした」と言ってましたが、見ている限りのプレイにはそういう感情の揺れはほとんど見られませんでした。去年あたりはけっこうそれが表に出る部分もあったと思うんだけど。今回は、ミスを繰り返したわけじゃなくてロディックが想像以上に手強かったから、自分に対して苛立つという形じゃなかったからかもしれない。
 最後まで思い通りにならなくても、我慢して我慢して、結局は焦ることなく自分のプレイを貫き通した。それがこれまでの膨大な経験で培われた5セットマッチの戦い方であり、自信であり、精神力の源だったんじゃないでしょうか。それはやはり表敬と賞賛に値すると思います。
 奇しくもロディックのコメントも「今までで初めて(自分の)サービスの対処に苦労していたけど、動揺しなかったし、苛立ってるようなそぶりも見せなかった」とのこと。直接戦ったからこそ感じるのであろうロジャーの根底にあるすごさを、改めて見る者に伝えてくれた言葉でした。

 相手を上回る2つのサービスブレイクをもぎ取りながらも、たった1回の、それも試合の最後の最後で喫したブレイクに涙を呑んだロディック。
 表彰式を待つ間ベンチに腰をおろして動かず、強烈なのは時折映し出される表情の、これ以上ないほどに見開かれた目が血走ったような赤みを含んでいた様子。放心状態にも見えたけど、私には、試合が終わったことを頭では理解しながらも、突然試合から投げ出されてしまった体の収まらない興奮を抑え込んでいるようにも見えたものでした。
 そんなロディックの姿がちょっと切なくて、あんたがんばったよ! 本当に強くなったね!! まだまだ上にいけるよー!! と、画面に声をかけてしまいました。(笑)
 コートでのインタビューの間もロディックの表情は硬く、単に悔しさという言葉では表現できない、逆に感情が飽和して無機質になってしまったような印象さえ受けました。そんなアンディを気遣ったロジャーは、その気持ちを誰よりも理解していたことでしょう。去年同じこの場所で、そして今年のメルボルンで自身が経験したのと寸分たがわぬと言ってもよい状況だったから。

 エースの数はフェデラーの方が多かったんですよね。特にファイナルセットが22本で、ロディックの8本を大きく上回ってました。そんなに差がついた印象は不思議となかったんだけど、サービスキープが無難だったのはそのせいか。
 ただロディックのプレイにはキレがあったし、前述の通り触れてもコート内に返せないサービスが多かった。リターンが返って来ても、ラリーの主導権を手放すことは少なかった。エース以外の武器をしっかりと自分のものにしているロディックがそこにいました。

 "Roger" コールに続いて "Roddick" コールも上がったスタジアム。あなたが見せたボールへの執念は、途切れなかった集中力とプレイの進化は、世界中の人々を間違いなく魅了したと思います。ブルックリン夫人の存在はやっぱり偉大だったのかな(笑)。
 それはそれとして(笑)、プレイに関してはもちろんステファンキ新コーチとの相性がとても良かったということが大きいんじゃないでしょうか。何回も言ってるけど、見違えますもん今年のロディック。だからこの先ももっと伸びていきそうで期待しちゃいます。

 なのでデビスカップ欠場を知った時、これは今回の疲労からなのかなと思ったのですが、発表は右臀部の負傷とのこと。これがあの試合によるものなのか、その前から兆候があったものなのかはわかりませんが、今は体も気持ちもゆっくり休めて回復に努めてもらいたいです。またすぐあのプレイを見せてくれることを願って。

 本当に紙一重でした。ロディックにとっては目の前、トロフィーに指がかかるほんの数cm手前のところ。それはフェデラーも重々感じていたと思います。
 ロディック、プレスカンファレンスでもまだ感情の整理がつかないのか、声も重くてなかなか顔を上げ続けているわけにはいかなかったようでした。「今日自分自身がしたことを、どう評価する?」と訊かれて答えた "I lost." という一言が、誰よりもそれを発したロディック自身にとって今日ほど重かったことはなかったんじゃないでしょうか。
 その死闘を制して、前人未到のGS15タイトル到達&ランキング1位奪還を成し遂げたフェデラーにも、改めて敬意を表するとともにお祝いを申し上げたい。おめでとう、ロジャー! 結局、単核症にかかった以外には体の大きな故障もなく、ここまでGSに出続け勝ち上がり続け、積み重ねたGS21大会連続(だっけ?)SF以上進出という途方もない記録。それはプレイレベルの高さももちろんだけど、それ以上に体調管理の素晴らしさも物語っていると思います。ひそかに鉄人ですよ。
 あなたはまだまだやってくれる。誰も見なかった領域にずっと踏み込み続けていく姿を、もうしばらく見せてくれるはず。楽しみにしています。

 そしてラファ、早くツアーに戻ってこれますように。こういう終わりを迎えたウィンブルドンですが、ラファがいたらこの大会、もっとどうなっていたことやら。そう考えるとやっぱりラファがいないのは寂しい。モントリオールでの復帰を期しているとのことですが、そこでまたロジャーとの胃の痛くなるような勝負を見せてください。

 最後に。
 ロジャーにアンディ、素晴らしい試合をありがとう!

今日も鎌倉 足がぱんぱん

2009-07-06 23:30:40 | 【旅】ぼちぼち放浪
 慣れないのに歩きすぎです。
 というか、もっとウォーキングシューズ的なのを履いてくるべきだったんですが……スニーカーにもいろいろある。(教訓)

 いやしかし、見ちゃいましたよ、ウィンブルドン。ロディックvsフェデラー、あのとんでもない試合をっ。2年3年続けてこんな予測不能な展開になるとは。おかげで睡眠時間が……(笑)いや、これについてはまた改めて。

 で、土曜日曜となんとか雨に降られずに来ましたが、今日は朝から小雨。まあ、紫陽花も咲いていることだし雨ならそれはそれでいいじゃないかってことでふらふらと出かけました。北鎌倉から昨日は線路左側を見ていったので今日は右側、東慶寺と浄智寺。
 東慶寺は前にも来たことがあったんだけどすっかり忘れており(笑)多分これ、前回と同じ感想だと思うのですが、小さいけどいろんな花が咲いていて目に楽しいお寺です。前はたぶん紅葉の時期だったと思いますが。ただ、小さいながらも四季折々目を楽しませてくれるお寺だと今度こそ認識できましたので、またリピートします。浄智寺はそんな東慶寺に比べると少し弱かったかもしれません。コストパフォーマンス的にも。←罰当たり

 それから昨日と同様、鶴岡八幡宮への道をてくてく。やたらと男子中学生だか高校生だかが向こうからやってくるので、なんだ? 修学旅行か? と思ったら鎌倉学園の生徒さんたちでした。今の今まで、建長寺の真裏に学校があるとは気づきませんでした。平日ならではですね。
 八幡宮内の鎌倉国宝館で「お釈迦さまの美術」なる展覧会をやっていることに昨日気づき、行ってみようかな~とふらっと寄りましたがご多分に漏れず月曜休館でした(笑)。ポスターにもなってた涅槃図をちょっと見てみたかったです。神社は毎日やってるんだから国宝館も開けておいてほしい。←全然別物だろう

 そのあとは今日も若宮大路をまたまた歩いて、「拭う(nugoo)」の手ぬぐいを何度も眺めてしかし「これだ!」という1枚を決められなくて結局買うに買えず(毎回これやってます)に店を出て小町通りに抜け、昨日通りすがって「あ! ここにあるんだ!」とわかった「Rans Kamakura」でランチを。blogなどでお店の名前を見たことがあったのです。(小町通りっつーか、雪ノ下ですが)
 ちなみにこの一角(こもれび禄岸)にある「gram」というセレクトショップも素敵です。アクセサリーをメインに雑貨が少々。天然石を使ったものが多いですが、地金だけのものもありました。どれもデザインが個性的で、個人的にお気に入りのお店になりました。あと、雑貨といえば長谷にも小さなショップスペースが増えていて楽しみになりましたよ。

 脱線しました。
 さて前菜、イサキのカルパッチョにも惹かれたけどプロシュートのサラダ仕立て。妙に好きなもんで、メニューにあると食べずにはいられない(笑)。スモークサーモンも同様。
 肉厚にスライスされたプロシュートの濃厚な旨みが、サラダの苦味と合っておいしかった♪ 無闇にたくさん噛んでしまいます。するめの如く。深みのある肉の色もきれいだったなあ。

 これならパスタも期待できそう、と出してもらったのはしらすとキャベツのパスタ。カッペリーニほどではないと思う(多分)んですが若干細めの麺で、アンチョビ風味のペペロンチーノでした。トマトとケッパーも入っていて、ほとんどオイルを感じさせないさっぱり風。若干スープ多め。旨味たっぷり♪ 付け合わせの自家製フォカッチャがまた、いい甘みがあるんですよねー。
 ドルチェは藻塩とオリーブオイルのジェラート。オリーブオイルがジェラートと合うのは経験済みなんで迷いませんでした(笑)。藻塩の味がしっかりしてるので、一瞬塩けが強すぎるかなと思いましたが、食べていくとこれはこれでありですね。ちゃんと「塩」だし、どちらかといえばまったり系なので大量には食べないけど、思い出したら食べたくなる味かも。フルーツのシャーベットと合わせてもいいかもしれません。

 以上ですっかりお腹いっぱいになり、さて残り1時間半をどう消化しようかなと思いつつ、やはりこの時期の花を観に来たからには花が良いと言われている寺をということで、まあそれもガイドブックを見ただけなんですけど(笑)大巧寺と海蔵寺に決めました。
 海蔵寺は距離があるのでどうかなと思ったけど、大巧寺が小さくてすぐ見終わったのでちょうど良かったです。大巧寺、初めてちゃんと見ましたけど……ううむ、こんな造りだったとは。で、短いけど花の小道って感じで、ちょっと和むスポットかもしれない。落ち着きはしませんけども(笑)

 海蔵寺は以前、紅葉の時に行って気に入っていた場所です。ここも小さいことは小さいんだけど(笑)紅葉の時期は道中の家々の木々の色づきも素敵なので、そういう意味では小さいわりに楽しめると思います。
 背の高いノウゼンカズラが赤みの強いオレンジの花をたくさん下げていて、目に鮮やか(ノウゼンカズラ自体はいろんなとこで見れましたが)。あと桔梗が、紫だけでなく白いものもあってなんとなく得した気分に(笑)。

 で、「十六ノ井」も一応見に行ってみました。相変わらずどこに出るか見当のつかない道……
 誰もいないので、しばらくじーっと洞窟(っていうのか)の中を見ていたらだんだん目が慣れてきて、奥の仏さまがはっきり見えてきます。周りも静かだったし、その見えてくる感じでなんとなーく吸い込まれそうな雰囲気がありました。湿気が多かったせいか、微かに水煙が立っていたしね。本当に薄――くですけど。
 おかげでなんだか、今までにない経験をした気分です。思わず合掌してしまいたい気になりましたので(笑)。

 そんな感じで今回の鎌倉めぐりは終わり。おんなじとこばっか歩いてた気はしないでもないけど(笑)。
 今回、天気も良くなかったのであえて江ノ電沿線ではそんなに時間を使いませんでしたが、次回はもう少し海沿いをめぐってみたいと思います。ま、でも結局毎度同じようなことをやってるんだと思いますけど(笑)

鎌倉紫陽花めぐり その2の本番

2009-07-05 23:04:49 | 【旅】ぼちぼち放浪
 うっそうと茂った紫陽花は、本当にいろんな種類と色彩に溢れていました。初めて見る品種もたくさんあったし。いやこれは80分待ちの札とか出ますよね、確かに。(笑)
 門を入ってすぐのところにも様々な花が咲いていて、今まで紅葉の時期ばかりを見ていた長谷寺のまた違った楽しみ方を見つけた感じです。面白かった♪

 そんな感じで、今日は江ノ島まで手が回らなかった……ので、明日行ってみようかな。

鎌倉紫陽花めぐり その2

2009-07-05 22:47:14 | 【旅】ぼちぼち放浪
 鶴岡八幡宮から若宮大路に抜けてさらに小町通り散策のお決まりコース。で、「イル・ブリガンテ」でこけももとレモンのジェラートを食しました。どっちもさっぱりで美味♪

 そして長谷に移動して長谷寺へ……の途中、今度は「鎌倉ジェラート」へ(笑)←紫陽花めぐりなのかジェラートめぐりなのか
 ここではトマトのジェラートをいただきましたが、これもみずみずしくて、トマトの甘みだけでしっかり味になってる感じ。もりもとのトマトゼリーからさらに甘さを抜いたような風味で、個人的にはハマる味でした。

 で、やっとたどり着いた(笑)長谷寺でお迎えしてくれた仏さま。