life goes on slowly

或る大阪近鉄バファローズファンの
偏愛と放浪の記録

「パルプ・ノンフィクション 出版社つぶれるかもしれない日記」(著:三島 邦弘)

2020-07-27 23:34:19 | 【書物】1点集中型
 この本は確かTwitterで見たのだった。そういえばミシマ社の「ちゃぶ台」は立ち読みしたことがある。自費出版みたいな装丁だなというのが第一印象だったけど、一般書店の雑誌コーナーにあってその独自性はすごく伝わってきたし、そういう本は読み込まなくても眺めるだけで楽しかったりもする。電子書籍じゃない意味って、好きな作品を所有するという気分と同様に、モノに惚れるからというところも大きい。だから時代としての電子書籍ビジネスを採用しつつも、紙の本への思いを強く持っていてくれる出版社というのは、紙の本好きにはありがたいと思う。
 紙といえば「紙がない!」の話は実際に当時、自分自身がちょっと影響を受けたできごとでもあったので、状況を思い出したりもした。受注生産の紙の供給だけじゃなくて、ごく一般的な紙の確保にも難点があったぐらいなので、特に、紙にこだわりを持った本を作る人たちは大変だっただろうと思う。
 出版業界の実際、つまり本がどのように書店に置かれ、そして消えていくのか。いい本を届けたい、でもビジネスとして成立させることができなければ、それも叶わない。そう考えると、好きだと思える本に出合えるということは、実はものすごい幸運なのかもしれないと思う。

 自社が少しずつ大きくなっていくにしたがって、小舟の操船術だけでは対応できなくなってくる。本を作ることだけじゃなくて、本を作るためにこの組織をどう回していくのか、人をどう配置すべきなのか、経営者として悩む。最終的には出版業界全体を包括するような組織のあり方の話にもなっていくわけだが、個人個人が持つ問題意識は意外と共通で、でも何故か解決のレールには乗らない。これ、社会全体に通底する話でもあるなあと思ったのだった。

「グラン・ヴァカンス 廃園の天使I」(著:飛 浩隆)

2020-07-25 10:52:28 | 【書物】1点集中型
 「象られた力」「零號琴」ときて、やっとこちらを読むことに。「零號琴」はけっこうポップな雰囲気もあったけど、こっちは「象られた力」に近い抑えめの感じがする。

 「廃園」と銘打ってるだけあって、海と陽射しのきらめく仮想リゾート〈数値海岸〉の〈夏の区界〉は「硝視体(グラス・アイ)」の姿も含めて美しくて空虚。人間をゲストとして迎え、もてなす存在であるAIたちが、訪れるべきゲストを1000年もの間迎え入れていないというだけでその空虚さが知れるというもの。ディストピアというよりは、いわゆるデカダンスってやつ。その鮮やかな世界と、退廃を彩る密やかで残酷な官能の卓越した描写に引きずられるようにしてどんどん読み進めさせられていく。自然と映像を思い浮かべさせる描写の素晴らしさはずっと変わらないんだなと思う次第。
 夏の区界を突然襲う「蜘蛛」も、それらを操るランゴーニという存在も、彼に翻弄され蹂躙される住人たちも、それぞれの役割と能力がある。ひたひたと押し寄せる恐怖と不安と暴虐に、本当なら目を瞑りたくなるのに、でも目を離せない。ランゴーニが本来仲間であるAIたちを襲ってまで「天使」を陥れる「罠」を手にしようとしたことには、この描かれた世界にとって重大な意味があるはずで、いったいこの世界に何が潜んでいるのか知りたくなる。ゲストは、人間はなぜ訪れなくなくなってしまったのか。それこそが本当は「廃園」の本当の意味なんじゃないかとも思うが、この段階ではまだ何もわからない。ただジュールが「天使」を追うその端緒についただけ。
 〈数値海岸〉はいずれ、〈夏の区界〉同様に崩れ去ってしまうのかもしれない。そのときジュールはどんな存在になるのか。老ジュールの姿が示唆するものが想像できないけど、それがAIたちにとっての希望になるのか、破滅になるのか。それももともと〈数値海岸〉をデザインした者たちの意図に含まれてしまう、実はすでに定められた未来でしかなくて、ジュールはそれを検算するためだけの存在にしかなれないんだろうか。

 この作品が世に出た20年弱前、SF的世界の中ではそれまでにも既に多く語られていたことではあったけど、おそらくまだ今ほどAIが人を超克する可能性については現実的ではなかったかもしれない。でも今、それがまるで現実になるかのように、ある意味でAIが人間の敵になり得るかのように言われることも出始めている。そんなとき、逆にこの作品世界のように人間の手を介していない状態のAIがどんな世界を築くのかが描かれる物語を見ることができるのは、むしろ新鮮ですらあると思う。

「ザ・ボーダー(上)(下)」(著:ドン・ウィンズロウ/訳:田口 俊樹)

2020-07-12 16:08:15 | 【書物】1点集中型
 図書館本。「犬の力」「ザ・カルテル」でアートとアダンの関係に決着がついて、続編があると思わなかったんだけどあると知ったら読まずにはおれないだろうというこのシリーズである。
 緊急事態宣言明けてやっと上巻が回ってきた……ら、これがなんと750p超え。アダンがもういないにも関わらずこの圧倒的なボリューム、そして巻頭の献辞。それだけでも読む前からウィンズロウの執念を感じた。で、例によって壮絶なプロローグを読みながら、これは覚悟して対峙せねば1冊2週間のリミットはとてもクリアできん! と襟を正す思いになった次第。

 麻薬王アダンは退場したけど、麻薬ビジネスは終わらない。王を失った王国で群雄割拠が始まる。麻薬が人から奪い去るもの、人間を人間でなくしてしまうものはあまりにも多く、あまりにも無残で凄惨だ。アートはそれとともに生きてきた。だから根本的には、アダンという個人ではなくてアダンを王たらしめていた根源的存在をこそ追いかけていた。そしてこれからもそうなのだ。
 一見触れ合わないさまざまな人々の人生は、麻薬ビジネスという一点で遠く交わっている。アートはDEA局長として、現場から一歩離れたところから事態を動かす。囮捜査に携わるシレロの葛藤や変化がリアルだし、ニコをはじめとする虐げられながらも生き抜こうとする子どもたちを迎え撃つような過酷なできごとは、運命などという言葉で片づけるのは安易すぎる。自らが壊れてしまう前にたどり着くべき場所へたどり着けるのか、不安になる。

 下巻はさらにボリュームアップして800pに届かんとする勢い。現場で苦悩するシレロがそれでもジャッキーを助けずにはいられなかったり、シナロア・カルテルの混沌が惨劇の連鎖を生んだり、NYで安寧を掴んだかに見えたニコにさえもやはりギャングの手が伸びたり……。解説にあるように「弱い者がまず犠牲になる」というこの「戦争の真実」が、今作でも仮借なく描かれる。でもそれは大袈裟な表現にはまったく感じられない。これが現実なのだと言わんばかりで、実際そうなのだろう。いつもながらそのくらい入り込まされる。
 アートは立場上、政治的な意味での立ち回りのほうが多いけど、だからこそアメリカとメキシコ(さらに、ニコのグアテマラも)の切っても切れない関係が強調される。根源的な病巣がどこにあるのかがこれまで以上によくわかる。そしてそれがやはり今の社会の現実なのだということも。

 そんな中でもアートが最後には「自分の人生を救う」ための行為を貫くことができたのは、何よりだったと思う。公聴会でのアートの告白は、「犬の力」から実に20年以上にわたるというウィンズロウ自身の旅路でもあって、その筆にこめてきた思いの集大成以外の何ものでもないのだろうと思いながら、文字に聴き入る。
 そして物語の中で傷つき倒れ、失われてしまった数々の命を思い出さずにいられなくなる。過酷な生き方をしてきて、しかし一度は穏やかな幸せを掴んだノーラが再び愛するもののために身をなげうって、今があることも。「燐寸」ベリンダはちょっと意外だったけど、納得できなくもない。なした残虐は許されることではないけれど、ベリンダもまたこの世界にあって、そのように生きる道を自然に取らされることになったということなのかもしれない。
 それはアダンさえもそうだし、リックやエスパルサ兄弟もだ。本当は、彼らを育てたその環境こそがなくさなければならないもののなのだ。アートとアダンの戦いはやっと終わったけれども、国境によって切り離すことのできない現実が今も続いていることは、決して忘れてはいけないのだ。社会と麻薬との戦いは、まだ終わってはいない。