「記者の教科書」という煽り文句通り、迫真のノンフィクション。恥ずかしながら、事件としてはストーカー規制法制定の端緒となったこと程度しか記憶していなかったのだが、その実像がまさかこれほどとは。主犯や共犯の人間とは思えない異常性も恐ろしいが、それ以上に埼玉県警の腐敗ぶりと、その結果、司法までがそれに追随する形になったことに目を疑う。「警察記者」と「事件記者」の根本的な違いが取材に差異を生み、結果としての報道と受け手の認識に大きな開きを生むこともあらためて実感させられる。ものすごい勢いで読まされる1冊だった。
主犯・小松和人の死亡後に「遺言」がもう一つ現れるのも衝撃である。さらに、被害者の「遺言」が警察の手によって無残に貶められていく。都合のいい「証拠」だけを都合のいいように、ほとんどこじつけとしか思えない理屈で解釈する警察に、被害者の人となりも、その思いも苦しみも、何もかもが歪められていく。その過程を追えば追うほど更なる底なし沼が拡がっていくようだ。やりきれないことこの上ないし、埼玉県警はいったいどこまで保身に走れば気が済むのか、憤りを感じない読者はいないのではないだろうか。
その憤りとともに、もし自分や親しい人々が警察を頼るしかない立場になったときに本当に警察を信じることができるのか、自問せざるを得ない。そして「信じられるわけがない」としか思うことができない。この事件で上尾署ひいては埼玉県警のやったことは、全国の警察組織そのものを市民に敵対させ、市民に疑わせ、市民からの信頼を失墜させる行為でしかないのである。
主犯・小松和人の死亡後に「遺言」がもう一つ現れるのも衝撃である。さらに、被害者の「遺言」が警察の手によって無残に貶められていく。都合のいい「証拠」だけを都合のいいように、ほとんどこじつけとしか思えない理屈で解釈する警察に、被害者の人となりも、その思いも苦しみも、何もかもが歪められていく。その過程を追えば追うほど更なる底なし沼が拡がっていくようだ。やりきれないことこの上ないし、埼玉県警はいったいどこまで保身に走れば気が済むのか、憤りを感じない読者はいないのではないだろうか。
その憤りとともに、もし自分や親しい人々が警察を頼るしかない立場になったときに本当に警察を信じることができるのか、自問せざるを得ない。そして「信じられるわけがない」としか思うことができない。この事件で上尾署ひいては埼玉県警のやったことは、全国の警察組織そのものを市民に敵対させ、市民に疑わせ、市民からの信頼を失墜させる行為でしかないのである。