life goes on slowly

或る大阪近鉄バファローズファンの
偏愛と放浪の記録

「罪悪」(著:フェルディナント・フォン・シーラッハ/訳:酒寄 進一)

2016-05-25 00:02:37 | 【書物】1点集中型
 「犯罪」に続くシーラッハ短編集。なんだかますます短い作品になってるような気がするのは気のせいか? ものすごく読みやすいぞ。
 今作も基本的にはできごとを淡々と語っているだけなのだが、今回は少々人の悪い笑いが潜んでいるように感じる物語もいくつかあった。「遺伝子」とか、起こり得た犯罪をを事故が文字通り突き飛ばした「解剖学」とか、あるいはなんでもない主婦の精神に一瞬できた影を映し出したような「欲求」とか、登場人物的には必死の思いなんだろうけどまるでドタバタコメディのような「鍵」とか。特にこの「鍵」なんて最後のセリフがハマりすぎてて、それこそ思わず笑いが漏れてしまうのだった。あと「司法当局」のお役所仕事なオチもそうだ。しかも結びの「秘密」なんかはかなり「やられた」感もあり(笑)。冷静に振り返ると、ああこういうオチあるよなって話なんだけども、それでもここまでこの形で引っ張ってこられた後だから、うまいなぁと思った。実際、どっちが本当なのかと一瞬考えてしまうし。

 その一方で、罪と法の間にある非情を際立たせるのも変わらず。巻頭「ふるさと祭り」からして暗澹たる気持ちになる。しかも、もしかしたらこの先も普遍的に起きる可能性が拭えない犯罪だからこそ余計に。そして、裁かれなかった人々がどのように生き続けていったのかを考えずにはいられなくなる。「イルミナティ」も同様で、一つの可能性が摘み取られてしまった少年のその先の人生に思いを致すことにもなる。放埓な夫婦がそれぞれ徐々に壊れていったがために起きた「間男」では、「黄金の架け橋」という抜け穴も利いている。
 また、冤罪に関わる「子どもたち」に見られるささやかな救い、それと対をなすような「アタッシェケース」の悲劇的な結末、受けた苦しみを乗り越えた陰に残るものが最後に浮かび上がる「寂しさ」や「家族」、法と人の情の隙間をあえて埋めなかった「清算」。でもきっとそこに多くの人が共感するだろう。

 こうして並べてみると、まさに十人十色の人生が描き出されている多彩な作品集。前作同様の無駄のない語り口はそのままに、しかし前作とは一味違った雰囲気が醸し出されていて、今作も楽しめた。こうなってみると長編もぜひ読んでみたいと思う次第。「禁忌」は図書館でも人気があるみたいなので、「コリーニ事件」を先に行ってみようと思う。

「プロローグ」(著:円城 塔)

2016-05-22 13:40:04 | 【書物】1点集中型
 小説自身が小説を組み上げる小説。でいいのか? 日本語とはそもそもどんな書記体系であるのかなんて話から始まって、データの検索やら表記の統一やらについてICT時代ならではのユーモア溢れる作家の悩みや物語創作における設定・人物造形のあれこれなどなど。小説自身=作者視点での著述になるので、こういった内容が作家の「私小説」らしい雰囲気を作っている。あ、あと出版業界の裏話(でもないか?)なんかも。

 「新撰姓氏録」から適当に名づけられた登場人物同士が出会って舞台となる土地が生まれたり、彼らによってその土地の由縁や風俗が固められたり、さらには登場人物たちが二派に分かれたりして、世界はパラドックスしまくる。そこにときどきローカルネタが組み合わさり、フィクションの土地と現実がクロスしていく。
 そうしたストーリーの脇で小説の書かれ方についての言及があり、「書き換えられ続ける小説」を考察する部分があったりもする。そのへんはデジタル化著しい現代だからこその発想であるし、「なるほどそういうのもありなのかも」と一瞬思わされる。それとともに、最終稿がないという意味で完成しない(「完結しない」という意味ではない))作品というものが、物語のあり方としては正しいのかと思わず考え込んでしまう。
 それはある意味、「小説」の可能性がどの方向にあるのかということの模索でもあるのではないか。作家が「何を自分に入力として与えると、どんな出力が得られるかという実験を常に繰り返している」という言葉や、「小説を書くということは、自分が書きたい小説の筋を生きた人間を探す作業からはじまることになるはず」なんていう話にも、そんなことを感じた。だから作家は取材をするのだろうし、そこから自分の発想で肉付けをしていくのだろうし。

 クライマックスに近づいて、いきなり「言葉で表現しにくい事柄を、実際に言葉に置き換えていくことが、国語の問題であり課題」なんて、すぱっと言われると、言語で表現することの難しさ、奥深さをあらためて見せつけられる。感情移入できる物語は確かにわかりやすいおもしろさがあるけど、感情移入できないからといって面白くないわけではない物語もたくさんある。それはそれだけ読み手に感銘や衝撃を与える力を持っているということで、それこそが物語の本来めざすべき力なのかもしれない。
 それはさておき、3D-CADデータになっている謎の短編小説なんてものが出てきたかと思えば、登場人物の一人が自分が本物ではないと感じ始めるとともに諸々のバージョンの自分やほかの登場人物が現れ、もう一方では引用マシンと化した猩々が現れる。終幕に向けて、物語はだんだん目に見えてわかるようなカオスの様相を呈してくる。そして最後はバーニング・マン。燃え上がる炎とともに、人物は視点となり、思考となり、さらにその中の推論となり、光の中で霧散する。霧散した後に残るのは無数の文字や文法と、そこから小説を組み上げようとする小説だ。そして小説は、そこから人間を見つけ出そうとしている。

 文字通り、終わってみると見事に「プロローグ」になっている。パラレルワールドやタイムループのような要素もあり、まるで量子論を「見る」かのように感じる物語だった。なので私の中ではSF。いや、登場人物自身が科学的な解析を駆使しつつ物語を書く(大雑把にというか乱暴に言えば。と言っても人工知能的な雰囲気ではないが)という時点で既にSFなのだが。かつ、日本語メタフィクションの粋を極める壮大な娯楽作品といった感じ。でありながらも、「小説とは何か」を考察し続ける哲学的な問答の積み重ねを見せられているようでもある。相変わらず、こういうものを書こうという発想自体が円城作品らしいと思った。人を食った、なんとも茫洋とした文体の雰囲気も好きだ。
 本当は「「エピローグ」とつながっているらしいがそっちを読む前にこっちに手をつけたので、やっぱり「エピローグ」も読みたくなってしまった次第。だったら最初から読んでおけばよかったのだが(笑)。

「ルミッキ3 黒檀のように黒く」(著:サラ・シムッカ/訳:古市 真由美)

2016-05-21 23:37:09 | 【書物】1点集中型
 第1作第2作ときて、スーパー女子高生3部作完結編らしい。
 ルミッキの過去の大きな象徴である存在、リエッキとの再会。家族の中でルミッキ自身が知らず抱えるものが、遠い過去にあること。それを何故かルミッキ以上に知るストーカーの登場。現代的に解釈された「白雪姫」の戯曲。そうした要素から見ると、ルミッキの物語を締めくくるのはまさにルミッキの「自分探し」(って言葉も死語に近いが)だった。前作で「姉」を名乗る人物との出会いから、ルミッキの過去に秘密があることを匂わせる展開になっていたが、今作はその種明かしにもなっている。そして今回もルミッキは走らされていた(笑)。

 3部作とはいえ、個々の事件自体は他の話に影響されない1話完結だったので読みやすいが、若干物足りない気はする。第1作の「白熊」とか、もっとスケールの大きい話にもできそうだったんだけどなあ。でも敢えてそういうこともせずに、ある程度事件を単純化して読みやすくしているのかもしれない。主にヤングアダルト向けを書いている作者ということで、主人公と近い年代にいちばん共感されそうな雰囲気はあった。