宮田珠己氏が推すつぶやきに乗せられて読んでみる。1970年発表のハードSFだそうな。巻末に30ページ以上にわたる科学解説までついている。身構えぬわけにはいくまい、という感じなのだが、実際は宇宙船という閉鎖空間の中で、外界(つまり宇宙)に影響される船内の人々を描いていて、かなり俗っぽい話でもあったりする。というのも、もともとこの宇宙船「レオノーラ・クリスティーネ号」に乗り込んだ人々は、もし居住可能であればそこに入植するためにおとめ座ベータ星第三惑星に向かう人々だからである。当然、子孫を作るということが視野に入っているわけなので、ちょっとヒッピー的なフリーセックスの空気もあったりする。
それはそうと、実際この船を取り巻く環境は過酷である。なんせ亜光速の状態で減速ができなくなってしまったのだ。航行速度は上がる一方で、約200万光年の距離を数週間で渡り、2、3億光年の距離を横断するにも2カ月ほどしか要しない。出発した太陽系の太陽は、すでに消失して久しい。地球もない。
そうして航行を続けるうち、ついに船は1,000億年の時空を超えていく。そこに見出されたのはもはや膨張を終え、収縮に向かい始めた宇宙である。それはつまり宇宙の終わりを示すものだ。が、護衛官レイモントに鼓舞された科学者たちは、宇宙は振動を繰り返していること、収縮した宇宙は再生に転じる可能性を持っていることに活路を見出す。
……という話が終盤1/4くらいに凝縮されているので、SF的な目玉は実はクライマックス部分だけでも堪能できる気はする。ものすごい急転直下なので若干呆気にとられたというのが本音だが、宇宙にはこんな展開が待っているのかもしれないと思わせてくれるには充分だと思う。おそらく、そこにたどり着くまでに描かれている科学者たちの挫折感や苦悩の姿のおかげで。実際、50人しかいない世界ではプライバシーも何もほとんどなくなってしまい、良く言えば濃い関係に、悪く言えば澱んだ関係にもなっていくだろう。しかもそれがいつまで続くかわからないというのは、ある種の極限状態であろうと思う。
どちらかというと、大半の描写はそういう部分も含めて船内での人間関係に割かれている感じなのだが、その環境が北欧系の文化を中心にしているのがちょっとおもしろい。作者自身が北欧系アメリカ人だったからなのだろうと思うが、船内で夏至祭が開かれたりするのも神秘的。同時に、なんとなく宇宙に似合うような気もしてしまうから不思議だ。
あと、巻末の科学解説でこの作品の肝になる「恒星間ラムジェット」をきちんと紹介してくれているのがとてもありがたい。そうかそれでロケットってそういう造りになっているんだなー、と勉強させてもらった。
それはそうと、実際この船を取り巻く環境は過酷である。なんせ亜光速の状態で減速ができなくなってしまったのだ。航行速度は上がる一方で、約200万光年の距離を数週間で渡り、2、3億光年の距離を横断するにも2カ月ほどしか要しない。出発した太陽系の太陽は、すでに消失して久しい。地球もない。
そうして航行を続けるうち、ついに船は1,000億年の時空を超えていく。そこに見出されたのはもはや膨張を終え、収縮に向かい始めた宇宙である。それはつまり宇宙の終わりを示すものだ。が、護衛官レイモントに鼓舞された科学者たちは、宇宙は振動を繰り返していること、収縮した宇宙は再生に転じる可能性を持っていることに活路を見出す。
……という話が終盤1/4くらいに凝縮されているので、SF的な目玉は実はクライマックス部分だけでも堪能できる気はする。ものすごい急転直下なので若干呆気にとられたというのが本音だが、宇宙にはこんな展開が待っているのかもしれないと思わせてくれるには充分だと思う。おそらく、そこにたどり着くまでに描かれている科学者たちの挫折感や苦悩の姿のおかげで。実際、50人しかいない世界ではプライバシーも何もほとんどなくなってしまい、良く言えば濃い関係に、悪く言えば澱んだ関係にもなっていくだろう。しかもそれがいつまで続くかわからないというのは、ある種の極限状態であろうと思う。
どちらかというと、大半の描写はそういう部分も含めて船内での人間関係に割かれている感じなのだが、その環境が北欧系の文化を中心にしているのがちょっとおもしろい。作者自身が北欧系アメリカ人だったからなのだろうと思うが、船内で夏至祭が開かれたりするのも神秘的。同時に、なんとなく宇宙に似合うような気もしてしまうから不思議だ。
あと、巻末の科学解説でこの作品の肝になる「恒星間ラムジェット」をきちんと紹介してくれているのがとてもありがたい。そうかそれでロケットってそういう造りになっているんだなー、と勉強させてもらった。