life goes on slowly

或る大阪近鉄バファローズファンの
偏愛と放浪の記録

「ルミッキ1 血のように赤く」(著:サラ・シムッカ/訳:古市 真由美)

2015-12-23 22:47:40 | 【書物】1点集中型
 主人公はタイトル通り、フィンランド語で「白雪姫」を意味する名の少女ルミッキ。物語は、すごく大雑把な言い方をすれば、スーパー女子高生の冒険サスペンスである。学校の暗室に干してある紙幣を見かけたことから、同級生たちが絡むとある事件に巻き込まれ、その同級生たちの代わりにあるパーティに潜り込むことに。

 ルミッキの身体能力といい頭脳といい、そのうえ普段は極力目立たずにいる一匹狼的な立ち位置といい、ちょっといろいろ完璧すぎて現実離れしている感は否めないが、時折描かれる過去には血の通った感情面が現れてくる。物語としてはそれほど(1つの事件だけを見ると)難しい話ではなく、割合淡々と読める。作者は主にヤングアダルト向けの作品を書いているということなので、その意味では納得。
 時折見えるルミッキの生活感とかの細かい表現が、フィンランドという土地を感じさせてくれるのは良かった。個人的には特に冬のサウナと「クリスマスの平安」のシーンが印象的で、主人公ルミッキの本質を示すところでもあるようで、気に入っている。話自体は「絶対先が知りたい!」という感じではないんだけれども、そんなふうに垣間見える北欧らしい雰囲気がけっこう好きなので、せっかくだから続きも読んでみようと思う。

「ワセダ三畳青春記」(著:高野 秀行)

2015-12-19 23:24:51 | 【書物】1点集中型
 高野作品はタマキング繋がりで1冊だけ読んだが、「書き下ろし」に惹かれてまだ旅ものを深めぬまま日常エッセイに手を出してしまった。タマキングの方が高野氏よりも年上だったのかー。デビュー時期の違いで、全然気づかなかった。

 それはさておき、ここに描かれるのはワセダ界隈の激安ボロアパートでの、そのままB級ドラマで見たいほどぶっ飛んだ日々。それはそのままタイトル通り、高野氏の青春の日々である(曰く、諸般の事情があるので「自伝的『小説』として」読んでほしいとのこと)。
 細かいポイントはいろいろありすぎるのだが、こんな住人たちはあの「大家のおばちゃん」でなければ付き合いきれなかったであろうことは確か。住人だけでなく、おばちゃんの長男が大根切りに癇癪を起こした時のセリフは何度読んでも大笑いしてしまう。

 序盤からこれだから、あとの騒ぎは推して知るべし。今までに「アヘン王国潜入記」だけ読んでいたので、「人体実験」の話を知って、なるほどこうだからあんなこともできたのか、なんて妙に納得してしまった次第である(笑)。まあ周りの住人たちも大概変わり者ばっかりなのだが、高野氏も十分変わり者だという話で。のんべんだらりとしているとも言えるが、突っ込むときは突っ込むというその落差がかなりなもの。個人的には三味線の話が結構好きである。師匠のおかげなのか、意外に深みにはまってくれてるし。おかげで、なんか面白そうな気がしてきて高野氏の三味線を聴いてみたくなってしまったくらい。
 それにしても、早稲田の探検部って今も(あるのかどうかは知らないのだけれども)この当時のようにぶっ飛んでる人々ばかりなのだろうか、ぜひそうであってほしいと、読みながら願ってしまう自分も相当おかしくなってきているように思うのだが。でもそのくらい入り込ませてくれる。たぶん、自分では同じ環境に置かれてもこれほどの経験はできないだろうと思えるから。そこにあるものに飛び込むだけの思い切りが持てないから、そういう意味では憧れのような気持ちも抱いてしまう。いいか悪いかは別にして(笑)。

 最後はすっかりいい大人になってからの巣立ちなのに、あまりにも高野氏がまっすぐで眩しいのである。こういう気づき方をして、しかも踏み出せるって、いい恋愛は人を本当に成長させてくれるんだなー、とか柄にもなく素直に感銘を受けたのであった。出来過ぎじゃないか! と思っちゃうくらいに羨ましい清々しさだった。その後が是非知りたいぞ。(笑)

「白砂」(著:鏑木 蓮)

2015-12-16 23:21:34 | 【書物】1点集中型
 もらいもの。で、初読の作者さん。物語は散骨のシーンから始まり、それが象徴するように遺骨を巡る事件になっている。大学をめざしてつましく、まさに苦学生として暮らしていた女性が殺害され、同じ年頃の娘を持つ刑事がその捜査を展開する。

 事件を追えば追うほど見える被害者の人生の切なさの中で、主人公刑事とその相方の掛け合い漫才な与太話がちょっと息抜きに。シリーズ化されても良さそうなコンビ。終わってみれば事件そのものに意外性はあまりないんだけど、ムラ社会に公害、いつか失われてしまうかもしれない自然など、事件の背景にあるものにも少し考えさせられるような気がした。とはいえ特に社会派小説というわけではないけれども。でも、犯人の否認から「完落ち」に至るまでの過程を核心に持ってきたあたり、事件の背景により重みを与えているようにも思えた。「白砂」というタイトルも、終わってみればダブルミーニングだとわかって、しかもその重さがやるせない。

「境遇」(著:湊 かなえ)

2015-12-13 14:12:14 | 【書物】1点集中型
 もらいもの。「夜行観覧車」以来の湊かなえ作品である。結局「告白」もまだ読んでない。

 実の親と暮らせなかった「境遇」がもとで親友となった2人の女性。議員の妻である片方の女性の子供が誘拐され、犯人は身代金として「真実の公表」を要求するが、その「真実」とは何か……事件解決のための謎解きはここにあるけど、主人公2人はともかく周辺人物の造形が型通りで、人間の嫌な感じや怖さみたいなところが少ない。ごく近しい人間関係の中で、それぞれの思惑疑心が交錯していくのは「夜行観覧車」にも見られた世界観だったので、そういうのがこの作家のフィールドなのかなと思いながら読んだ。
 しかし最後の二転三転はともかく、「過去」を世間に向けて公表しちゃったことになったあんな話を、事件後に何事もなく収拾つけられるのかというところは甚だ疑問。が、全体的には落ち着くところに落ち着いた、割合毒も害もない話だった。ドラマ化のために書き下ろされた作品だということなので、その辺のうっちゃり具合はわからないでもないが(笑)全体的になんとなく不完全燃焼。あまり長く印象に残る作品ではないかも。やっぱり「告白」読んどかないとダメかな(笑)。

「スティーヴ・フィーヴァー ポストヒューマンSF傑作選」(編:山岸 真)

2015-12-10 22:49:19 | 【書物】1点集中型
 ポストヒューマンのありとあらゆる形。ポストヒューマン、この書のテーマでいうところの「テクノロジーによって変容した人類の姿」というと、肉体を捨てた精神のデジタル化みたいなところが近年の王道のように思われる(というか、私の貧困な想像力ではそれしか思いつかないとも言う)が、「傑作選」だけあってクローン、サイボーグ、意識のデジタル化と複製、仮想電脳空間、意識の集合体 などなど、さらには進化したAIやナノテクノロジーと人体の関係などなど、期待通りの多彩さである。

 表題作はイーガン。長編はいつもものすごいハードSFでかなり苦労するが、短編になると途端に親しみやすくなる。ナノマシンが人間を操りながら、ソフトウェアとしてのひとりの人間の構築を試みる物語だ。現代のコンピュータの演算装置が一瞬のうちに膨大な計算を繰り返すその行為を、目に見える形に表現したものと言えるかもしれない。意外にも人類社会の崩壊に結びつくような悲壮感はなくて、なんだか日常的にすら感じるのが逆に面白かった。
 同じくナノマシンが、人間の脳の働きに影響をもたらすさまを描いたのはグーナンの「ひまわり」である。イーガン作品とは対照的に、ナノマシンがもたらす人類の意識の彼岸と此岸の境界線上の神秘的なイメージと、家族への愛とそれゆえの悲しみが中心になっていて切ない雰囲気。
 切ない空気感でいえば、ランディス「死がふたりをわかつまで」、ウィルスン「技術の結晶」、コーニイ「グリーンのクリーム」、リー「引き潮」、さらにオールディス「見せかけの生命」あたり。どれもそれぞれのテーマとなるテクノロジーを介して愛する者同士の関係が描かれている感じ。ウィルスンは以前読んだ「時間封鎖」3部作で人間の機微の表現がよかったので、愛する者と再び出会った時の皮肉な感じは「らしい」と思った。あとコーニイやリー、オールディスはテクノロジーがどれだけ進化したとしても、あるいは進化したからこそ現れる、愛する者との間の越えられない壁が読後の余韻を残す。

 ある意味とても率直に「人間とは何なのか」を問いかけてくるようなのが、ソウヤーの「脱ぎ捨てられた男」。デジタル化した意識をロボットに移植すると、文字通りロボットが社会において本人そのものとなり、不死の存在となる世界である。そしてその意識のもともとの持ち主である生身の人間は、生命こそあれ社会からは抹消され、死を迎えるまで専用の施設で生活し、そこから一歩も出ることはできなくなるのだ。ロボットとなった主人公の意識が生身の自分と対峙したときに迎える結末は、肉体と意識の関係の皮肉そのものだろう。
 ブリン「有意水準の石」は、脳のさまざまな部位が独立した人格を持っているような不思議な世界。結末にちょっとしたどんでん返しが待っていて、ミステリのような読後感もあった。ストロスの「ローグ・ファーム」も、ラストシーンの雰囲気は何となくそれに近いかな。「世にも不思議な物語」あたりにこんなエンディングがありそうな。本筋には関係ないけど、犬のボブのしゃべりというかセリフ回しというか、あれは個人的になかなか笑える。

 マクドナルド「キャサリン・ホイール(タルシスの聖女)」は列車が題材のひとつになっているので、スチームパンクのような年代を感じさせる雰囲気があった。とはいっても、列車の動力は上記ではなくて核融合エンジンだが。人格の転写、転写された機械、それを取り巻く人間たち。世界観が醸し出す空気はちょっとファンタジーかも。
 このアンソロジーの中で最も長い作品、マルセクの「ウェディング・アルバム」の世界はなんつーか、私の中ではものすごいカオスだった(笑)。好きな時点での自分の複製を好きなように作製・消去でき、さらにそれぞれまるで独立した人格のようになっている。量子論やマルチヴァース的な雰囲気を感じる。

 しかし、こうやってこれだけの作品群を見ると、SFとはなんと創造的な思考実験であることか。