life goes on slowly

或る大阪近鉄バファローズファンの
偏愛と放浪の記録

「ヤマザキマリのリスボン日記」(著:ヤマザキ マリ)

2017-06-28 22:00:18 | 【書物】1点集中型
 著者の出世作と言えるのであろう「テルマエ・ロマエ」も映画をTVで見たことがあるくらいで、さほど詳しくは知らなかったけど、メディアから洩れ聞こえる氏の人生の来し方には「何だか凄そうだ」と漠然と興味を持っていた。で、いざ読んだら思った以上に凄かった。

 エジプトに留学していたという話はどこかで見たような気がするのだが、そもそもポルトガルにも住んでらした時期があったのだな。ポルトガルの住宅環境もかなりハードだが(暖房がない冬なんて、暖房・防寒大国北海道在住経験がある氏には、想像以上に辛かったことと思われる……私も想像したくない)、イタリアのファミリー事情もハード。モーレツ! ってまさにこのことだなと(笑)。多少は個人差もあるであろうが、こういうところにもお国柄があるんだなぁ、と今さら認識したものであった。お姑さんからの振り回されっぷり、吐き出さないとやってられなかったんだろうな。人さまのことだからど――しても笑っちゃうんだけど、存在自体がハリケーンのようだよ、実際。
 で、それをそのまんま本にするのも凄いが(笑)それこそ氏のバイタリティの産物であろう。勘弁してくれ! と思いつつも真っ向から突進して蹴散らそうとする(が、跳ね返される)みたいな関係か? 笑いっぱなしの中で、旦那さんや息子さんとのやりとりにちょっと癒されます。自分にはとても真似はできないけど、読むだけでストレス解消を感じられるような気もする。

 あと、ポルトガルという国そのものについて無知だから全くイメージできてなかったんだけど。氏が「謙虚で温かくて人情深い人々」と評する土地を少し、(行くのは相当な勇気がいるのでまずは写真とかでもいいから)感じてみたくもなった。

「裁かれた命 死刑囚から届いた手紙」(著:堀川 惠子)

2017-06-27 23:58:51 | 【書物】1点集中型
 その昔「死刑の基準 『永山裁判』が遺したもの」で考えさせられたので心して臨んだが、今作もその取材の綿密さたるや相当なものだった。
 発端は、ある検事のもとに届いた、検事自身が死刑を求刑した犯人その人、長谷川武からの便りである。恨み言を連ねたものかと思いきや、感謝の言葉さえ綴られたものであった。「お世話になったお礼を一言申し述べたくて」という長谷川の真意を測りかねたその担当検事、土本武司氏に対し、著者は「長谷川君がどんな人物で、どうして手紙を書いてきたのか」調べることを持ちかけたのである。

 手紙が出された経緯を追うことは、当時、彼と何らかの形で関わりがあった人々の言葉から長谷川武という人間を再構築することだった。「猫のように大人しく、とても感じのいい青年だった」長谷川。彼の生涯に関わった人々は、彼に幾許かの影響を与えるとともに、彼の犯した罪と裁かれた結果から影響を受けることになる。
 彼の職人としての腕を惜しむ自動車工場社長、一審の裁判官、控訴以降の彼の弁護を請け負った弁護士、拘置所の職員、そして長谷川自身の母親、さらには長谷川自身とは面識のない彼の実の弟。実に多くの人々がいて、長谷川に対するそれぞれの思いがある。時には、それ以降のその人の考え方や生き方にも影響を及ぼす。罪と罰は、決して罪を犯した者だけのものにはならないのだと感じた。

 勿論、被害者側の苦しみは筆舌に尽くしがたいはずである。しかしこの本は、「そして、私たち」にあるように敢えて被害者側の人々の心理に踏み込む取材はされていない。被害者感情を無視することは到底あってはならないことだが、それでも死刑は「国家による報復」であってはならないということも肝に銘じておかねばならない。土本氏が立ち会った死刑執行(長谷川の刑ではない)の描写を見れば、絞首という執行方法が果たして国家の下す刑罰としてふさわしいものなのか、思いを致さずにはおれない。死刑は、国家の名の下に、人に人を「殺させる」行為でもあるのだ。

 「死刑というのは、(中略)単なる謝罪という次元を超えた最大の償いなんです。命を差し出すのだからこれ以上のことはない。それに対して謝罪してほしかったというのは本来、筋が通らない話です。それほど死刑というものは重いものであるはず」
 「犯人がどんな残虐な行為をしたとしても、国家は決して同じことをしてはならず、残虐ではない人道的な方法で罰を与えねばならない」


 これらは土本氏の言葉である。土本氏は元来、死刑廃止論者ではないそうだが、それでもこのように考えている。私自身、現状では死刑という刑自体を個人的には否定しようとは思っていない。ただ、こうした土本氏の考え方には納得できる。反面、死刑になりたいからという理由で残虐な事件を起こしたような犯人に対し、死刑をもって報いるのが本当に正しいことなのかどうか、という疑問も当然生じるわけである。
 かように、刑罰の問題とは、画一的な答えの出せない問題である。筆者は言う。

 「死刑制度を支えているのは、(中略)その責は、法治国家に生き、その恩恵を享受している私たち市民ひとりひとりにあります。私たちは忌み嫌われる仕事を一部の人に押し付けて、決して愉快ではない議論から目をそらしています」
 「人を裁くということは本来、『罪と罰』のあり様を考えることでもあります。実際に絞首刑は残虐なのか、残虐でない死刑はありうるのか、死刑によって何が解決されているのか、真剣に議論する必要があります」


 完全ならぬ人が人を裁くことの重大さに今作でもまた向き合わされたし、死刑存置・廃止だけでなく、死刑であれ懲役刑であれ、刑そのもののあり方についても考えねばならないのだと思う。

「12番目のカード(上)(下)」(著:ジェフリー・ディーヴァー/訳:池田 真紀子)

2017-06-18 00:42:57 | 【書物】1点集中型
 前作「魔術師[イリュージョニスト]」を読んでから実に2年経ってしまった。
 リハビリに取り組み出したちょっと前向きなライムの前に現れた新たな事件は、ライムの苦手な「子供」を連れてきた。やりにくそうにしているライムがなかなか新鮮である。かと思えば、捜査の過程でセリットーは思わぬトラウマを抱えることに。

 およそ人間らしい感覚を持たない周到な犯人は、今回も難敵。この犯人自体は読者にはわかっている状況で話が進んでいくが、その動機がわからない。わからないまま、犯人は少女を狙って新たな刺客を放ってくる。黒人の公民権運動、ハーレムに暮らす人々の様子など、ストーリーに重要な意味を持つアメリカならではの文化的な部分も勉強になる。
 ストーリーがそういう、現在の事件と140年前の謎を関連がわからないままに行ったり来たりするので、いつものライムシリーズに比べると展開のスピードは落ち着いて感じる。今までのシリーズ作品とまた違った味わい。上巻は肩慣らしって感じで(笑)、下巻に入って捜査チームに犯人が見えてきてからが本番。とはいえ、意外にあっさりと逮捕となった印象なので、まだまだ転回が待っている……という状況。

 要するに実行犯の後ろに何かがあり、それによってすべてが展開されてきたわけだが、その動機に基づく現在と過去の事件の結びつきの種明かしが最後にして最大の見せ場になった。ストーリー的にはボイドの戦術の緻密さも面白かったが、今回はやはりジェニーヴァの事件が解決してからがディーヴァーならではの大転回本番かと。何よりも、そんなに話が大きくなっちゃうんだ! という点に驚いてしまった(笑)。ラキーシャの話だけがちょっと尻切れトンボだった感じかな?

「アウシュヴィッツの図書係」(著:アントニオ・G・イトゥルベ/訳:小原 京子 他)

2017-06-13 23:40:07 | 【書物】1点集中型
 多少の脚色はあるそうだがノンフィクションベースの、アウシュヴィッツ=ビルケナウ絶滅収容所に生きた人々の物語。
 収容所のBⅡb区画〈家族収容所〉の31号棟というバラックは子供専用だったという。収容されていたユダヤの人々は、そこを密かに「学校」とし、たった8冊だけの本の「図書館」が設けられ、さらに一人の少女がその本を管理する「図書係」となった。

 図書係の少女ディタ、彼女の両親と友人たち、そして「学校」と「図書館」をリードする青年ヒルシュはじめ、子どもたちを見守る大人たち。人間を人間として認めない収容所にあって、生きていくことは想像を絶する厳しさと残酷さの中にあった。眠る場所を確保するだけでも必死に知恵を絞らなければならず、自分の命を守るために支配者であるSSに同じ囚人たちを密告する者も少なくない。
 かと思えば、囚人たるユダヤ人に恋をし、真剣に彼女とその母を救おうとするSSの青年も登場する。相反する環境課の一人ひとりの彼や彼女の、人間としての感情がありありと映し出される。「憎しみと愛は、どちらも自分で選ぶことはできない」。体制を善と悪に分けることは簡単だが、こうした個々の人の姿は、体制という狂気が人間にもたらす矛盾と悲劇そのものだ。

 数千人の生死があまりにも簡単に分けられていたことに改めて憤りを覚え、生き残った人々の、死ぬために生きていかなければならないような日々の描写に暗澹たる思いになる。まさに決死の計画で脱出して外部に訴えるという奇跡が起こったというのに、その訴えすらも耳を貸されなかったことについても衝撃を受けた。ガス室へのトラックへ乗せられ、死の途につく中での人々の歌声にも……

 そんな苛酷な環境下でディタが出会った数少ない、だが家族収容所の人々や彼女の人生にとって貴重な存在であった本。彼女に世界の広さに思いを馳せさせた地図帳や外国の文字で書かれた本、過酷な環境下に生き抜く勇気を与えた「兵士シュヴェイクの冒険」や「モンテ・クリスト伯」。物語の中でのシュヴェイクのエピソードやダンテスの人生が紹介されていて、それに対してのディタの思いが重ねられることでより心情に引き込まれるし、それほどに人を勇気づけるシュヴェイクの物語に自分も触れてみたいと思った(「モンテ・クリスト伯」はもともと個人的に大好き。「魔の山」は何気に未だに読んでいなかった……)。

 本編では謎のままだったヒルシュの死の真相が、「著者あとがき」でほぼ明らかになっていることにほっとした。そのほか、作中に名前が出てきた人々についての「その後」が記されているのも、これが紛れもない現実であったことを改めて認識させてくれる。
 人類には、忘れてはならない物語がある。この物語は、あの時代のあの場所にあった全ての人々の生命と、人々を支える力となった本という存在への賛歌だと思う。