life goes on slowly

或る大阪近鉄バファローズファンの
偏愛と放浪の記録

「キム・フィルビー かくも親密な裏切り」(著:ベン・マッキンタイアー/訳:小林 朋則)

2016-09-23 14:25:06 | 【書物】1点集中型
 「冷戦下の世界を震撼させた英国史上最も悪名高い二重スパイ」(帯より)ハロルド・エイドリアン・ラッセル・「キム」・フィルビーの物語である。「ティンカー・テイラー・ソルジャー・スパイ」やらBBC FIRST「ケンブリッジ・スパイ」を観ていて、一度で呑み込むのがなかなかしんどい話なので少しでも理解の足しになればと思って読んでみた。
 とはいうもののこの本は、著者曰くいわゆる通常の伝記とは違っていて「歴史の中で重要な役割を担った一種独特な友情を、物語という形式で」描く、「イギリス人らしい人間関係がテーマ」になっている。MI6・CIA・KGBの関連文書が現在に至っても非公開であることから、大半を二次資料によって組み立てているとのこと。確かな事実というよりは、確からしい話、というべきものだろう。だから厳密な意味でのノンフィクションとは違うのかもしれないが、それだけにフィルビーという人間が周りにとってどのように見えていたのか、どう見える生き方をしたのかという興味は逆に募ったものである。

 イデオロギーを云々する本ではないのだが、ただ実際フィルビーをはじめケンブリッジ・ファイブのような存在があったことを見ると、「共産主義の理想とするものとは」という点には純粋な興味が湧くことは事実である。ただそれが最終的に独裁や全体主義に帰着する歴史が繰り返されているので、懐疑的になるわけであるが。
 ただ、ナチズムの残虐性と戦うに時代にあって、イギリス支配階級がそれに毒されかかっているという信条自体が危機感になったのだろうこと、それに対抗するものとして共産主義を選んだのだという経緯は納得できる。同意できるかは別として。

 ケンブリッジ時代から、フィルビーは随分と簡単に二重生活を始めたように見える。しかしそれを30年以上にもわたって続けることができるというのは、どんな胆力だろうか。その胆の太さにも驚かされるが、その二重生活を図らずもアシストすることになったのがイギリス上流階級ならではの仲間意識であったことは、痛烈な皮肉以外の何ものでもない。しかしあまりにも順調すぎるが故に逆に本来の主人であるソ連から信頼されにくいという、フィルビーにとっての皮肉があるのもまあ、なんというか……端的に言えば、スターリン体制を象徴している。
 亡命後、いけしゃあしゃあと「調子のいい手紙」を親友であったエリオットに送ってきたことや、「友情は、何よりも大切なものだ」と言いながら周囲を裏切り続けてきたことを見ると、フィルビーが政治と人間関係を全く別の世界で捉えていたこと自体は(凡人の理解の及ぶところではないし、誰にでもできる芸当ではないにせよ)事実なんだろうなとは思う。酒に溺れ、家庭を破綻させもしたのは、二重生活という秘密を抱えていることへのストレスというよりは、いつ自分の正体が明るみに出てしまうかに対してのものだったように思える。

 それにしても、フィルビーの亡命の裏にはMI6の政治的な判断があったのだなと思うと納得である。でも亡命先でも完全に受け入れられはせずにただ平穏に生きていくのみという状況も、フィルビー自身の蒔いた種とはいえ、やるせなさも感じる。どこまでも二面性がつきまとう人生だったのであろう。それが習い性になってしまっていて、自分が欺瞞を行っていることにも気づかなくなってしまっていたのかもしれないが。
 エリオットが感じた「友人と家族と祖国を、今では誰も信じていない信条のために裏切る決断を下した」というのが、ことここに至ってフィルビーをもっとも端的に表す言葉かもしれない。エリオットはそうやって断じることで、自分の心に折り合いをつけることができたのだろう。それができなかったアングルトンは恨みで身を滅ぼす形になってしまったが。

 エリオットがフィルビーの手紙に返した「哀れなヴォルコフの墓に、僕の代わりに花を手向けてくれ」という一言は、それまでのフィルビーの所業には遠く及ばないかもしれないが、一種痛快ですらあった。フィルビーがそれに対して何を感じたのかは、もはや知る由もないが。

「これぞ日本の日本人」(著:松尾 スズキ)

2016-09-05 22:11:49 | 【書物】1点集中型
 「植物男子ベランダー」であらためて松尾氏の味のありすぎる演技に笑かされているついでに、古本市で見つけて買ってみたものである。すごい絵を描きますね、松尾さん。というか、後書きってノーギャラなんですね、松尾さん。

 実際のネタと言えば、「なじみかたがわからない」とか「ギブミー! 『ちょうどいい喫茶店』」とか非常に同感である。時代が変わっても変わらない、普遍的な悩みだなぁとかしみじみ思ったりして。その一方でヤマンバギャルとか出てくるので、そこはもうかなり隔世の感を覚えるのだが、これに限らず「こんなことあったなあ」みたいな話もちょこちょこ出てきて懐かしかった。あと、「♪む~す~」とか意外に好きである(時事ネタじゃないけど)。巻末の特別編「やましい探検隊イン・コリア」もなかなか際どくて面白かった。夜のソウル(笑)。

 とかなんとか楽しく読んでいるのだが、いまだに大人計画の舞台を見たことがない私である。できれば北にも渡ってきてほしいんですけど。数年に1回でも。
 とりあえず「ベランダー」の次回シーズンが来るのを楽しみにしてますんで。

「偽りの楽園(上)(下)」(著:トム・ロブ・スミス/訳:田口 俊樹)

2016-09-03 22:33:14 | 【書物】1点集中型
 「チャイルド44」「グラーグ57」「エージェント6」のレオ・デミドフ3部作が壮絶でとても気に入ったので(なので、2時間に詰まった映画は却って物足りなく感じそうで観ていない)当然のように読む。

 ロンドンからスウェーデンに移住したダニエルの両親だが、父から母が精神を病んだと知らされる。しかし、入院先から姿を消した母がダニエルに訴えたのは、父を含めた周りの人間に陥れられたのだということ。両親の間にあって、ダニエルにはどちらが正しいのか全く判断できない。できない中でまず、自宅に現れた母の話が始まり、スウェーデンの片田舎の閉鎖的な社会が描かれる。
 ダニエルの知らなかった両親の生活の苦しさ、そして母の過去が明かされていき、ダニエルは少なからずショックを受ける。子が知らなかった、知ろうとしなかった親の姿は、時に子が親に言い出せない秘密以上に衝撃的なものだろう。ダニエル自身も、自分のパートナーのこと、ひいてはセクシュアリティのことを長く両親に言い出せずにいるという悩みを抱え、母の話を聞く間もそのことが心に引っかかりを残している。

 母自身から見て四面楚歌のスウェーデンでの暮らしの中でたったひとり、少しでも心を通わせられそうと感じていた少女に起きた事件が語られ始めたところで上巻は終わる。で、下巻でどんな転換が待っているかと思えば、母の語りはまだまだ続く。ただ、少女ミアの事件が一つの転機にはなっていて、語りは母の過去に及ぶようになってくる。
 少女時代に別れた父の存在、再会、裏切り、どこまでも続く四面楚歌――と、もうとにかく母が怒涛のように語るばかりの流れであり、視点が一つだけなので、ダニエルには(もちろん読者にも)判断する基準が与えられない。とにかく話を聞かされているだけ(の中、ダニエルが今の自分と両親の関係に思いを致す)なのだが、それでも読まずにいられないパワーがある。ジェットコースターではないが、読まされる感覚はディーヴァーを読んでいる時の感覚に近い。
 
 そして物語も3/4を過ぎたあたりからやっと、主人公ダニエルが自ら動き出す。母から断絶されることになってもスウェーデンへ向かうことを選択した息子の旅は、真実を確かめる旅である。母の言葉を裏付けるような現地の人々の様子に、読む方もやはりダニエル同様に真実の方向が掴めずに揺れ動く。そんな中で、母が語った過去を別の方向からひもとく材料が遂に見つかり、実はそれこそが母という人の最も残酷な核心であることが判明する。
 事件としてはそれが種明かしになっているのだが、物語は当然、そこでは終わらない。母が共感していた少女ミアの物語がここでまたあらためて浮き上がってくる。彼女の物語と、ダニエルの母ティルデの物語が最後にまた交差するのだ。

 レオ3部作のような壮大な物語とは違う、比べてしまえばかなり地味で小さな世界の物語だ。ただどちらも行き着くところはやはり家族の物語なのだと、ラストシーンを迎えて思う。その先が簡単ではないであろうことも理解できるが、ささやかなりとも救いがそこにあること。将来は、本人たちが時間をかけて築き上げていくのであろうこと。ダニエルにマークという家族未満の存在がいることがまた、その先の未来を示唆するようにも見える。