高沢皓司氏のノンフィクション「宿命」を読んでから、北朝鮮における階級制度のあり方はそれなりに理解したつもりでいた。その制度の異様さを、この本はより鮮明に突きつけてくるのである。なんといっても、この「脱出」を遂げたシン・ドンヒョクは、政治犯の家系に連なる者の子として管理所(収容所)で生まれ育ったのだ。
罪人の子は罪人であるとする北朝鮮の社会では、シンは生まれてこのかた一般市民としての、いや人間としての権利を認められたことがなかった。
誰もが誰もを密告することが奨励され、親も子も友人すらも完全に信頼し、愛する相手にはならない。そもそも愛情の意味すら理解できない。見に覚えのない罪状での拷問や処刑も文字通り日常茶飯事であるその世界では、生き延びるための選択肢など最初から存在しない。
つまり、それがその世界の「常識」であり、シンのようにそこで生まれた人々はその常識しか持たない。政治犯とされて管理所に連れて来られた大人たち、一度は(北朝鮮の社会ではあっても)「普通の人間」として生活した経験を持つ人々とのその違いがいかに大きいか。それは彼が管理所の脱出を遂げてからの生活にまざまざと現れている。
「生まれ落ちたときから、普通の人間的感情を持つことができないように、教育され」ること。その結果、こういったものの見方や考え方しかできなくなってしまうという実例がまさにシンだ。管理所での暮らしも脱出行も確かに筆舌に尽くしがたい、読みながら眼を背けたくなるほどの壮絶さである。が、それ以上に、何よりも、そういった精神構造を作り上げてしまう環境が存在することこそが根本的な問題なのだということを、これほどまでに真に迫って感じさせられたこともない。
管理所での数多の暴力の残虐さはもちろん許しがたい。しかし、もはや暴力そのものは根本的な問題ではないのだとすら思わせるほどに、シンの姿は強烈すぎるのだ。こうして、幸福にもあたりまえに人権を認められている社会に生きることができている人間にとっては。
シンは今、自らの育ってきた社会の異様さを理解している。そして、近しい人々に自分がしてきたこと、その人たちをそこに残してきたことで強い罪悪感を覚えている。それが彼の精神に深い傷をもたらしている。
彼がその痛みに怯えながらも、ついに語ることを決心したのは、彼のような当事者が語るのでなければ、外部の人間はその実情を知ることができないからだ。
そして、それをこうして少しなりとも知った今、単に知るだけでは意味がない問題というものが存在するのだということを痛感している。この管理所のような社会が存在していいはずがない。ひとりの力でできることは決して大きくないが、せめて、たとえばこの本を周りの人にも薦めるなりなんなりで、その実態をひとりでも多くの人に知ってもらうため、ゆくゆくは世界中で声をあげるための小さな力にでもなろうとすることは、意義のないことではないだろう。
罪人の子は罪人であるとする北朝鮮の社会では、シンは生まれてこのかた一般市民としての、いや人間としての権利を認められたことがなかった。
誰もが誰もを密告することが奨励され、親も子も友人すらも完全に信頼し、愛する相手にはならない。そもそも愛情の意味すら理解できない。見に覚えのない罪状での拷問や処刑も文字通り日常茶飯事であるその世界では、生き延びるための選択肢など最初から存在しない。
つまり、それがその世界の「常識」であり、シンのようにそこで生まれた人々はその常識しか持たない。政治犯とされて管理所に連れて来られた大人たち、一度は(北朝鮮の社会ではあっても)「普通の人間」として生活した経験を持つ人々とのその違いがいかに大きいか。それは彼が管理所の脱出を遂げてからの生活にまざまざと現れている。
「生まれ落ちたときから、普通の人間的感情を持つことができないように、教育され」ること。その結果、こういったものの見方や考え方しかできなくなってしまうという実例がまさにシンだ。管理所での暮らしも脱出行も確かに筆舌に尽くしがたい、読みながら眼を背けたくなるほどの壮絶さである。が、それ以上に、何よりも、そういった精神構造を作り上げてしまう環境が存在することこそが根本的な問題なのだということを、これほどまでに真に迫って感じさせられたこともない。
管理所での数多の暴力の残虐さはもちろん許しがたい。しかし、もはや暴力そのものは根本的な問題ではないのだとすら思わせるほどに、シンの姿は強烈すぎるのだ。こうして、幸福にもあたりまえに人権を認められている社会に生きることができている人間にとっては。
シンは今、自らの育ってきた社会の異様さを理解している。そして、近しい人々に自分がしてきたこと、その人たちをそこに残してきたことで強い罪悪感を覚えている。それが彼の精神に深い傷をもたらしている。
彼がその痛みに怯えながらも、ついに語ることを決心したのは、彼のような当事者が語るのでなければ、外部の人間はその実情を知ることができないからだ。
そして、それをこうして少しなりとも知った今、単に知るだけでは意味がない問題というものが存在するのだということを痛感している。この管理所のような社会が存在していいはずがない。ひとりの力でできることは決して大きくないが、せめて、たとえばこの本を周りの人にも薦めるなりなんなりで、その実態をひとりでも多くの人に知ってもらうため、ゆくゆくは世界中で声をあげるための小さな力にでもなろうとすることは、意義のないことではないだろう。