life goes on slowly

或る大阪近鉄バファローズファンの
偏愛と放浪の記録

「北朝鮮 14号管理所からの脱出」(著:ブレイン・ハーデン/訳:園部 哲)

2013-06-25 22:18:27 | 【書物】1点集中型
 高沢皓司氏のノンフィクション「宿命」を読んでから、北朝鮮における階級制度のあり方はそれなりに理解したつもりでいた。その制度の異様さを、この本はより鮮明に突きつけてくるのである。なんといっても、この「脱出」を遂げたシン・ドンヒョクは、政治犯の家系に連なる者の子として管理所(収容所)で生まれ育ったのだ。

 罪人の子は罪人であるとする北朝鮮の社会では、シンは生まれてこのかた一般市民としての、いや人間としての権利を認められたことがなかった。
 誰もが誰もを密告することが奨励され、親も子も友人すらも完全に信頼し、愛する相手にはならない。そもそも愛情の意味すら理解できない。見に覚えのない罪状での拷問や処刑も文字通り日常茶飯事であるその世界では、生き延びるための選択肢など最初から存在しない。
 つまり、それがその世界の「常識」であり、シンのようにそこで生まれた人々はその常識しか持たない。政治犯とされて管理所に連れて来られた大人たち、一度は(北朝鮮の社会ではあっても)「普通の人間」として生活した経験を持つ人々とのその違いがいかに大きいか。それは彼が管理所の脱出を遂げてからの生活にまざまざと現れている。

 「生まれ落ちたときから、普通の人間的感情を持つことができないように、教育され」ること。その結果、こういったものの見方や考え方しかできなくなってしまうという実例がまさにシンだ。管理所での暮らしも脱出行も確かに筆舌に尽くしがたい、読みながら眼を背けたくなるほどの壮絶さである。が、それ以上に、何よりも、そういった精神構造を作り上げてしまう環境が存在することこそが根本的な問題なのだということを、これほどまでに真に迫って感じさせられたこともない。
 管理所での数多の暴力の残虐さはもちろん許しがたい。しかし、もはや暴力そのものは根本的な問題ではないのだとすら思わせるほどに、シンの姿は強烈すぎるのだ。こうして、幸福にもあたりまえに人権を認められている社会に生きることができている人間にとっては。

 シンは今、自らの育ってきた社会の異様さを理解している。そして、近しい人々に自分がしてきたこと、その人たちをそこに残してきたことで強い罪悪感を覚えている。それが彼の精神に深い傷をもたらしている。
 彼がその痛みに怯えながらも、ついに語ることを決心したのは、彼のような当事者が語るのでなければ、外部の人間はその実情を知ることができないからだ。

 そして、それをこうして少しなりとも知った今、単に知るだけでは意味がない問題というものが存在するのだということを痛感している。この管理所のような社会が存在していいはずがない。ひとりの力でできることは決して大きくないが、せめて、たとえばこの本を周りの人にも薦めるなりなんなりで、その実態をひとりでも多くの人に知ってもらうため、ゆくゆくは世界中で声をあげるための小さな力にでもなろうとすることは、意義のないことではないだろう。

「生命と記憶のパラドクス 福岡ハカセ、66の小さな発見」(著:福岡 伸一)

2013-06-15 23:55:17 | 【書物】1点集中型
 いつもながらの素朴な語り口の福岡ハカセのエッセイ。ハカセのエッセイには、自分でも知っている、あるいは読んだことのある書名が出てきたり、芸術の話題が出てきたりする。そのあたり、個人的にハカセに勝手に親近感(共通の趣味、みたいな)を覚えている。なのでいつも楽しみにしながら読む。

 今回は、日常に出会うさまざまのことが、科学者の視点や科学そのものの歴史を交えてわかりやすく語られる66件。福岡ハカセも筒井康隆作品好きだったんだー、とか思うとまたむやみに親近感が(笑)。
 「生命」と「記憶」の関係がこの1冊を通じたテーマになっているが、自己同一性についてあらためて、一歩立ち止まって考えたくなる話題がいくつかあった。物質的には変化し続けるヒトという生物が、ほかの誰とも違う自分であることを厳密に証明するには。簡単なようで実はかなり難しい。物質だけでは届かない自己証明のために、人はこうやって言葉を綴っていくのかな……と思ったり。

 自分の知的好奇心を掘り起こしたくなったとき、福岡ハカセはその欲求を温かく満たしてくれて、それが「もっと知りたい」という刺激にもなり、次の本を探したくなるのである。

「チェーザレ・ボルジア あるいは優雅なる冷酷」(著:塩野 七生)

2013-06-12 23:05:10 | 【書物】1点集中型
 「歴史でもなく、電気でもなく、小説でもなく、しかし同時にそのすべてでもある」(解説・沢木耕太郎氏)、ルネサンス期のイタリアに在ったチェーザレ・ボルジアの物語。塩野氏の「ローマ人の物語」シリーズはあまりにも有名だが、氏の作品をこれまで全く読んだことがなかった。
 それが何故、不意にこの本を読んでみたかというと……やっぱりタイトルかなぁ(笑)。人物の横文字がだんだん区別つかなくなるから世界史苦手なので、西洋史は小説でちょこちょこかじるのが精一杯。でもこの本は小説っぽいのかしらん? と、良くわからないままに読み始めてみたものである。

 その意味では、全体として会話表現が少ないこともあり、歴史「小説」という雰囲気ではなくて伝記っぽい感じを覚えた。物語だとすれば主人公であるチェーザレを、その内面に入り込むのではなくて、とにかく行動を追いかけて見せている。マキアヴェッリ、ダ・ヴィンチといった同時代の天才たちとの交流、特にマキアヴェッリの視点からのチェーザレは興味深い。
 枢機卿の地位を捨て、しかし法王の息子であることを最大限に利用し、フランス王と巧みに駆け引きしながら利用し合い、イタリア統一という野望に向かうチェーザレ。「使命感などという、弱者にとっての武器、というより寄りどころを必要としない男」が野望に向かうさまは、見据えているゴールが明確なだけにある意味淡々としてすらいて、淡々としているがゆえに容赦がない。その苛烈さがゆえに、次々と支配を拡げていくために打つ手の冷酷さも際立つ。

 そして、それまでのチェーザレのエネルギーがあまりにも大きく強いがために、病を得てからのあっという間の凋落に、なんともいえない無常感が漂うのである。
 そのすべてに共感を覚えるような人物ではないかもしれない。ただ彼が、誰にも真似のできないことをやってのけた若者であるということだけはわかる。チェーザレの葬列を見送るとき、憧れを含んだ畏れが胸に去来する。言ってみれば、口数の少ない信長みたいなイメージなのかも。

「またの名をグレイス(上)(下)」(著:マーガレット・アトウッド/訳:佐藤 アヤ子)

2013-06-08 21:13:51 | 【書物】1点集中型
 1843年、カナダのとあるお屋敷の主人と女中頭の2人を殺害した犯人のひとりとされるグレイス・マークスの、実話を下にした物語。グレイスはアイルランドで生まれ、家族とともにカナダへ渡る劣悪な環境の船上で母を失った。そして、横暴で働かない父親の下から逃げるように住み込みの女中として働き始め、親友のメアリー・ホイットニーと出会う。

 物語は、グレイス自身による語りと、彼女と精神科医ジョーダン博士との対話が中心となって展開する。グレイスは懲治監への収監中も精神病院に入ったことがあり、ジョーダン博士は、グレイスが犯行時にはすでに精神に異常を来していたと考えている。そして彼に語るグレイスの言葉によれば、親友のメアリーを堕胎手術がもとで失ったとき、彼女の心に大きなひびが入ったのではないかと見える。
 もちろんそれは、彼女が殺人を犯す前のできごとである。であれば、いまここで語っているグレイスの言葉も、その精神の異常に影響されている可能性は否定できない。正常な精神状態にあってさえ記憶は曖昧なものだし、無意識に恣意的な書き換えを行うことすらあるのが人間だ。

 グレイスの語りは、全体としては散漫に見えながらも、ふとしたときに生き抜くための鋭いしたたかさを見せることがある。そのバランスが逆に人間の心の危うさを強調する。「善良でおとなしくしているのは楽ではない。落ちかけているのに、橋の端っこにしがみついているみたいだ。動かずに、そこにぶら下がっているだけなのに、力がどんどん抜けていく」――そう彼女が語ったように。

 上巻を読み終えた段階では、事件についてわかっているのは結果だけで、実際にグレイスが何をしたのか、物語がどこへ向かっているのかは見えてこない。では下巻ではどんな展開が待っていたのかというと、これまたやっぱり散漫なのである。
 でも、グレイスが懐かしい人と思いがけない再会を果たしたり、ジョーダン博士はジョーダン博士でこれまた思いがけない陥穽に落ち込んでしまったりと、少し(?)今までと違う起伏
は起きる。そのせいか、上巻より引き込まれる感じはあった。

 ジョーダン博士が偽ってハンフリー夫人のもとから逃げ去ったことも、グレイスと事件のことが彼女自身によってのみ語られることも、世の中には、明らかになることのない真実が存在するということを示唆しているように見える。「人間の書いたものは全て、話の筋は正しくても、詳細は全部正しいとは限りません」というグレイスの言葉には、自分すらも信じていないような空気さえ感じる。
 結局、メアリー・ホイットニーが本当に存在したのか、どんな形で存在していたのかもわからないように。

 「妖婦か被害者か」という煽り文句から、もっと刺激的なミステリの雰囲気なのかと思って読んでみたのだけれども、そういう作品ではなかった。どっちかというと純文学っぽい。
 初めて読んだ作家だったが、なんかフランス映画っぽい雰囲気だなあと漠然と思った。って、あくまでもそれは私の頭にある勝手なイメージで、具体的にどんな感じか形容するための表現力はないのだが……(汗)。