life goes on slowly

或る大阪近鉄バファローズファンの
偏愛と放浪の記録

「ユリゴコロ」(著:沼田 まほかる)

2014-01-27 22:46:07 | 【書物】1点集中型
 ふだんなら自分では選ばないタイプの本だと思うんだけど、「ようこそ、わが家へ」と一緒に貸してくれる人がいたのでせっかくだから読んでみた(「ようこそ、わが家へ」も、貸してもらわなかったら読んでなかったと思われる)。

 婚約者が不意に失踪し、次いで母を事故で亡くした主人公が、死期の近い父を見舞う実家で見つけた4冊のノート。誰が書いたかもわからない「ユリゴコロ」と題されたそのノートに書かれていたのは、誰なのかもわからぬ「殺したいから殺すというだけで、罪悪感など持たない私」の手記のようなものだった。
 「私」は虫を殺し、同級生を殺し、見知らぬ少年を殺し――主人公は読むうちにその内容から目を離すことができなくなる。同時に、幼いころに覚えた母への違和感をあらためて思い出し、「ユリゴコロ」に家族の秘密が隠されていると確信するようになる。そして弟に協力を仰ぎ、その秘密を解明しようと試みる。

 要するに「私」はサイコパスなのかなぁと思いつつ、しかし最終的にそうではなかったということなのかなぁというのが最初の感想。確かに、「みつ子」に対しての接し方はただのサイコパスって感じではないし、「アナタ」という存在を知ってしまってからというもの、言葉としてはわからなくても愛情を抱いていたのは間違いないわけだし。
 「私」が「アナタ」にめぐり会うことができたのは、人生最大の幸運だったかもしれないけれど、「アナタに出会うためには、アナタを地獄に落とすしかなかったのだとしたら」という、2人にとってあまりにも残酷な皮肉がある。でも、だからこそ人間には「赦し」が必要なのかもしれないと、「アナタ」の「私」への思いを見ていて感じるのも事実なのである。

 殺したいから、殺すためだけに殺す人間だった「私」が、最後は誰かのためにその刃を振るう。その事実を、主人公はこれから背負って生きていくことになる。彼の元に戻ってきた恋人に、一生隠し続けることになるのか、それとも……
 そう考えると、澄んだ空気を残すラストシーンも、ただの純愛では決して終わらないように思えるのだ。

「ようこそ、わが家へ」(著:池井戸 潤)

2014-01-25 23:29:00 | 【書物】1点集中型
 「鉄の骨」や「半沢直樹」といったドラマは観たのだが、池井戸氏の著作としては初めて読む作品である。ビジネス系の業界小説の印象が強い著者なので、高杉良氏みたいな硬質さを勝手に想像していたのだけど、案の定違った(笑)。主人公が「最弱」とか言われているから余計そうなんだろうけど。
 物語は、主人公である気弱で真面目な会社員が駅のホームでの割り込みを注意した……ら、どうもその相手にストーキングされ、自宅に陰湿な嫌がらせが繰り返されるという話から。会社で気づいた不正らしきものにも、銀行からの出向者という社内での疎外感が邪魔をして、いまいち深く踏み込めない。その姿にちょっと苛々させられながらも、身につまされるような感覚もあったりする。不正のあるなしは別の話だけど、主人公の抱える不安や悩みは、ある意味「会社員あるある」かもしれない(笑)。

 ストーカーの件を通して、主人公の家族のさまざまな面も浮き彫りになったり、仕事と家庭の両面をいいバランスで描き出しているなぁと思う。でも、主人公そんなに弱くないぞ、結果的に(笑)
 どこかに常に歪みや闇、あるいは「病み」を感じずにいられない現代、本当にありそうで実際あるのだろうけど誰もが他人事だと思っているような不条理な事件。自分のルールでしか物事を捉えることができない人間。罪を犯す理由。人はそれぞれ誰もが他人にとっては「名無しさん」で、誰もが他人の知らない背景を持っている。悪いものも、良いものも。
 でも本当にストーカーの犯人は反省してるのだろうかね? とちょっと思ってしまう(笑)。本当に反省してるなら、直接謝罪に来たらどうなのか、と。

「サトリ(上)(下)」(著:ドン・ウィンズロウ/訳:黒原 敏行)

2014-01-24 23:01:06 | 【書物】1点集中型
 「シブミ」を読もうかどうしようか迷って、こっちが前日譚だそうなので先に手を出してみた。したら「シブミ」と作者が違うじゃないか! だったらどっちが先でもたいした問題はなかったんじゃないか(笑)
 ……とか思いつつ読み始めたが、初っ端の茶会のシーンから美しい映像と静謐な緊張感が頭の中に広がってきて、否が応にも先への期待が高まってしまった。西洋から見た東洋文化への憧憬を表現するとこうなる、という感じなのかな。ジャパネスクとシノワズリ、特にこの時代ならではの中国のちょっと退廃的な雰囲気も味わえる。

 冷戦時代の諜報と暗殺の現場という重めの話でありながら、センテンスと章区切りが短いこともあってすいすい読めてしまう。ロシア貴族を母に持ち、東洋で生まれ育ったニコライの「碁打ち」としての視点に感情移入しながら、待ち受ける試練をニコライとともに潜り抜ける。
 上巻の終わり、雇い主との関係の変化には「やっぱり!」と思わされるわけだが、そこでニコライを救ったのがまさにタイトル通りの〈サトリ〉だったわけで……。しかしその「やっぱり!」も下巻では微妙に裏切られることになるのだが(笑)それもニコライにしてみれば、悪くはない展開。

 下巻の途中から本家「シブミ」が気になってしょうがなくなり(笑)結局併読してみる。センテンスや章立てが短めなこともあり、トレヴェニアンに比べるとあっさりしてる感じはするかな。その分、わかりやすさはあるけど。極端に言うとドラマの台本みたいなイメージかなぁ。
 相変わらず推理しないで読むせいで、〈コブラ〉の正体には「ああ! なるほどね!」と素直に驚いたり納得したりした。ニコライの、能力の成熟度と対になる性格の生硬さ、ソランジュの存在感、加えてド・ランドのキャラクターも良かったなぁ。彼には是非、しぶとく怪しく楽しい人生を送っていただきたい(笑)。全体的に読みやすく、読ませてくれる筆致なので、せっかくだからウィンズロウの他の作品も読んでみたい。

 で、現在まだ「シブミ」を読んでる最中。なるほどこういう経緯だったのか~と思いつつ、「シブミ」の中での現在進行形のニコライにはまだたどり着いていないので(一歩手前くらい)、長い年月を経てどんな男になったのか、楽しみにしておきたいところである。ちょっとしたタイムパラドックスではあるが(笑)

「二流小説家」(著:デイヴィッド・ゴードン/訳:青木 千鶴)

2014-01-21 22:58:36 | 【書物】1点集中型
 「映画化」の帯がついた文庫が目に留まり、粗筋を見て興味を持った……んだけど結局、読みたいリストに入れて早数ヶ月。特にきっかけはないがやっと重い腰を上げて借りてみた次第。

 粗筋を読んだ限りでは、メインは過去の事件の謎解きって感じかなーという印象。実際、中盤までは「冴えない中年作家」ハリーが、連続殺人犯として収監されているダリアン・クレイに依頼され、ダリアンの崇拝者である女性を一人ひとり取材していく様子が、冴えない中年らしいドタバタを交えながら描かれている。
 途中、ハリーがいくつもの筆名で書き分けるヴァンパイア小説、SF、ミステリ小説の断片が紛れ込んでいる。それら自体は特にストーリーに影響するものではなく、ぶっちゃけ、これらが挟まれていなくても、物語としては成立している気はする(笑)。けど、ヴァンパイアとSFはいかにもB級っぽい感じで、それが逆にちょっと続きが読みたくなる感じだったりする。

 そして取材を進めるなかで、その対象だった女性が凄惨な状態で殺害され、図らずもハリー自身がその第一発見者となり、第一容疑者と目されるようになったとたん、ストーリーのスピードが変わる。殺人はすぐに連続殺人となり、その殺害現場のおぞましさといったら……その描写を読んでて、「これ日本で映画化できるような画なのか?」と思わずにはいられなかった。
 で、ハリーは自身が(形式上)家庭教師を務める女子高生クレア、ダリアンに殺害された女性の双子の妹で美人ストリッパーのダニエラを巻き込んで、言語を絶する残酷なシリアル・キラーを追うことになる。当然のように、命の危険にも晒されながら。「恐怖心ほど、ぼくらを見事に生きかえらせてくれるものはないのだ」――まさにその言葉通り、冴えない中年でも、自分とその近しい人々を危険から遠ざけるために、やらなきゃならないときはやるのである。憎めないダメダメ中年。

 「狂気もまた、論理性や、一貫性や、計画性や、明晰な頭脳を備えることがある。」というと、ダリアンはいわゆるサイコパスに近い存在となるべく「温室培養」されていったということか。そしてハリーは、「作家がものを書くという行為にかぎって、それを司っているのは正気の部分である」と信じているからこそ、狂気の人――口で語ることはできても、形ある作品として残すことはできない――ダリアンに打ち勝たねばならなかったのだろう。ダリアンの言う「現世を生きる人間どもを感化することによって、時間の限界を超え、永遠にみずからの欲望を増殖させていくことができる」ことが、一面では事実だったとしても、それは想像の世界以上のものであってはならないから。

 ダニエラに疑惑を抱いたとき、自分とダニエラの間に亀裂を感じたときのハリーの思考のバラバラ感の描写はけっこう好き。それと、ダリアンの明晰さには敵わないまでも、小説家として「書き上げる」という行為に対する矜持が見えるところ。どんな形であれ「書き上げる」という行為の困難が、食い繋ぐために書いているハリーのジレンマから垣間見える。「物書き」として生きることに対して、ハリーの想いがダリアンとの関わりを通じて誇りが明確に形作られるところから、それが作家という人々の最大公約数的な想いでもあるのかなと感じる。
 全体としてエンタメなつくりではあると思うし、読みやすくてそれなりに楽しんで読めるなかで、そういうちょっと深い感じの語りがあるのが印象的な作品でもあった。

 でも、死刑執行人である技術者たちと受刑者とが壁で隔てられているのは、「死にゆく者に、誰が自分を殺したのかを知られること」に対して配慮しているのではなくて、自分が人を(仕事とは言っても)殺すという事実をできるだけ直視しなくてすむように配慮しているのではないのかなと思ったりもする。日本の執行においてはそういう配慮があるから、余計そう感じるのかな。

「グレート・ギャツビー」(著:フィツジェラルド/訳:野崎 孝)

2014-01-19 18:05:22 | 【書物】1点集中型
 たまにこういう、自分にわかるかわからないか微妙だけど……という古典に手を出したくなったりするわけだが。ちなみに、数年前にあった映画はやっぱり観ていない。
 愛ゆえの繁栄と没落の物語というぼんやりとした全容だけは知っていたものの、中身は全然知らなくて、なんとなく「どうやって成り上がっていったか」がもっと語られているようなお話なのかと勝手に思っていた。そしたら全然違った(笑)ごめんなさい。

 絵に描いたようなアメリカン・ドリームを勝ち得た、「成功者」であるはずのギャツビー。しかし彼がその成功によって本当に手に入れたかったたったひとつのもの――デイズィの愛は、「あまりに身近に見えて、これをつかみそこなうことなどありえないと思われたにちがいない」のに、彼の愛したデイズィは5年の時を経て、ギャツビー自身の理想という幻想、すなわち今となっては「過去」に変わってしまった。少なくともデイズィにとっては。
 ギャツビーは自らも知らぬ間に、過去にのみ生きていた。絶えず自らが運び去られてしまう先に。一瞬一瞬が流れ去っていく先に。
 それでも、いやそれだからこそ、ギャツビーの抱き続けていた想いの純粋さだけは、たとえ「最初から最後まで、彼を認めなかった」ニックも、最終的に愛さずにはいられなかったのだろう。死せるギャツビーへのデイズィの仕打ちがどうであれ、ニックがトムに本当のことを語らなかったのは、ギャツビーが滅んだのはそのためにこそだったからだろう。

 会話の中での言葉遣い、特に女性のちょっと乱暴というか蓮っ葉な感じの言葉遣いがディテールの面で個人的に苦手なのが玉に瑕なんだけど(って、あくまで個人的な趣味の問題だけど)、描き込まれる情景はすごく叙情的で美しい。美しいけれど、でも美しすぎて儚い。
 物語の全体を通して漂い香るような、一種人工的な煌びやかさに潜む空虚さと退廃。それはまるでギャツビーの家での夜毎のパーティと、その主人でありながら常に孤独であったギャツビーの如く。そういう雰囲気は、他ではなかなかお目にかかったことのないものだなぁと思った。ストーリーそのものよりも、その時代、この空気感にこそ味わいがある作品なのかも。

「暗殺者の鎮魂」(著:マーク・グリーニー/訳:伏見 威蕃)

2014-01-15 23:03:56 | 【書物】1点集中型
 また一段と分厚くなって帰って来た「グレイマン」シリーズ3作目。1作目を読んでからそれほど間を空けずに読めたのはラッキー……と思ったけど今回ドンは出てこなかったからあんまり関係なかったかも(笑)。むしろザックの名前が出てきたので、どうせならやっぱり順番通り読んだ方が良かったのかも。とは言え、基本的には1話完結で読めるので大きな問題はない。
 今回のジェントリーは、偶然に昔の友人の死を知って、義理堅くその墓を訪れたことによって、メキシコ最大級の麻薬カルテルに追われることになる。しかも行きがかり上、友人の家族や親戚を無事に出国させるという命題まで負わされる。籠城から脱出、言語を絶する拷問、果ては人質救出まで相変わらずのミッション・インポッシブルぶりである。
 メキシコについては国情も全く理解していないのだが、本文前の献辞というのかな、「恐ろしい愚行を終わらせようとして、国境の両側で毎日働いているひとびとに捧げる」という一文が、きっとかなりリアルなものを示している物語なのだろうなと思わせる。

 基本的に、なんでここまでの目に遭って生き残っていられるのか毎回不思議なジェントリーなのだが(笑)、「人の道」というルールの「すべてに背く覚悟がある」と迷いなく言い切り、その通り行動することのできる能力と意志の強靭さが、今回も遺憾なく発揮される。「おれは、ほかの正義漢とはちがう。敵のレベルまで落ちるのを恐れないからだ」と、当たり前の正義感に燃えるだけのヒーローではないことを自ら示す。自分の正義感を必要以上に崇高と考えたりはしないし、血で血を洗うことも厭わない。ただジェントリーにとっての守るべき存在が、人の道に外れないものであるだけだ。
 だから、心から神の教えに帰依する人々の考え方には――それがたとえ自分が心惹かれた女性であるラウラの考え方であっても――本質の部分では相容れない。その道徳的な是非を云々していたら、自分が生きていられない世界に生きているから。その点では、徹底的にリアリストだしハードボイルド一直線である。

 だが、そんな彼のふとした様子、たとえば「拷問で受けた精神的動揺は、四日経っても消えていなかった」なんて姿を見ると、やはりただの冷徹な暗殺者ではなく、恐怖と戦いながら文字通りの死線を数え切れないほど潜り抜けているのだということも思い出す。
 加えて今回は3作目にして初めて、女性と愛し合うジェントリーの姿が描かれている。極限状態の中、とても不器用ではあるが、その不器用さがちょっと切ない。だからこそ、やっぱりジェントリーも普通の感情をちゃんと持ってるんだよ~ということが伝わって、その人間くささがやっぱりジェントリーだよ! と思ったりするのである。
 ラウラとどう別れるのか気になってたので、「あっ、そう来るのか」という意外さも少しあった。前作のエレンとの別れ同様に心を残しても吹っ切らざるを得ない形ではあったけど。それともちろん、エディーの墓に捧げたかった想いに対する心残りも。毎度毎度、「いつかジェントリーがここに戻って来れますように!」と祈りたくなっちゃうことばかり(笑)。それがまたこのシリーズの味だと思ってるけど。

 あと、ドンはいなかったけど今回も心憎い救出劇があったのが良かったな。ジェントリーはどうしようもないくらい独りだけど、最後の最後で孤独から救われる。
 ただ、今回もやっぱりジェントリーが「SOS」の対象となって世界中で追われている理由ははっきりしない。ほんのちょっとだけ、ハンリーの言葉で、「チラ見せ」程度の情報はあったけど。でも、これがはっきりわかっちゃうとシリーズが終わりに近づくってことなのかもしれないし、そうだとするともったいないので、もうちょっと引っ張ってもらおう(笑)。

「物質のすべては光」(著:フランク・ウィルチェック/訳:吉田 三知世)

2014-01-09 23:37:36 | 【書物】1点集中型
 副題は「現代物理学が明かす、力と質量の起源」。文庫で「不可能、不確定、不完全 『できない』を証明する数学の力」と並んでいるのを見たときにどっちを買おうか悩んで、帯のコメントの高村薫氏に釣られ(笑)「不可能、不確定、不完全」を買って以来、ずーっと気に留めていたものの読めていなかった本。
 なんと言ってもタイトルに惹かれてしまう。で、まあ去年の話だけどヒッグス粒子も確認されたし、やっとこさ手を出してみる気に。しかし内容を理解できるかどうか自信ないのでとりあえず借りて味見(笑)してみた。

 やっぱり理解には程遠かったので、勢いで買わなくて正解だった。買って読んでたら挫折の憂き目を見ていたに違いないから(笑)。ときどきベタなユーモアを交えて語ってくれて、口当たり自体はソフトなんだけど、これがポピュラー・サイエンスならこれすら理解できない文系人はどうしたらいいのだ!(笑)
 唯一「そうか!」と理解できた(多分)のは「対称性の自発的破れ」。「自動車は道路の片側を走る」ことを例に引き、全ての自動車が同じ側を走っていればどちら側を走るかは問題ではなく安定しているが、右側を走る車と左側を走る車があるということは不安定で、「だから、左と右の対称性は破れなければならない」=「安定な解は対象性を持たない」という話。これ、なるほどねーと思えた。
 
 ただ、頭に入ってるようで全然入ってないことを自覚しつつ(笑)読み進めながらも、「わかんないけどきっとこれがセンス・オブ・ワンダー!」とか言いたい気持ちになったりもした。宇宙項もそうだけど、エーテル(的な概念に通じる媒体=著者言うところの「グリッド」)も本当は間違いじゃないなんて、宇宙はやはり計り知れない。統一理論への道のりはまだまだ遠いけど、それを手にしたとき、人類の持つ科学の力にはどんな道が開けるのだろう。

「プリズン・トリック」(著:遠藤 武文)

2014-01-07 23:44:08 | 【書物】1点集中型
 乱歩賞作品には好きなものがいくつかあるので、試しに借りてみた。タイトルになってるくらいだから、「トリック」そのものに対する謎解きにもっと時間をかける内容なのかと思ってたんだけど、読み進めていくとだんだんトリック自体はどうでもいい(笑)くらいの雰囲気になっていく。そういう意味では若干、肩透かし。キャッチーなタイトルではあると思うけど、元の「三十九条の過失」の方が言いえて妙だと思う(語感がちょっと「第三の時効」っぽいけど)。
 でも、だから面白くなかったというわけでもなく、プリズンはプリズンでも交通刑務所なので興味深かった。その交通刑務所での密室殺人が、人命に関わる事故を起こしてしまった加害者と被害者遺族が苦悩する姿、事件報道のあり方、さらには政治的な汚職問題にまで繋がっていく、かなり広がりのあるストーリー。
 
そういうふうにいろいろネタがあることは楽しいんだけど、惜しいのは登場人物それぞれが、特徴がないわけじゃないのにあんまり記憶に残らないというか目立たないというか……。だから、アップダウンとかジェットコースター的スピードとか、意外とそういう雰囲気は感じなかったかな。
 そんでもって最後があの「手紙」でちょっとサイコな方向へ。サイコなのは嫌いじゃないけど(笑)そう来ると、じゃあ結局、作者がいちばん書きたかったものは何だったんだろう? という疑問も(笑)。ちょっととっちらかってる感はなきにしもあらず。
 この手の犯人については、理由というかその真理がある程度きっちりわからないと物語り全体として納得しにくい。だから、文庫になるまでのように「手紙」なしの「跋」のあの1行で終わるなら、もう少し伏線というか本人の怪しい雰囲気や2人のつながりが強めに出てないと辛いかなと思えた。なので、個人的には「手紙」はあった方がいい。ただ、「手紙」の内容自体はもっとスマートに怖くできそうな気がするけど。

「星新一 ショートショート1001(1)1961-1968」(著:星 新一)

2014-01-06 22:54:10 | 【書物】1点集中型
 ふとしたときに妙に読みたくなる星新一のショートショート。1篇1篇はものの数分で読めるわけだが、塵も積もればなんとやら。これはなんと「文庫本39冊にわたる短編1042編を全て収録」した大全集(by新潮社)年代別3冊セットの1冊目、1666ページものである。しかも2段組。
 この恐るべきページ数にびびりながらも、少し長く借りられる年末年始にかこつけて図書館から拝借してトライ。

 星作品なので、宇宙関係を中心にSFテイストのお話が多い。あと悪魔やらランプの精やらもわりと出てくるかな。読んだことのあるお話もいくつかあったけど、読んでないものの方が当然多いし、読んだそばから忘れてるというのもよくあるパターンなので(笑)これだけのボリュームで来られればなんぼでも楽しめる。
 見事などんでん返しのオチがついてるショートショートの王道的お話や、「ボッコちゃん」「生活維持省」(これが昔からかなり好き)みたいにちょっと背筋が寒くなるようなお話も好きだけど、「最後の地球人」みたいなドラマチックなものもやっぱり良いなと思う。こんなに短いのに、本格SF感ありあり。ラストの「マイ国家」はタイトルだけ知っていて今回初めて読んだけど、「マイ国」の論理の破綻のなさがお見事。今年の年末には2巻目にトライしようかな。←もう年末の話か(笑)

「なみのひとなみのいとなみ」(著:宮田 珠己)

2014-01-04 18:19:41 | 【書物】1点集中型
 あけましておめでとうございます。(遅)
 よくよく考えたら、年明け読了1冊目がタマキング本ってけっこうめでたいかも知れぬ。今年1年、適度にゆる~く。今年も?

 さて、とはいってもタマキングこと宮田氏の本はわりと久しぶりである。でも新作ではなくて(「日本全国津々うりゃうりゃ もっと」は順番待ち中)古めだけど未読の方にいってみた。帯の名言「おお、神よ、私は、働きたくない。」に思いっきり共感してこの本を手に取る人は相当多かったのではないだろうか。(笑)
 連載エッセイ中心に、版元の違ういくつかの媒体に掲載されたものが1冊になっている。相変わらずタマキングの言葉の巧みさ(おかしな意味で)と視点のおかしさ(なのにいちいち共感できる)が笑いと脱力を誘ってくれる。石拾いの話や温泉嫌いの話、海の生きものの本が書きたいという一言など、のちのちの宮田氏の活動に結びついている小ネタもあったりして、ある意味感慨深い。

 「ナイスガイはナイスなガイ」を読めば、そういえば「東南アジア四次元日記」で、タマキングはタウンビョンのお祭りにてとってもモテたって話があったのを思い出した。そういうことなのかと納得する(笑)。そして「トイレのドアを確保せよ」では、もう、あれですよ。「ビッグベン」……この言葉の選び方、オヤジギャグ以外の何ものでもないのに、活字になった途端なぜこうまで噴き出したくなるのか(笑)。
 さらに帯の名言が載ってるエッセイ「働かない人」、そう言いながら実は最後はちゃんとやりたいことを見つけて邁進したタマキングの姿になっていたりして、一瞬妙に身の引き締まるような思いをさせられたりもする。なのに、そのすぐ後の「法人対私」で、法人=仮構の主体=物質でさえない=架空の存在=ファンタジーという見事な論法を繰り出してひっくり返すあたりがタマキングの切れ味鋭いところである。こんなにゆるいのに!(笑)

 メインフィールドである旅エッセイとはまた違う、しかしタマキング以外ではありえないおかしみが遺憾なく発揮されていること疑いない1冊である。が、旅もそうだがそれ以外にも何かひとつのテーマにのめりこんだときのタマキングの威力はもっとすごいぞ、と思い出したりもするので、テーマ限定のエッセイ(結局主に旅だけど)を読み返してみようと思った(よく考えたらジェットコースターと盆栽とシュノーケルの本はまだどれも読んでいなかった……)。