2016年、星新一生誕90周年企画本。表紙がまさに星ワールド。洗練された知的なお茶目感が出てる。
単行本にしては文字サイズが小さくてちょっと驚いたが(笑)読めば読むほど興味が深まる内容だった。同じく書籍未収録作品を多く集めた「つぎはぎプラネット」は子供向け学習雑誌や企業PR誌の掲載作品が目立ったが、こちらはエッセイや福島正実氏との対談、SF作家鼎談もあり、氏の作品群の根底にある視点により直に触れられる。そのほか、レイ・ブラッドベリ「都市」の翻訳だったり、SF関係者による星作品の解説だったりもあって、違った角度から作品を感じられるという面白さもある。
「都市」の翻訳はわかりやすかった。ストーリーも星作品のカラーに近い感じ。そういえばフレドリック・ブラウン「さあ、気ちがいになりなさい」が新しく文庫で出たのも90周年イベント的な意味があるのかな。本屋で見つけたとき、星氏の翻訳だというので気になったので、いずれ読んでみたい。
ブラッドベリが星氏の原点だったということも、今さら知ったけど「なるほど」という納得感がある。ブラッドベリSFの抒情的な空気感が、星氏のシリアス系作品に通底するようにも思えるというか。私にとってはそれの筆頭作品が「生活維持省」かな。
福島氏との対談、筒井康隆・小松左京両氏との鼎談にもとても引き込まれた。SF大家たちの生に極めて近い言葉から、SFに対する考え方とか、こうやって作品が創られ、磨かれていくんだなという過程が垣間見える。同時にSFへの愛情も。
福島氏との対談で、「SFをあんなものと思っている人がいるとは、これこそぼくの日常性への衝撃だ。息がとまりかけた。異常に面白い現象だぞ」という発言があって、表現のユーモアに一瞬吹き出してしまったけど同時に「日常性への衝撃」という言葉に無条件に納得してしまった。なんというか、エンタテインメントとしての存在に求めるのはまさにその「日常性への衝撃」であると思うし。
私はSFにも純文学にも好きな作品はあるので、「あるものは作家と作品だけで、SFの世界などはないのじゃないかと思う」という星氏の見方に同感である。きっとそういう人は数多いと思う。星氏には、SFを書きたいのではなくて、書きたい世界を書いていったらそれがSFであった、というのが自然な流れに感じられるのだろう。
単行本にしては文字サイズが小さくてちょっと驚いたが(笑)読めば読むほど興味が深まる内容だった。同じく書籍未収録作品を多く集めた「つぎはぎプラネット」は子供向け学習雑誌や企業PR誌の掲載作品が目立ったが、こちらはエッセイや福島正実氏との対談、SF作家鼎談もあり、氏の作品群の根底にある視点により直に触れられる。そのほか、レイ・ブラッドベリ「都市」の翻訳だったり、SF関係者による星作品の解説だったりもあって、違った角度から作品を感じられるという面白さもある。
「都市」の翻訳はわかりやすかった。ストーリーも星作品のカラーに近い感じ。そういえばフレドリック・ブラウン「さあ、気ちがいになりなさい」が新しく文庫で出たのも90周年イベント的な意味があるのかな。本屋で見つけたとき、星氏の翻訳だというので気になったので、いずれ読んでみたい。
ブラッドベリが星氏の原点だったということも、今さら知ったけど「なるほど」という納得感がある。ブラッドベリSFの抒情的な空気感が、星氏のシリアス系作品に通底するようにも思えるというか。私にとってはそれの筆頭作品が「生活維持省」かな。
福島氏との対談、筒井康隆・小松左京両氏との鼎談にもとても引き込まれた。SF大家たちの生に極めて近い言葉から、SFに対する考え方とか、こうやって作品が創られ、磨かれていくんだなという過程が垣間見える。同時にSFへの愛情も。
福島氏との対談で、「SFをあんなものと思っている人がいるとは、これこそぼくの日常性への衝撃だ。息がとまりかけた。異常に面白い現象だぞ」という発言があって、表現のユーモアに一瞬吹き出してしまったけど同時に「日常性への衝撃」という言葉に無条件に納得してしまった。なんというか、エンタテインメントとしての存在に求めるのはまさにその「日常性への衝撃」であると思うし。
私はSFにも純文学にも好きな作品はあるので、「あるものは作家と作品だけで、SFの世界などはないのじゃないかと思う」という星氏の見方に同感である。きっとそういう人は数多いと思う。星氏には、SFを書きたいのではなくて、書きたい世界を書いていったらそれがSFであった、というのが自然な流れに感じられるのだろう。