副題「亡命者・脱北者24人の証言」。「北朝鮮14号管理所からの脱出」の参考文献か何かに出ていたので、長らく読むリストに入れっ放しにしていた本であった。
まず、収容所の種類もいくつかあるのだということはこの本で初めて知った。政治的懲罰労働集落であり、3世代にわたり終身収容となる「管理所」、長期収容で労働を科し「再教育を通じて、真人間をつくりあげる場所」である「教化所」、中国から強制送還された人々が送られ労働を科される「道集結所」「労働鍛錬隊」というように、目的に分けた施設があるという。しかしそこで行われていることが総じて過酷な環境での強制労働であることに変わりはない。
内容としては、それぞれの収容所の性質について。どんな人々をどのようにして収容しているのかについて。そして元収容者たちの体験に基づく証言である。
何人もの人の収容体験が圧縮されて連ねられていて、どちらかというと本人の感情面よりも具体的にどんな経緯で収容所へ送られ、そこでどんな扱いを受けたかという話が中心となっている。1人の人生について書かれた「北朝鮮14号管理所からの脱出」は、まるで人間が人間ならぬものへ変化させられるような、収容所で行われていることが人間にもたらす結果の恐ろしさを突きつけられる内容だったが、この本はまた違った角度でのそれこそ「証言」で、史実の記録書みたいな雰囲気である。
記された人々の証言はおおむね大同小異であり、本質的には同様の内容である。つまり、数々の証言の中に同じような内容が何度も出てくるのである。非人間的な仕打ちの数々に、その非道さや残酷さ感覚が麻痺してしまうような気さえする。しかし、それほど多く同様の証言が複数の人から得られるということは、取りも直さずそれが事実だということだろう。
訳者のひとり小川氏による解説に、ドイツ人医師フォラツェン氏の「北朝鮮に対しては『交渉しないこと。行動あるのみ』」という言葉が紹介されているが、やはりそうなのだ。そして小川氏は北朝鮮を「嘘がライフスタイルとなった国」と断言し、さらに「日本政府をはじめ、六ヵ国協議推進派はいまだに北朝鮮をまともな交渉相手としている」とも言う。
その言葉の後に続く、小川氏による「全体主義組織」の説明がとてもわかりやすい。正しいのは「事実」ではなくてあくまでも〈指導者〉であり、かの国の人々はその〈指導者〉の正しさを支えるためにのみ存在するのである。そして彼らのつく「嘘」は、部外者にとっては嘘以外の何ものでもなくても、彼ら自身にとっては文字通りの意味で「嘘ではない」のである。その意識からして正常ではないし、感覚そのものが一般社会と交わらないのだ。そんな社会で、どうしたって人間が人間らしくいられるはずがないのである。
まず、収容所の種類もいくつかあるのだということはこの本で初めて知った。政治的懲罰労働集落であり、3世代にわたり終身収容となる「管理所」、長期収容で労働を科し「再教育を通じて、真人間をつくりあげる場所」である「教化所」、中国から強制送還された人々が送られ労働を科される「道集結所」「労働鍛錬隊」というように、目的に分けた施設があるという。しかしそこで行われていることが総じて過酷な環境での強制労働であることに変わりはない。
内容としては、それぞれの収容所の性質について。どんな人々をどのようにして収容しているのかについて。そして元収容者たちの体験に基づく証言である。
何人もの人の収容体験が圧縮されて連ねられていて、どちらかというと本人の感情面よりも具体的にどんな経緯で収容所へ送られ、そこでどんな扱いを受けたかという話が中心となっている。1人の人生について書かれた「北朝鮮14号管理所からの脱出」は、まるで人間が人間ならぬものへ変化させられるような、収容所で行われていることが人間にもたらす結果の恐ろしさを突きつけられる内容だったが、この本はまた違った角度でのそれこそ「証言」で、史実の記録書みたいな雰囲気である。
記された人々の証言はおおむね大同小異であり、本質的には同様の内容である。つまり、数々の証言の中に同じような内容が何度も出てくるのである。非人間的な仕打ちの数々に、その非道さや残酷さ感覚が麻痺してしまうような気さえする。しかし、それほど多く同様の証言が複数の人から得られるということは、取りも直さずそれが事実だということだろう。
訳者のひとり小川氏による解説に、ドイツ人医師フォラツェン氏の「北朝鮮に対しては『交渉しないこと。行動あるのみ』」という言葉が紹介されているが、やはりそうなのだ。そして小川氏は北朝鮮を「嘘がライフスタイルとなった国」と断言し、さらに「日本政府をはじめ、六ヵ国協議推進派はいまだに北朝鮮をまともな交渉相手としている」とも言う。
その言葉の後に続く、小川氏による「全体主義組織」の説明がとてもわかりやすい。正しいのは「事実」ではなくてあくまでも〈指導者〉であり、かの国の人々はその〈指導者〉の正しさを支えるためにのみ存在するのである。そして彼らのつく「嘘」は、部外者にとっては嘘以外の何ものでもなくても、彼ら自身にとっては文字通りの意味で「嘘ではない」のである。その意識からして正常ではないし、感覚そのものが一般社会と交わらないのだ。そんな社会で、どうしたって人間が人間らしくいられるはずがないのである。