life goes on slowly

或る大阪近鉄バファローズファンの
偏愛と放浪の記録

「ジェノサイド」(著:高野 和明)

2011-08-29 22:27:27 | 【書物】1点集中型
 高野氏の作品は「13階段」以来。「13階段」は相当気に入っていて、けっこう読み返している。でも他の作品を読んでなくて、今回はどんなのかなーと開いてみたら意外と文字サイズが小さかった(笑)。そのうえ600P近くあったので、お、これは時間がかかるかな? と最初はと思ったけど、読み始めたら一気。

 ヒトという種がもし進化するとしたら……というところで私が思い出すのは、吉田秋生氏の「YASHA」なんだけれども。ヒトが生物である以上、それが起こるのが近いか遠いかは別として、なさそうであるかもしれない、あながちフィクションで終わるとも言い切れない物語。ヒトを凌駕する存在をどう扱うか、というアメリカのスタンスがこう表現されるのも、なんとなく納得できる。
 あと、圧巻はやはりアキリ(とエマ)とアメリカ側との読み合いかな。怒涛のように互いに繰り出される一手一手、しかし常にアキリたちの手が面白いように相手の上を行くのが一種「勧善懲悪」的な爽快感ももたらす。が、ふと立ち止まると、そういう存在を相手にしたとき、人間は果たしてどんな道を選ぶのかと考えさせられもする。バーンズのような道を採ったら……やはり滅びは遠くなくなるだろう。
 さらに両者の動きを読みつつコントロールを試みる科学者たちの思惑、日本で猛然と薬の開発に取り組む研人の動きとそれに対する妨害工作……いろんなものが絡み合って、壮大なスケールの物語に編み上げられている。で、最後がメタンハイドレートか! というのがまたちょっと面白い(個人的に。なんかタイムリーな話しだし)。

 戦場の描写は、少年兵たちのエピソードも含め、エグいところも実際ある。が、そのへんもひっくるめて描かれている、我が子を救うために最終的には他の誰かの子を殺してでも進まざるを得ないイエーガーの懊悩は、「13階段」で見せられたあのやるせないイメージに近くて、私自身は好きである。
 アキリやエマがどうやって成長していくかを考えると、この物語の先に見えるのは明るいばかりの未来ではないけれど、研人や正勲の心のありようがきっちり救いになっているのは、ちょっとほっとする。あと、薬の開発過程のアウトラインを見せてもらったのも、素人としては興味深かった。

 話は変わって。
 ば先日、「マークスの山」が新潮文庫から出ていた! どうやら「合田雄一郎サーガ」とかって、3部作全部を新潮文庫が揃えてくれるらしい(「レディ・ジョーカー」はすでに出してある)。
 さすがに文庫→文庫の改稿はいかな高村氏でもやらなかったようだし、新潮文庫版には解説はついてない。だからかちょっと安い。とは言うものの、「マークスの山」も「照柿」も講談社文庫版はすでに手許にあるんだから買う必要もなかろう……とは思うのだが、なんたって新潮文庫版の魅力はフォントですよフォント。
 少なくとも「マークスの山」を見る限り、「レディ・ジョーカー」と同じフォントで刷ってくれてるようなのだ。で、これがいかにも高村作品向けのフォント(だと私は思っている)なのですよ。もう、このフォントで読みたいがためだけに新潮文庫版を買いたいくらい、私は好きである。

 っていうかね、講談社文庫版のフォントが、個人的にはずっと不満ではあったんです……おそらく、作品に関わらずあのフォントで統一されていると思われるので、こんな不満を言っては申し訳ないのは重々承知してるんだけど(笑)。でも、だから余計に「うわー! 新潮が出してくれたよ! しかもこのフォントでだよ!」って舞い上がっちゃって。すみません。
 というわけで、どうするべきか相当悩んでいます(笑)。

お別れ会 but 壮行会

2011-08-27 23:28:20 | 【スポーツ】素人感覚
 昨日、アルウィンで、「お別れ会」という名の「farewell party(壮行会)」が行われたとのこと。
 会の映像とかは見ていないんだけども、追悼試合の要望もあるとかで、それがもし実現するとしたら、どういう形になるかはわからないけども、親交のあった選手・OBを集めるとなれば、考えるだに豪華なんですけど。柿本氏のメモリアル試合以上の豪華さも期待できそうですけど。そしたらマツも絶対参加したいだろうなー!!←何のための試合なのかって話ですけど……。

 で、山雅では「3」を空き番(今のところ)のまま残すことにしたということで。マツを育ててきたマリノスがその存在をuntouchableとして残すならば、これから一緒に未来をつくるはずだった(という過去形にはしたくないのだが)山雅は、その魂がいつか受け継がれるものとして残していく。
 こうなってみると、それぞれがおさまるところにおさまったという感じが、私はしています。俊輔の言っていた「好きなときに(3番の)ユニフォームを着てほしい」っていう気持ちもわかるし。

 4日からこっち、ふっと思い浮かべては、魂持っていかれそうな気がするくらい涙を誘われておりましたが(笑)、マツが最後に愛した山雅が、マツとともに闘う決意を新たにしたこの会が開催されたことをもって、私も一区切り。に、しようかな。とは思う。一応。
 でもずっと忘れないよ! 当たり前だけど。

本日の自己満足(笑)

2011-08-24 23:13:36 | 【日常】些事雑感
 巷はだいぶ秋物商戦にシフトしてきている模様。
 なので、巻き物もそろそろ出てきており、今年はスヌード1つ買っておくかねぇ~とか思いつつ。いや全然まだ買わないけど。昼間暑いし。

 で、そんな巻き物売り場界隈にストールピン特集発見。
 あ! ちょっといいかも! と思ったこれ。
 ↓


 はい。「3」ですよ「3」。
 さりげに。
 同じデザインで黒地にグリーン+ゴールドがあって、よりシックなのはそっちだったけど、パープル好きだしな。暗い色に合わせても立つのはこっちだよな。残念ながらブルーはないが、グリーンは微妙に入ってるしな。というわけで、昨今本当に「後悔先に立たず」だなぁ……とか思っている私は早々にお買い上げ。

 実は、2、3年前にはこういうものも買っている(笑)
 ↓


 缶バッジですが。
 そうか。スーパースターか。とか思い、「19」とその文言を組み合わせてくれたのがツボに入ってついつい(笑)

 デザインに関わらず、よっぽどわかりにくいものでない限りチームグッズとか恥ずかしくて持てないタイプなので(笑)、これくらいで自己満足している日々です。
 でもほら。なんか持ってると、目にするたびに「忘れないぞ!」て思えるしね。リマインダーみたいなものかな。

「ケプラー予想 四百年の難問が解けるまで」(著:ジョージ G.スピーロ/訳:青木 薫)

2011-08-23 21:55:11 | 【書物】1点集中型
 「宇宙創成」でも出てきた、ドイツの天文学者ケプラーの球充填問題(最密充填構造=面心立方格子=74.04%)に関する予想が、約400年を経て証明されるまで。ってタイトル通りか。
 「付録」のようなより数学的な内容を(確かに、すっ飛ばしても読めるようにはなってるんだけど)、ちゃんと理解できた方がより面白かったのではないかなーとは感じた。そういう意味では、典型的文系(=自分)には、もう一声! なところもあることはある。

 同じ青木薫氏の訳であり数学界ものでもあるので、「フェルマーの最終定理」的な流れを予想して取り組んでみたら、実際は違うタイプのアプローチだった。作者が違うから当たり前といえば当たり前の話なんだけど(笑)
 いちばん違いを感じるのは、「ケプラー予想」を証明したヘールズの証明が、コンピュータによる「力業」を駆使した証明でもあるということ。そういう意味では、「エレガント」な証明とは確かに言いがたいとは思う(肝心の論文も、なんだかあんまりまとまりがないような言われ方しちゃってるし)。なんせ、「フェルマーの最終定理」のエレガントさを見せつけられたあとだから余計。

 結局のところ、「ケプラー予想」そのものは、ヘールズの手法によって9割9分9厘くらいまでは正しいと言っていいという段階まで証明はされているけど、厳密な意味では100%の証明ではない。これは現在、ケプラー予想に対してのれっきとした事実ではある。
 そもそも、数学における証明に「曖昧さ」などというものは基本的に存在しないはずである。しかしそれがこういった証明である程度許容されるにあたり、コンピュータによる証明という手法自体は避けては通れない時代にきているということなのかなとも思う。ただそれが「美しくない」と言えばやっぱりそうだなとも思うし、その是非についてはちょっと考えさせられる。そしておそらく、そこがこの本のひとつの「肝」でもあるかなと。

背番号の重みとか。

2011-08-12 23:32:27 | 【スポーツ】素人感覚
 マリノスが「3」を永久欠番にするという話が持ち上がって、どうやら本日正式決定したらしい。きっかけは、報道にも出てた俊輔の言葉だったのかな。それにしてもなんか決まるまでが早いなぁと思ったんだけど。

 個人的には、そういう形で「唯一無二」の存在であることを示すのは、それはそれでありだよな。と思うのと、でも解雇してすでに8ヶ月以上経ってるよねぇ……と思うのと。
 現実問題としてマツは今年はもう山雅の選手であって、山雅にいるからこその目標を見出してそれに向かっていってる最中だった。その山雅を差し置いてそんなこと今言っちゃっていいのかな、マリノス。というか、今や明らかに(単純に大きな戦力を失ったという意味でも)山雅の方がつらいはずなのに、対応は「永久欠番にしてマツを忘れないことも大事」としつつも「マツの後継者が出てきたときにつける考え方もある」という山雅の方がずっと冷静に見える。

 ベテランが構想外になるというのはサッカーに限らずままあることだし、特に去年のあの大量解雇劇には全体的な方針転換をはかりたいという思いは見えなくはなかったんだけど。
 それでもマツがやっぱりまだ現役を続けたかったので、マリノスではもう(選手としては)雇えないから移籍するしかなくなったという経緯はあるにせよ、今になって「やっぱりとても大事な存在でした」と言うくらいならば、あのときに最初からそういう別れ方をしてあげてほしかったと、切に思う。山瀬のこともそうだけど、そういうとこが本当に残念でならない。マリノスに対して。
 最終的に、マツ自身のマリノスへの愛情は根本のところでは変わっていなかったし、今でこそ吹っ切れてはいたものの、あの当時のマツの動揺っぷりと言ったら……スポ紙見るだけでどんだけハラハラしたことか。

 別に解雇自体は良いも悪いもないと今でも思っているんだけど、あのときのやり方が未だにどうにも引っかかるから、手放しで歓迎する気には、ちょっとなれないのも事実。つーか、今ごろ思い出したけど、井原さんがマリノス出るときもなんか腑に落ちない感じだったよなぁ……あの時も私、相当ショック受けましたけど。

 そもそも、たとえマツをこんな不幸な形で失うことがなかったとしても、おそらくしばらくはマリノスで自分から3番をつけようとする選手は出てこなかったんじゃないのかな。
 マツが去ったあとのマリノスで3番をつけたいと望むなら、それ相応の覚悟がいる。それぐらいの重みはすでに生まれていたはずだと思う。話は違うけど、前回のWBCで岩田が19番つけたとき、上原ファンとしてはやっぱり「JAPANの19番の重みを感じろよー!!」と思わずにはいられなかったですから(笑)。そんな感じじゃないのかなー。
 でももしそんな中で、たとえば栗原が(と言っても、栗原はすでに4番という大変重い番号をつけてるわけなので、ものすごく大雑把なたとえだけど)「3番を背負わせてください」といつか願いたくなったとしたら。「マリノスで3番をつけるのが夢」と言ってプロになろうとするサッカー小僧たちが出てきてくれたら。それはもしかしたら、マツが何より喜んだだろうことなのではないのかな、と思ったりもする。

 ただ、永久欠番を否定するつもりもないのも本当のところではある。「特別」であることを示す行為であることに間違いはないし、永久欠番それ自体に全く価値がないとは、私は思わないので。だから話は結局振り出しに戻っちゃうけど、根本の問題は去年のマリノスのやり方にあるってことで……。
 マツがどう思うかがわかれば、いちばん良いんだけどね(涙)。

「FBI心理分析官」(著:ロバート・K・レスラー&トム・シャットマン/訳:相原 真理子)

2011-08-12 22:51:03 | 【書物】1点集中型
 異常殺人者を研究し続けた、FBIプロファイリングの第一人者の手記。トマス・ハリスの小説創作にも大きな協力をした方とのこと。

 ひとくちに「異常殺人」といっても、実はきっちり系統立てて分類する方法がある。ひとつひとつのケースが分類されていく手順を追うにつれ、その理路整然とした様子になるほどと思わされる。が、根っこの部分で連続殺人者=性的殺人者という図式がほぼ成り立つというのが興味深い。
 しかし、昨今、自国で2桁以上の連続殺人事件の話を目にすることがほとんどないことを思うと、この本に記されているそれぞれの事件の残虐さや異常性はもとより、犠牲者の数を見るだけでもぞっとする。これは解説にもあるけど、日本で起こる犯罪とは根源的な違いがあるように思う。なんというか、その国の文化や環境が生む「特徴」みたいなもの。

 そして、ここで取り上げられている事件自体は非常に残虐なものが多いのだが、著者は当然それを踏まえたうえで「死刑制度の是非」にも言及している。ただそれは犯人が精神を病んでいるからとか、人権論的な観点からではなくて、あくまでも犯罪研究を進めてこれらの凶悪犯罪の発生をできる限り減らしていく手助けがしたいから、という立場からのもの。
 確かに、こういった必ずしも精神が正常でない犯罪者たちにとって、死刑は確固たる抑止力にはなりえないのかもしれない。そう考えると、起きてしまった事件を今後起こさないようにするために何ができるかというアプローチは、やはり(どんな事件でもそうだけど)非常に大切な姿勢だと思う。

 余談だけど、本の内容はともかく、「犯罪を犯す」「犯行を行う」のフレーズがあまりにも多すぎて、読んでいて頭の中でものすごく据わりが悪かった(笑)。それがちょっと残念なところ……。

サカマガ探しに本屋さん

2011-08-11 22:09:23 | 【書物】1点集中型
 で、本日の戦利品。見事に3者3様、志向がバラバラです。(笑)
 まずスポーツ誌の棚に直行して、そのときには棚にはサッカーマガジンはすでに2冊しか残っていなくて、はーよかった。と思いながら他の本を探しにフロア回って戻ってきたら、残り1冊も消えてた。

 伊藤計劃「ハーモニー」と芹沢(金+圭)介ムックは、欲しい欲しいと思いつつ買ってなかったもの。芹沢介氏は、展覧会を観に行って惚れた型絵染の人間国宝。色と形の素晴らしさに悶絶する。ただ、本だとどうしてもナマの色には負けるところが辛いのだけど、でもこれは芹沢氏について勉強するつもりで買いました!
 東北福祉大に「芹沢介美術工芸館」があって、いつか仙台観戦のついでに行きたい~と思っているうちにこのたびの震災が……。で、現在休館中。1日も早い復旧と、東北の復興をお祈りいたします。

 買ってから思い出したけど、そういえば「ハーモニー」は伊藤氏の「最後の長編」でもある。自らに迫っていることも感じられていたのであろう死と、どんな思いでか、向き合いながら書かれたもの。松田直樹と伊藤計劃、どちらも早すぎる旅立ちを迎えた偉大なる才能。同じ日に買うことになろうとは。
 「ハーモニー」は新書で一度読んでいるからまだいいんだけど、実はサカマガ買ったはいいが、開くのがちょっと怖かったりもしている。読んだら、本当にひとつのことが終わってしまうような。本当にお別れしなければいけないような……。
 同じような理由で、近鉄牛のムックも買ったはいいがなかなか開けなかったものだった。というか、あのときのDVDとか結局未だに見れてないよ(涙)。

 ……ってあれ。サカマガばっかりに気を取られて、サッカーダイジェスト探すの忘れてるやんorz
 なんで気づかなかったんだろう。明日もう1回探しに行きます。売り切れてませんように(泣)。

相当前のめりになる勢いで

2011-08-10 21:23:22 | 【スポーツ】素人感覚
 9日発売のサッカーマガジン待ってるんだけど、まだ出てなかった……週刊誌の入荷て1日遅れじゃなかったんだっけ、と思いつつ昼休みと帰りに本屋巡り(笑)。久しく週ベすら読んでないから、すっかり週刊誌の発刊スケジュールを忘れてしまった。(汗)

 そんなにおたおたしなくてもいいだろうと、自分でも思うんだけど(笑)
 曲がりなりにも「ああ好きだなぁ!」と思った選手を、こういう形で失ったのが初めてだから、やっぱりまだ馬鹿みたいに動揺してるのだ。きっと。

 後輩たちが今日、爽快な試合をしてくれたよ。

 由紀彦のblogも、微笑ましくて、泣ける。

サッカーの神さまに

2011-08-09 23:30:58 | 【スポーツ】素人感覚
 マツは愛されすぎてしまったのだね。きっと。
 あんまりにも無邪気に、一生懸命サッカーを愛しているもんだから、神さまもそれが可愛くて可愛くて手許に置いておきたくて仕方がなくなってしまったんだろうと、今になって思う。



 今日、ほんとうに天に昇っていってしまった。
 あの底抜けの笑顔のような、晴れ渡った空に。



 お別れに行っていたサポーターの人々の直樹コール(サッカーだとチャントっていうのかな)聴いてたら、やっぱりたまらなくなった。
 ここ何日かでほんの少しお言葉を聞いただけだけど、お母さまもとても息子さんに愛情を注いでいたんだなぁと感じたし、今日目にした安永聡太郎の姿も懐かしかった。ルーキーイヤーのときに、TVかな、2人で取材されてたのをちょっと見たような記憶がある。ただ、こんな風に懐かしがることを望んでいたわけじゃないけど……

 そういえば、隼磨のblogがかわいかったな。
 かわいいって言い方は不謹慎かもしれないけど、ただ、一言一言に隼磨の思いがすごく伝わってきて、マツは本当に慕われていたんだなぁって思えたし、そういう隼磨がやっぱり、かわいかった。きっとマツも可愛く思っていたと思う。

 もちろん、隼磨だけじゃなくて。

 思いは受け継がれていく。
 誰かの遺したものを受け取って、歴史は創られていく。
 改めてそう感じる。

 あれほどまっすぐにサッカーを愛した松田直樹という人間がいたことを、自分がほんの少しでも知っているということが、どれほど幸運なことだったか。



 もう一度言う。
 ありがとう直樹。
 この時代に生きてくれて、その姿を見せてくれて、本当にありがとう。

 たまには、ピッチに檄を飛ばしにおいで。

「太陽の子」(著:灰谷 健次郎)

2011-08-08 22:18:09 | 【書物】1点集中型
 読もう読もうと思いつつ、すっかり延び延びになっていたもののひとつ。

 戦争の傷ももう癒えたかに見える時代の日本の中で、沖縄が、沖縄の人々がどう生きているのか。神戸に生まれ育ちながらも、両親のふるさとである沖縄を「知らなければならない」と直感してからの主人公ふうちゃんには、ある種の凄まじささえ感じさせる真摯さがある。
 ふうちゃんは、目の前のひとつひとつのこと、自分の周りの一人ひとりに一生懸命向き合って、ある時は傷つきながらも自分なりに理解して先へ進もうとする。その姿が本当に健気で純粋で、その笑顔が、涙が、何度も何度も胸を打つ。そして自分がただの一度でも、こんなふうにひとに対して本当の意味で優しくなれたことがあっただろうかと思わずにはいられないのである。

 「不幸やかなしみは、それぞれがひとつずつ離れてあるものではなく、つぎつぎつながっているものだということ」を、ふうちゃんも、キヨシ少年も知っている。「不幸やかなしみ」は、それも人が生きてきたことの証であり、ふうちゃんの周りの人々もみんなそんな痛みを抱えながら生きている。「沖縄」を知る人々はもちろんのこと、そうでない人、たとえばふうちゃんの友だちのときちゃんも、梶山先生も。

 「生きている人だけの世の中じゃないよ。生きている人の中に死んだ人もいっしょにい生きているから、人間はやさしい気持を持つことができるのよ、ふうちゃん」

 ふうちゃんのおかあさんの言葉。
 なんといっても私自身、マツのことがあったタイミングで読んでいたので……この言葉が本当にずっしり重く、勘弁してほしいほど目頭が熱くなった。地下鉄の中で(笑)。
 自分がなぜ命を授かったのか、この命はどこに行くのか。おかあさんの言葉はその答えのひとつだ。それを違うかたちで表したのが、最後の「結婚したら子どもをふたり産む」というふうちゃんの言葉なのだろう。

 痛みを知ることが人を優しくする、それを芯から感じさせてくれるたくさんの人の物語が詰まっている。素朴な文体だからこそ感じる言葉の重みに作者の思いが感じられて、胸が締めつけられるような作品。
 いつまでも手許に置いて、読み返したくなる本になった。