life goes on slowly

或る大阪近鉄バファローズファンの
偏愛と放浪の記録

「異端の数 ゼロ 数学・物理学が恐れるもっとも危険な概念」(著:チャールズ・サイフェ/訳:林 大)

2011-03-27 23:10:37 | 【書物】1点集中型

 タイトル通り、「0」という数字に関する歴史や使われ方、その存在の意味するところについて書かれた作品。ふだんの生活の計算や何かで本当に何気なく使っている「0」が、「イコール無」であるがゆえに持つとんでもない破壊力が科学者たちを悩ませてきたことや、0と∞が実は表裏一体であること、同時に、記号(数字)としての0(いわゆる「空位を示す0」)ではなく、無という「数」を示す「0」というものがどれだけ他の数と違う存在なのか、今さら知ることができた。
 厳密に言えば0という「数」は存在しえない(無は数ではないし、ないものは存在しないから。消失点は0でもあるのだが……)と思うのだけれども、0という「概念」が存在しなければ、現在明らかにされているところの宇宙はまず語れない。なにせビッグバンが宇宙を生んだことが明白である以上、ビッグバンが始まる前が「無」であったことも明らかだから。そしてブラックホールという無限が飲み込んだあとに残るのは、無つまり0であるから。

 そうやって考えると、存在してないけれどもしているのが「0」ということになり、ややこしいったらありゃしないのだが、「原子よりも、クォークよりも、クォークの1000兆分の一よりも小さく――なり、それでも有理数全体をおおえる。果てしなく小さくなっていくものの極限」であるのが0であり、つまり「無限にある有理数の全体はゼロ」という風に考えると、ある数に0を掛けると0になり、0で割っても0になるというその理由が、全部ではないにせよ少しわかったような気がするのである。

 ところで、付録A(a=1でありb=1であるとき、b*b=abであり云々という等式の操作によるおかしな証明)は「フェルマーの最終定理」でも取り上げられていたけど、この本で加えられているユニークな解説には腹を抱えて笑った。それにしてもなんでチャーチルなんだろう(笑)。
 かように、ゼロとはおかしくも愛おしきものなり、とかわかったようなことを言ってみたりしつつ、実は全然理解できてない部分もてんこ盛りだったりする。本当のことを言うと、微積分やひも理論あたりはほとんどわけがわからなくなっていた(笑)。でも、「フェルマーの最終定理」と「宇宙創成」を先に読んでたおかげで、全く何も知らない状態ではなかったのでちょっと助かった。


「ときどき意味もなくずんずん歩く」(著:宮田 珠己)

2011-03-17 23:50:57 | 【書物】1点集中型

 こんな時だけど読む。いつ読めなくなるかわからないから読む。もしかしたら何か辛いときに思い出し笑いとかできるかもしれないし、誰かに話したら和むかもしれないし、とかいうネタを仕入れるつもりで。
 ……というのは後づけの理由なんだけど(おい)、でもやっぱりいつ読めなくなるかわからないから読む。これは事実。

 宮田氏のエッセイを読むのは2作目だが、解説・高野秀行氏の「何が面白いのか、なかなか言葉で説明できない」という言葉がほんとに的を射てると思う。確かに、個々の話はものすごい突飛なものばかりというわけではないのだ。いや突飛な話も当然あるし、単純にネタとして面白い話も多いんだけど、やっぱり言葉の使い方がいちばん面白いような気がする。組み合わせ方というか、ひとつの文の中であっちこっちに引っ張りまわされてオチにすとんとおさまるこの感じ、これがけっこう快感になるのである。中毒性高し。「ふざけてはいけない。」の一言がなんだかとてもツボに入ってしまって、自分の中で流行語にしたいくらいである。←本気か?←わりと。
 この本にはたまたま、東海村の例の再処理工場を、あの放射能漏れ事故の起こったその日にそれとは知らず取材に訪れていたというエピソードがあり(もちろんご本人に異常はなかった)、おいおいなんでこのタイミングでこの話を読んじゃったんだよ私、とか思ったりもしたのであるが読んでしまったものは仕方がないので、とりあえずどういうことをやってる施設なのか垣間見られたのは悪くなかったと思う。とかいう当たり障りのない感想を述べておく(いやこれはこれで本当の感想なんだけど)。

 あと「ディープうどんインパクト」の「グルメはもともと食べるのが好きだから、食べてるだけでうれしいのであり、どうしたって食べものに甘い。」というお言葉にはなんだか妙に納得したのでありました。うん。ちょっとおいしいだけでもお金出したと思ったらなんか点が甘くなるかもっとか思っちゃうからね。とか言いつつも、食いたいから食っている私にも「まずいもの食うぐらいなら何も食わないという分別」は、ないわけじゃない。だってお金出したのにまずかったら悲しいから(笑)。
 って何の話だ。私の話じゃなくて本の話をしてるんだけど。まあとにかく、タマキングの本は文句なしに笑えるのでご一読されたい。面白さが実際説明しにくいから。←結局そこなの?

 しかし、タマキングin東海村(そんなタイトルではない。正しくは「原子炉の中で散歩」)もそうだが、津波で「深海のYrr」を思い出したり原発事故で「神の火」を思い出したりして、どんな表現だったか確かめたくて読み返したくなった。そしたら「深海のYrr」は手許にないからともかくとしても、「神の火」は上下巻だった。蓋を開けるまでが長いじゃないか……(なので今は手をつけていない)


3月11日以降

2011-03-14 23:06:55 | 【日常】些事雑感

 そのときは千歳にいて、駅からタクシーで客先に向かっているところだった。
 無線が入って、外の風景を確かめた運転手さんが「電線が揺れてる」と言った。
 でも走行中の車内では揺れを感じることはなかった。

 約1時間ほどの客先での打ち合わせの間も、何度も揺れていた。
 打ち合わせが終わって、タクシーを呼んで駅へ戻ろうとしたら、携帯電話が全く繋がらなかった。
 なので、客先に固定電話を借りて呼んだ。

 帰社予定からも遅れそうだったし、駅で公衆電話から会社に電話をかけた。
 社内には幸い何事も起きていなかった。
 でも、帯広以東へ向かう列車は軒並み止まっていて、駅員さんは構内放送や個別の客の対応に追われていた。

 札幌に戻ってきたら、駅で新聞社の人が号外を配っていた。
 ふだんなら「あとでニュースを見ればいいや」と思うのだが、なにかの災害だと思うと気になって仕方がなくなり、1枚の号外を必死になって奪い取っていく人たちの中に、私も混じった。

 国内最大級の地震。
 大津波警報。

 大津波ってなんだ?
 10mの波ってなんなんだ?

 それから少なくとも2日間は、黒い波の映像ばかりを見ていた気がする。
 車。家。
 人。
 何もかもを浚っていく波。波。波。

 あれからほぼ丸1日の間、携帯電話はメールも電話もWEBもアウトで、関東の家族や友人との連絡も取れなかった。
 TVの画面には、品川駅から連なってどこかの自宅へ向かって歩いていくたくさんの人たちが映っていた。
 翌日になって、幕張から5時間歩いて東京に戻った友人や、帰宅できずに会社で夜を明かした友人の話を聞いた。

 そこが陸だったのか最初から海だったのかもうわからないくらい、水が日の光を反射する広い広い場所。
 瓦礫の山。
 どこかの体育館や公民館で上着を着たまま毛布にくるまる人々。ポリタンクいっぱいに水を汲みに来る人々。

 そして今、私はいつものように暖かい自分の家にいて、温かいごはんを食べ、熱い湯を張った風呂に入り、TVでニュースを見ている。

 恵まれているのに、自分の手で届けられるものは何もない。
 でも、今ここにあるものを大切にすることはできるし、今まさにそこに何かを届けようとする人を妨げないようにすることに、どんな形でかほんの少しでも貢献することなら、できるかもしれない。

 できることは少ない。
 でも、この日にあったことを覚えておくことはできる。

 もしかしたら、あの流されてしまった畑で作られたものを今、自分は口にしているのかもしれない。
 だから何ひとつすら、無駄にはできない。

 言葉は時に無力だけど。
 それでも、
 生きようとする命の尊さを、
 生かそうとする命のうつくしさを、言葉にすることで、忘れずにいることはできると思う。
 今そこに生きている人たちが挫けてしまわないように。
 今そこにいる人たちを救うために働いている人たちを、なにかの形で支えるために。

 少しでも早く、少しずつでも、日常を取り戻すことができるように。

 悲しみや苦しみをただ思うだけじゃなくて、今ここで確実になにか、自分にできることがあるとすれば、たぶんそういうことからだと思う。




 そういえばあの日の朝、携帯からWEBを見ようとしたら、ブックマークをはじめ、WEBメニューからサイト接続を行うための決定キーが全然反応しなかった。
 数ヶ月前に別の故障を修理したばかりで、3年使ったしいよいよ寿命なのかなと思ったけど、地震のあとは全く何の異常も起きてない。もちろん今も。


「太陽系最後の日」(著:アーサー・C・クラーク/編:中村 融・訳:浅倉 久志 他)

2011-03-12 22:24:02 | 【書物】1点集中型
 文庫で買った「暗号解読」を再読する傍らこれを読む。
 「ザ・ベスト・オブ・アーサー・C・クラーク」と銘打たれたシリーズの1編目。クラーク作品は「2001年宇宙の旅」が大好きで何度も読み返してるんだけど、短編は初めて。

 それぞれ、SFという舞台設定の中で、人類のさまざまな(架空の)歴史が描かれているという感じ。「コマーレのライオン」のようにいかにも未来的な世界があるかと思えば、「海にいたる道」では、未来の物語のはずなのに逆に古代を感じさせるなんとなく茫漠とした世界があったり、「太陽系最後の日」にはそれでもどこか人類の来し方を礼賛する響きもあったり。
 スペースオペラとは違うけど(それはそれでまた好きなんだけど。銀英伝とか。)、科学的な土台というか裏付けが強固でわかりやすい。画が見えやすいというか、頭の中で世界を作りやすい。私自身はクラーク作品のそういうところが好きなのかもな~と思う。
 
 どれも色の違いがあって面白かったけど、特に挙げるとすれば「破断の限界」かな。グラントとマクニールの心理状態の見せ方が秀逸。ちょっとしたミステリを読むような気持ちにもなった。極限状態にあるときの人間の思考の軌跡が、思わずわが身に引き写して考えてしまうほどドキッとさせられる。SFという以前に、人間を描いた作品としてとても好み。そういう意味ではSFじゃなくても成り立つかもしれない物語なんだけども、宇宙船という舞台があったからこそ引き立つ物語でもあると思う。こういう「方程式もの」をいろいろ読んでいくのもいいかも。

 そして「守護天使」の、ちょっとあの「モノリス」の存在を思わせる最後の種明かし(か?)とか、カレレンとストームグレンの間の奇妙な信頼関係を見るにつけ、「幼年期の終りまだ読んでないじゃん! 早く読まなくちゃ! とか思い出すわけだが、解説を読んでいくとまた読みたいものが増えていくんだよねー。ウエルズもステープルドンもゴドウィンも(ホーキングも)読んでないわけだし。困る。(笑)