life goes on slowly

或る大阪近鉄バファローズファンの
偏愛と放浪の記録

「文学部唯野教授」(著:筒井 康隆)

2013-02-24 20:56:58 | 【書物】1点集中型
 大学というちょっと特殊な組織の内幕にも触れているということで、未知の業界への興味も手伝って気になっていた筒井作品のひとつ。しかしいざ読んでみると単なる業界ものではなくて、文芸批評論そのものだった。
 主人公・唯野教授はまさしく「ただの」教授という役どころで、大学組織内で平穏無事(?)に生き残っていくため、実は文芸誌で小説など書いていることもひた隠しにして奔走する。時には友人の尻拭いまでしつつ。そのドタバタっぷりと台詞回しが例によっていかにも筒井節。すばらしくテンポが良く、ブラックユーモア的要素も満載で、すいすい読めてしまう。

 その唯野が作中で展開する講義が「文芸批評論」なのだが、これがものすごい。私は文学そのものを学んだことはないので全然知識が足りないんだけど、それでもやっぱりなんとなくアウトラインが(雰囲気としてくらいは)掴めた気になるように構成されている。この「講義」を受けつつ、これだけのものを組み立てるための作家サイドの下準備も相当なものなんだろうなぁと感嘆するばかり。
 特に「講義」中に引き合いに出されるさまざまな作家や学者たち、これがまた名前は知ってても中身はわからない人たちばかりなので、ページ内に解説がついてるのがありがたい。これがなかったら、いかに読みやすい本作であっても素人の自分では全然ついていけなくなってしまっただろうと思う(笑)。
 文芸批評という分野にはこれまで全く触れたことがなかったけど、こうやって「講義」してもらうと時代の流れもわかって面白い。読んでもちゃんと身につくかどうかは別だけど(笑)、単なる小説ではなくて啓蒙書と言ってもいいかも。「講義」で興味を持った作家などを、「講義」を思い出しながら読んでみるのも良いのではないかと。

「博士と狂人―世界最高の辞書OEDの誕生秘話」(著:サイモン・ウィンチェスター/訳:鈴木 主税)

2013-02-20 14:49:34 | 【書物】1点集中型
 世界最大最高の英語辞典「The Oxford English Dictionary」編纂の中心人物、ジェームズ・マレー博士と元米軍軍医ウィリアム・マイナーにスポットをあてた物語。
 実は、OEDがどういうものか今まで全く知らなかった。英語辞典が生まれた当初、辞典とは一般的な語を収録したものではなく、日常的に使われない難解語の収録が主になっていたことももちろん知らなかった。今や誰もが当たり前に使うことのできる辞典がどうやって現在のように存在するに至ったのか、それを知る意味でも興味深い作品だと思う。

 退役軍人であるマイナーは精神に異常を来しており、そのため異国の地で殺人まで犯してしまった。そして刑事犯精神病院に収容されることになり、それが彼に篤志文献閲読者としてマレー博士の辞典編纂事業に協力する機会を作ることになった。
 著者が「あとがき」に述べたように、マイナーがOED編纂に長く貢献する機会を得たのも、彼がジョージ・メリットを殺めた事件があったからこそである。だから彼の死は決して意味のない死ではなかった、などと取ってつけたようなことを言うつもりはない。ただ、OEDの編纂が成し遂げられたことに関して、表裏一体となったメリットの死は、忘れられてよいものではないということだ。そこにあった事実として。

 マイナーがOED編纂に関わるきっかけをもたらした可能性を持つ、メリット夫人との交流。マレー博士とマイナーの17年にわたる「文通」から編み上げられた多大な収録語。マレー博士の事業がどれだけマイナーの精神を支えていたか。不幸にしてマイナーが抱えた病の治療法の研究が進んでいなかったからこそ、彼が文献閲読という知的な刺激をもたらす作業に打ち込むことができ、その結果OED編纂に大きく貢献し、後世の人々に恩恵をもたらすことになったという、「本当に残酷な皮肉」
 聖職者トレンチが編纂事業の始まりに掲げたように「辞書は史的記念物」であり、「一つの観点から見た国家の歴史」であるとしたら、我々の知るさまざまな辞書の陰にはおそらく、メリットのような無名の人々や、皮肉なできごとがまだ、多く潜んでいるのであろう。もちろん辞書だけでない、歴史上のできごとそのものにも。だからノンフィクションや歴史ものに興味が湧くんだろうなと、あらためて思う。

「前田建設ファンタジー営業部」(著:前田建設工業株式会社)

2013-02-08 20:12:38 | 【書物】1点集中型
 表紙のかわいさに惹かれて「いつか読むリスト」に入れておいたものの、リストに入れただけで満足していてずっと放置になっていた(笑)のをやっと借りてみた次第。

 実在するゼネコン「前田建設工業株式会社」が、「マンガ、アニメ、映画の世界との対話を可能にする機械」である、その名も「空想世界対話装置」を介してかの世界から依頼を受ける部署である「ファンタジー営業部」を設立した(という設定)。で、そのファンタジー営業部の初仕事が「マジンガーZ格納庫」なのである。それがそもそものこの本の出自。

 ベタに言えば「空想科学を実現する読本」というところか? まあ実際には建ててないので、「実現をめざす」が正確なところかもしれないが、でも図面上、計画上では実現可能なところまでたどり着いちゃうのである。
 キューピー人形のような(笑)4名の部員さんたちが、放映されたアニメだけでなく(ある意味当然かもしれないが)設定資料に至るまで検証して仕様を固め、同社内のさまざまな部署のあらゆるエキスパートたちの知見を吸収し、さらに取引先の機械メーカーも巻き込んで自体はどんどん具体化していく。その過程が、建物を建てるために建設会社はこんな仕事をしていくのだな、というのが素人にもとてもわかりやすく解説されている。
 技術論だけでなく具体的な見積例が見せてもらえるのもいいし、模型もできちゃうし、ある程度プロジェクトが蓄積されていったらいつか展覧会とかやってもらいたい。

 以前、ゼネコン勤めの知り合いが業界のことを「まさに『鉄の骨』の世界」と言っていた。が、こうして現場が動くさまを見ると、相当落差のある世界だなぁと(笑)。
 でもこういう、どこまでも真面目に取り組む「遊び」が、いわゆる「コラボ」といった実務においての新しいつながりを呼んで、それがほんとに会社の業績や、建設業界をめざす人材の発掘という形で跳ね返ってくるのなら、社内的にも社会的にも素晴らしいプロジェクトであることは間違いないと思う。実際にやる方は大変だろうけど(笑)
 建設の実務って部外者には本当に全くと言っていいほど想像も見当もつかないものだったので、知的好奇心を充分に刺激してくれる本だった。キャラクターもかわいいし(笑)。続編も是非読んでおきたい。って、もうプロジェクトは第5弾まで進んでるのか。←気づくのが相当遅いのがアレですが(笑)

「患者の眼 シャーロック・ホームズ誕生秘史」(著:デイヴィッド・ピリー/訳:日暮 雅通)

2013-02-07 23:11:10 | 【書物】1点集中型
 アーサー•コナン•ドイル氏の自伝風に綴られる、その師でありシャーロック•ホームズのモデルとされるジョゼフ•ベル博士との事件簿。著者はもともと脚本家で、この作品はBBCでドラマ化もされたそうだ。

 ベル博士の、まさにホームズそのものである人間観察の鮮やかさには、ドイルならずとも圧倒される。が、ドイルはそのベル博士の「手法」を最初は「手品」と酷評し、のちに助手となって事件の解決に取り組み始めても、どうにも認められない。でも、やっぱり最後は「ベル先生」の助力を必要とすることもわかっている。
 なんだかんだ言ってもドイルがベル博士に敬意を払っているし、ベル博士もドイルを見下したりはしない。考え方の違いもあって、全てにおいて阿吽の呼吸というコンビではないが、その中にあって、若かりしドイル氏の「青さ」を窺わせる、師への反発もまたいいスパイスになっていると思う。そして、そんなドイルの反発もまるで気にしない飄々としたベル博士の、超人的な観察眼と推理に次第に引き込まれる。

 「シャーロック・ホームズ」シリーズをいくつか読んだのは相当昔なので、内容も全然覚えていないんだけれども(こないだの映画は観たけども)ちゃんと覚えているとリンクする内容も相当ありそうである。ホームズの物語と「暗号」との関係の深さを考えると、かの有名な「ビールの暗号」が取り上げられているのも面白い。そういえば、現在の状況まで解読したのが誰かというのが実際、謎のままなので、「ベル博士なら可能性があるかも」というネタを出してくるところが心憎いなぁ。
 しかし、ドイルの患者に関わる事件は解決したものの、2人に傷を残しているらしい過去の事件が相当気になるんだけど……続編なんとか出してもらえないかなぁ。なんかこのまま終わられると、シーズン1だけで打ち切りになって謎だけが残ったドラマみたいで生殺しですよ。(笑)

「屍者の帝国」(著:伊藤 計劃×円城 塔)

2013-02-04 23:37:20 | 【書物】1点集中型
 これが出るのを待った。待ちわびましたよ――。
 伊藤氏の筆になるプロローグは既に「The Indifference Engine」にて読み込み済み。ということで、私自身、伊藤氏の「盟友」円城氏の作品も(まだ2つ3つしか読んでないけど)雰囲気が好きだし、でも明らかに伊藤作品とは毛色が違うし、だから円城氏がどう物語を綴っていくのか、興味と期待が相当に膨らんでいたのであった。
 でもまずは図書館で借りちゃったんだけど。すみません。(汗)

 フランケンシュタイン氏のクリーチャに倣い、死者を一種のロボット的に甦らせた「屍者」を労働に使役することが一般化された世界にあって、物語の主人公が「あの」ジョン・ワトソン医師(劇中ではまだ学生だが)で、「あの」ヴァン・ヘルシングを通じて「あの」ウォルシンガム機関にスカウトされちゃって……って、プロローグで基本設定を覗いただけでもう相当に楽しい。
 さらに、円城氏の展開する本編に入ったら入ったで、「あの」Mが「あの」マイクロフト・ホームズで、ワトソンが最初に追うことになる相手が「あの」アレクセイ・カラマーゾフで、屍者の製造に関するいわゆるフランケンシュタイン三原則の修正版は、「あの」ロボット三原則の「人間」を「生者」に、「ロボット」を「屍者」に置き換えたもので……と、個人的に好きな要素が山のように散りばめられているだけでテンションが上がって仕方なかった(笑)。「カラマーゾフの兄弟」も未完だしね。パスティーシュとはいえ、「第二部」にこんな形で触れられるとは、嬉しい誤算。
 ついでに言えば「屍者」を動かす「機関(エンジン)」やら、蒸気機関のイメージやらがあの「ディファレンス・エンジン」も彷彿とさせる。そもそも、もろイギリスの物語だということもあるが。全体として、歴史改変ものでありつつ、いろんな名作のパスティーシュでもありつつ、といったところか。

 謎解きの要素もあり、バトルっぽいシーンなんかもありつつも、それでも全体的には地に足が着いた印象。ところどころに言葉遊びっぽいエッセンスが見えたりもしたので、そういうところにも円城氏の雰囲気は感じた。あと「物語」という言葉にも。
 伊藤氏の文体もエレガントというか知的で落ち着いてるけど、こちらは比較的理詰めの印象。円城氏の場合は空気感がかなり独特で、ひとつひとつの文は理解しやすいけど、気がついたらなんだか掴みどころのない空間に放り出されるような文体。どちらかというと円城作品はストーリーの起伏よりも雰囲気を楽しむ感じで、伊藤作品はがっちりしたストーリーからテーマをくっきり浮かび上がらせるイメージ。あらためて思い起こしてみると、個人的な印象としてはそんな感じ。
 そんな感じで、過去に読んだ両者の作品をなんとなく思い浮かべつつ、各々に対する自分の印象を思い出しながら読み進めるのも、共著作品ならではの楽しみ方かも。まあ、読者の自己満足ではあるが(笑)。

 結局、読んでる間はどこまで伊藤氏がプロットを組んでいたのかも知らなかったけど、「魂とは」という問いには、「ハーモニー」でミァハが目指した世界も思い出された。
 「死」があるから「生」がある。死のない生は、もはや生ではない。だから「死んでいない=生」ではない。"死を上書き"された生者が、もはや屍者としか呼ばれないように。「ザ・ワン」に「チャールズ・ダーウィン」の名が与えられていたことも、アリョーシャの言う死と進化の関係を暗示するものであるかのように。

 言葉が人を、他の存在とは違う個人たらしめるのならば、個を示す究極のあり方であるのであろう魂もまた、言葉で成り立つ。人間の裡に潜む多種多様な「言葉」を同じ方向に向けさせることができるとしたら、個は消滅する。そうすれば魂すら、個を示すものではなくなる。すべての人間が、彼以外の人間と同じ魂を持つのなら。
 「人間という種が全て、上書きによる屍者となった場合に何が問題となるのか」。ミァハを、ジョン・ポールを、円城氏が思い浮かべたかどうかはわからない。しかしそれでも、ザ・ワンのその言葉はやはり、伊藤計劃が紡いだ物語を想起させずにはおかないのである。<わたしは誰だ>という、ワトソンの問いとともに。

 そしてなんといっても最後の最後、フライデーのモノローグである。まさに「息が止まるような感動」というか……あれは円城氏の、あるいは私のような伊藤計劃作品愛読者の、彼への想いを代弁しているように思えてならなかった。そして、そう思わせる円城氏の技倆の素晴らしさに感服するほかなかった。
 書き手と読み手がフライデーなら、物語の導き手はワトソンだ。その傍らにあって記した物語に息づくワトソンの魂に、フライデーが伝える言葉はひとつだけ。

 「異なる言葉の地平」にあるワトソンが、彼の残した物語が世にもたらしたものを知ってくれたらいいと思う。彼の言葉が語り継がれ、姿を変え、次の世に生き続けていくさまを伝えられたらと思う。そう願うフライデーであり続ける限り、フライデーの記したワトソンはこの世にあり続けるはずである。
 実際、読み終えてから「あとがきに代えて」を見つけて、感じたことを裏付けしてもらったような気になれたのがまた妙に嬉しくって(笑)。それと、円城氏のインタビューも。あっさりしてるように見えてちゃんと繋がってる作家同士、って感じで良かった。ちょっとほのぼのした。

 まあ、読むこっちのちょっと思い入れが強すぎて、なんだかもう読んだだけですごい達成感でいっぱいになっちゃってるのが我ながらアレなんだけど(笑)。とにかく早く文庫にならないかなぁ。そしたらちゃんと買って手許に置いときます。本棚のキャパが少ないのでハードカバーをほいほい買えないんだよー(笑)