舞台となる世界の、放射能による死の灰の降り積もる荒涼とした風景がやけに真実味を帯びて感じられる今日このごろ。
次々に絶滅していく動物たちの代わりに、精巧な人工の動物がつくられ、それが主流になる。さらに、人間型ロボット――いわゆるアンドロイド――を召し使うことも当たり前になった時代、逆に人工でない自然の生き物を所有することが社会的地位の高さを現すようになる。そして、逃げ出したアンドロイドを狩る人間がいる。
ただ、それら人工の生命体は、人工でない生命体となんら変わりのない生活を送ることができる。だとしたら人間は、何をもって自己を人間と言い切れるのか? アンドロイドと己を分けるものは一体何なのか? 「心」って何だ。「感情移入」って何だ。その問いの答えは、たとえばイジドアの「ピンボケ」であるがゆえの純粋さが、悶々とするリックよりもずっと鮮明に見せてくれているのかもしれない。
自分自身、最近はこの手の作品ばっかり読んでる気がするのだが(笑)、自然の生命(人であり、動物であり、虫であり)と、アンドロイドや電気羊のような模造された生命体を対応させることによって「人間とは?」という問いを浮かび上がらせることができるのは、SFというジャンルならではだと思う。
とはいえ、人間とアンドロイド、どちらがどちらかわからなくなるような(たとえばリックが最終的にレイチェルと関係をもってしまうこともそうだ)曖昧な部分も大きくとってあるところが、考えさせられるところ。だけどリックの、「レイチェル・ローゼンが、入れかわり立ちかわり出てくるだけ」という言葉も、アンドロイドという「人工物」を指す言葉としては確かな真実でもあるのだ。曖昧かと思えば突き放すように両者を分ける定義のようなもの。ただ、それは決して後味がいいだけのものではない。だから却って、消化しきれずに余韻が残るくらいでちょうどいいのかもしれない。その分、もう少し読み込みたくなるしね。(笑)