life goes on slowly

或る大阪近鉄バファローズファンの
偏愛と放浪の記録

「キス・キス [新訳版]」(著:ロアルド・ダール/訳:田口 俊樹)

2017-10-30 23:28:17 | 【書物】1点集中型
 以前に書店で「飛行士たちの話」を見かけて気になったんだけど、図書館には古い版しかなくて保留にしていたのだが、置きっぱなしにしていた2年前の「ハヤカワ文庫100」見返した中で見つけたのでこっちを借りてみた。「チャーリーとチョコレート工場」の原作者なんですね(って、映画観てないけど)。

 巻頭「女主人」はウォーミングアップという感じで、手法としては珍しくない話だけど、主人公と女主人の会話の絶妙な噛み合わなさが独特の雰囲気を作っている気が。続く「ウィリアムとメアリ―」「天国の道」と読み進めていくと、どんどん女の怖さが見えてきて、かつその女性と対になる夫が夫だなだけにより引き立つようである。
 「牧師の愉しみ」は結末の後の主人公の悲劇に思いを致して笑ってしまわずにいられない。「ミセス・ビグスビーと大佐のコート」も読後感はこれに近い。主人公にとっては悲劇なのだが、その悪知恵を見てきた読者にとっては滑稽で辛辣な笑いを呼び起こす喜劇であろう。悪事を見てきただけに勧善懲悪みたいな気分になっちゃうのかもしれないが、人の不幸は何とやらとは良く言ったものである。書く方も読んで楽しむ方も本当に意地が悪い(笑)。
 「ロイヤルゼリー」「ジョージ―・ポージー」にはちょっとホラーな空気が漂う。どっちも「度を超えた“何か”」が引き起こす薄気味悪さが描かれているような。「始まりと大惨事 ―実話―」は、赤ちゃんの健康を気遣う母親の必死な様子に哀れを誘われる。が、その赤ちゃんが誰であるかがわかると、誰しもがその先に自分はどんな感情を抱くべきか一瞬考えてしまうのではないだろうか。そして結局答えは出ないまま、ダールは読者を置き去りにするかのようにさっと物語の幕を下ろすのである。

 「勝者エドワード」や「豚」は、前者では「猫に転生した(と主人公が確信しているフランツ・リスト」に、後者では文字通り未知の世界に飛び込んだ少年に、それぞれその先どんな展開が待っているのかと一種ワクワクするような期待感を持たせておきながら……これである。うわあ。
 キジの密漁で一儲けしようとする人々の一幕「世界チャンピオン」は、これもひっくり返しという意味では前2作品に近い流れかもしれない。「牧師の愉しみ」にも近い喜劇性もあるかな。

 ……と、ほとんど予備知識のない状態で読んでみたが、なんつう意地の悪い物語ばかりなのか……(笑)。人が悪いというより、底意地が悪いという印象。それを十分に面白いと感じてしまう自分も大概だと思うが、訳者あとがきにあるように「人間の業を肯定も否定もせず」に書くと、こうなるのかもしれないなあ。

「プリズン・ブック・クラブ ―コリンズ・ベイ刑務所読書会の一年」(著:アン・ウォームズリー/訳:向井 和美)

2017-10-18 22:45:16 | 【書物】1点集中型
 受刑者たちが本をどう読み、何を語るのかに対する興味から読んでみた。友人が主宰する刑務所での読書会に、ボランティアとして参加する著者の視点から書かれている。時折、著者自身の犯罪被害経験からのPTSDの話も絡められるので、個人的にはノンフィクションというより自伝的なルポのようにも感じた。
 犯罪者である受刑者たちと一つ部屋の中にいることは、犯罪の被害に遭った経験の有無にかかわらず多少なりとも不安や恐れを感じることではあるだろうから、刑務所の中でふと1人で行動するときに感じた著者の気持ちは理解できる。それが少しずつ、読書会に参加する受刑者の顔を見て安心すらできるようにもなる。同じ本を読み、思いを語り合い、時に衝突しながら受け止め合うことの繰り返しは、確かに人としての交流を深めることそのものだ。人と語り合うことで新たな発見をし、自分の考えを確認することにもなるのが良くわかる。そうした経過を追っていく話であるので、そこに紹介されている本を読んだ人がどのように感じたかを知ることによって、あるいはその感覚を自分も体験してみたくて読んでみたくなる本も出てくる。

 「またの名をグレイス」はこの環境で語るには最適の本かもしれない。気になるのは「サラエボのチェリスト」かな。そういえば「怒りの葡萄」はずっと頭の片隅にはあるけど読んでいない本だ。「刑務所図書館の人びと――ハーバードを出て司書になった男の話」や「ありふれた嵐」も面白そう。
 「ただおもしろいだけの小説にはもう興味がない。著者がなにを考えてるか、どんな言葉を使ってるか、どんな語り口で表現してるかを知りたい」という受刑者の言葉がある。外界と遮断された生活を送るからこそ、空想の世界を旅するだけではない、そこに生身の人間の空気を感じたいという意識のようにも思えた。

 「本を読むことは、ただその世界に没頭して楽しむだけが目的ではない。わたしたち自身の人生に引き寄せて考えなければあまり意味はない」と訳者あとがきにある。ともすれば「読む」ことだけが目的化してしまうことはよくある。たとえばこのように書き留めていても、その書き留めたものを見返して思い出せることはほんの僅かだったりすることも多々ある。
 けれど読書会に参加した面々は、確かにその活動を通して自分を見つめ、他人を見つめ、人の生きる世界に思いを馳せることができる。出所した人、未だ刑に服している人、誰しもが順風満帆に暮らしていけているわけではないけれども、自分の人生に少しでも支えや柱になる指針のようなものを得ているように思う。自分も、せっかく読むのならそうやって自分自身に残るものを見つけないとなぁ、とあらためて思った。なかなかできてないけど。

 それにしても、刑務所の読書会をあちこちに広げていくキャロルの行動力は本当にすごい。キャロルの姿を見たからこそ、別の刑務所でも読書会をやっていきたいと思う受刑者がいたのだろうな。

「傷だらけのカミーユ」(著:ピエール・ルメートル/訳:橘 明美)

2017-10-10 21:49:23 | 【書物】1点集中型
 カミーユ・ヴェルーヴェン警部3部作の完結編。なのだが、いきなりアルマンを失うという衝撃……っていや本当は今回の本題になる事件が最初に描かれるんだけれども、それにしたってカミーユに泣かせるプレゼントをした前作からの流れでそんな話なもんで。
 強盗を目撃してしまったことから瀕死の重傷を負った被害者が、5年を経て未だイレーヌを喪った痛みの癒えないカミーユが、癒えないながらも愛することができているアンヌであったという皮肉。もう、一体どれだけカミーユを不幸にすればいいのかという。

 そんな中でカミーユの現場に残されているといえばもはやルイだけ。……なのだが、今回はさまざまな要因から物理的にも心理的にも孤立した状態で捜査に臨まざるを得ない。しかも、それをカミーユ自身が招いた形で。前2作までは「ヴェルーヴェン班」のチームワークが見える形で捜査が進んでいたと思うが、それができないところがこの事件の肝になっている。
 カミーユがそれでもなんとか一つ一つ意図を手繰り寄せていく姿や、クライマックスの3日目の畳みかけはさすがの展開。物語がアンヌの一人称の語りと犯人の語りを交えて組み立てられているのが、ちょっと煙幕を張られている感じでもあるかも。

 事件についてはあんまりくどくど述べても仕方ないので省くが、やっぱり真骨頂は犯人との対面のシーン。カミーユってばなんてハードボイルドなんだ。そして犯人がねぇ……どうしようもないんだけど、カミーユへの感情がねぇ……なんかもうほんと出来の悪い息子状態でやるせないし、そのやるせなさがこの3部作の味なんだろうなぁ。ラストシーンの情景も素晴らしい。もう全部話はわかっているのにこの余韻を味わうために読み返してもいいぐらい。
 しかしカミーユの人生このまんまじゃあんまり切ないなので、いつか本当にルイを養子に迎えられたらいいのに。とか空想しながら3部作を読了することにする。まあ、養子になんぞならなくてもルイはつかず離れずカミーユを見守ってくれそうな気はするけど。(笑)