オーウェル「一九八四年」と並び称されるディストピア小説、と言われて興味が湧かないわけがない、ということで借りる。←やっぱり買わないのか(笑)←本屋で見た光○社の新訳文庫のお値段が……
それはそれとして、見事に絶対的に階級化された社会構造でありつつ、もともとその階級にしか適応しない人間を「作る」ことによって、逆説的に全ての人間が結果として幸福をもたらされるようなシステムができ上がっている世界。消費の動機となる欲望さえも「条件づけ」によってコントロールされ、副作用のない麻薬によって好きなときに充分な幸福感を得ることもできる。不幸だと感じる隙は、どこにもない世界。
社会を「平穏に」動かすためだけの役割を淡々と、何の疑問も抱くことなく、まさに歯車が規則正しく回るようにこなす生活。その世界で「正常」な人間であればあるだけ、考える意思ももたないように見える。果たして、それならその存在は本当に「人間」である必要があるのか。
「万人の幸福が社会の車輪を持続的に回していく。真理や美にそんな力はない」「幸福にも代価がある」――モンドの言葉はそれだけを切り取れば嘘ではない。モンド自身は、自分の幸福を捨てて社会の幸福に奉仕する道を選んだ。人間への害悪や悩みの種となるものをすべて根絶した社会を維持することに対して奉仕する道を。
幸福とは結局何なのか。不幸を知らないことは本当に幸福なのか? しかし、誰も傷つかずにすむなら、本当はそれに越したことはないのではないか?
モンドと、おそらく読者の立場を代弁してもいるのであろうジョンとの会話の噛み合わなさを見るにつけ、モンドの理論に破綻がないことにぞっとして、そしてジョンがモンドを論破する手立てを見つけられなかったことに対して、さらに薄ら寒さを感じるのである。
具体的なイメージとして近いのは伊藤計劃「ハーモニー」の世界。「著者による新版への前書き」の「効率性と安定性が追求される中で専制的福祉国家へと発達するユートピア」なんて、まさに。伊藤氏もやはりこの作品を読んでいたのかなぁ。そして伊藤氏なりの「専制的福祉国家」が、かの作品の舞台として描かれた……なんて、いろいろ想像は膨らむ。(笑)
それはそれとして、見事に絶対的に階級化された社会構造でありつつ、もともとその階級にしか適応しない人間を「作る」ことによって、逆説的に全ての人間が結果として幸福をもたらされるようなシステムができ上がっている世界。消費の動機となる欲望さえも「条件づけ」によってコントロールされ、副作用のない麻薬によって好きなときに充分な幸福感を得ることもできる。不幸だと感じる隙は、どこにもない世界。
社会を「平穏に」動かすためだけの役割を淡々と、何の疑問も抱くことなく、まさに歯車が規則正しく回るようにこなす生活。その世界で「正常」な人間であればあるだけ、考える意思ももたないように見える。果たして、それならその存在は本当に「人間」である必要があるのか。
「万人の幸福が社会の車輪を持続的に回していく。真理や美にそんな力はない」「幸福にも代価がある」――モンドの言葉はそれだけを切り取れば嘘ではない。モンド自身は、自分の幸福を捨てて社会の幸福に奉仕する道を選んだ。人間への害悪や悩みの種となるものをすべて根絶した社会を維持することに対して奉仕する道を。
幸福とは結局何なのか。不幸を知らないことは本当に幸福なのか? しかし、誰も傷つかずにすむなら、本当はそれに越したことはないのではないか?
モンドと、おそらく読者の立場を代弁してもいるのであろうジョンとの会話の噛み合わなさを見るにつけ、モンドの理論に破綻がないことにぞっとして、そしてジョンがモンドを論破する手立てを見つけられなかったことに対して、さらに薄ら寒さを感じるのである。
具体的なイメージとして近いのは伊藤計劃「ハーモニー」の世界。「著者による新版への前書き」の「効率性と安定性が追求される中で専制的福祉国家へと発達するユートピア」なんて、まさに。伊藤氏もやはりこの作品を読んでいたのかなぁ。そして伊藤氏なりの「専制的福祉国家」が、かの作品の舞台として描かれた……なんて、いろいろ想像は膨らむ。(笑)