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或る大阪近鉄バファローズファンの
偏愛と放浪の記録

「土の記(上)(下)」(著:髙村 薫)

2018-06-10 23:34:25 | 【書物】1点集中型
 久々の髙村薫もの。あまりにも大きな存在である合田シリーズから一転した前作から今作もまた一転。都会の喧騒から大きく離れた世界という舞台は近しいけど、コメディ要素は全くなし。奈良の片田舎でひとり米を育てる男やもめの日常と、その裏に静かに張りつく亡くなった妻への情と不確かな疑惑。人はそれぞれの日常に没頭しながら、何かを記憶の底に沈めて、時に何気なく浮かび上がってくるそれに困惑したり懐かしんだりする。主人公が農業をしていることと年齢のせいか、レディ・ジョーカーの結びのシーンも思い出した。
 刑事もののような派手な事件はないけど、一つの交通事故が物語のキーにはなっている。それ自体に事件性は全くなかったものの、しかしその背景にあったかもしれない男女の心情については、被害者である主人公の妻も、加害者もすでに亡い以上、誰も知ることができない、永遠に解決できない謎である。その謎と、農業を営む人間の日常の一つ一つが淡々と、かつ丹念に描き出される様子の交錯は、やっぱり高村ワールドだ。仏教のイメージもなんとなく感じさせられるなあと思う。

 米や茶の木を育てるための作業が本当に事細かに、それを知って何になるのかと思わされるほど緻密に描かれている。主人公のを目を通して、自分も稲の苗や茶の葉の様子を目の前に見ているような気になるくらいのリアリティ。思えばその昔、銃の分解や旋盤の作業もこんな感じで表現されていたなぁ。
 そういう、目に見えてわかる現実とから先を経験に基づいて予測する、いわゆる職業人としての視点と、個人として集落の中でどう身を処し、疎遠だった家族とどう向き合い、隣人たちに起きるできごとにどう関わっていくのか。人が生きる、暮らすということのすべてが描かれている。なんというか、もはや純文学だ。

 最終的に主人公は、疑問のままにし続けることで結論を避けてきた妻の事故の裏にあったであろう不義をはっきりと結論づけた。でもそれも生きる中の一つ。失意や諦念も日常が呑み込む。そして、実りを示しだす稲穂を見つめる。それは救いの一つではあるかもしれない。
 そうしてこのまま名もなき「にわか農夫」の物語を平穏無事に語り終えるのか、と思ったらそういうオチでしたか。最後の最後まで、米と茶と、少しの野菜と、ものを作り暮らす日々の一つ一つが非常に緻密なだけに、最後の1行の生む反動は大きい。この無常感はまさに高村薫だなと納得した。

 そういえば「とまれ、」「否、」今回も多かったけど前回ほど気にならなかったのは何故だろう(笑)


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