実は今までひとつも読んでなかったことに今さらのように気づいた安部公房作品。と言いつつ、なぜ今さらそれに気づいたかすらも覚えてないんだけど(笑)。
読んでみると、全体の印象として谷崎潤一郎「鍵」みたいな陰にこもった生々しさがあるなぁと思う。ものすごく時の流れが遅くて、重くて、主人公の「男」がどうにかして砂に埋まる「女」の家から脱出しようとさまざまに試み、しかし悉く無に帰するその様が、読みながらまるで自分も砂に埋まっていくような感覚にとらわれる。
一見、風に巻き上げられて飛び散るばかりの乾いた砂が、実は手に負えない湿度を孕むものであること。それは、(自分の)常識はどこでも通用すると当たり前のように思い込んだ「男」を閉じ込めたの、表と裏の顔を示すもののようにも思える。
自分の世界は、自分の手が届くところだけで完結させられる。「女」は、その世界の外に出る必要を感じない。慣れ親しんだ自分の世界が今や自分の手の届かぬものになってしまったことと、不自由の極みである「女」の家がもはや自分の世界のすべてとなってしまったことに抵抗しながら、それでも「男」には、いつか脱出するためにそこで生きていくしか選択肢がない。しかも、ある程度はその運命に従順な素振りを見せながら、である。
そしてその「素振り」は、時が経つにつれてだんだんと自然のものに変わっていく。自分と元の世界を繋ぐ新聞の存在も忘れてしまうほどに。しかし、ふと脱出への光明が見える一瞬、「男」は元の世界を思い出す。揺れ動く「男」の意識こそが、流れる砂のよう。
ただひっそりと、おとなしく「男」に尽くすだけに見えた「女」が、男がその家での生活を(脱出のために)ある程度受け容れたと思われたころ、「男」に投げつけた、の外の他人のことなんかどうだってかまわないだろう、という言葉。をこの苛酷な環境へ取り残した外の世界に対しての憤りを知ったとき、そしてそれを理解し、納得したそのときに、「男」の内面は決定的に変わったのかもしれない。
誰も見張る者がいないのに、掛けられたままの縄梯子。誰も追ってきてくれないのなら、もはや「男」にとって逃げる意味はなくなっている。「いつでもできる」と思うと、人間は却ってやらないものである。火事場の馬鹿力というやつは、後がないからこそ生まれるものなのだ。
そして結局、自由とは何なのか。逃げることの自由、留まることの自由。逃げた先に何があるのか、何もないのか。世界は外にあるのか、内にあるのか。囚われて1年経たぬうちの縄梯子「男」が縄梯子に手を掛けなかったことが、遂に7年の歳月をそこで過ごさせることになる。あれほど「男」が欲した縄梯子こそが、「男」の元の世界を「外」の世界と変えた。そのパラドックスに慄然とする。
読んでみると、全体の印象として谷崎潤一郎「鍵」みたいな陰にこもった生々しさがあるなぁと思う。ものすごく時の流れが遅くて、重くて、主人公の「男」がどうにかして砂に埋まる「女」の家から脱出しようとさまざまに試み、しかし悉く無に帰するその様が、読みながらまるで自分も砂に埋まっていくような感覚にとらわれる。
一見、風に巻き上げられて飛び散るばかりの乾いた砂が、実は手に負えない湿度を孕むものであること。それは、(自分の)常識はどこでも通用すると当たり前のように思い込んだ「男」を閉じ込めたの、表と裏の顔を示すもののようにも思える。
自分の世界は、自分の手が届くところだけで完結させられる。「女」は、その世界の外に出る必要を感じない。慣れ親しんだ自分の世界が今や自分の手の届かぬものになってしまったことと、不自由の極みである「女」の家がもはや自分の世界のすべてとなってしまったことに抵抗しながら、それでも「男」には、いつか脱出するためにそこで生きていくしか選択肢がない。しかも、ある程度はその運命に従順な素振りを見せながら、である。
そしてその「素振り」は、時が経つにつれてだんだんと自然のものに変わっていく。自分と元の世界を繋ぐ新聞の存在も忘れてしまうほどに。しかし、ふと脱出への光明が見える一瞬、「男」は元の世界を思い出す。揺れ動く「男」の意識こそが、流れる砂のよう。
ただひっそりと、おとなしく「男」に尽くすだけに見えた「女」が、男がその家での生活を(脱出のために)ある程度受け容れたと思われたころ、「男」に投げつけた、の外の他人のことなんかどうだってかまわないだろう、という言葉。をこの苛酷な環境へ取り残した外の世界に対しての憤りを知ったとき、そしてそれを理解し、納得したそのときに、「男」の内面は決定的に変わったのかもしれない。
誰も見張る者がいないのに、掛けられたままの縄梯子。誰も追ってきてくれないのなら、もはや「男」にとって逃げる意味はなくなっている。「いつでもできる」と思うと、人間は却ってやらないものである。火事場の馬鹿力というやつは、後がないからこそ生まれるものなのだ。
そして結局、自由とは何なのか。逃げることの自由、留まることの自由。逃げた先に何があるのか、何もないのか。世界は外にあるのか、内にあるのか。囚われて1年経たぬうちの縄梯子「男」が縄梯子に手を掛けなかったことが、遂に7年の歳月をそこで過ごさせることになる。あれほど「男」が欲した縄梯子こそが、「男」の元の世界を「外」の世界と変えた。そのパラドックスに慄然とする。