life goes on slowly

或る大阪近鉄バファローズファンの
偏愛と放浪の記録

「砂の女」(著:安部 公房)

2013-01-28 23:25:15 | 【書物】1点集中型
 実は今までひとつも読んでなかったことに今さらのように気づいた安部公房作品。と言いつつ、なぜ今さらそれに気づいたかすらも覚えてないんだけど(笑)。

 読んでみると、全体の印象として谷崎潤一郎「鍵」みたいな陰にこもった生々しさがあるなぁと思う。ものすごく時の流れが遅くて、重くて、主人公の「男」がどうにかして砂に埋まる「女」の家から脱出しようとさまざまに試み、しかし悉く無に帰するその様が、読みながらまるで自分も砂に埋まっていくような感覚にとらわれる。
 一見、風に巻き上げられて飛び散るばかりの乾いた砂が、実は手に負えない湿度を孕むものであること。それは、(自分の)常識はどこでも通用すると当たり前のように思い込んだ「男」を閉じ込めたの、表と裏の顔を示すもののようにも思える。

 自分の世界は、自分の手が届くところだけで完結させられる。「女」は、その世界の外に出る必要を感じない。慣れ親しんだ自分の世界が今や自分の手の届かぬものになってしまったことと、不自由の極みである「女」の家がもはや自分の世界のすべてとなってしまったことに抵抗しながら、それでも「男」には、いつか脱出するためにそこで生きていくしか選択肢がない。しかも、ある程度はその運命に従順な素振りを見せながら、である。
 そしてその「素振り」は、時が経つにつれてだんだんと自然のものに変わっていく。自分と元の世界を繋ぐ新聞の存在も忘れてしまうほどに。しかし、ふと脱出への光明が見える一瞬、「男」は元の世界を思い出す。揺れ動く「男」の意識こそが、流れる砂のよう。

 ただひっそりと、おとなしく「男」に尽くすだけに見えた「女」が、男がその家での生活を(脱出のために)ある程度受け容れたと思われたころ、「男」に投げつけた、の外の他人のことなんかどうだってかまわないだろう、という言葉。をこの苛酷な環境へ取り残した外の世界に対しての憤りを知ったとき、そしてそれを理解し、納得したそのときに、「男」の内面は決定的に変わったのかもしれない。
 誰も見張る者がいないのに、掛けられたままの縄梯子。誰も追ってきてくれないのなら、もはや「男」にとって逃げる意味はなくなっている。「いつでもできる」と思うと、人間は却ってやらないものである。火事場の馬鹿力というやつは、後がないからこそ生まれるものなのだ。
 そして結局、自由とは何なのか。逃げることの自由、留まることの自由。逃げた先に何があるのか、何もないのか。世界は外にあるのか、内にあるのか。囚われて1年経たぬうちの縄梯子「男」が縄梯子に手を掛けなかったことが、遂に7年の歳月をそこで過ごさせることになる。あれほど「男」が欲した縄梯子こそが、「男」の元の世界を「外」の世界と変えた。そのパラドックスに慄然とする。

「エンプティー・チェア(上)(下)」(著:ジェフリー・ディーヴァー/訳:池田 真紀子)

2013-01-25 22:35:02 | 【書物】1点集中型
 ライムが手術を受ける! それもアメリアのために! という、冒頭いきなりの先制パンチ(笑)から始まる、シリーズ3作目。

 上巻は殺人と女性2人を誘拐した犯人と思われるギャレット少年の追跡劇。慣れない土地と不足きわまる設備で、ライムと互角と言っていいほどの頭脳戦を展開するギャレットが、土地鑑で優るとは言えお見事。
 そんなどこから見ても犯人としか思えないギャレットが、彼自身が主張するように犯人ではなかったとして、それならばそもそもなぜ事件は起きたのか? なんとかギャレットを逮捕したものの、そのへんが微妙に曖昧なので、この曖昧さがどんな展開を呼ぶのかと思いつつ、上巻を終えようとしたそのときに待っていたのは、そんな読者の疑問を代弁するかのようなアメリアが、なんと「犯人」ギャレットを連れて逃亡するという事件。

 相変わらず、前半が終わってもこの先の二転三転を予感させるライムシリーズ。まだ読者の前に切られていないカードがいきなり目の前に突きつけられる快感を期待して下巻へ突入すると、なんとまあ、次から次へとディーヴァーの仕込んだ「スズメバチ」が。
 サックスが潜んでいた敵を1人かわしたかと思えば、次はライムにまた別の敵が現れる。それを切り抜けたかと思えばまた……みたいな感じで、物語も最終盤だというのに1度や2度では終わらないどんでん返しに「まだ続くか!」と思わされた。ライムもサックスもいつものように危険に取り巻かれていたわけだが、今回はトムが無事だったのがいちばんほっとしたかもしれない(笑)。

 前作で非常にいい味を出していたローランド・ベルのキャラクターまでもが「立ってるものは親でも使え」的な感じで(笑)、ここまで徹底されると痛快である。ミステリはあまり自分で推理しないで読む方なので、これだけしつこく振り回されるくらいが娯楽としてちょうどいい(笑)気がしている。というわけで、また折を見て次回作も読む予定。

「夜行観覧車」(著:湊 かなえ)

2013-01-22 23:27:45 | 【書物】1点集中型
 「告白」がずいぶん話題になって以来、湊かなえ作品は気にはなっていたものの買う気までは起こらず、かと言って図書館で貸し出しの順番待ちするほどの気も起こらず(笑)という状態だった。が、「『夜行観覧車』買ったよ~、すぐ読めるよ~」と言う友人がいたのでこれ幸いと拝借した次第。
 読んでみると、確かにすぐ読める。一気に読んだわけではないけど、正味2時間といったところ。非常に読みやすい。

 丘の上の高級住宅地という、他者を拒む一種の閉鎖空間の中にさらに、個々の家族という閉鎖空間がある。その内の2つの家族を互いに身内の眼と外部の眼から見せるようにして、加えてオブザーバー的に傍観者がいる。「次に何が起こるのか」とか「事件は結局どうなっているのか」といったところが劇的に動く要素はないが、生活の中にある家族一人ひとりの心情の動きを細やかに描写してあって、入り込みやすいのですらすら読めるのかも。

 それぞれの思いと行動を追っていくにつれ、それぞれのいわゆる「言い分」に共感したり反発を覚えたり、読んでいるこちら側にも心情の起伏が出てくる。その中で、「黙っている啓介が何を思っているのか、考えたことがあっただろうか」という真弓のモノローグが印象に残った。ちょっとドキッとしますね。思わず、自分も「そんなことを考えたことがあっただろうか」と胸に手を当て、周りを見渡してしまう(笑)。気づけばそんな感じで物語に入り込んでいる。
 最後、週刊誌記事になった「真相」と、最終章の小島さと子の言葉。あれは、他所と距離感のあるひとつのコミュニティの中でだけ適用される「暗黙の掟」的な何かの存在を示しているということなんだろうか。乃南アサの「暗鬼」みたいな。

 あと強いて言えば、「観覧車」の印象がタイトルのわりにちょっと薄かったかな? 小島さと子の「一周まわって降りたときには、同じ景色が少し変わって見えるんじゃないか」という言葉に凝縮はされてると思うんだけど、全体的にそう何度も何度も観覧車の話題が出てきた印象はなかったので、個人的には若干浮いた感じが残った。
 とは言え、繰り返しになるけど読みやすいことは読みやすいし、人間の暗部をあぶり出すように描きつつも救いの余地を残す雰囲気は、宮部みゆき作品のイメージにも近く感じる。「告白」が実際どんな感じなのかな? という興味はまだ残ってはいるので、図書館でそんなに待たなさそうだったらそのときに読んでみようかな。

「光圀伝」(著:冲方 丁)

2013-01-20 19:35:47 | 【書物】1点集中型
 「天地明察」で春海の後援者として登場した徳川光圀の一生を、750ページの圧倒的なボリュームで。文事に明るい光圀自身から迸る言葉の洪水のような、迫力のある厚みである(笑)。
 とはいえ、読み終わってみると、もうちょっとシェイプアップできそうな気もするなぁと思わないでもなかったけど。どこがと言われると難しいが、たぶん光圀の人生にいろんな山がありすぎて(笑)その山の中で突出するところがないから、ずっと同じテンションで読み続けることになってたんだろうな。

 それでも、相変わらずぐいぐい引っぱってくれるストーリーではあるので、読み進めやすい。竹兄、泰姫、読耕斎、左近と、それぞれのキャラクター自体はとても立ってるし。とにかく、光圀の周りでたくさんの人が亡くなっていくなぁ……という感じ。ただそれは逆に、光圀がそれだけたくさんの人々と交わってきたからでもある。
 光圀の至上とした「義」と、紋太夫が光圀に捧げたいと願った「義」とは、結果として重なり得ぬものになってしまった。紋太夫はそれを知りながら、そうせずにはいられなかった。でもその心情だけは、光圀が受け止めてくれると信じていたのではないか。光圀が最後に紋太夫に囁いたその一言は、紋太夫の心情を否定するのではなく、受け容れた証だったのではないか。

 個人的にひとつ残念なのが、文体や会話文の雰囲気。「天地明察」のときはあまりそんな印象はなかったんだけど、今回はちょっと現代っぽくしすぎかな~という感がなきにしもあらず。もしかしたら、物語の中心が市井ではなく武家社会で動いていくから余計そういう感じがしたのかな? ただ、時代小説で、さすがに「うざい」はないだろうと思う。「そらで暗記している」も違和感あるし、これはちょっと言い過ぎかもしれないけどカタカナの「ネズミ」も……。
 「マルドゥック・スクランブル」では言葉遊びのテンポが面白かったので、敢えて使ってるのかなぁとも思ったけど。でもやっぱり、「うざい」の一言で時代のリアリティが一気に失せる感じがしたので、それだけはちょっと勘弁してほしかったな。

 水戸家が受け継がれていく中でついに実現された大政奉還は、物語中で紋太夫がめざしたものだ。こうして創作と史実のリンクが現れたとき、ふと歴史をあらためて振り返りたくなるし、自分の歴史観を問い直したくもなる。そして、そこには光圀の残した史書がある。その意味では、知的好奇心を刺激してくれる物語でもあると思う。

「月は無慈悲な夜の女王」(著:ロバート・A・ハインライン/訳:矢野 徹)

2013-01-14 01:53:34 | 【書物】1点集中型
 「宇宙の戦士」を読んだときに「好みのSFとはちょっと違うかなぁ」と思ったものの、1作だけで判断するのも何なので、「夏への扉」と迷って結局タイトルが好きなこっちにした。ページ数確認してなくて、いざ図書館から回ってきたら思ったより分厚かった(約680ページ)というオチが(笑)。

 地球からの流刑地であり植民地となった月に生きる人々が、自分たちから搾取し放題の地球に反旗を翻し……という物語。SFらしく、自意識を持つコンピュータを強力な相棒とした義手のエンジニアを主人公として話は進む。このコンピュータ、主人公マヌエルがマイクロフト(・ホームズ)のマイクと名づけているのだが、そのマヌエルとマイクのやりとりがなんだか「ナイトライダー」みたいで懐かしい!(笑)
 ロシア語がわりと頻繁に出てくるのと、ストーリー上当然だが「革命」「同志(タワリシチ)」「細胞」なんていう言葉を見ると、かつてのソ連の社会主義運動的なところを彷彿とさせて気持ち的に若干微妙なところはあるが、1965年の作品だと思えば納得はできる。それに「宇宙の戦士」ほど強固に押してくる感じでもないし、なんといっても「圧政からの脱出をめざす」という命題そのものは感情移入しやすい。星間戦争を起こせるような軍事力を持たずに、相手(地球)と対等な関係を築くための、一種ハッタリとも言える作戦を進めていくところは、痛快でもある。

 「タンスターフル」――無料の昼飯などというものはない――というこの月世界での常識は、地球とは比べものにならない苛酷な環境の為せる業か、住人たちの(地球の一般常識からすれば)多少アウトローとも言える社会のなりたちを端的に表してもいる。象徴的なのは、子孫を残すために数少ない女性たちを守らなければならず、そのためのルールが意外に徹底されていることと、部族結婚や家系型結婚といった独自のシステム。
 月世界は生存環境として快適とは言いがたいがゆえに、命を次代に繋いでいくことに必死なのだ。その意味で、月の人々は精神的には非常に自立した存在として描かれていると思う。だから、地球は月の働きに対してそれ相応の対価を支払うべきである→が、今のままでは地球は月を対等と見做すことはない→では、月がやってやれないことはないという点を見せつけるしかない! という「革命」になっていったのだろう。「革命」そのものが「タンスターフル」なのだ。

 マイクが再びマヌエルと心を通わせることがあるのかどうかはわからない。でも、別れを受け容れたように見えるマヌエルの独白は、寂寥を感じさせつつも微笑を呼び起こし、人の命が連綿と繋がっていくことを示すハッピーエンドである。