life goes on slowly

或る大阪近鉄バファローズファンの
偏愛と放浪の記録

「アヘン王国潜入記」(著:高野 秀行)

2012-10-27 22:30:33 | 【書物】1点集中型
 タイトルそのまま、著者がアヘン生産を基幹産業とするビルマ(文中に倣う)・ワ州へまさに突撃ルポを行った、というもの。
 「有史以来、いかなる国家の管轄下にもあたことがない」というワ州は、文字通り「陸の孤島」とも言えるだろう。単に現地に潜入するだけでも並大抵ではない場所なのに、著者はあろうことか現地に住み込みアヘン作りのすべてを体験し、さらに麻薬としてのアヘンも体験、挙句の果てには(あるいは当然かもしれないが)アヘン中毒の体験まで、まさにアヘン体験フルコースを消化することになる。
 現地周辺の政治向きの話、アヘンの歴史とワ州とのかかわりなど、周辺材料もきっちり踏まえて書かれてある。なので、アヘンという大きな要因からひとつの社会が形成される過程も、アヘン作りの実際も、アヘンを吸うという行為の実際(正直、意外と手間がかかるものなんだなーと思った)も見えるし、いろんな意味で目から鱗。

 プロローグで著者は「アヘン王国」ワ州を「善悪の彼岸」と言ったが、その言葉の意味が、現地に入る前と入った後(=アヘンを作るようになってから)で変化しているのがわかる。というか、ぼんやりとしか見えなかったものが形をとるようになったという感じだろうか。エピローグの「何かがおかしい。決定的におかしい。話の大前提が間違っているのだ」という言葉にすべてが集約されている。
 現地の人々にとってのアヘン作りは、個別の意義としては日本の農家におけるコメ作りと大差ない。問題は、「この世の常識では、いかなる国や地域もアヘンを基幹産業にしてはいけない」にもかかわらず、それ(基幹生産物)がアヘンでなければならないという状況そのものだ。
 しかし、この本に書かれてある状況のように、人々が外の世界を知ることなく、アヘン作りによって過不足なく暮らせる状況が続く限り、劇的な変化が訪れるとは考えにくい。人々を無知のままにさせておけば、利益を吸い上げる側が潤い続けることができるのである。人々は、知らず知らずのうちに、他の誰かを栄えさせるための「犠牲」となっている。そのことに、ワ州の人々が気づき、新たな思いを抱く日は来るのだろうか。

「美しい星」(著:三島 由紀夫)

2012-10-23 22:58:25 | 【書物】1点集中型
 核とか放射能とか、キーワード的な部分からだと思うんだけど本屋で面出しされていて、久しく読んでない(けど基本的には好きな)三島作品だしと思って借りてみた。
 あらすじに「SF的技法を駆使して」とあったので、三島のSFってどんな感じだろうと思って読み始めたが、終わってみたらSFじゃなくて見事に「三島」だった。

 自らを地球外の惑星から来た「宇宙人」だと認識する大杉一家が、地球の人間たちを愛し、破滅から救わんと欲する。一家の娘・暁子が出会う、自分も宇宙人だと名乗る青年。さらには人間を滅ぼさんとする「宇宙人」羽黒真澄一派の登場。
 大杉一家の家長・重一郎と羽黒一派の対決は、議論のようで平行線。でも壮絶なまでの緊迫感。欠点だらけの人間。平和の本質。紙一重にある平和と終末。「生きていること自体の絶望」。しかしそれでも人間が持っていると重一郎が信じる「美しい気まぐれ」
 絶望し、ついには地球を後にすることになっても、それでも穏やかな心で、彼らは人間の未来を信じている。そこには、三島が文章として紡ぎ続けていた「美」が、ひとつの思想という形をとって語られているように思われる。

 暁子の「処女懐胎」が事実としてどうだったのかも実際には明らかにならないし、「宇宙人」の根拠も普通に考えれば非常に薄弱なんだけれども、読んでると問題はそんなところにはないのだということがすごくよくわかる。「SF的技法」は確かに存在するけれども、SFとしてのリアリティなど問題にならないということが、問答無用で納得できるのである。それが、前述のように「SFじゃなくて『三島』だ」と感じた所以である。
 その意味で、解説がこれまたいちいち頷ける内容だった。読みながらなんとなく感じたことを全部まとめてもらった感じ。なるほどね、ドストエフスキー。うん。そう言われると、納得ついでにまた「罪と罰」あたり読み返そうかなという気になってしまう。(笑)

「E=mc^2――世界一有名な方程式の『伝記』」(著:デイヴィッド・ボダニス)

2012-10-21 23:31:40 | 【書物】1点集中型
 訳は伊藤 文英、高橋 知子、吉田 三知世の3氏による(エントリタイトルの文字制限に引っかかって入らなかった)。

 タイトルの通り、「E=mc^2」つまり「質量はエネルギーと等価である」という式を巡る歴史の物語。記号を含めてたったの5文字でしかないこの式の、その文字一つひとつの成り立ちから始まり、この式を導き出すアインシュタイン、そしてマンハッタン計画を巡る米独の攻防、さらには太陽、その先の宇宙まで――と、「E=mc^2」の影響が及ぶ最大規模のところまで余すところなく語られている。物理学に関する話もとても平易に書かれてあり、文系でも大丈夫(笑)。
 科学が進歩する限り、原子核と「E=mc^2」の結びつきに、科学者はどうしたって気づかないわけにはいかなかっただろう。「ドイツには原爆が作れないとわかっていたら……」というアインシュタインの述懐はだから、彼が本来、踏み越えてはならない一線を踏み越えるつもりでは毛頭なかったことを明確に示している。

 これも含めて、解説・池内氏の「科学の知見が未来を左右しかねない現代にあって、科学が社会にどのように使われる(使われそう)かを見定め、それによる効能と弊害を真摯に判断し、必要な場合には警告を発する、そのような科学者であるべきではないだろうか」という意見は、非常に当を得ているものだと思う。科学は諸刃の剣になる可能性も孕んでいるということを、恐れるだけでは進歩はない。だが、忘れてもいけない。アインシュタインはまさにその視点を持ったがゆえにアメリカ政府に進言をしたのだし、その結果に対して終生、悔恨を抱くことになったのであろうから。

 ひとつの式を丁寧に紐解くことで生み出された、多種多様の物語。読み終えてしまうのがもったいないなーと思える面白さだった。「サイモン・シン絶賛!」の煽り文句(by早川書房)もうなずける。人物解説や文献など巻末附録も充実していて、特に文献の説明を読んでいくると、ここからまた新しく、読んでみたいと思ったものがいくつか出てきた(もちろん、自分で読めるのは邦訳されているものに限るが……)。「注」の15章最後の一文でチェルノブイリに触れてあるのが、今となっては切ないけど……単行本は2005年に出たものだから、仕方ないんだけども。
 それにしても、やっぱハヤカワの科学系シリーズ好きだなぁ。次はどれを読もうかなぁ。

「神去なあなあ日常」(著:三浦 しをん)

2012-10-18 23:41:22 | 【書物】1点集中型
 いつでも読めると思って、却っていつまで経っても手を出さない作家さんは数多いが(笑)、三浦しをん作品もそのひとつかもしれない。結局今のところ「風が強く吹いている」しか読んでいないのだ……(でもこの作品は大好きである。収納の都合上文庫を待ったが、表紙は単行本の方が断然好き)。「舟を編む」もいつか必ず読みたいもののひとつなんだけど、図書館は膨大な待ち人数だし、文庫になったら買って読みます。だからまだだいぶ先(笑)。
 それがなぜ今回あっさり手に取ったかと言えば、表紙が気に入ったから(笑)。あと、徳間文庫だというだけで、意味もなくなんかいつもと違う感じがしたので。←?

 自然とじかに向き合うことになる第一次産業のうち、農業や漁業に比べると表に出てきにくいと思われる林業を題材にしているところが三浦氏らしい。ただ、帯に「お仕事小説」とは書いてあるんだけど、解説の角幡氏曰く「単なる林業小説とは思えなかった」と。これには同感。
 確かに、山を守り、育てていく仕事の実際は、こうして知ることがなければ全く想像もつかない。その意味では「仕事」を描いていることは事実なので、「お仕事小説」と言えばその通りだが、この物語の本質はそういったことの啓蒙だけにあるのではないと思う(もちろん、三浦氏の作品がそういう「押しつけ」の雰囲気とは縁遠いから、というのもあるが)。

 というのも、なんせタイトルが「神去なあなあ日常」である。ここに描かれているのは「日常」なのだ。「神去村」という日本のどこかの山村にあるローカルな暮らしだったり、自然への敬意のかたちだったり。だから林業は主題でもありながら、村の日常を描く道具の一つでもある。
 そこそこの都会でモノに囲まれた生活からは違う次元にありながら、でもふと出会うとそれが科学的だろうが非科学的であろうが「そういうこともある」と納得できるようなものが、人が生きている場所には必ずある。と、言うなればそんなようなことなんじゃないかなーと。つまり、都会育ちの主人公・勇気の目はそのまま、物語を読む自分の視点でもあるわけだ。
 来月、続編も刊行予定とのことなので、それは今度こそ図書館で押さえておきたいところである。つーか「舟を編む」は早く文庫におりてくれないものか(笑)。

「日本全国津々うりゃうりゃ」(著:宮田 珠己)

2012-10-15 23:25:45 | 【書物】1点集中型
 ステープルドン読んで相当消耗したので(笑)、リハビリもかねてタマキング新刊。つっても半年経ってるか。←気づくのが遅いので……

 日本各地を駆け巡る(?)相も変わらずのタマキング節。特に、私の中では「ふざけてはいけない。」はタマキングの決め台詞のひとつなので、これが出てくるととても安心する(笑)。今回はお目付け役のテレメンテイコ女史も登場するので、時折どつき漫才みたいな雰囲気にもなる。
 しかし、タマキングの変なものレーダーにかかると、観光がまるで観光でなくなるような、ていうか観光とかどうでもいいから目の前の変なものを見逃すな、みたいな怪しい気分に……。今回も、時々ぷぷっと吹き出す(のを地下鉄車中で堪えねばならない)微妙なナンセンスがたまらなかった(笑)。

 なんか、全体的には旅行記というよりタマキングの視点を楽しむ本って感じかも。旅なのか石なのか海の生物なのか。それくらいなら旅先に向かった目的として説明はつくのだが、最後に至っては全然旅ちゃうかったし。思い出やし。(笑)
 あ、タマキングのイラストはけっこう好きです。特に五色園のコンクリ製人形。と、天草(笑)。あと、八幡渦はこれ読んで見てみたくなったなー。

 そういえば桃太郎神社、犬山城のついでに行ったような気がする。確かに、まるでジョークとしか思えない神社で、相当シュールだったことは記憶にあるぞ(笑)。製作者が同じという五色園の人形もあんな感じなのか……。

「最後にして最初の人類」(著:オラフ・ステープルドン/訳:浜口 稔)

2012-10-12 22:25:31 | 【書物】1点集中型
 読みたい本リスト(というかいつか読むぞリスト)に入れてから相当経ってやっと手を出したので、もはや何つながりで読もうと思った作品なのか完全に忘れ去っている(笑)。多分、例によってクラークつながりだと思うのだが……(事実、クラークはステープルドンの影響も受けているということだし)

 「20億年に及ぶ人類の未来史」と、一言で言ってしまえばその通りなのだが、それを実際に綴るとなると文字通り途轍もないスケールの、壮大すぎて抱えきれない話になる。それがこの作品で、読み終えてみれば「はしがき――イギリス版によせて」にあるように、まさに「神話創造のこころみ」である。
 それにしても驚くべきはこれが1930年の作品だということで……もう80年も前だし、あろうことかいわゆる戦前の作品である。なので、冒頭のヨーロッパから中国、アメリカが主軸になっている部分が興味深かったりもする。

 とはいえ、「訳者あとがき」にあるように、著者の目的は予言より神話創造にあったわけだから、現代に引き比べてみてもたいして意味はない。問題は、ここに描かれる20億年という途方もない時間の中で、現代(=2000年代)の<第一期人類>から「最後の人類」たる<第十八期人類>まで、「人類」というもの(あえて種とは言わない)がどう進化し、衰退し、変化していったのかである。
 単なる地球人類興亡史ではなくて、地球を出て行く人類、環境への適応のために形を変えていく人類、変貌する太陽系、それらが齟齬なく組み立てられた生態系の上で描かれていくので、相当リアル。タイムスケールがあまりにもでかいもんだから、随所100万年単位どころか1億年単位で時間がすっ飛ばされるが、とにかく話がでかいので、最初こそ「え? そんないきなり飛ぶの?」と思ったけどだんだん気にならなくなる(笑)。

 まあ、正直なところを言ってしまうと、このあまりにも壮大で長大な宇宙史を読み進めるだけでぐったりしてしまって(笑)、内容を完全に咀嚼できたとはとても言いがたい。が、「神話創造」という意図には納得できるものがある。人類はやがて滅びるが、「最後の子ども」が紡ぐ言葉は、そこまでの歴史を綿々と綴ってきた人間そのものへの愛に満ちている。
 過去と交信することが可能となった人類の、過去へのメッセージ。それがこの物語である。未来は変わらなくても、過去は永遠を通して未来と繋がっている。人類が滅びても、その過去にこの物語が残るように。

「新しい生物学の教科書」(著:池田 清彦)

2012-10-11 23:10:36 | 【書物】1点集中型
 完全文系の自分でも、物理系の本もものによっては楽しく読めることが最近わかってきたので、じゃあ今度は生物もということでトライした。表紙のクラゲがけっこうステキ。

 「現代生物学の最先端を手っ取り早く知りたい」人にはお勧めであるという著者の言葉には、当然というべきか「生物学の知識をある程度お持ちで」という前提があるので、高校での生物の内容なんて(もしかしたら中学理科ですらも)ほとんど忘れてしまっている私には、やっぱり2日で理解するのは無理であった(笑)。
 かように、自分のようなど素人にとっては決して簡単な内容ではないんだけど、でも全くちんぷんかんぷんかと言えばそうでもない。そもそも高校の検定教科書の記述を現代生物学の知見を踏まえて検証するという形なので(だから、これなら頑張ってでも読めるかもと思ったわけだし)、「こんな話あったかも」くらいのイメージならなんとなく浮かぶようなネタが多い。各章の「まとめ」はむしろ本文よりわかりやすい気がするので、「まとめ」を読んでから各章本文に戻って読むのも良いかも。

 ひとりの研究者が個人の研究の成果としての論文なり著書なりをものするのと違って、検定教科書ってやっぱり「大人の事情」が相当絡んでしまうんだろうなーとは思う。生物に限らず。
 ただ、教科書を使って児童生徒が何をするかと言えば、この段階(高校まで)では学問というより学習だと思う。だから「間違った知識をつけさせるわけにいかない」という配慮から生まれるものだとすればそういう、ある意味当たり障りのない、専門家から見て主張が若干ぼやけている部分が出てくるのも致し方ない部分はあるのかもしれない。

 まあ、著者が疑問視する点は、検定教科書が「間違っていても誰も責任を取らない制度」に則って作成されているという現実の方なので、責任を取れないようなものを作って教えたってしょうがないんじゃないのか、ということなんだろう。例の領土の話なんかも、よその国は(正当性はともかく)主張そのものは国の見解として教育に取り込んでいる形になっているようではあるし。それを鵜呑みにするか、その一歩先に自ら踏み込んで、多角的な情報を得ようとする学問を行うかは、個々人の話だけど。

 「学校」という場から遠ざかって久しい今だからこそ、教科書に書かれた内容をそのまま頭に入れるのではない読み方もできる。というか、それができるようになってなかったら、学問する意味はないんじゃないかと思う。本書は、そういう考え方が形になったものと言えるような気がする。
 自然科学は嫌いな世界ではないので、もっと理解できると面白いことにいっぱい出会えると思う。これよりさらに生物学初心者向けの本が見つけられたら、ぜひ読みたい……。

「続・反社会学講座」(著:パオロ・マッツァリーノ)

2012-10-10 22:32:43 | 【書物】1点集中型
 勢いで、前作から続けて読んでみる。ネタ数は前作の半分になったので、もうちょっといろんな話題が欲しいな~とも思ったけど、今度は社会学のみならず経済学にもツッコミが入り、トリビア的「武士道」ネタが開陳され、最後はコント……コントなのか? これ。ギャグ短編じゃないのか。とか思ったけど、ジャンルはどうでもいいか。ってな具合に、バラエティには富んでいる。

 ひとつのお題を支える「根拠」とされるものをひとつずつ検証して、そのお題にある別の側面からの現実を明らかにする。この著者の手際、手品の種明かしのようでもある。
 たとえば、GDPってだから結局なんなのさ? みたいな、普段からどうにもこうにも数字見てもなじむことができない話にしても、「市場価値」というお約束やら地下経済やら、GDPを支えるお約束(笑)の数々を知れば、このGDPが生活に直結してる感がなかなか出ないのもわかる気がする。「知らないことを調べることを、学問といいます」。これ金言だなぁと思った次第。

 それにしても、「住宅問題と労働問題は、分けて考えることはできない」って実際その通りで、労働者としてはけっこう実感できるところなのだが、政治する側はわかってないというか、わかっていつつも見て見ぬフリをしているというか……。

「反社会学講座」(著:パオロ・マッツァリーノ)

2012-10-02 21:55:27 | 【書物】1点集中型
 しばら――く「読みたい本リスト」の中には入っていたんだけど、あっため期間が長すぎて、何をきっかけに読みたいと思ったんだったか忘れてしまった(笑)。

 ゼロ年代の本なので、個々のネタは確かに一昔近く前の話ではある。が、社会学が社会を捉えるときの切り口(というか手口というか)自体は普遍であるはずなので、なるほどと思わされる点が多々ある。全体として「社会学って結局なんなの?」という疑問を面白おかしく解説してもらったという感じ。
 なので、読んでみた結果「もっと早く読めばよかった~」と思った。面白い。読みやすい。裏表紙の煽り文句にも「学問とエンターテインメントとお笑いを融合させ」とある。まさにその通りであった。くだらないギャグを随所に織り交ぜつつ、恣意的に導かれる社会学の研究結果をおちょくりまくっている。

 本文中、「社会学や社会学者を批判しているにもかかわらず、結果的に本書は、非常に優れた社会学の入門書になっている可能性があります」という「注意」書きがある。少年の凶悪犯罪、少子化、年金などなどにおいて世間(社会)に定着している思い込みをことごとく、データという根拠によってひっくり返す。
 端的に言うと「御都合主義的社会学へのツッコミ」なのであろう。つまり、この本にあるようなツッコミに耐えうるほどの検証が施されていなければ、それは社会を正しく(「正しく」という表現も結局、厳密には正しくはないのかもしれない)見た結果導き出された答えだとは言えないんじゃないの、という話だと思う。疑え、ただし前向きに。

 「人は正しさではなく、楽しさで動くもの」
 「『自立している』人など、どこにもいやしません」


 この本で特に印象に残ったのがこの2つの言葉で、前者は環境保護運動の高まりについて。後者は「自立とは何か」を考えたときに導き出された著者の結論を指している。どちらも、著者の言ってることを最初から最後まで通して読むと、非常にわかりやすい理屈である。
 他人に迷惑をかけずに生きることはできないから、自立などありえない。が、決して、一生怠けてろと言ってるわけではないことは、肝に銘じておくべきかと思う。この結論の都合のいい面だけ見ちゃうと、やっぱ怠け心が出そうな気がするんで(笑)。「努力するのは宝くじを買うのと同じ」。たとえは極端だが、0か100かの結果だけを求めるか、プロセスから何かが得られればいいと思うか。要するにそういったことを言っているんだろう。

 一種ベタベタなノリで容赦なく社会常識(と化している幻想)に突っ込んでいく雰囲気が楽しかったので、続編も読みたいなーと思っている。
 余談だが、「この表紙イラストの雰囲気、どこかで見覚えが……」と思ったらなんのことはない、懐かしの吉田戦車だった。