タイトルそのまま、著者がアヘン生産を基幹産業とするビルマ(文中に倣う)・ワ州へまさに突撃ルポを行った、というもの。
「有史以来、いかなる国家の管轄下にもあたことがない」というワ州は、文字通り「陸の孤島」とも言えるだろう。単に現地に潜入するだけでも並大抵ではない場所なのに、著者はあろうことか現地に住み込みアヘン作りのすべてを体験し、さらに麻薬としてのアヘンも体験、挙句の果てには(あるいは当然かもしれないが)アヘン中毒の体験まで、まさにアヘン体験フルコースを消化することになる。
現地周辺の政治向きの話、アヘンの歴史とワ州とのかかわりなど、周辺材料もきっちり踏まえて書かれてある。なので、アヘンという大きな要因からひとつの社会が形成される過程も、アヘン作りの実際も、アヘンを吸うという行為の実際(正直、意外と手間がかかるものなんだなーと思った)も見えるし、いろんな意味で目から鱗。
プロローグで著者は「アヘン王国」ワ州を「善悪の彼岸」と言ったが、その言葉の意味が、現地に入る前と入った後(=アヘンを作るようになってから)で変化しているのがわかる。というか、ぼんやりとしか見えなかったものが形をとるようになったという感じだろうか。エピローグの「何かがおかしい。決定的におかしい。話の大前提が間違っているのだ」という言葉にすべてが集約されている。
現地の人々にとってのアヘン作りは、個別の意義としては日本の農家におけるコメ作りと大差ない。問題は、「この世の常識では、いかなる国や地域もアヘンを基幹産業にしてはいけない」にもかかわらず、それ(基幹生産物)がアヘンでなければならないという状況そのものだ。
しかし、この本に書かれてある状況のように、人々が外の世界を知ることなく、アヘン作りによって過不足なく暮らせる状況が続く限り、劇的な変化が訪れるとは考えにくい。人々を無知のままにさせておけば、利益を吸い上げる側が潤い続けることができるのである。人々は、知らず知らずのうちに、他の誰かを栄えさせるための「犠牲」となっている。そのことに、ワ州の人々が気づき、新たな思いを抱く日は来るのだろうか。
「有史以来、いかなる国家の管轄下にもあたことがない」というワ州は、文字通り「陸の孤島」とも言えるだろう。単に現地に潜入するだけでも並大抵ではない場所なのに、著者はあろうことか現地に住み込みアヘン作りのすべてを体験し、さらに麻薬としてのアヘンも体験、挙句の果てには(あるいは当然かもしれないが)アヘン中毒の体験まで、まさにアヘン体験フルコースを消化することになる。
現地周辺の政治向きの話、アヘンの歴史とワ州とのかかわりなど、周辺材料もきっちり踏まえて書かれてある。なので、アヘンという大きな要因からひとつの社会が形成される過程も、アヘン作りの実際も、アヘンを吸うという行為の実際(正直、意外と手間がかかるものなんだなーと思った)も見えるし、いろんな意味で目から鱗。
プロローグで著者は「アヘン王国」ワ州を「善悪の彼岸」と言ったが、その言葉の意味が、現地に入る前と入った後(=アヘンを作るようになってから)で変化しているのがわかる。というか、ぼんやりとしか見えなかったものが形をとるようになったという感じだろうか。エピローグの「何かがおかしい。決定的におかしい。話の大前提が間違っているのだ」という言葉にすべてが集約されている。
現地の人々にとってのアヘン作りは、個別の意義としては日本の農家におけるコメ作りと大差ない。問題は、「この世の常識では、いかなる国や地域もアヘンを基幹産業にしてはいけない」にもかかわらず、それ(基幹生産物)がアヘンでなければならないという状況そのものだ。
しかし、この本に書かれてある状況のように、人々が外の世界を知ることなく、アヘン作りによって過不足なく暮らせる状況が続く限り、劇的な変化が訪れるとは考えにくい。人々を無知のままにさせておけば、利益を吸い上げる側が潤い続けることができるのである。人々は、知らず知らずのうちに、他の誰かを栄えさせるための「犠牲」となっている。そのことに、ワ州の人々が気づき、新たな思いを抱く日は来るのだろうか。