life goes on slowly

或る大阪近鉄バファローズファンの
偏愛と放浪の記録

「ボートの三人男」(著:ジェローム・K・ジェローム/訳:丸谷 才一)

2014-09-28 23:56:15 | 【書物】1点集中型
 コニー・ウィリス「犬は勘定に入れません」を読んで以来、読みたいと思いつつ延ばし延ばしにしていたが、旅行のおともにと思いいよいよ(借りて)読んでみた。
 語り手J氏とその友人ハリスとジョージ、そしてJ氏の飼い犬モンモランシーが、「休息と気分転換」のためにボートでテムズ河へ繰り出す。このボートの上の姿を描く和田誠氏の表紙イラストがこれまた秀逸で、三人男もそうだけどモンモランシーがかわいい(笑)。

 ボートに乗り込むまでにも、何を持っていくか決まるまでのあれやこれやがあったり、チーズについてのJ氏の苦い記憶が切々と語られたりするのだが、まあこのチーズのくだりなんかがいかにもイギリス小説のナンセンス! みたいな感じでたまらない。河に出たら出たで、大好きなパイナップル缶詰はあれど缶切りがなく悪戦苦闘する3人組やら、闇鍋まがいのアイリッシュ・シチュウやら、釣果のサバ読みの話やら、ナンセンスは果てしなく続く。何気なく生真面目なバカバカしさ。要所要所のモンモランシーの存在感。ウィリスやダグラス・アダムスはもう明らかにこの路線を行っている(笑)。
 でも実は笑い一辺倒でもなく、河の周辺の風景描写なんかは妙に美しくて、彼らの旅を彩った風景を想像するのも楽しい。なので、もともとはユーモア小説のはずではなかったというのは、そう言われるとなんとなくわかる気がする。個人的には第十章の《夜》の詩的な感じが好き。
 と言いながら、目標の2週間を待たずして雨に負けるしょうもない3人組、というオチもおかしみを誘う。勢いで読めちゃうと言えば読めちゃうけど、やっぱり河の旅の如く、体も心もゆる~い状態でのんびり茶でも飲みながら読むのがいいかなと思う次第である。

「野蛮な進化心理学」(著:ダグラス・ケンリック/訳:山形治生・森本 正史)

2014-09-24 13:14:25 | 【書物】1点集中型
 副題は「殺人とセックスが解き明かす人間行動の謎」。学術ものとしては若干刺激的なタイトルに、どんなもんかなと興味を持ったのであった。

 人間の心は、「自分の生存や繁殖の成功にとりわけ関わってくる他人に特別な注意を払うための領域を確保する」ものである。そして自分の遺伝子を後世に残すために、男性は見た目の良い若い女性を、女性は子どもに割くリソースを多く確保できるであろう地位の高い男性を好む傾向にある、というのがこの本の主論といえようか。
 全体的に意外に普通の話で、目新しさはそれほど感じない。……なんだけど、この論が「人間は空白の石版である」というブランクスレート説への反証としての人間の遺伝的要因であるとすれば、発表当時はかなり画期的なことだったのだそうだ。

 進化生物学に血族選択と互恵的利他行動という根本原理があるように、「人間は我を忘れるような喜びを朝から晩まで求めるようにではなく、ほかの人間を支える網の目に組み込まれるようにできている」。自分という個を種の存続のために活かす方法というのは何も、遺伝子を残すことだけではない。利他行動は必ずしも自己犠牲だけを指すのではないのだから。そう考えることもできるのだろう。

 それにしても訳者の山形氏はまとめがうまく、押さえるべきポイントの提示が正確でありがたい。同氏が訳したスタンレー・ミルグラムのアイヒマン実験の本を読んだときも、あとがきがすごくわかりやすく示唆に富んでいて良かったのだった。科学ものとしては個人的に青木薫氏の訳書と同様の読みやすさだと思う(もちろんきっと原文も読みやすいものなのだろうとは思うが)。

「3日もあれば海外旅行」(著:吉田 友和)

2014-09-15 15:20:44 | 【書物】1点集中型
 同僚からの借り物。「How to 週末海外」といったところか。「時間がない」は確かに旅をしない理由にならないし、「お金がない」も旅を最優先にしさえすれば何の理由にもならない。とにかく行きたいなら行け! というところから話は始まる。
 基本的には海外旅行の話なので、外資系のエアラインや情報サイト等をどう活用すればいいかなんてところから始まり、海外旅行におけるマイルのお得な使い方とか、裏技的なルートづくりなんかも教えてくれる。世界一周航空券なるものがあるのも、恥ずかしながら初めて知った次第。ただ、個人的には時間にはある程度余裕を持った旅をしたいので(東京でなければ、国際線も使い勝手のよさはだいぶ変わると思うし)、いちばん心惹かれたのは何気にクルーズ船の話だったりするんだけど(笑)。

 ただ、本当にこだわると情報を探すのはいろいろ大変だな、という印象は受ける。英語ができるできないはともかく、手間がわりかしかかる。でもまあ短い旅に限定して考えなくても、海外旅行の計画そのものには確実に役立つ情報が書かれてあるので、海外旅行を思い立ったら読み返したい本になるかも。
 個人的には「週末海外」というよりは「週末現実逃避」的に(とはいっても2、3か月に1回くらいの頻度でしかないが)もっぱら国内……というか大概お手軽に、友人にも会いやすい首都圏周りにふらっと出かけてしまうのだが、でもそれはそれで全然いいんだよね! とは思えたので、今後も是非とも現実逃避を続けようと思う(笑)。

「チューリング 情報時代のパイオニア」(著:B・ジャック・コープランド/訳:服部 桂)

2014-09-12 22:57:17 | 【書物】1点集中型
 アラン・チューリングの天才と奇抜さを余すところなく描いた一代記。チューリングと言えばチューリング・マシン、そしてエニグマの暗号解読、ゲイであることの罪(当時)から不当な「治療」を受けさせられ、最後は毒入りの林檎で非業の死を遂げた……という話ぐらいしか実は知らなかった。
 コンピュータの国といえばアメリカの印象が強いが、バベッジの「機関」といいチューリング・マシンといい、コンピュータそのものの創成期に果たしたイギリスの役割は甚大なものだった。が、ブレッチリーの人々の業績が秘密にされてきたように、イギリスはその技術情報を隠す側にに回ったために、チューリングらの功績は明らかにされなかったのである。

 数学を用いた暗号解読についてのチューリングの業績は、サイモン・シンの著作「暗号解読」で理解した通り。その後のチューリングはなお一層コンピュータへの意欲を深め、数学だけでなく電子工学にも精通するようになり、プログラム蓄積方式の電子式コンピュータである自動計算機関ACEをデザインするまでに至った。さらには「経験から学べる機械」、現代でいうところのAIに関する研究に踏み込んでいく。しかし上司であるダーウィン(チャールズ・ダーウィンの孫)にはその研究の意義が理解されず、論文の出版を許可されないという憂き目を見る。
 かと思えば、とある男性と関係を結んだことから裁判沙汰になってしまい、「完璧な愛国者が、知らない間にセキュリティー状問題のある人物に」なってしまう。そのために「お笑いぐさ」なホルモン療法を受けさせられる羽目になる。

 しかしその治療から解放された後、チューリングはまたまた新しい境地に踏み出す。私生活での躓きを全く意に介さないかのような、学問への精力的な意欲を感じる。「論理学者から暗号解読者になり、コンピュータ科学者になった彼は、今度は生物化学者になった」のである。
 コンピュータを用いた成長理論のシミュレーション。彼のこの研究に基づく理論が「生物の成長に関する基本的な秘密を解き明かし続けている」というのだから驚き。論理から生物へ、チューリングは科学の手の及ぶところならどこへでも手を伸ばしていくことができた。実際にはなかったけれど、もしかしたら宇宙にまでも。
 生物への関心は、つまり人工知能に通じる。人間の大脳皮質が「万能マシンかそれに類したもの」であり、しかし「その他の何かがある」ものでもあるはずだとチューリングは考えていたが、その先の研究は彼自身の死によって閉ざされてしまった。

 興味深いのは、チューリングの死の真相が実はあまりはっきりしていないということである。自殺なのか事故なのかそれ以外の線もあるのか、どれもいまいち決め手に欠ける状況らしい。冬にはあのベネディクト・カンバーバッチがチューリングを演じる映画(その名も「The Imitation Game」)が公開されるという話だが、この謎多き最期がどのように描かれるのかにも期待したい。

「ドキュメント戦争広告代理店―情報操作とボスニア紛争」(著:高木 徹)

2014-09-09 23:58:56 | 【書物】1点集中型
 ボスニア紛争というかそもそも旧ユーゴ連邦の解体について全く明るくなかったが、秀逸なタイトルにまんまと乗せられて読んでみる。描かれるのは、独立したばかりのボスニアと隣国セルビアにおけるモスレム人とセルビア人の民族対立から生まれた、東西冷戦時代の諜報戦とは違った意味での「情報戦」。そしてその情報戦を、ボスニア側から「操作」し、国際世論をボスニア優位にみごと誘導してみせた「PR」の仕事を描いたノンフィクションである。
 この「情報戦」の戦略を担ったのは、アメリカの大手PR会社ルーダー・フィン社のジム・ハーフ氏。報道の世界の手法を知り尽くし、ひとつひとつの場面で最大限の効果をあげるための戦術を繰り出し続ける彼の戦略は、何といっても人間の心理を熟知している。スポークスマンとなるシライジッチ外相のルックスや話しぶりの有効活用しかり、ナチスの対ユダヤ人政策を想起させるイメージを、ユダヤ人の逆鱗に触れる言葉を使うことなしに作り出すコピーワークしかり。「民族浄化」という言葉は、なるほど確かに広く訴えかける絶大な威力を持っている。

 ハーフのPR手法に、嘘は一切存在しない。いわゆる「都合の良い」情報だけをメディアに乗せることによって、自らの望む方向に世論を誘導していくのである。中立を旨としたカナダ人国連部隊指揮官マッケンジー将軍や、ECの和平特使キャリントン卿の正論を遠ざけたやり口など、一種のえげつなささえ感じさせられるときもある。ボスニア=善、セルビア=悪というような極端な構図をめざすPRはいかにもアメリカ的であるともいえようが、しかし極論を言えば倫理観や中立性を云々するのはPRの仕事ではないということなのである。トヨタとホンダであろうが、アップルとサムスンであろうが、ボスニアとセルビアであろうが、PR戦略の根底にあるものは同じなのだ。
 その意味では、日本の国際社会における地位の低下は、自らを演出するPR手法が立ち遅れていることも大きいということなのだろう。「文庫版あとがき」で、著者は「はっきりしていることは、『PR戦争』の倫理を問い、その答えを見つけ出すまで、(中略)日本という国、そこに住むわたしたち国民が待っている余裕はもうない、ということである」と述べている。善悪の問題ではなく、やるかやられるかの世界でしかない。
 情報がどのようにして報道に乗るかということの一端が垣間見られたからには、ますます人は自らの頭を使って情報を判断する知見を身につける必要がある。しかしそれすらも、与えられる情報の精査だけでは不十分だ。その情報さえもがすでに操作されているものであると考えるべきでもあるからだ。ハーフの鮮やかな手法を見るにつけ、世論とはかくも容易に方向づけられてしまうのかと思わずにはいられない。

 ただ、PRの問題とは別に、「(前略)たしかにセルビア人も非情な連中だった。しかし、好むと好まざるとにかかわらず、結局は私たちもセルビア人とともに生きてゆかねばならんのだ。ひとつの国に“悪”のレッテルを貼ってしまうことは、間違いなんだ」というキャリントン卿の言葉も、「セルビア」を別の国に入れ替えれば、ほかのどんな国でも通じる真理であるはずだろう。この本の趣旨とは相容れないものではあるだろうが、やはり心に残る言葉ではあった。