life goes on slowly

或る大阪近鉄バファローズファンの
偏愛と放浪の記録

「第三の嘘」(著:アゴタ・クリストフ/訳:堀 茂樹)

2015-02-26 22:31:28 | 【書物】1点集中型
 「悪童日記」「ふたりの証拠」に続く、3部作完結編。物語は、前作のラストで姿を現した国境を越えていた双子のひとりクラウスが、舞い戻った「小さな町」で警察に留置されている自分を語る場面から始まる。

 「悪童日記」では「ぼくら」、「ふたりの証拠」ではリュカを語る3人称だった語り手は、今作では「私」=クラウス自身となっている。そして彼は自分の幼いころを読者に語る。確かに双子は存在した。しかし、彼らは一緒に暮らしていたわけではなかった――少なくともクラウスが語る双子は。国境を越えたあの日、その越え方はかつて「ぼくら」によって語られたできごとと重なり合う個所を見せる。しかし次の一瞬、またも話は一変する。「彼の名はクラウスではない」のである。
 そして「五冊の学習帳」が現れる。そこに書いてあることを、「クラウスではない」少年は「事実ではないけれど、事実であり得るような話」と言う。

 今までの2作がまるで幻想であったかのような、ほんの少しの重なりと、明らかな食い違い。読めば読むほど、前2作のあまりにも印象強い世界に引っ張られ、何が事実であるのか把握できずに混乱する。でもおそらくこれが客観的な意味での現実なのだろう。タイトルが「嘘」でありながら。リュカが見てしまった現実であり、クラウスが嘘にしたかった現実なのかもしれない。
 うまく言葉にするのはとても難しい。語りたいのに語る言葉を持たない自分を感じる物語。だがそれでも余韻は確実に残り、もう一度読みたい、この世界を理解したいと思える3部作であったことは間違いない。

「ふたりの証拠」(著:アゴタ・クリストフ/訳:堀 茂樹)

2015-02-24 23:30:35 | 【書物】1点集中型
 「悪童日記」続編。突然、双子は1人になる。語り手は「ぼくら」から第三者へ移り、リュカと彼が出会う人々とのできごとが淡々と綴られていく。この淡々とした空気感だけは、「悪童日記」と変わらない。
 1人になった「リュカ」は、ノートに書くことを続ける。行ってしまったもう1人のために。でも、彼=リュカが存在していると示せるものは、彼がそこにいるということしかなかった。そのほかに彼が拠って立つところはなかった。しかしそれさえも客観視できる「証拠」にはならない。人間の存在の足許のなんと危ういことか。だから人間は「一冊の本」を書く。「何も書かなければ、人は無為に生きたことになる」

 戦争は終わっても、革命が成っても、社会の不穏は続く。リュカが愛らしきものを注いだ不具の子マティアスの言葉はとても純粋で、時にぐいぐい来る。きっとリュカにとってもそうだったはずだ。自分を愛してほしいと、何のてらいもなく素直に声をあげることができたマティアスは、少なくともリュカの知らない感情を知っていたと言える。そのマティアスがノートを焼くということ。そんなマティアスを見てリュカがノートに書いた一文には、「致命的な誤り」がある。ある意味で真実であり、ある意味では嘘でしかないことが。もう1人に対して、その嘘は何のためにつく嘘なのか。

 そして終盤、場面は一転する。双子のもう1人として「クラウス」が現れるのだ。あの当時のリュカと同じく、自己証明になるものを持たずに。しかしこの町にもうリュカはいない。「実在の証拠」はあのノートだけ。
 さらに最後の最後、そのクラウスが、そしてリュカさえも、その存在が揺らぐ。この転換はさて何の暗示か。彼らの証拠とは、そして「第三の嘘」とは。またまたこの土壇場になって頭の中が引っかき回される展開。勢いでそのまま最終章たる続編「第三の嘘」に進むしかない。それにしてもペテールはいい人だなぁ。

「星新一 ショートショート1001(2)1968-1973」(著:星 新一)

2015-02-22 00:28:55 | 【書物】1点集中型
 3冊組の2冊目、全1645ページ。1冊目はちょうど1年くらい前、前回の年末年始に読んだ。今回もこの年末から読み始めたのだが、結局2ヶ月かかってしまった。

 「番号をどうぞ」なんて、いかにも星新一作品らしい近未来SF。身分証となる番号さえあればで何でもできるけど、それがなければ自分が自分だと証明することもできない。SFとしてありがちな話であることは事実だし、「番号」を紛失したせいでいろいろと憂き目にあう主人公の様子が滑稽であっらりもするんだけど、「マイナンバー」がいよいよ現実になろうとしている今、滑稽さの裏に薄ら寒さを感じるのも事実である。
 正体不明人物探しミステリな「ミドンさん」も、一体どうなるんだ主人公は、ミドンさんはいったいどうやって見つかるのだ、と思わせておいてこの結末。落とし方がやっぱり秀逸。「四で割って」のナンセンスぶりも楽しい。
 かと思えば、終盤には時代ものがまとまってあったりする。そのいくつかが中編並みに長いお話だったりして、星氏はこういう類の作品も書いていたんだなという新しい発見もあり。「城のなかの人」とか読むと、これは氏なりの歴史解釈なのかなという気も。その意味では「正雪と弟子」も。悲劇のはずなのに痛快というか爽快というか。

 なんだかんだと一応読破することはできたので、今年の年末には3巻目に挑戦したい。しかし、でかくして冊数を減らすよりか普通サイズで数十冊のボックスセットとかの方が読むのは読みやすそうなんだけどな。星作品は布団の中で読むのに最適な掌編が基本だし。

「悪童日記」(著:アゴタ・クリストフ/訳:堀 茂樹)

2015-02-18 23:27:15 | 【書物】1点集中型
 戦時中。「大きな町」から「小さな町」へやってきた、とある双子。物語には彼らと「魔女」と言われる祖母との暮らしが描かれる。
 正気でいることが困難なその時代、理屈ではない世界を生きなければならなかった人々の姿がそこにある。絵に描いたような貧しい生活の中で、彼らは彼ら自身にしか理解できない考えで、痛みに耐えられるように体を鍛え、悪罵に耐えられるように精神を鍛え、乞食や盲や聾の練習をし、ふたりだけで学ぶ。そんな日々のできごとが、淡々と綴られていく。ぞっとするような異常なできごとも、感情を表現する言葉を一切交えずに。

 双子は「小さな町」で何人かの人々に出会い、日常的に接するようになる。「"牽かれていく"人間たちの群れ」を「犬畜生みたいなもの」と呼んだ女中。「兎っ子」。おばあちゃんの家に住む「将校」とその従卒。従姉。それぞれの人々とのエピソードにあるのは頽廃、悪逆、冷酷、それにおぼろげな親愛。しかし感情はを表さない彼らの物語の一つ一つには、明確な意思と、彼らなりの倫理観がはっきりと浮かび上がる。
 読みながら「こんな小説があるのだな」と素直に思った。そしてどんどん惹き込まれていき、ページを繰る手が止まらなくなる。長くはない物語であるけれど、それを差し引いても一気に読んでしまえる、すごい引力を持っている。歴史に不勉強なので、訳注はとてもありがたかった。そのおかげで感じ取れたというか、情景をより具体的に思い浮かべることがができたようにも思う。

 どちらがどちらでもない、2人で1人だった双子。国境を超える1人と、来た道を戻る1人。何の予兆もなく、突然に道は分かたれる。彼らはなぜ別離を選んだのだろう。この先彼らはどうなるのだろう? というわけで、混乱に襲われつつも全く目を離すことができないので、さくさくと続編へ進む。

「球団と喧嘩してクビになった野球選手」(著:中野渡 進)

2015-02-16 22:10:57 | 【書物】1点集中型
 ことの起こりは例によって例の如く「野次馬ライトスタンド」by村瀬秀信氏@Number Webである。
 記事中さりげに「選手の本人本といえば、当連載でも御馴染み、中野渡進氏の『球団と喧嘩してクビになった野球選手』(双葉社)が、昨年秋に『第10回酒飲み書店員大賞』と『本の雑誌が選ぶ2014年度文庫ベスト10』の1位になりましたけど!」とか宣伝され、なんだその話! ていうか「昨年秋」って、なんで今まで黙ってたんだよ村瀬さん! と勝手に憤慨しつつ(笑)とりあえずどんなもんなのかと調べてみたところ、内容紹介の煽り文句(「谷繁元信をキレさせ、三浦大輔を運転手代わりに使って、小宮山悟を巴投げ、」云々)からして予想通りな話で笑えた。
 何せ突然の鍋屋閉店の衝撃と茫然自失からいまだ立ち直れぬ私なのである(嘘)。おまけに単行本ではなく文庫、したがって格安である。となればこれが読まずにいられようかというわけで、早速書店の在庫を捜索し購入と相成った。

 しかし文庫とは良心的だなーと思いつつ読み始めてみると、「野球界を引退して7年」という書き出しの「はじめに」は「2014年3月吉日」の署名がしてある。あれ? わたりって牛(=近鉄)がなくなったあとも現役だったっけ?? そんな記憶はないのだが……と首を傾げつつ目次を開くと、2011年7月に出た単行本を文庫化したものがこの本だという話ではないか。
 ってことはこれ、文庫化にあたって署名部分の年月だけ発行年月に合わせたものの本文「引退して7年」は合わせ損ねたってことなのか。だったら計算は合うなぁと納得しつつも、なんでそんな片手落ちなんだよっ!(笑)といきなり初っ端から突っ込まずにいられなかったのであった。

 が、そのような話は本筋からするとほとんどどうでもいい些細なことである。
 構成担当にやはり、案の定、関わるとしたらこの人しかありえないだろうという村瀬氏の名前があり(笑)、もうそれだけで読み慣れたコラムでの(元)鍋屋の店主の口調が頭に甦るのでワクワクニヤニヤしながら本文に突入する。と、あえていつもの口調のまま書き起こされた怒涛の毒舌罵詈雑言で、スタートから期待を裏切らないどころかぶっちぎり(感覚的には10馬身以上の差がついている)でゴール、いや巻末まで突き進む。わたり以外の何ものでもない。プロ時代を語る第一章・第二章、登場人物やら用語(というかわたり周辺の俗語)にいちいち懇切丁寧につけられている脚注も併せて、とにかく濃い。濃ゆすぎる(笑)。
 あまりにも濃密でいちいち語っていられないので、わたりの言葉を借りて「つぅか、なんでもいいから、とにかく読め」としか言いようがない。……のだが、結局は予想通り木塚(+谷繁)との愛の物語かよ! とこれまたお約束のツッコミを入れたくなる話でもある。
 でもその濃ゆさがたまらないのである。「髪質改善サラサラ化計画」とか、谷繁がマウンドで投手をどつくのとか、おなじみの(?)懐かしネタ満載。あの時代を生きた選手たちのナマの姿がそのままそこにあって、おかげで私自身がいちばん野球を見ていたあの時代をありありと思い出させてもらってしまい、むやみに胸が熱くなったものである。横浜ファンですらなかったのに(笑)。

 実際のところ、わたりがクビになったのを知ったときは目を疑ったものの、おそらく球団に盾突いたのであろうがまぁ彼ほどの選手ならばどっかに拾われるであろう、と思った野球ファンはたくさんいたのではないだろうか。なのにあっさりと引退してしまったその経緯がこういうことだったのかと今さらながらに知り、惜しいとは思うもののやはり納得してしまった次第である。
 鍋屋の、鍋はもちろん一品料理もおいしかったし弟さんが新しい店を持つというので、弟さんがもともとそっち方面だったのだろうかと勝手に想像していたのだったが、まさかまさかの、わたり自身が料理好きだったという驚き。しかもこれだけ凝り性ならばあれが旨かったのも納得だ。そしてトイレがあれだけステキな空間だったのも納得だ(笑)。
 ただ、初めて鍋屋に行ったときからそれこそ1、2年は、週末なのにそれほど混んでいる印象を受けなかった(まあ、とは言っても毎年1、2回しか行けてなかったんだけどさ)。なので当時はいつも、一緒に行ってた友人と「大丈夫かな?」と余計なお世話で少し心配になってたんだけど、実際苦しい部分はあったんだな。とはいえ、年を追うごとにそんな心配もなくなったけど。

 そしてあのわたりを人間形成した中野渡家、東海大菅生の横井(元)監督、さらに三菱自動車川崎。殴られまくり、怒鳴られまくり、打たれまくったその時代が、あの太くて短い(わたり曰く「平べったい」)実働1年間の在籍4年間を生み出したのだ。野球に対してとにかく真剣に向き合っていることがはっきりわかる。常に厳しかった環境も、わたり自身何ひとつ否定的に捉えていないし、彼を育てた人々から彼自身が感じている愛情が、そのまま彼からの感謝になっているのが伝わってくる。
 締めは「キャッチボール」。あまりに仲の良かった木塚とのコンビには、現役時代から感心するやら笑わせてもらうやらしていた。それが、木塚の引退に際しての本気のエピソードをこうして知ってみると……正直、泣けてきそうだった。なんというか……こいつら本物だよ。なんなのだ、この熱さは。この絆は。友情とか愛情とかそんな言葉では収まりきらない。近いとしたら"soul mate"って言葉なのだろうか。でも既成のどんな言葉でも及びもつかない雰囲気があることは確かである。

 この本の、わたり自身の言葉から伝わるのは、いみじくも解説・小宮山氏が評したわたり像そのものの「愚直さ」だ。それは本当に純粋な素直さとも言える。
 愚直に投げ続けたボールが「返ってきた」と思えること、返してくれる人々がいることは、取りも直さずそのボールを受け止めた人々もわたりに対して本気だったからだ。わたりは本気で人にぶつかる心意気と、相手の本気を受け止める気構えを持っている。マスク越しの谷繁の睨みにどんだけびびっていても(笑)、彼自身の人生に対しては髪の毛1本ほども怯まない。木塚がそうであったように、彼の生き方の結果があのピッチングだったから、今もバカみたいに眩しいのだ。さらに、それが自分には決して手の届かないものであるからこそ。

 いやはやそれにしても、単行本から文庫化されたのがわかる傑作ぶりだった。600円(税抜)でこれだけ楽しめるとは、久々にこんなお得感を味わった。冒頭に述べた点をはじめ、実は誤植は結構多いが(笑)まあ実際本筋にほとんど影響はない……っつーか影響があるとしたらあの「はじめに」の時差だよ(笑)。知らない人が読んだら混乱するのではないかとちょっと心配である。
 それに、こんな本を(2回も)出しちゃったことを未だに谷繁に報告してないみたいなんだが(笑)そのへんはほっといていいんだろうか、わたり。小田幸平なんて帯まで書いてもらってんのに(笑)
 そういや谷繁と言えば、この本に唯一載っている現役時代のわたりの投球シーンの写真の背後、1塁走者がなんとなく谷繁に見えてくるんだけど。そこんとこどうなんでしょうか。←色眼鏡で見すぎなのでは?(笑)

 ……それは措いといて。
 読みながら、このまま一生読み終わりたくない! とさえ思わされる楽しさがあった。わたりやその周りの選手たちだけに限らず、自分がなぜあの時代の野球に熱中していたのか改めて気づいたように思う。そうだ、彼らのプレイに見え隠れする人間らしさに惹かれていたのだ。だからこの本を読んで今さら「ちくしょー、やっぱお前ら大好きだ!」と叫びたくなった(笑)のだ。

 もうあの店がないなんて未だに信じられんが、村瀬氏は引き続きわたりを「加工屋」として引っ張り出してくれそうな雰囲気だし、それならわたり自身も次は「もつ鍋屋辞めて加工屋になった野球選手」を出してくれないだろうか。←それじゃもはや野球関係ないし(笑)
 とりあえず、高森の木塚ものまね傑作動画を見返そう。そんで笑おう。

「宇宙の扉をノックする」(著:リサ・ランドール/監訳:向山 信治/訳:塩原 通緒)

2015-02-13 22:01:35 | 【書物】1点集中型
 女性でこれだけ話題性のある本をものしている物理学者はあまり見かけなかったので(あくまで私が見かけてないだけ、だけど)、どんな学者さんなのかと興味を持ったので読んでみることにした。図書館での予約数も多かったので、その人気ぶりに惹かれたともいう(笑)。

 宇宙論や物理学が主題の本なのに、数式は全くと言っていいほど出てこない。素粒子物理学の標準モデル(クォーク、レプトン、ゲージボソン)一覧とかは出てくる(が、相変わらず何がどういうものなのかこれまた全くと言っていいほど覚えきれない)し、それら素粒子と相互作用に関する話あたりになってくるとまた訳がわからなくなりがち(私が)であるが。
 思うに、数式もある意味ひとつの結果であって、この本で著者が伝えようと考えていることは論理的思考方法そのものなのだろう。だから一見、著者本人の専門分野とは無関係にも思われる金融市場がテーマになっている章もあったりする。経済は文系の学問のなかでも比較的理系に近いというか、数学との関わりが大きいから例としてわかりやすい側面もあるだろうが、こうやって見せられると「科学」というものの幅広さを再認識する。

 スーパーカミオカンデの美しさに燃える(というか萌える)私としては、この本でいちばん興味深かったのは、LHC(大型ハドロン衝突型加速器)についての話。その歴史から汎用検出器ATLASやCMSといった設備や装置の構成に至るまで詳細に、しかも文系にもある程度把握しやすく説明してもらえるので、読んでいてかなりワクワク感を覚えたものであった。本当の意味では10%も理解しているかどうか怪しいものではあるが(笑)、とにかく「なんだかわかんないけどすごそう!!」という見た目からまずたまらんのである。
 って、なんか工場萌えとか廃墟萌えみたいな話だけど……実際、自分の感覚としてはそんなもんであることは否定しない(笑)。でもだからこそ、そんな装置がこんなすごいことをやってのけるんです! ってところにさらに気分が高揚してしまうわけだが。
 あとはヒッグス粒子・ヒッグス機構・ヒッグス場の話であろうか。ヒッグス粒子が物質に質量を与えるものであることは認知してはいたものの、その原理的なところをここまで詳しく読んだことは(たぶん)なかった。とはいえ全然、理解しきれてはいないので、しっかり呑み込むためには最低あと10回読み返さないとだけど(笑)。

 「創造性が芸術や人文学の大切な要素であるのは広く知られているところだが、それは素粒子物理学にも宇宙論にも数学にも、ほかのどんな科学分野にも不可欠なものなのだ。科学もテクノロジーもそれ自体、思いつきをどう統合するかを創造的に考えていた人々によって発見され、体系化されたものである」が、その創造性は「啓示の瞬間が訪れる前にどれだけ多くの準備期間が丹念な学習に費やされているか」というように、決して全く何もないところから誕生するものではないのである。
 「最良の科学はたいていの場合、広範かつ重要な問題を認識することと、一部の人だけが必死に答えを求めているような、一見すると小さな論点やディテールに集中することを両立させている」とも言うように、「ちょっとした違和や不一致は、見ようによってはとても小さく、おぼろげであるかもしれないが、問題を正しくつかんでいる人が見るならば、新しい概念や着想につながる重要なきっかけとなるかもしれない」。同じものばかり見つめていても着想は広がらないことを、どんな人もきっと肌で感じたことがあるだろう。やっぱりとにかく、何にでも好奇心を持って覗き込んでみることが大事だということだ。それこそが科学的思考の始まりなのだろう。

 図書館からいよいよ本が回ってきたとき、「う、思ってたより分厚いし字が小さい」とか思い(笑)これ2週間で読めるかなぁと不安になったものだったが、とりあえずなんとか読み終わった。が、かなりさらっとした感じの読み方になってしまった。文庫になったら再読したいなぁと(今は)思っているものの、でもこれ文庫だったら分冊になっちゃうのかなーとか余計なことも考えてるけど(笑)