life goes on slowly

或る大阪近鉄バファローズファンの
偏愛と放浪の記録

「生命科学者たちのむこうみずな日常と華麗なる研究」(著:仲野 徹)

2020-08-29 12:32:07 | 【書物】1点集中型
 確かTwitterで見かけたんだと思う。同じ研究者という立場から、研究者たちの伝記をから読み解かれるその人間像の数々。科学系ノンフィクションは何かってーと読みたくなってしまう。
 いきなり出だしの野口英世、確かにこの人の話にはおそらく誰もが幼少期に一度は伝記に触れる。が、子供向けの伝記だけでは見えない話がある。訂正されることのなかった誤り。部分を見て知ったような気になっていることのいかに多いことか、と戒められながらのスタートって感じで、パンチが効いている。当たり前のことなんだけども、こういう経験をしなければ実感としては気づきにくいことである。
 翻って締め(番外編などなどが続くので中締めっぽいが)北里柴三郎を見ると非常に対照的な感じなのだが、伝染病研究所にまつわる云々など一種政治的な動きのできる人でもあるというところが、これまた研究業績の一部分しか聞き及んだことのない素人にとっては興味深い。一個の人間として自分の考え方を揺るがせにしないために、研究を守るために、科学や研究とは無縁なことも必要である。それってどんな仕事でも当たり前のことなんだけど、こういう研究者たちの話を読んでみると、つい「研究」――特に基礎研究ってなんというか、漠然と俗世と離れた活動みたいに思い込んでしまっていたのかもなあとも思わされる。

 また、今より前の時代、女性研究者にはより困難な時代であったはずで、実際そのことについても触れられているが、その中で伝記が書かれるほどの人たちともなればそれこそ伝記に書かれてある以上の逆境があったのだろうなとも想像する。どの研究者についても、研究内容だけではなくて研究に向かう「人柄」を示す話になっているので(伝記だからそりゃそうだろうという話だけども)この1冊でこれだけのさまざまな研究者とその人生を垣間見ることができるのは、なんかやっぱり得した気分である。伝奇の紹介という形になっているので、気になったらもともとの伝記を読んでみようとかそういうこともできるし。
 印象に残ったのは、ジャコブとドーセの章の締め。
「自分のやっていることが本当に自分に向いているかどうかは誰にもわからないし、向いた仕事をどうやって探していいかもわからない。そこをどうあがいて生きていくかが大事なのだ」
 ほんと、仕事ってそういうもんだよな。と、日々向いてないなあと思いながら仕事らしきものをやっている者としては同意するのである。じゃあ向いてるかもしれないほかの何かを探しに行くのか、あるいは目の前のものを自分に「向く」ようにするための方法を探すのか。そういうことなのだろう。まあ、そう簡単にできる話でもないけれども。(笑)

 しかしこの本、文庫にあるまじき価格……(笑)。そこまでページ数多いわけじゃないんだけど、いやページ数で価格が決まるわけじゃないんだろうけど、うううむ。それで結局図書館からだったのでした。すいません。とはいえ、内容の濃さからいうと高価すぎるということは全然ないとは思うんだけども。

「ラギッド・ガール 廃園の天使II」(著:飛 浩隆)

2020-08-13 22:40:39 | 【書物】1点集中型
 「グラン・ヴァカンス」に続くシリーズ第2作。ということだが、そのままストーリーが続くのではなくて「グラン・ヴァカンス」の前の話。ジュリーとジョゼの出会いから、〈数値海岸〉にゲストが訪れなくなった〈大途絶〉の経緯、1作目で〈夏の区界〉を襲ったランゴーニの生い立ちといった、諸々の設定がオムニバス的に語られている。
 いつかの未来にあり得るかもしれないVRの世界、人間の意識のデジタル化、人格としてのAI。それら自体は珍しい題材ではないけど、やっぱり物語世界のディテールが独特だなあと、飛作品を読むと思う。「直観像的全身感覚」なんてのもそうだし。

 技術の話を見ているとハードSFな気にさせられるけど、人物(もちろんAIも)の内面の描き出し方のおかげで、物語としては抒情的な雰囲気が強い。現実と仮想が混交するような隠微な官能が、人間の密やかな業をそっと抉り出していくような気がする。たとえば「クローゼット」には人間の、男女の情の淀みが見えるのがわかりやすい。
 すっきりと整っていない、まさに「ラギッド」な感じ。そのざらざらした、どこか不快さが残るような読後感が癖になっちゃうんだよね。たとえばチットサーイや前作のランゴーニの残虐のように嫌悪する部分も確かにあるのに、それがなければこの世界が成立せず、そうした残虐の理由が物語にもなっている。だから読む。
 つまり、読者は読むことで物語の生成に加担している。表題作のアンナの「小説の酷い場面に眉をひそめている私たちこそが、ほんとの実行犯」という言葉の通りに。そしてそれは、〈数値海岸〉における(人間から見る)現実と仮想のあり方にも似ている。人間にとってはあくまで「似姿」が経験することをデータとして取り込むのがこの仮想リゾートだが、AIにとっては自らが「生きて」いる〈区界〉こそが現実であり、「似姿」こそがゲストそのものだ。当たり前だけど。でもAIが人間と同等と扱われるべきかどうか。そして人間は肉体を持たない存在になったとき、人間と認められるのか。何をもって生命と定義するのかという、

 1作目の謎がこの2作目で明らかになって、物語がつながった! いよいよだ! と盛り上がってきたところなのに図書館にはなぜか肝心のシリーズ3作目が置いてない。結局〈大途絶〉はそのままなのか、区界に「天使」は現れるのか、この中途半端な状態で読むのをやめるのは基本的にあり得ないんだけど、3作目を読むなら1作目から全部買わないと気がすまなくなるだろうから(笑)さてどうしようかというところ。悩む間に「自生の夢」とか読むことになりそうだ。