life goes on slowly

或る大阪近鉄バファローズファンの
偏愛と放浪の記録

「機龍警察」(著:月村 了衛)

2014-08-29 23:41:35 | 【書物】1点集中型
 キモノ=機甲兵装を用いる警視庁特捜部にあって、「龍機兵(ドラグーン)」と呼ばれる特別装備を与えられた3人の「傭兵」。キモノが「二足歩行型軍用有人兵器」と描写されたときには、特車二課か? と思ったのだが、龍機兵への最初の搭乗シーン、いや装着シーンか、その描写を見たらどっちかってーと企画7課かも? とか思ったのが大体の第一印象である。実際は巨大ロボットというわけではないので、どっちにしてもまるっきり同様ではないけど。
 美男美女揃いの主要キャラクターは特にそのルックスがまんまアニメになりそうな設定だなとは思ったが、同じアニメにしたって著者が「味っ子」やら「天地無用!」やらの脚本を書いていたというのには……その方向性の転換ぶりにかなり驚いた(笑)。

 まあ、そういうディテールの話は措くとしても、機甲兵装というツールはSFだけど全体としては基本的にハードボイルドで、まごうかたなき警察小説かと。警察内の、組織であるからこその暗部だったり、3人の「傭兵」がそれぞれに背負う暗部だったり、意外に清廉でまともなキャリア組だったり(笑)。あえて言うならば、人間ドラマの部分は「劇場版パトレイバー2」っぽいイメージかな。「機龍警察」というタイトルのわりには、機甲兵装はエッセンス程度として捉えておいてもいいくらいの印象。
 そしてこれ、1話完結じゃないんだな。知らなくても終われるっちゃあ終われるけど(笑)それも謎がかなり多いままで消化不良だし、このガチガチな雰囲気自体は嫌いじゃないので、こうなったら続きを読まないわけにいかないではないか。なので読む。配本待ちだけど。

「命売ります」(著:三島 由紀夫)

2014-08-24 22:12:11 | 【書物】1点集中型
 「新聞の活字だってみんなゴキブリになってしまったのに生きていても仕方がない、と思ったら最後、」死に取りつかれて、遂に自殺を図った主人公。うまく死ねなかったので、それならばということで「命売ります」などという求職広告を出してしまう。そうしたら本当に命の買い取り手がやってきて彼に鉄砲玉のごとき依頼をする。不貞な妻の後始末、怪しげな薬の実験台、果ては吸血鬼の女への血の提供やら、某国大使館への命を賭した侵入。だが、なぜかその都度、依頼は何となく成功するのに彼は運悪く(?)生き残ってしまう。
 命を売って結果ひと財産築いてしまい、それにあかせて「中休み」と称してのんびりしようと思って借りた部屋の大家の娘は、彼に命を売りたいなどとのたまうジャンキーであった。そして彼女と暮らし始めてから、彼の自分の命に対する心境に微妙な変化が起き始める。

 最初は本当に人生に倦み、何もかもどうでもよくなって命を売ることを思いついたはずが、「死ぬことに疲れた」自分になんとなく気づき始める。そして身に覚えのないことで殺されかかったときには、それこそ命からがら逃げ出してくる。殺されることを望んでいたはずが、結局のところ、自我を否定され誤解されたまま無抵抗に死を受け容れることはできなかったのだ。
 思えば、彼が命を売ると決めたのは自分の意志だ。そのうえで引き受けた仕事で命を落とすのは、最初から折り込み済みのことだから納得できる。しかし自らの決断と全く関係ないところで命を奪われかかると、途端に動物的な生存本能が顔を出す。人間は矛盾の塊だ。
 タイトルは三島っぽいのに、読んでみたらミステリっぽい要素もあり、ものすごく楽に、さらっと読めてしまう。三島作品としては異色な雰囲気。それでいてそこここのちょっとした一文に三島らしさがにじみ出てくる。「世界が意味のあるものに変れば、死んでも悔いないという気持と、世界が無意味だから死んでもかまわないという気持とは、どこで折れ合うのだろうか」「彼の人生の無意味は、だからその星空へまっすぐにつながっていた」とか、三島作品ならではの頽廃のような哀愁のような美しさ。単に読みやすいだけでなく、考えさせるような余韻も残すのがすごいなあ、と率直に思った。

「スパイのためのハンドブック」(著:ウォルフガング・ロッツ/訳:朝河 伸英)

2014-08-20 21:25:53 | 【日常】些事雑感
 タイトルが面白かったので。世の中にありそうで実はあんまりお目にかからない「How to スパイ」な本である。著者が在籍したのが、CIAやKGBと並び称されるほどのイスラエル情報機関モサドだというのも、ありそうであんまりないような気がする。元CIA局員の回想録みたいなのは見かけるけど。
 著者はユダヤ人を母に持つドイツ生まれ。ナチが力を持ち始めたころパレスチナに移住、イスラエル建国後にイスラエル軍に志願して、その後モサドにスカウトされてエジプトにて職務を遂行していたらしい。エースといえる凄腕部員だったそうで、「シャンペン・スパイ」とも呼ばれ、この本でもその由来に少し触れられている。また、その名もまさしく「シャンペン・スパイ」という回顧録も出版されている。

 ……でこの本だが、How toものらしくまずは10の設問によるスパイ能力テストに始まり、その設問の意味をひとつひとつ解説してくれる。そして実際のスカウトのされ方、尾行のトレーニング、経歴偽装のコツ、異性との関わり合いなどなどのレクチャーが続く。スパイ同士が会見するときの手口はよくスパイ小説でもお目にかかるシーンそのものである。
 また、通常の(?)スパイ活動だけでなく、著者自身の経験もあって「拘置所、刑務所、懲治監」といった場所でどのようにして生き延びるか、といったような話もある。さらには引退後の生活についてまで……というのは要するに、もらうものは引退してからよりも活動している今こそ胸を張って要求し、もらっておかないと後悔する、という話だったりもするのだが(笑)。

 特殊な職業であることだけは間違いないわけだが、全体的に語り口も軽妙であり、緊迫するミッションの話などはほぼないので、「お仕事紹介」として気軽に読めてしまう。1982年の本なので多少、現代のスパイのあり方と違ってきているところもあるだろうが(というか「スパイ」という言葉自体が死語に近くなってきている雰囲気もあるが)、「向き不向き」みたいな普遍的な話が中心なのでさほど違和感なく、ちょっとしたトリビア感を覚えつつ楽しめる本でもある。

「レッド・スパロー(上)(下)」(著:ジェイソン・マシューズ/訳:山中 朝晶)

2014-08-15 22:00:11 | 【書物】1点集中型
 ロシアのSVR(対外情報庁)で、ハニートラップ要員として訓練された諜報員ドミニカは、自国内に潜む裏切り者であるCIAのスパイを探し出すため、とあるCIA局員に近づく。彼女は、自由主義でありながら、対外的にはうまく取り繕いながら体制下を生き抜いていた父と、その父と同様の意思を持つ母の娘である。SVRの高官である伯父に利用され、諜報の世界に引き込まれたドミニカは、伯父の企みのために壮絶な体験を重ねることになる。そして、祖国を愛しながらも、自分の尊厳を守るためにその体制に疑義を抱くようになる。

 著者は元CIA局員。33年にわたり海外で国家安全保障にかかわる情報収集活動に携わり、いわゆる「リクルート活動」を指揮する立場でもあったという。この物語はまさに、その経験があったからこそ構築されたものだと言えるだろう。
 正直なところ、読む前にはドミニカとネイトの手に汗握る駆け引きみたいなものがメインになるのかと想像していたので、ドミニカがすんなりCIAのリクルートを受け容れたのは若干意外ではあった。ただ、その流れに不自然さはない。ネイトが見るからに好青年だったり、ゲーブルがお茶目だったりするのがいいクッションにもなっているような。あと、各章の最後についてるレシピがいいなぁと(笑)。ちょっと作ってみたくなっちゃうものもあったりして。

 自らの後継としてドミニカを育てようとした〈マーブル〉と、本当にこんな(ある意味間抜けですらある)スパイが存在していいのかとすら思わせる(笑)〈スワン〉があまりにも対照的だったが……。スパイとしての自分と、ひとりの人間としての自分の間でドミニカもネイトも揺れ動く。ドミニカの激情は目まぐるしいが、その人間性の部分とスパイとしての突出した能力の落差、あるいは結びつきが彼女の行動に理由や展開をもたらしている。
 このエンディングは正直、続編もあるんじゃないか? という気分にもなる(もちろん期待の意味も大きいが)。でもMI5(テレビドラマ@BBCの)なんかもこれに近い雰囲気で終わってる。とすれば、諜報の世界というのは(いや、フィクションなんだけど)得てしてこういうもの、なのかもしれない。ル・カレのスマイリーシリーズもそんな空気はあったし。なので、「レッド・スパロー」としてのドミニカの物語がこれで完結するものだとしても納得できなくはないし、逆に「もし」続編があるとしたらそれはそれで楽しみにしたいと思う。

 あ、あと、どーでもいいけどネイトの同僚アリスの友人ソフィーが「セーラー・ムーンのランチボックス」を持ってたのにちょっと笑った(笑)。

「ええ、政治ですが、それが何か?―自分のアタマで考える政治学入門」(著:岡田 憲治)

2014-08-09 22:46:39 | 【書物】1点集中型
 「政治についての誤解と思い込みを払拭し、政治を取り戻すべく」まとめられた「政治学入門」。このご時世、自分と接する政治を疎かにするわけにはいかない状況であることはひしひしと感じつつも、政治という言葉そのものに嫌悪感を覚えてしまい、つい顔を背けてしまう(自分の)現状を改善することができるかどうか? と思い、読んでみた。愛読しているコラムニスト氏が紹介していたというのも理由の一つ。

 まずは「政治に対する思い込み」である「暗くて汚い」「カネがかかる」「偏っている」「関係ない」の「4K」を払拭する。人間は、聖者も善悪も名案も併せ持つ存在であり、政治はそんな「人間のすべての問題を扱う」からこそ暗いのである。そして意外に見落としがちなのが「政治と道徳は同列に考えることができない」という現実であろう。ある行動が正しいかどうかは、政治のゴールをどこに置くかによって変わってくるのだ。ある人が政治的な意味において自分の立場を貫くということは、公共の利益に照らしたうえで、本当の意味での「無私」での行動ができるということだ。
 また「カネがかかる」ということは、経費としてかなりのカネが必要なのはわかるので、そのこと自体が悪いわけではない。政治家以外の人々から見て「政治で儲けたカネで私腹を肥やしている」ように見えるのが問題なのだと思うのだが……

 著者の言う政治とは、「世界に対する自分の立ち位置を部分的に開示すること」であり、それはつまり「この世の解釈をめぐる選択を、あくまで言葉を通じて不特定多数の他者に示すこと」である。実体としての存在ではない「現実」を、自分の言葉によって造形する、それこそが政治なのである。このへんをわかりやすく示すためにオーウェルの「一九八四年」が引き合いに出されており、言葉を最小限に抑える(=公用語としてのニュー・スピーク)ことによって支配体制が強固になっていることを指摘する。つまり言葉を支配することは、それ自体が政治的な支配になりえるということでもある。
 だから、同じ数字であっても、同じ背景であるはずであっても、「解釈」の仕方で表現はいくらでも変わり、その言葉を受け取る相手に与える印象もいくらでも変わる。最近物議を醸した「解釈改憲」も、そのひとつではないかという気がする。
 そしてさらに最悪であるのが「沈黙の調達」とされる、選択肢を狭めることとその選択肢を正しいものだと認識させることによって「有無を言わさない」状況を作り出す、「行為の指定が成功する」状態である。これにより「言葉が存在しない」=「政治など存在していない」と思わせるという、「政治の最高かつ危険な機能」。この流れは、「北」のいわゆる「主体思想」に酷似しているという寒しさを感じるのは私だけだろうか。

 そしてもうひとつ。何とかしたいと思っても、人ひとりの力ではどうにもならない状況に対し、「最良の選択ではなく、最悪を避けるために『力添え』をすること」が政治でもあると著者は言う。選挙では、投票したい候補者がいないから投票しない(あるいは白紙投票をする)というのは、逆に「最悪の候補者を当選させてしまう」ことにつながってしまう可能性を持っているのだ。だから、政治を作る末端に参加することは決して無意味ではない。
 人は政治と無縁に生きてはいられないことを理解すべきである。自らの言葉を自らの意志によって発するべきである。言葉をぶつけ合うことからしか論議は生まれない。論議のないところに、発展はないのである。

寝耳に水……の閉店劇

2014-08-05 20:46:22 | 【スポーツ】素人感覚
 朝、仕事前にのほほーんとニュースチェックしていたら……

 「ありがとう、そして……さようなら。名店『もつ鍋わたり』を忘れない。」

 何ですと――――!!!!

 蓮根のはさみ揚げ好きだったんですよ。
 ささみの梅しそ揚げみたいなのも好きだったんですよ。
 もちろん鍋も好きだったんですよ。味噌も好きだけどどっちかというと塩派でした。友人と2人で、2人分の鍋に野菜と豆腐を2人前追加するぐらいの感じで食ってましたよ。〆はやっぱりちゃんぽんでしたけど、おじやも捨てがたくて毎度困ってましたよ。んで、お手洗いにざくざく隠してあった(笑)写真の山をいつも楽しみにしてましたよ。

 手羽先食うタイミング逃しちゃったよ……
 名古屋に移転するんじゃなかったのか……。←だからそれはいいって(笑)

 しかし、村瀬氏の記事はいつも、金城がすごい健気でかわいいんだよなぁ(笑)。わたりは、コメントが面白いのは当然として、木塚への愛が衰えないどころか年々激しくなっていくようで、引退後も見ていてこれほど楽しませてくれる(本人にはそんなつもりは全然ないだろうとしても)人がいただろうか、いやいない。って話で。店の最後の日に高森がいたってのも、もう……(笑)。
 それと、わたりといえば外せない「あの人」こと竜のPM。数年前の2月、ちょっと寄り道した北谷のサブグラウンドでノックしている「あの人」を球場の階段の踊り場から見るともなしに見ていたら、近くでジャージ姿のでかい人も見ていて、それがわたりだったという、あまりに強烈な思い出。あのときは、無意味にものすごく得をした気分になったものであった。ありがとうわたり。

 まあ、そんなどうでもいい私の思い出話はともかくだ。
 タイミングだったとはいえ、これほどきれいさっぱりやめてしまうには本当に惜しい店だった。でもやっぱりなんだかんだと一生懸命やってるわたりを、正直すごいと思う。願わくば、わたりと、わたりが愛しているすべての人々が、いつまでも明るくありますように。
 ついでに、「鍋屋→加工屋わたり」でいつか単行本になりますように(笑)。