life goes on slowly

或る大阪近鉄バファローズファンの
偏愛と放浪の記録

「日本の素朴絵」(著:矢島 新)

2015-07-30 23:33:28 | 【書物】1点集中型
 私はたとえば浮世絵や西洋絵画を見ていても、画面の片隅にいる、さっと筆を走らせたような小さな人物に見えるゆるさ(本当は確固たる技術に基づくものだけど)と親しみを覚えて見入ってしまうことがよくある。なもんだから、この本は表紙からして好みのゆるさの人物画なのが気になって読んでみた。
 ただしこの本のメインは無名の人々、いわゆる職業画家ではない人々の手になるまんま素朴な味わいの絵である。人や動物の描写がゆるゆるなのはもちろん、構図が崩れまくっているところになぜか妙な味があって面白い。「絵巻と絵本」の章にある「かるかや」「築島物語絵巻」(これが表紙に出ている)の人物のタッチなんか、個人的には超好みである。いわゆる「へたうま」というよりは、線がかなり素人っぽい分普通に「下手」な感じだが、でも本当に親しみがわくというか、文字通り素朴というか……どこか憎めない下手さなのである。

 「庶民信仰の温もり」の章は、それに比べると全体としては幾分洗練されているものが多いのだが、「地蔵十王経(仏説地蔵菩薩発心因縁十王経)」なんか地獄絵図なのに、(絵の中で)やってることは恐ろしいのに、そこにいる人物や鬼の素朴でユーモラスな表情が見事。あと、石仏。確かに、道端のお地蔵様やら小さな祠にあるご神体的な石の彫刻みたいなものって、それこそもうとんでもなく素朴で、時々笑いを誘われるものさえあったりするのだが、だからこそ親しみがあってささやかな信仰の対象になるんだろうなとも思う。
 「知識人の素朴」の章に出てくる仙とか蕪村とか乾山の絵はもともと好きだったこともあって、その読み解きを興味深く読ませてもらった。そういえば、佐藤卓氏がとあるインタビューで「ゆるキャラ」のデザインについて、くまモンは「ユルさの精度が高い。プロの仕事」で、ふなっしーは「ものすごく素人っぽいデザインを『これでいいのだ』とあえて押し出すことを楽しんでいる。『くまモン』の逆」と分析し、どっちもありだとおっしゃっていた。それを思い出して、言うなれば白隠・仙はふなっしー系で、蕪村・乾山はくまモン系であり、「へたうま」系かなあと思った次第。

 こうやって見ると、確かに現代のゆるキャラブームはあれども、ゆるさや素朴さを心地よく思う感性というのは、人類が綿々と受け継いできた精神性の現れでもあるのだろう。田辺誠一「画伯」の「かっこいい犬」も、言ってみれば「素朴絵」だし(笑)、あの絵に対する反響も、人が素朴絵をどう受け止めるかという感性の発現のような気がする。あ、とすると、タマキングこと宮田珠己氏のイラストもそっち系だ!(笑)

「SFマガジン700【海外篇】」(編:山岸 真)

2015-07-29 22:26:04 | 【書物】1点集中型
 「国内篇」に続いて海外篇も。巨匠クラークの手になる幕開け「遭遇」は、未知のイオン生命体との、それとは知らぬ遭遇を絶妙なすれ違い方で描いている。ニーヴン「ホール・マン」は、SF的手法を用いたサスペンスという趣で締めるかと思いきや、それを惑星消滅の未来にまで持っていく落とし方がいい。
 スターリングの「江戸の花」はスチームパンク@日本というイメージ。「怪談」みたいな雰囲気もあって、これが「海外篇」に入ってるのが面白い。ウィリスの「ポータルズ・ノンストップ」は、やっぱりこの人のタイムトラベルものは終息のさせ方が上手いなぁとあらためて思った次第。大森氏の訳とウィリスは合ってるよなー、とも思う。

 イーガンの「対称(シンメトリー)」は、科学的な意味での「対称」を突き詰めていった発想が生んだストーリーで、謎解きの見せ方が好き。チャンの「息吹」は、ディストピア風の世界観。「思考が歯車の動きではなく、純粋に空気のパターンなのだとしたら」「わたしという存在は、その空気が一時的にとっていたパターンにすぎない」。当初から、この世界に描かれる人々は生身の人間とは違う形で描かれるが、だからこそ語り手が記す「存在するという奇跡」が浮かび上がる。このアンソロジーの締めに相応しい。
 あとは、なんつってもバチガルピ「小さき供物」のインパクトが! 「次の子に未来をあたえるための、血と肉と人間性の柔らかな犠牲」なんて、この作品世界を想像するだに胸が悪くなる読後感。まるでハクスリーの「すばらしい新世界」並みに。でもこういうあり得そうな恐ろしさ、好きなんだよなぁ。

 以上、全作品じゃないけど印象に残ったものをメモしてみた。それぞれの作家ならではの視点と発想と仕掛けが満載。自分の好みを見つける手がかりとしてはやはり重要なので、もっといろんなアンソロジーを読んでみたいとも思う。

「氷」(著:アンナ・カヴァン/訳:山田 和子)

2015-07-16 21:49:22 | 【書物】1点集中型
 地球規模の気候変動による寒波に押され、滅亡への道をひた走っていることを思わせる不穏な世界情勢がある。そのまっただ中に、支配され、虐待されることしか知らない「少女」がいる。「少女」は、彼女自身を今支配する「長官」から逃れることができない。「私」は愛する「少女」を追いかける。その「長官」から救い出すために。けれど男は知っている。「少女は、私が夢の中で自分の快楽のために利用する犠牲者」であることを。

 一貫性があるようなないような、ふと気づくと違う場所に降り立っている「私」のように、どこか遠い世界に飛ばされていくような不安定さ。「私」が追い続ける「少女」も、「少女」を支配する「長官」も、本当に存在するのだろうか。しかし世界を押し包み、最後には握り潰すであろう「氷」がひたひたと迫り続けていること、人の力の及ばないそのことだけが奇妙なリアリティを持っている。終末というリアリティを。
 そしてそのリアリティの中に「少女」とともにあってこそ、「私」の生は生たり得る――苦しみと諦めと破滅の象徴である「少女」とともに。「長官」とほとんど同一化しつつあった「私」を、それでも最後に「少女」が受け容れたのは何故か。「少女」にとっては「私」も「長官」も、押し寄せる「氷」と同じだったのだろうか。抗うことのできない絶対の力。逃れえない死の世界。だとしたら、安らぎは死にしかないということなのだろうか。

「四人組がいた。」(著:高村 薫)

2015-07-11 23:36:09 | 【書物】1点集中型
 あの高村薫がまさかのコメディ風味。舞台はいわゆる限界集落のような山里。物語の中央にどっかと構えるは元村長、元助役に郵便局長、細々と野菜を直売するキクエ小母さんという、一癖も二癖もあるどころか癖だらけの老四人組である。政治と言うにはのっぺりとした村の中の力関係やら、寒村が細々とでも生き永らえるための強かさやらの見え隠れする描写が、これまた高村作品らしい。
 はじめは、そんな老人たちの暮らすさびれた田舎村落にちょっとばかり人ならざるものの影が見え隠れするファンタジー系のようにも見える。高村作品らしさと、かつて高村作品にはなかった(と思う)非現実が入り混じった、幻想未満の新しい高村ワールドが開拓されるのかと思いつつ読み進めると、物語が進めば進むほどに「四つ足」たちが幅を利かせ、完全なる人外魔境へ突き進む。

 かと思えばこまっしゃくれた(人間の)子どもたちとの本気のバトル、キャベツとケールの仁義なき戦い、AKBならぬTNB48なるご当地アイドルとして活躍する四つ足の子どもたちの応援に、華麗なるヲタ芸を村中に仕込んでのお台場アイドルフェス進出。ついには閻魔様やミニスカートに金髪の阿弥陀如来がからまで引っ張りだこと、四人組のパワーは天井知らず。その暴走感たるや「あの高村薫がこの弾けっぷり!」と思えば思うほど面白くなってくる。閻魔様の一芸にはウルヴァリンまで出てくる始末で、つーか四人組がウルヴァリンを知っている設定なのが驚きだが、いったいどこへ行こうとしているのか、高村氏!(笑)
 ただ笑いたいだけだったら少し物足りなさはあるかもしれないが、読み返すと「あ、ここ高村氏っぽい」と改めて気づくことも多々あり、じんわり味が出てくる感じ。実は初読ではさらっと、という感じだったけどなんとなくぱらぱら読み返してみたらもう1回突っ込んで読みたくなったのだった。ただの奇譚じゃないし、ただの心温まる交流(人間と四つ足との)でもない。タイトルと結末の雰囲気からすると続編はなさそうだが、いつもの高村作品群の中にあって息抜きになる存在かな。文庫になったら買おうかな、と思ったけどもしそうなったら例によって大手術が施されるのであろうか、ていうか文庫化にまた10年かかるのだろうか(笑)。

「インシテミル」(著:米澤 穂信)

2015-07-07 00:14:24 | 【書物】1点集中型
 何か映像化されたものを観たことがあるような? と、読みながら思い出したがネタは全然覚えてなかった(笑)。一見、誤植かと思われる法外な報酬の求人広告に集まった12人が、外界から隔離された施設で「人の行動の結晶を取り出す」のが目的であるという「実験」に参加する。「不穏当かつ非倫理的なできごとが発生し得」るとの警告を了解したうえで。
 いかにも何かが起こると言わんばかりに怪しげな、「暗鬼館」という名のその施設で行われる実験の期間は1週間。人を殺した者、殺された者、犯人を指摘した者に与えられるボーナス報酬があることも、犯人と判定された者へのペナルティがあることも、主催者によって明かされる。けれど本来、何も起こらなければ全員揃って、アルバイトにしては法外な報酬を手にして帰ることができるはずだ。ある意味単純明快なはずの、参加者たち自身を守るルールは、最初の犠牲者が出たことによって脆くも崩れ去る。そしてその「殺人」を解明しようとする中で、また新たな犠牲者が出ることに……。

 「そして誰もいなくなった」のように、閉じ込められた場所でだんだんと人が減っていく、こういう手法をクローズド・サークルものというらしい。逃げ場のない環境で追い詰められていく参加者たちそれぞれの疑心暗鬼、精神への圧迫が肉体を蝕むさま、そしてそんな参加者たちの様子を見つめる読者。参加者たちに感情移入しながらも、ある意味では主催者と同じような立場で遠くから見つめている自分がいることにも、読みながら気づくのである。
 いろんなミステリ作品のネタを少しずつ取り込んで全体のからくりを築く、ミステリとしての仕掛けはそれなりに面白かったと思う。いろいろ読んでみようかなという気にもされられるところがあるし。ただ、最後はなんとなく収拾されたようでされてないような微妙さが……特に「10億」の動機が。詳しいところが明かされるわけではなかったので、なんでそこでいきなり10億なんだ? って感じになってしまった。
 「実験」終了後の各自も予想の範囲内の話だったので、そこでぞっとさせてくれるか、すっきりさせてくれるか、どちらにしてもあと一押しのインパクトが欲しかった。主人公同様にミステリの知識があったらまた違った面白さもあったのかな。心理的な迫力という意味でのディテールは若干惜しいとは感じたけどストーリーの大枠は楽しめたので、もう1回他の作品も試してみたい気はする。