life goes on slowly

或る大阪近鉄バファローズファンの
偏愛と放浪の記録

「これが物理学だ!」(著:ウォルター・ルーウィン/訳:東江 一紀)

2014-05-30 21:58:57 | 【日常】些事雑感
 「不確かさの自覚なしに行なう測定は、いかなる場合も意味がない」

 サブタイトルは「マサチューセッツ工科大学『感動』講義」。WEB講義が世界中で人気を博しているMIT教授、ウォルター・H・G・ルーウィン教授の、大学で行われている物理学の講座をまとめたものである。口絵もたくさんあるけど、それ以上に文中で動画などがいろいろ紹介されている。それがなかなか見切れなかったのがちょっと残念ではあるが……

 この世にあるあらゆる現象を解き明かすための大いなる力である物理学が、どのように築かれ、その力がどのように現代社会に活用されているのか、ときにエキサイティングな実演も交えて紹介される。ニュートンの法則から宇宙船の中で宇宙飛行士が浮遊する理由が読み解けたり、床から5mの高さにストローでクランベリージュースを吸い上げて圧力の意味を示したり、さまざまな姿を見せる虹の姿が粒子であり波動であるという光の二面性に結びついたり。
 後半は現在の著者の専門であるX線天文学にシフトしている。サイエンス系の読み物に興味を持つまで、物理学と天文学がこれほど密接に関係しているとはよもや思っていなかったど文系の私であるが、知ってしまった今となってはこのあたりの話にワクワク感が湧き起こってしかたない。そもそも分光学が生み出されただけでもすごいと思ったけど、自然現象の中で発生するX線を、その発生理由を突き止めることによってその原理をほかの何かに活用する、まさにこの手法こそ物理学の真骨頂といえる鮮やかさがある。

 全体的には、大学の講義でありつつも「どんなモノを見せたら、物理学に対して学生を興奮させることができるのか」を常に念頭に置いて構成された、一種のエンタテインメントじゃないかと思う。虹の美しさには単純に心惹かれるし、感覚で「美しい」とか「好き」だと感じる芸術作品にしても、実はものすごく緻密に計算された制作過程があったからこそ、鑑賞者にその感覚を与えるものだったりすることがあるのだ(すべてがすべてではないにしても)。人間の感覚をものづくりに生かそうとする人間工学もそれに近いものがあると思う。やっぱり、こうやって見ると物理学って面白い学問なんだよね。得意にはどうしてもならないけど(笑)。

「騎手の一分」(著:藤田 伸二)

2014-05-21 19:55:22 | 【書物】1点集中型
 たいして競馬に詳しいわけではないけど、90年代から大きなレースをときどき横目で眺めるくらいには見てきたので、騎手・藤田伸二=フェアプレーの人ということくらいは聞きかじっていた。で、中央競馬の内情をいろいろぶっちゃけますよという触れ込みに興味を持って読んでみた次第である。
 騎乗スタイルの解説的な部分は興味深く読ませてもらったし、馬券を買うわけではないので何に役立てるというわけでもないんだけど(笑)名前でしか認識していなかったさまざまな騎手たちの個性がわかって面白かった。加えてここ数年どうも武豊が勝てなくなっていて、リーディングの状況も数年前に比べるとかなり変わってきていて……という現状で、ネットでの噂話程度には「何か」があるということは耳にしていたが、現場がこんな状態だとは。現役のベテラン騎手が言っていることなので説得力がある。リーディング上位に来る騎手でも、それこそ往年の武豊のような凄みというか、貫録というか、そういう「雰囲気」を感じないのも、そういうことなのかなぁ。

 でもそれ以上に藤田の主張が響くのは、なんといっても現在、若い騎手が育ちにくい環境になっているということ。外国人騎手の活躍が目立つその裏で、ただでさえ人数が激減している国内の騎手たちには危機的状況なのだということだ。そしてそんな中央競馬に、藤田自身がもう夢も希望も持てなくなってしまっている。プレイしている人間がそんな状況に追い込まれるような世界なら、見る側だってそれ以上に楽しめるはずがない。
 相当に深刻な状況のはずなのに、昨今JRAは一体どこをめざしてるのか? と思うことが多々ある。不況のおかげもあって売上が右肩下がりなことも当然大きな影響があるんだろうけど、このままだと構造的な問題がずっと問題のまま、じり貧になっていくんではないだろうか。

 ただ、藤田は騎手人生を投げ出したわけではない。自分らしく終わるためにできることを探しているようだ。中央競馬に魅力を感じることはできなくなっても、きっとこれからも発言力を持った存在で居続けるために走るんじゃないだろうか。

「不変」(著:上原 浩治)

2014-05-17 19:51:29 | 【書物】1点集中型
 WS優勝のご祝儀に(←何様だ)購入。上原氏はアメリカに渡っても怪我に悩まされ続けてきたけど、昨年はそれがまるでなかったことのようにフル稼働。「たられば」は禁句だと重々承知しているけれども、体さえ万全ならこんなもんじゃないのに! と歯痒く思いながらもちらちら追い続けてきた投手なので、これだよこれ! これでこそ投手・上原浩治ですよ! と、シーズンでもポストシーズンでも報道が過熱してくるにつれニヤニヤ度が上がってしまった昨シーズンであった。
 さて本書である。そんな有終の美を飾った2013年シーズンを振り返り、またそこにたどり着くまでのMLBの5年間、あるいはNPB時代、さらには「19」のルーツとなった浪人生時代にも言及している。過去にも幾多のメディアで折に触れて語られてきたことや、blogでも話されていたことも多いので、初めて知る要素ばかりではないのだが、あの2013年を思い起こすとあらためて、それまでの日々がいかに上原氏自身に意味のあるものであったかと感じずにはいられない。

 身を置く環境はさまざまに変われど、「不変」という言葉にすべてが凝縮されている。そのスタイル、やろうとすることは何も変わっていない。だから誤解も承知の上だし、自分の中の矛盾も承知の上である。しかし誤解をされれば腹も立つわーとやっぱり言葉にしてしまうあたりがまた、上原氏らしいところ(笑)。ただそれも実際、「感情を吐き出し、すぐに気持ちを切り替える」ということの一つであろう。
 引退するとき、野球人としてすべてをやり終えたときが「頂点」――。それはおそらく、完全燃焼したと自身が思える瞬間のことだ。今も毎日ブルペンに向かう上原氏に、いっそその瞬間がずっと訪れなければいいのになぁと思う。140km/h台前半のストレートと多彩なスプリット。その1球1球に籠められた「気」が、ほかの誰にも真似のできない抜群の球の「キレ」になって、キャッチャーミットの中で弾ける。頂点が見えない限り、あの球を投げ続ける上原浩治を見続けることができる。そう思いながらMLBを横目で追う毎日である。

「宇宙の果てのレストラン」(著:ダグラス・アダムス/訳:安原 和見)

2014-05-13 23:45:39 | 【書物】1点集中型
 宇宙最強のSFコメディ「宇宙ヒッチハイク・ガイド」の続編。今作はなんだかアーサーの影が薄い……ゼイフォードが縦横無尽に爆走、ほとんど独擅場と化しているような(笑)。
 ちょっくら小腹を満たしに行きたいだけだったはずが、時空をあっち行ったりこっち来たり、未来部分的条件節変形半反転変格過去仮定法意図的とか時制にまで相変わらずぶっ飛んだバカバカしさ満載だったり(このあたりはもう、安原氏の訳の素晴らしさに脱帽である)、SF的にもディープな感じになってきた。んでもって、宇宙の果てのレストラン=宇宙の終焉を見物できるレストラン「ミリウェイズ」にたどり着く一行。

 それにしても、前作も思ったけどこのシリーズといい「ドクター・フー」といい、BBCのSFコメディ万歳だな~と思っていたところ、訳者あとがきを読んで作者はそれこそ「ドクター・フー」の脚本を手掛けていたこともあったと知った。果てしなく納得した。両作品ともとにかく笑かすコメディなのに、実はこっそり重めの背景があるあたりも。今回は「人はみんな自分の目と耳っていう自分の宇宙を持っている」という、宇宙の支配者の一言が妙に深い。アーサーとフォード、ゼイフォードとトリリアンの2組4人はどこでどうやって再会するのか。で、答え=42の謎は果たして解き明かされる日が来るのか。そして哀れなマーヴィンにもう一度会う日は来るのか。(笑)
 なのでやっぱり続編も読みたい。のに図書館に入ってない。とっとと買えってことか~!

「最後の冒険家」(著:石川 直樹)

2014-05-07 23:24:10 | 【書物】1点集中型
 石川氏のあの独特の空気感を持った写真が好きで何冊か写真集を持っているが、文章メインの著書を読むのは初めて。かなり厳しい自然環境にも身を置きながら撮影活動をしているのだろうなとは思っていたけれども、確かにこれは石川氏も一般的なイメージとしての「冒険家」みたいな捉え方をされうる活動かもしれないなというのが、この本を読んで感じた最初の印象だった。ただ、文中で氏自ら語っていたように、地球上で人が足を踏み入れることのできない場所が事実上限りなくゼロに近くなっている現代、地理的に未踏の地を目指すという意味での「冒険」や「冒険家」というものはもはや存在しないということも確かだが。
 本書はそんな時代の少し前、熱気球飛行という手段を通じて「人のやらないことをやる」という意味での「冒険」に挑み続けた神田道夫氏を、石川氏の目を通して描き出したものだ。

 神田氏の冒険は、傍から見ていれば無謀と思われることも多々ある。実際、最後の飛行は、結果として単独行にならざるを得なかったことが示すように、通常の考え方からみてかなり困難の度合いが高く、フェイルセーフという点がほとんどと言っていいほど重要視されていなかった。そのことを石川氏は、読者に丹念に説いている。
 神田氏が消息を絶った半年後、そして石川氏が神田氏とともに太平洋上に着水してから4年後に再び出会った、2人の冒険の証となるゴンドラ。それは石川氏にとって、「別れ」という言葉が示すように一つの区切りとなったことは間違いないだろう。それでも、「冒険」の本質を神田道夫という存在に重ね続ける石川氏の思いは、絶えることはない。あの透徹した空気の氏の写真の1枚1枚にその精神が宿っているのだろうと、今あらためて思う。

1984年から30年経ったというので

2014-05-05 23:58:39 | 【日常】些事雑感
 久しく会えずにいた友人から、「地元に来るのでよかったら一緒にどう?」と、「TM NETWORK 30th FROM 1984」に誘われた。って、友人の地元は名古屋なのであるが(笑)。でも、なかなか会う機会も作れてなかったのでいいタイミングだと思い、誘いに乗って行ってきた。ここ2年ほどLiveやってたのは知ってたんだけど、実際は「Major Turn-Around」以来行ってない(し、それ以降のアルバムも聴いてない……)ので、なんと10数年ぶりのTMですよ。その間に行ったLiveと言えばOASISの来日公演ぐらいだ。
 まあ、オリジナルのフルアルバムが出てるわけじゃなし、正直大きな期待は持っていなかった。でも事前にちょっとチェックだけしてみたset listを見ると「終了」前の曲がほとんどだったのである意味安心して(笑)臨んだ次第。

 会場行ったら、ホールだけどそれなりに人がいっぱいいてこれまたひと安心(笑)したわけだが、一応パンフくらい買っとくか~と思って見てみたら3,000円とか言われたので腰が引けた。私の中での予算が2,000円だったから(笑)。結果、却下した。

 そんでLiveが始まってみますと、いやいや、初っ端の映像からけっこうかっこいいじゃないですか。これは期待できるかも。と思いながら2分余り(と、前日に会った別のTMおたくというかTKおたくな友人から聞いていた)の映像を眺めていたものだった。
 OP曲は先月出たばかりの新曲「LOUD」だったんだけど、知ってたのに事前に動画ちゃんと見ておかなかった(笑)。でもキャッチーな曲だったのでノリやすかった。PV映像はスター・トレックかVirtual InsanityかScream(Jackson兄妹の)か、ってとこだったけど(笑)←好きなタイプの映像だけど

 アレンジは全曲、今年仕様だったのでどれもどの曲か見当をつけるまで若干時間がかかった(笑)のだが、おなじみのフレーズがイントロに散りばめてはあるので、どっかでちゃんと気づけるようになっていた。全体として今のてっちゃんがやりたいらしいEDMというやつで、まあそもそも原点はその辺にあるよねという、音質は今風になってるけど全体の雰囲気がTMの原点っぽい感じ。アレンジに違和感もなかったし、だから安心して楽しめましたよ。
 ショーコンセプトをしっかり固めている印象ではあったので、ウツと木根さん(一応哲哉さんも)の小芝居(←おい)もそんなにわざとらしくなく、ストーリーとして見てられた。まあ、OP映像が「Starring~」から始まるように、舞台というか映画のようなつくりになっていたから、かーなーり時間きっちり! って感じだったけども、完成度は高かったと思った。TMらしいステージだなと、個人的には思った次第。観に行く前に入れ込んでなかった分(笑)満足度は高かったです。楽しかった。誘ってくれた友人に感謝です!

 なもんで、これならお布施してもいいと思い(笑)結局パンフは買って帰りました。はい。

 もはや決して細くも華奢でもない哲哉さん見てると過ぎし年月を思わずにはいられないのだが(笑)、ウツの声がとても安定していたし、何より「こんなにLiveできれいな声出てたっけ??」と思わせるくらいに歌声に透明感と若々しさがあって、驚きました。ごめんなさい。そして木根さんは、ピアノを弾くシーンなかったのは若干残念ではあったが、木根さん自身の雰囲気が全く変わってなくてそれがとても安心できました。猫背も(笑)。
 ということで、今日良かったよ~と、別席で参加していた昨日のおたく友だちにメールしてみたら、だったら「DRESS2」買ってよ! Liveのアレンジはこれが元だから! と畳みかけられ、まんまと買った。で、今聴いている。各曲のタイトルをもうちょっと考えてほしかったが(笑)。昔みたいにおもしろいMix名とかつけてほしかったのにー。(一緒につい「小室哲哉ぴあ TM編」とか買っちゃったのは内緒。)

 おたく友人の話によると、ステージに出てきてたドロイド(あれ、TAKE THATの「PROGRESS live」で出てきたあのどでかい人形思い出すんだけどね。なんだっけあの名前、忘れちゃったけど)と、映像の中にあった「1974 in LONDON」みたいなのがどうもリンクしているらしく、ドロイドは女の子で、1991年には17歳なわけで……という話なんだそうだが。んでもって、Liveの最後、予告として「2014 Winter」とか言ってたのと結びついて、「CAR●L2」とかになるって話らしいんだが(全然伏せ字になってない)。
 ただ、CAR●Lって話そのものが完結してるし、あれってあの音をわざわざこだわってロンドンで録ったんじゃん! あの音だからいいんじゃん! とか個人的には思ってるので……それをいい意味で裏切ってくれるといいなあと思うのですが。あと、リプロダクトでもリミックスでもやってくれていいねんけど、ツアー2回続けて過去曲メインっつーのも何なので(笑)、どうせやるならオリジナルフルアルバム出してくださいよという(私の)意見もある。

 まあ何はともあれ、今回のLive自体は来てよかった! というのが素直な感想。ぜひ、この質を保って還暦を迎えてほしいです(笑)。

「ユニヴァーサル野球協会」(著:ロバート・クーヴァー/訳:越川 芳明)

2014-05-02 20:52:25 | 【書物】1点集中型
 物語は、とあるプロ野球チームの新人投手デイモン・ラザーフォードが完全試合を成し遂げるシーンから始まる。そしてそれを最大級の興奮を胸に見つめる主人公ヘンリーがいる。しかしヘンリーの行動を追いかけていくと、彼の観ている試合が現実のものではないことに気づく。ヘンリーは、自らの創り出した架空のプロ野球リーグ「ユニヴァーサル野球協会」の試合を、ワンプレイごとに3つのサイコロを振ってゲームを進めていくゲームを行っているのだ。
 架空のリーグの架空の試合であるにもかかわらず、そこに描かれる選手や監督の一挙手一投足や心理状態はあまりにも鮮やかである。サイコロを振って試合を進めるだけのゲームでここまで世界ができあがっているということが、すでに現実離れしている。そして現実離れしているからこそ、その虚構の世界が現実との境界を果てしなく曖昧にする。だから読み手もヘンリーと同様以上に試合に引き込まれてしまう。

 だがそんな盛り上がりも束の間、完全試合を成し遂げたばかりの新人投手デイモンが、ユニヴァーサル野球協会の所有者であるヘンリーが転がしたサイコロの「6のゾロ目」によって、頭部に死球を受けて試合中に死亡してしまうのだ。
 現実の生活(特に仕事)が全く手につかなくなるヘンリーの変貌は、痛々しさと狂気を孕んでいる。その世界で1人きりでいることに恐怖を感じて職場の友人ルーをゲームに誘い、すると全くルールを無視したルーのゲーム運びがヘンリーの思惑をことごとく外していく。挙句、ヘンリーは自らが決めたルールを放棄し、サイコロの出目を操作してしまう。その姿は、踏み越えてはならない一線を、しかし創造主という名のもとに踏み越える姿だ。

 解説を読むまで全くわからなかったのだが(笑)この物語は聖書の「創世記」をデフォルメした姿と言えるそうだ。となると、最終章の「デイモン・ラザーフォード記念試合」は現代のデフォルメなのだろうか。
 「これは試練なんかじゃないよ」「あるいは教訓でもない。ただの現実なんだ」
 だとしたらハーディのその言葉は、その場面は、生きている者の眩いばかりの輝きを示しているようにも思えるのである。たとえ現実の世界ではないのだとしても。

 野球をか? 人生をか? それらを区別できるのか?(8章より)

 ヘンリーは、確かにユニヴァーサル野球協会に命を与えた存在ではあったのだ。