ディックの歴史改変もの。第2次大戦の勝敗が逆になった世界というのはわりとよくある題材だと思うが、それをあのディックがどう描くのかが気になったので読んでみた次第。1962年の作品だそうだ。
枢軸国側の勝利なので、ユダヤ人排斥は続いていて、アメリカでは日本人がそれとなく幅を利かせている。そして、この世界での歴史改変ものといえる、もし連合国側が勝利していたらという前提で書かれた発禁小説「イナゴ身重く横たわる」の物語世界が、それを読む登場人物たちを通して展開する。小説の中の小説、虚構の中の仮想現実、さらには我々の生きる今の世界という3次元展開だ。
「イナゴ身重く横たわる」は、ただの小説ではない。正体不明の作者を追ってたどり着いた答えが、実は「易」である。易経を片手に筮竹を繰る欧米人、というのがなんとも不思議な雰囲気。でも、どちらかというとそれが日本文化として捉えられているような描き方なのは、ちょっと違和感を覚えるところではある。基本的には中国のものだし。
ただ、著者自身が易経に凝っていたというのが、この作品がこうなった要因のひとつでもあるらしい。実際に、執筆途中で易を立てて登場人物の行動を決めたことがあるという。易そのものが最後はまるで人間のように存在するのが(歴史改変という、ある意味SFっぽくないSFの中で)、最大のSFっぽさかもしれない。
枢軸国側の勝利なので、ユダヤ人排斥は続いていて、アメリカでは日本人がそれとなく幅を利かせている。そして、この世界での歴史改変ものといえる、もし連合国側が勝利していたらという前提で書かれた発禁小説「イナゴ身重く横たわる」の物語世界が、それを読む登場人物たちを通して展開する。小説の中の小説、虚構の中の仮想現実、さらには我々の生きる今の世界という3次元展開だ。
「イナゴ身重く横たわる」は、ただの小説ではない。正体不明の作者を追ってたどり着いた答えが、実は「易」である。易経を片手に筮竹を繰る欧米人、というのがなんとも不思議な雰囲気。でも、どちらかというとそれが日本文化として捉えられているような描き方なのは、ちょっと違和感を覚えるところではある。基本的には中国のものだし。
ただ、著者自身が易経に凝っていたというのが、この作品がこうなった要因のひとつでもあるらしい。実際に、執筆途中で易を立てて登場人物の行動を決めたことがあるという。易そのものが最後はまるで人間のように存在するのが(歴史改変という、ある意味SFっぽくないSFの中で)、最大のSFっぽさかもしれない。
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