life goes on slowly

或る大阪近鉄バファローズファンの
偏愛と放浪の記録

「カラスの教科書」(著:松原 始)

2018-03-21 17:02:59 | 【書物】1点集中型
 生活への介入度が最も高い鳥なのではないかと思われるカラス。の、そのまんま教科書である。
 もともとカラスが嫌いというわけではないのだけれども、ゴミ捨て場にいるのを見るとやっぱりちょっと避けたくなる気持ちはある。なぜカラスはあれほどうるさく鳴くのか、なぜあんなにゴミを散らかしまくるのか、気を抜くと襲われそうなあの雰囲気は何だ、みたいな漠然とした疑問にひとつひとつ答えを教えてくれる。

 結果、当たり前のことではあるが生態を知っていれば行動に納得はいくし、日々カラスを追いかける研究者である著者のように少なからず親しみを覚えることができる。知っていれば付き合い方というか、対処も考えやすい。そして、もうちょっと深く知りたい気持ちにもなる。せっかく身近にいる相手なのだから、偏見だけで付き合いを遮断するよりは、つかず離れずでもうまくやる方法を見つけた方がいいよなーと、まるで人間関係のように(笑)感じた次第である。

「私なりに絶景 ニッポンわがまま観光記」(著:宮田 珠己)

2018-03-12 13:38:36 | 【書物】1点集中型
 「日本全国津々うりゃうりゃ」シリーズ第4弾。WEB連載時は「休暇強奪編」だった。全くタイトルが変わったので、初読の本なのかそうでないのか自分でわからなかった。「うりゃうりゃ」がタマキングの大好物であるのはおそらく読者にはあまねく知られているところだが、どうも、「津々うりゃうりゃ」が「津々浦々」の駄洒落だと出版社のお偉いさんには伝わってなかったらしいって冗談みたいな話があるのだが、俄かには信じがたい(笑)。
 それはそうと、突然休暇の話から始まる今作で、それもフリーランスの悲哀を交えながら(笑)相変わらずの軽妙極まりないくだらなさなのであるが、それはまあ軽い助走みたいなもので、結局話はいつもの通りにテレメンテイコ女史との珍道中である。

 隠岐はなんだかテレメンテイコ女史がなぜか崖に笑う話が妙に印象に残ったのだが、東北やら群馬に行くと俄然タマキングらしい話になってきて、石仏である。そして鬼コやら土人形やらである。計算されてないゆるさが、タマキングの筆にかかるとただならぬおかしみに変わるのである。言ってみれば、自分ではどう表現していいかわからない、石仏のあの素朴な中に感じる何かをタマキングは絶妙に表現してくれる。
 でもって戸隠の忍者屋敷に加えて京都の二条陣屋。二条陣屋の方がからくり的に面白い感じなのが意外だった。そして大阪は磐船神社の岩窟めぐり、徳島は慈眼寺の穴禅定とくる。相当体を張らねばならぬものでもあり、迷路好きタマキングの本領ここに極まれりである。でも腰がハードボイルドだそうなので、読者は心配で手に汗握るサスペンス的展開である(笑)。それが今度は奥祖谷の65分間の特に名物もない乗るだけモノレールの、あまりにも何でもない感じに何故か妙に癒されたりして、まんまとタマキングの旅の感覚に乗せられてしまっているのであった。

 早明浦ダムや、川内川の曽木の滝下流のダム中に沈んでいる建物なんかは素直に見てみたいと思うし、鹿児島の怒濤のどうかしている仁王像ラッシュはフィナーレを飾るにふさわしい爆発力である(笑)。石仏としてだけではなくて、それが素人には由来がわからない妙な場所に上半身だけ生えてるみたいな妙な形で存在しているというのがまた、おかしさの相乗効果を発揮している。本当にタマキングは、なんでこんなものを見つけられるのか(笑)。だからタマキングの本を読まずにいられないのだった。

「生物から見た世界」(著:ユクスキュル、クリサート/訳:日高 敏隆、羽田 節子)

2018-03-01 20:40:03 | 【書物】1点集中型
 「岩波文庫・紀伊国屋90年記念 高橋源一郎セレクト10点」というのを見つけ、その中から読んでみた1冊。とか言って高橋源一郎氏の本を読んだことがあるわけではないんだけど。

 動物は、「適切な知覚道具と作業道具が選ばれてそれがある制御装置によって結び合わされ、依然として機械のままであるとはいうものの、動物の生活機能を果たすに適した一つの全体となったもの」つまり「純粋な客体」として、概ね科学の世界では捉えられているのだそうだ。
 しかし著者は、それら動物も「知覚と作用とをその本質的な活動とする主体だと見な」し、主体として「知覚世界」「作用世界」をもち、それらを以て「一つの完結した全体」である「環世界」を築いていると述べる。この「環世界」が、主体である個々の生物種にどのようにひらけているのかを見せてくれるのが、この本である。

 ……という概念的な部分が序章で多く語られているのだが、読んでいて一番難しく感じたのが実はこの序章であった。各章に入ると個別の生物種の各論なので、意外に序章よりは頭に入ってきやすい。「視空間」で出てきた視覚エレメントの話や「知覚空間」など、動物が世界をどのように見ているのかを図で具体的に見せてくれて、わかりやすかったし。「最遠平面」の概念は、それが単に種の異なる動物間での違いだけではなくて、人間でも大人と子供では視空間の捉え方が違うということもわかり、目の高さが違うだけのことではない差異がわかって、新たな発見だった。
 他にも「なじみの道」や、入れ物が替わっただけで水がどこにあるかわからなくなる例など、著者の言うように「われわれ人間が動物たちのまわりに広がっていると思っている環境(Umgebung)と、動物自身がつくりあげ彼らの近く物で埋めつくされた環世界(Umwelt)との間に、あらゆる点で根本的な対立がある」例が、さまざまな角度から示される。主観的世界とは実はこれほどにも科学的に説明できることであり、その主観的世界である環世界を理解せずには、動物の行動を突き詰めていくことはできない。
 人間にしろ、自分の行動範囲にないものを自分の生活に取り込むことは難しいはずで、つまりはそういうことなのだろう。事実=客観としての環境だけでは測れない世界が、動物にあるのだということを理論的に理解させてくれる1冊だった。