life goes on slowly

或る大阪近鉄バファローズファンの
偏愛と放浪の記録

「園芸家12カ月」(著:カレル・チャペック/訳:小松 太郎)

2016-03-19 22:53:14 | 【書物】1点集中型
 「チェコの生んだ最も著名な作家」チャペックが園芸について語り尽くす本である。庭園も好きだし、単に植物を眺めるのも好きだし、園芸や野菜作りに凝っている家族もいるので、題材に惹かれて読んでみた。

 訳者の解説によると、自らの体験を綴ったエッセイとも架空の園芸家の語りともつかないのがこの作品らしい。が、それ自体はどっちでもいい。マニアックなまでの園芸に対する思いが、たとえば280種類以上の多種多様な植物たちが次から次へと挙げられるところに見られるように、奔流の如く迸り出てくる。それに圧倒されるとともに、ユーモアにあふれた軽妙な語り口と、チャペックの兄ヨゼフによるこれまたユーモラスでユニークな挿絵がたまらなく楽しい。園芸家同士、あるいは園芸家と特に園芸好きではない友人といった人々の、コントのような(しかしとても微笑ましい)やりとりには、なんかクスクス笑ってしまいそうになる。特に、10月の聖ゲオルギヌス・オヴ・ダリアの生涯の小噺が好きだなあ。あと7月の、物騒な(笑)バラの芽接ぎやら、8月の避暑に出かけた園芸家の庭の留守番をする羽目になった親切で気の毒な男の話とか。
 そして、植物苑も二に対してはもちろん、それらを育む土に対する愛情やこだわりがまた圧巻かつこれユーモラス。天気や気候や各々の土の性質に気を揉んだり喜んだり、時にはイライラしてみたり(笑)。なるほど植物の世話というのは思った以上に植物だけではない手間も時間もかかっているのだなと、興味深く読ませてもらった。土を育てることこそ、園芸家の高らかな生命へ賛歌なのだ。ちょっとくさくさしているときに、お茶とお菓子を手元に置きつつこの本を読んだら、きっと癒されると思う。

「服従」(著:ミシェル・ウエルベック/訳:大塚 桃)

2016-03-17 21:49:01 | 【書物】1点集中型
 大学で教えながら、教え子の女子学生たちとの恋愛を楽しむ主人公フランソワ。間近に迫るフランス大統領選挙は、国民戦線とイスラーム同胞党の戦いの様相を呈している。イスラーム政権が誕生する可能性が高まったことにより、フランソワの恋人でユダヤ人のミリアムは、フランスを離れていく。国民戦線側のデモや襲撃、閉ざされた大学――と、フランソワの周りで確かに社会が変わっていく。
 舞台は2022年という、直近ではあるが近未来なので、ちょっとしたSFのような空気が漂っている。政権をとるイスラーム同胞党が「穏健」イスラームってとこがまた味噌で、つい最近日本でも話題になった右翼政党、国民戦線との「究極の選択」を迫られるところは、まるでラインハルトかトリューニヒトか(@「銀河英雄伝説」。最良の先制政治か最悪の民主主義か、というアレである)といった雰囲気だ。

 この新しいフランスの世界は「女性が男性に完全に服従することと、イスラームが目的としているように、人間が神に服従することとの間には関係がある」という思想のもとに構築されていくことになる。そのように変化する社会に主人公がさしたる苦悩もなく迎合=服従する流れは、個人的にはものすごくソフトな「一九八四年」あるいは「すばらしい新世界」とも見えた。服従すればそれまで以上に豊かな生活が約束されている。「人間の絶対的な幸福が服従にあるということ」、劇中人物たちにとってはユートピアなのであろうディストピア、その入り口の物語。
 でも、同様の立場の女性が主人公だったらこんなすんなりいってないんじゃないかと思うが……それとも、自立した人間としての立場を捨てることになるまでの変化を描いたら、むしろそっちの方がドラマ性が強くなったかもしれない。葛藤する様とかは大げさにしちゃうとわざとらしくなっちゃうかもしれないけど。

 ただ、佐藤優氏の解説にあるように「人間の自己同一性を保つにあたって、知識や教養がいかに脆いものであるか」、それはこうやって見せられると確かにそうなのだが、だとしたら人間は何を糧に成長するのだろうかと、やっぱり考えてしまう。しかしそういう風に考えること自体が、イスラムの教義(その教えを信じる人々ではなく)を単なる主観的な善悪だけではかってしまうことにもなるのかもしれない。

「彼らにとって不可欠な課題は人口と教育です。出生率を高め、自分たちの価値を次代に高らかに伝える者が勝つのです。(中略)経済や地政学などは目くらましにすぎません」

 それにしても「子供を制する者が未来を制する」、今の日本にこれほど当てはまる言葉があるだろうか。 そう感じてしまうからこそ「服従」という行為の行く末を、人は自ら問い質すときが来ていると、逆説的に示されているような気もする。無関心も服従のひとつであることも。
 物語は1人称で進むので、全体的にかなり抒情的な雰囲気である。フランソワが研究の専門とするユイスマンスはじめ、フランス文学の作家の名前がいくつも出てくるので、そうした作品群をを知ってるとより味わえるのかなと思う。特に「O嬢の物語」(……は、名前は知っているので良く知られている作品だと思うけど読んでいない……)は押さえておいた方が理解度が深まりそう。

「CIA秘録(上)(下)」(著:ティム・ワイナー/訳:藤田 博司・山田 侑平・佐藤 信行)

2016-03-12 23:54:18 | 【書物】1点集中型
 副題は「その誕生から今日まで」。創立から現代まで、まさに「事実は小説よりも奇なり」を地でいくような、赤裸々なCIA60年史である。「5万点を越す機密解除文書、300人以上の証言など、すべて実名の情報」をもとに書かれており、詳細なソースノートと合わせて相当な密度で語られる。
 一読しての最初の印象はまず、ドラマや映画のCIAって一体何なんだ、アメリカ人の幻想なのか? ということ。そう思わずにはおれぬ、とても世界一の大国の浮沈の鍵を握る情報組織とは思えないようなダメダメぶりがこれでもかと言わんばかりに曝露されまくっているのだ。そういえばアメリカって諜報に関しては後発国ではあるんだよなと、読んで今さら思い出しもしたが。それにしてもこれだけ脆弱な根拠で動くなら、あのイラクの大量破壊兵器云々も起こるべくして起きた話だと変に納得もしてしまう。しかし、振り回される世界は堪ったものではない。失笑ののち背筋が寒くなる。

 上巻は、前身のOSS(戦略事務局)から1960年代まで。「まえがき」がいきなり「いかにして一級の諜報機関を作ることに失敗したのかが、綴られる」と始まる。「アメリカが必要としている諜報機関をなぜいまだに欠いているのか」「アメリカの国家安全保障関係者のファイルに残された言葉や考え方、行動など」をもとに示そうとしていることが宣言されている。
 朝鮮戦争のころには既に「失敗を成功と言いくるめる能力がCIAの伝統になりつつあった」し、大戦後の占領下の日本においての活動さえ「アメリカ側の情報不足とアメリカ人のだまされやすさ」と手厳しく批判する。しかしそのどうしようもなさそうな活動の中にあって、互いにある程度の成果があったと言えるであろう岸信介あるいは自民党とCIAの関係を見るにつけ、今現在の日本に思いをいたさずにはいられない。

 1959年のラオス政府への介入(ディエム大統領の暗殺)にしても、当時現地に送られたアメリカ人が「無知と傲慢」と自省したように「大統領が共産主義に対して『境界線を引く』と決めた地域に、自分たちの戦略的利益をそのまま重ね合わせた。そしてそれを自分たちの流儀でやろうとした」。それはベトナムでも同じだった。にもかかわらず、「共産主義とのグローバルな戦いの先頭に立つ斥候兵」との自意識だけは立派で、しかしサイゴンでは「好き勝手にやって」いて「ほしいものはなんでも手に入った」。そのくせ「敵に関する情報」「欠けていた」という、何かもう喜劇のような悲劇的な話である。秘密工作という名の小細工、陰謀の名を騙った嘘が、肝心の対外的戦略どころか組織内でも展開されるのだ。正直唖然とするし、読めば読むほど「本当かよ」と突っ込みたくなる。いや、本当なんだけど。本当だから始末に負えないのだ。

 下巻では上巻から引き続くベトナムはもちろん、ソ連のアフガン侵攻を「ほとんどありえない」と断じたという大失態が強烈すぎる。分析力もへったくれもあったものではない。映画にもなった1979年の「アルゴ」作戦の話が出てくるが、これまでに見せられてきたCIAの駄目さ加減を見ていると、メンデズがCIAでは稀に見る有能な人材だったのだと思い知る(実際、著者は「CIAではまれに見る直観の天才の典型」と評している)。
 ただ、CIAの工作には、対策を打つべき相手のことを知ろうとしないという致命的な欠点が常について回った。だからメンデズのような天才の大当たりでもない限りは、「多分始めるべきではなかった工作にしがみつくことになってしまう」と、内部の人間に言わしめてしまう。猫の首に鈴をつける案までは出てくるが、鈴をどうやってつけるかの策が見いだせないまま動いてしまうのである。同時に、本来それを阻止するためとして設立されたはずの「第二のパールハーバー」ともいえる9.11を、結局のところは座視して迎えることになってしまった。
 さらにそれが例の、イラクの「大量破壊兵器」につながり、相手のことをあまりにも知らなさすぎる侵攻と占領は、「イスラム世界にアメリカの介入に対する深い憤りを生み出し」ていく。「大量破壊兵器」の有無に関してはもう既に広く知られたことではあるけれども、ただ善悪だけで断じることのできないアメリカとテロとの関係を再確認する。

 「戦争に勝つためには諜報機関が重要」ではあるが、「諜報機関がうまく機能しているときの、その真の役割は戦争を回避することである」。なのに、諜報機関たるCIAは見識ある者のアドバイスをことごとく退け、都合はいいが信頼には足らぬ「情報」を無理やり繋ぎ合わせて「上」に媚びへつらう報告を捏造し、結果として国民に、のみならず他国の人々にまでも必要のない犠牲を強いることにもなった。なのにこの組織が存在し続けることに何の意義があるのか。
 とはいえ、著者はただCIAを断罪するためだけにこの書をものしたのではない。「あとがき」はまさに著者のCIAに対する思いを記したものとなっている。その思いは「アメリカの将来の繁栄を願うなら、われわれには最良の諜報が必要である」、この一言に尽きるであろう。アメリカの国民性として傍目に感じられる「正義」の考え方や「愛国心」については、正直に言えば極端に見えるところもあるけれども、心安く暮らせる国であるためには「正しく知ること」とそれに基づいて「正しく判断すること」であろう。本来シンプルなことのはずだが、政治と保身が絡むとそうもいかない(そして洒落にならない破局を生む)ということをまざまざと見せつけられるものすごい本であった。そういえば、特にケネディ暗殺に関しては、これだけの情報があるとやっぱり「報復」説に1票を投じたくなるな。「編集部による解説」もわかりやすいので、読むのに時間はかかるけどそれだけの価値は確実にあった。FBI版とペンタゴン版も(すぐには取りかかれないが)期待大である。