life goes on slowly

或る大阪近鉄バファローズファンの
偏愛と放浪の記録

「にょっ記」(著:穂村 弘)

2011-10-24 23:16:18 | 【書物】1点集中型
 最近、タマキングものと浅田次郎ものとエッセイを続けたので(こないだ小説挟みましたが)、それならばということで久々にほむらさんものも。

 タイトルからなんとなく察せられるように、中身はほむらさん的日記……仕立てのエッセイ。しかし、どこまでが本当でどこからが創作なのかが混沌とする。が、結局のところどっちでもいいのである。それがほむらさんなのである。
 ほむらさんの、相変わらずの力の抜けっぷり(というかもともと抜かなければならないような余計な力がないのではないかと思わせる雰囲気すらある)と、単なる脱力系ではないことを雄弁に物語る突然のエロス&下ネタ。そんでもって、いい感じにくすくす笑いをさせられつつも、やっぱりちょっと寂しいような哀愁なような、そんなところがほむらさんものの癖になるところ。
 巻末の解説代わりに「偽ょっ記」を書かれた長嶋有氏曰く、「形而下をつたわないと形而上にたどり着けない」と言っていたらしいほむらさん。だから虚実入り混じったような、ほわ~というかもや~というかちょっとした白昼夢のような混沌が、ほむらさんものにはあるのだろうな、という気はする。しかし恥ずかしながら私はこの、「形而上」という言葉の意味がいっっっっ(中略)っっっっつも覚えられなくて何度も辞書を引いてしまうのであるが、今回やっぱり辞書を引いてみて、なんというか、「具象画を経ないと抽象画には進めない」みたいな感覚だろうか、と思った。

 そして長嶋氏の「偽ょっ記」も、まるで1冊で2作読んだようなお得な気持ちにさせてくれつつ、そこはかとなくちゃんとほむらさんを解説しちゃってくれてるのがすごい。
 それにしてもこの表紙、おもしろいフォントだな~かわいいな~と思ったら、そういうことだったのか(笑)。確かに「3」は目につきましたけども。

「グラーグ57(上)(下)」(著:トム・ロブ・スミス/訳:田口 俊樹)

2011-10-23 20:23:55 | 【書物】1点集中型
 「チャイルド44」の続編。といっても、ほぼすっかり内容を忘れてしまったころになって読み始めたので、ゾーヤとエレナを引き取ることになった経緯もおぼろげにしか思い出せない(汗)。でも当然、独立した物語としてちゃんと読めるので大丈夫。

 この上なく強固だと思われてきた国家体制がある日突然ひっくり返されたら、その体制に従属することで利益を得てきた人々はどうなるか。虐げられてきた人々はどうするか。レオの気持ちもゾーヤの気持ちも理解はできるので、その分すごく痛々しいんだけども……果たしてレオの捨て身の行動は実を結ぶのか。ライーサはどの道を選ぶのか。
 レオの肉体と精神への筆舌に尽くしがたい過酷な試練が手を変え品を変え襲い来る上巻は、それでも下巻への布石にすぎないということがよくわかる。そんな下巻は上巻以上に、読み始めるとほぼ一気に読ませてくれる勢いがあるった。もともと脚本など書いてるらしい作者なので、目が離せない展開を作るのがうまいのかな。

 フラエラがアニーシャに戻ることはなかったけど、「プラハの春」に懸けた思いは、人民と何ら違うところはなかったのだろうと思う。そしゾーヤを変えるきっかけになったのは、結局のところ愛だった――ということと、さらにスターリン主義もひとまずの終焉を迎え、一見するとレオとその家族にとっては望んだ形で解決をみたように感じられるのだが、それでもこのシリーズ(?)にはまだ続編があるということなので、そこで何が起こっているか期待したい。
 とはいえ、マリシュがああなったあとでもゾーヤがレオに普通に接するようになっていたのは若干、驚いたところでもあった。「いつもいつもそんなことばかり考えていたくない」と言えるようになった時点で、確かにゾーヤはレオの思いを受け止める準備ができ始めてはいたのだろうけど。

 そういえば、切り口も表現も(当然個性も)全く違うけど、先だって読んだウォルトンの「ファージング」3部作と根底にあるものが似ている感じもするなぁとちょっと思った。体制側にいて、体制を変えたいと望む人間が何を為すか、みたいなところが。

「アイム・ファイン!」(著:浅田 次郎)

2011-10-15 22:02:46 | 【書物】1点集中型
 いつだったか忘れたけども「つばさよつばさ」読んで以来の浅田エッセイ。というか、実際「つばさよつばさ 第2巻」的な作品ですな。「SKYWARD」を頭から読んでいって、これを最後に読むのをけっこう楽しみにしているのだが、最近利用する機会がなくて読めていない……のが、極めて私事ではありますが(笑)ちょっと残念な最近。

 「しろくま綺譚」「遥かなるベガス」「すばらしい話」など、いくつかの話はああこれあったな~と思い出しながら読み直した。そんで、「ラスベガン=すばらしいバカ」の図式を、読み直した今改めて気に入っていたり、「空飛ぶ狐」で狐となった浅田氏が空を飛んでいく姿を、SKYWARDで読んだときと全く同じく想像して(笑)ニヤニヤしてみたり。
 初読した話の中では、「ポップコーン幻想」の最後の一言がとってもツボに入っている。さらに言うならばポップコーン自体の描写も、そんなに違うのなら一度はアメリカのシアターで食べてみるべきか? と思わされてしまうくらいのシズル感が……(笑)。あとは「夢のつづき」あたりか。これ、ネタがネタだけに、機内で初読してたらけっこう笑いをこらえるのに苦労したのではないかと思う。

 相変わらず軽妙な語り口で、笑わせる話ばかりでなくときどき下町人情的な(なんとなく浅田作品に抱く勝手なイメージだけども)話も入ってくる。川上和生氏の挿絵とともに(単行本になると表紙だけになってしまうのが残念なのだが、人物の無表情のようなとぼけたような顔なんかもとても好き)、これからも長く続けてほしい連載である。

「旅の理不尽 アジア悶絶編」(著:宮田 珠己)

2011-10-13 23:21:55 | 【書物】1点集中型
 まさかまさかで「東南アジア四次元日記」と続けて読んでしまった。こちらがタマキングこと宮田氏のデビュー作だったということ。

 タマキングの本は表紙もおかしな雰囲気を醸し出していることが多いのであるが、この本はまた格別である。しかも、そんな格別の表紙(と本文中)の妙なイラストはタマキングの手になるものだったと、本屋で何度も見かけているわりには今さら知った。
 なんというか、この鼻毛おやじの顔がすでに「理不尽」な感じで、っていうかここ(表紙)に鼻毛おやじの絵があること自体がすでに理不尽で、ということはものすごく秀逸な表紙なのかも。と今思った。

 で中身の方はといえば、もちろんくだらなさ満載の脱力系であることには変わりない。が、不安とか言いながらも行く先々でその土地になんとか合わせて旅しているタマキングがちょっとうらやましくなってしまうのも事実である。
 特に、「坊主オブ・ザ・イヤー(ブータン)」の冒頭、風の旅人はとりあえずおいといて(笑)、「日本人同士で行けば場の空気は日本にいるのと同じ」とか、「聞こえてくるのはまず日本語であり、(中略)結局、あたりは日本の分子に満ちているわけだ。これでは、日本という薄皮で包まれたギョーザになって旅をしてるようなもの」とかいうくだりは、真面目に納得してしまった。要するに、小心者の私自身が、いまだ海外ではそんなギョーザになったことしかないのであった。うう。痛いとこ突かれたー。

 この本、当時自費出版のデビュー作と言われれば確かに荒削りな感じはしないでもないが、「素敵な私」的表現とか(笑)、決め台詞(と私が勝手に思っている)の「ふざけてはいけない。」とか、荒削りでも根本的にタマキングはタマキングである(ふざけてはいけないの頻度は多分今よりちょっと低めだけど)。なので、笑いたい人は読んでおくに如くはない。

「東南アジア四次元日記」(著:宮田 珠己)

2011-10-11 22:43:16 | 【書物】1点集中型
 タマキングこと宮田氏の旅エッセイは、順番はバラバラだけどこれにて4作目の読了となる。幻冬舎文庫版表紙の妙なイラスト(=ピピェタインタオ。読めばわかる)がず――っと気になっていたのだが(笑)このたびやっと読んだ。

 タマキングの行くところ、とにかくへんなものだらけ。在りし日の北海道秘宝館@定山渓(と言いつつ私も行ったことはなくて噂でしか知らないのだが、気になる人は検索でも)もかくやと思われるほどであり、東南アジアにはへんなものしかないのではないかと思わされる(言いすぎ)。
 仏像だと思われるものが多いんだけどどれもこれも脈絡がなさすぎるし、そうでなくても造形がぶっ飛びすぎているし、テーマパークとしてもなおのことわけがわからんものばかりである。あれですよ、「探偵! ナイトスクープ」の「パラダイス」的な。是非、小枝師匠にレポートしてもらいたいよ。(笑)

 これだけ見事にへんなものを嗅ぎつけるタマキングの嗅覚がすばらしいのだが、もしかすると東南アジアでは、これらのものは大してへんなものではないのかもと思うと、若干カルチャーショック(笑)。ただ、盆栽(タマキング曰く盆景)はポイントポイントで見ていくとちょっとかわいい。別立てで本を書いてしまったタマキングの気持ちもわかる。
 でも今作で個人的に最もウケたのは、なんと言ってもタウンビョン祭りでのタマキングのモテっぷりである(笑)。次点はハノイの日本料理店の話かな。

 全体的な笑わされ度としては、最初に読んだ「わたしの旅に何をする。」の衝撃には若干負けるが、それも初期だけに文体が荒削りなだけかもしれない。とは言うものの本質的に変わっているわけではなく、最後に「迷子をやろう」で終わるところが、いかにもタマキングらしくてよかった(笑)。
 というわけで、またちょこちょこタマキングものを読んでいくことにする。

「宇宙は本当にひとつなのか」(著:村山 斉)

2011-10-06 23:21:50 | 【書物】1点集中型
 村山氏の本は「宇宙は何でできているのか」に続いて2冊目になりました。これも、本屋で見かけたので借りてみた。

 量子論をちょっと(本当にちょっとだけ)かじってみた……となれば、次はやっぱりこっちに来る。多次元宇宙と多元宇宙。
 とはいえ、その話にたどり着くまでに3分の2くらい読み進めることになるんだけども(笑)、その3分の2の流れのおかげで、暗黒物質・暗黒エネルギーからブラックホールときて、だから異次元の存在についてこういう研究がされている、というつながりがわかりやすかった。あと「異次元」の考え方。4次元(=時間)までは認識できても、どうしてもその先の次元をどうイメージしていいかわからなかったんだけど、アリと人間の例は認識のしかたとして納得できた。

 素粒子物理学における超ひも理論5次元以上の世界。マルチヴァース。どっちにしても、いつかそれが目に見える形(研究成果)をもって示される日がくるかもしれない。私にとっては、そういう一種のワクワク感を得られる本だった。
 ……となると、次はペンローズ関係もいっておくべきだろうか。この本と同じくブルーバックスシリーズに「ペンローズのねじれた四次元」とかあるので、ちょっと惹かれているところ。でもちょろっとレビュー拾い読みしてると、どうもなんか難しいらしい。(汗)

「ガニメデの優しい巨人」(著:ジェイムズ・P・ホーガン/訳:池 央耿)

2011-10-04 22:26:26 | 【書物】1点集中型
 「星を継ぐもの」の続編。ちょっと間が空いてしまったので、前作をなんとなーく思い出しながら読んでみた。

 万の年月を経て出会ったガニメアンと地球人。ガニメアンは文字通り(タイトル通り)「優しい巨人」であり、その優しさが何に起因するのかを進化の過程で説明できちゃう。そこが前作同様まさに「ハードSF」なんだと思うけど、ガニメアンが本当に優しくて(笑)知性も高く友好的なので、ヒューマンドラマ的要素が多分に感じられるせいか、前作ほどのハードさは感じられない。←つまり、前作より読みやすかった(笑)
 とはいえ、ミステリ的な要素は当然残っていて、しかしガニメアンはついにその謎を最後まで地球人の前に明かすことなく旅立った。にもかかわらず、ダンチェッカーとハントは残された手がかりから答えにたどり着いた。その論理の軌跡にあるように、科学的な事実(おそらく)を積み上げてフィクションを構築する作者の手腕はやはり見事だと思う。そして明かされた秘密を目の前にして、この惑星(地球)の「人間」が、本当にこんなふうに進化してきた種だとしたら……と思いをめぐらさずにはいられない。

 で、物語は最後の「巨人たちの星」に続く。ガニメアンたちが目指したその星では、何が待っているのだろう。