life goes on slowly

或る大阪近鉄バファローズファンの
偏愛と放浪の記録

「オブ・ザ・ベースボール」(著:円城 塔)

2012-01-31 23:30:50 | 【書物】1点集中型
 手をつける機会をなんとなく逸してきた円城氏の作品、芥川賞受賞記念みたいになってしまったが(笑)やっと読んだ。といっても既に「超弦領域」で短編1本は読んでいたのだが、それで残っていたおぼろげなイメージのままで読んでみたらそれとはちょっと違った。あれに載っていた作品は、大枠の印象としては普通に(内容が普通かどうかは別)SFだったので。

 「人が降る町」というのも突飛ならば、バットを持ったレスキュー・チームというのも人を食った話である。「野球ではない」と何度も言いながら、タイトルは「オブ・ザ・ベースボール」。その「of」ってどういうこと? ってーのが実は最後まできっちり理解できなかったんだけど(笑)。
 人が降ることの謎に対するさまざまの憶測や研究やファウルズというの町のどうしようもなく何もない日常が淡々と語られつつ、物語は進むようで進まない。そう思った時点で既に、読んでるこっちはファウルズの住人になってしまったようなものなのかも。

 レスキュー・チームの一員たる主人公がついに目撃した「降ってくる人間」が遺していった、少しだけその正体を垣間見せるものからすると、「ええと、表題作は結局のところくくりとしてはSFに入れてもいいのかな?」などとちょっと思ったが、まあジャンルなどはこの際いっそどうでもいい。無限ループの言葉遊びみたいな文体は、意外と癖になる。解決したようでしてないのかもしれない謎も、実は無限ループなのかもしれない。

 同録の「つぎの著者につづく」は、一転して難解というか、読み慣れない哲学書を読んでるような気分になる。「薔薇の名前」も、カフカもちゃんと読んでないなーと註を参照しつつ思いながら読み進んで、ドツボにはまる。
 この作品そのものに、読者が何らかの意味を見い出す必要があるのかないのかもわからない。っていうか、私自身は意味なんぞ考えなくてもいいんじゃないかと思っている。でも、そう思いながらも、ここに何が書いてあるのかは理解したいと思ってしまうのだ。これもまた、「癖になってる」ということなのだろう。つまり、すっかり円城氏にしてやられたってことなのだろう。

「漂流するトルコ―続『トルコのもう一つの顔』」(著:小島 剛一)

2012-01-28 22:21:03 | 【書物】1点集中型
 前作「トルコのもうひとつの顔」を読んでからはだいぶ経ってしまったのだけど、今作も期待にたがわぬ内容だった。
 全編通して細かい注釈もついているので、言語学やトルコ内外の情勢に関して全く無知な状態の自分でも理解しながら読み進めていくことができるのがありがたい。それに、前作のその後のみならず、前作がどのようにしてできあがったかも遡って語られており(第3章「本を書こう」)、国境を越えて他国の姿を正確に伝えることの陰にあるさまざまなハードルにも気づかされる。

 とにかく、捏造や剽窃や出鱈目な検証など、トルコ国内において公・民問わずこれでもかというくらい歪められまくる小島氏の研究成果を見ると、唖然とするほかない。
 前作でも小島氏の憤りはいたるところに現れていたけれども、今作もまたあちこちで氏の怒りを買わずにおかないできごとを、かの国の人々はいくつも起こしている。本当に、氏はよくもまあこれらの事件にぶち当たったりぶちのめしたりしながら突き進んでいったものだと感嘆する。
 氏が、解決したくてもできなかった問題もあるのは事実である。しかし、なんせその筆の勢いを見ていると、ことごとく障害をやっつけまくったような雰囲気も感じてしまうのである。なんとかその間違いを正したい、研究したことを正確に伝えたいという気持ちが、行動のひとつひとつからひしひしと伝わってくるからだろう。

 けれどもそれと同時に、心を通い合わせている人々がやはり今作にも次々と登場する。
 特に、第5章の「少年と折り紙」、第14章「国外追放」のエピソードは、氏の探究してきた道の途轍もない困難さと、その周辺に寄り添う多種多様な民族の人々への誠意とそれに対する答えが最も端的に表れている部分だと思う。やっぱり最後は、相手に対する真摯な態度がものを言うというか……「少年と折り紙」は本当に一瞬、涙しそうになってしまったもん。
 とは言うものの、もちろん今回は(今回も)それだけではない変節を遂げてしまった人々も出てくるのだが。そういう意味でも、根本的なところでは人間という生きものそのものの本質には、どこに暮らしていようとやっぱりそう変わりないんだろうなと感じた部分ではあった。

 それにしても、前作の生原稿と完成版の双方を知るC氏曰く「元の生の原稿のほうがぐっと迫力があってよかった。あちこち、何か……こう、大事なことを出し惜しみしたような不満足感が残る」(第3章より)ということだが……草稿の段階ではもっと衝撃的なものだったということか。読んでみたいなぁ。
 余談だけど、前作が新書で今回が単行本なので、せっかく続きものになったんだから判型を揃えてくれたら嬉しいんだけどなーとちょっと思った。出版社が違うということもあるけども。どっちも文庫になるといいのにな。今作は注釈の段組があったから文庫もこのスタイルはちょっと難しいかもしれないけど。

「ひかりごけ」(著:武田 泰淳)

2012-01-23 23:23:19 | 【書物】1点集中型
 ずっと気になってた本。表題作「ひかりごけ」は、事実が基になっているということもあってか比較的テーマが飲み込みやすいと思うんだけど、純文学をじっくり読むことから遠ざかりすぎて(笑)他の作品はどこをどう読むか、そこから自分が何を汲み取れば良いのかがなかなか難しかった。そういう意味では、解説にものすごく助けられた(笑)。
 ただ、人間が腹の中に抱えている、何が潜むか自分でもわかっていないような暗い深淵が、淡々とした筆致だからこそ描き出されているような印象は受けた。

 「流人島にて」の三郎は、彼が恨みを重ねる毛沼の指を落としても芯から満足したようには見えないし、「異形の者」で仏像に語りかけて決闘に出て行く「私」も、仏から救いを得たいと思っているようには見えず、ただ自分を見つめているのであろうその姿を心に留めておくだけ。「海肌の匂い」では、市子は初めてダイボの船に乗せてもらった女として、外部から(嫁に)来た女として、その日に大漁があったことでほっと胸を撫で下ろしはするものの、地元の老人の気が狂った娘の姿を見て、自分がそうならないとは言い切れないことに気づく。

 そして「ひかりごけ」で、「人肉を喰った」はずのない、船長以外の人々の後ろに光の輪が現れたのは何故か。それはつまり、人間の業ともいえるものの表れと言えるのではないか。文字通り人肉を喰うことと、人を人とも思わない「人を食い物にする」ような行為との間に、境界線があるのかどうか。誰かに対して罪を犯していない人間がいるのかどうか。
 自らが生きるために死んだ仲間を喰った、さらに殺して喰った船長が、「キリストの如き平安のうちにある」校長へ変貌するという図式も考えようによっては(よらなくてもか……)エグい話であって、まさに解説にある通り「作者が自己とともに人類を告発するまことに辛辣かつ深刻なアイロニー」なのだと思う。

全豪OP。一応流れだけは見ています

2012-01-23 22:49:59 | 【スポーツ】素人感覚
 錦織圭が、ついに全豪のQFへ!
 これを快挙と言わずして何と言おう。いよいよランキングtop10が手の届くところまできている実感がわいてきたよー!

 上海でツォンガに勝ったのは確か、年末の集中放送で見たような気がするんだけれども、5セットマッチになったときどうなのかなーというのは、不安としてあった。でも結果的に今大会、逆転に次ぐ逆転で勝ち上がってきたのは伊達ではなかった! 堂々のフルセットマッチ、見事なupsetでありました。
 デイセッションだったので試合自体は全然見れてないんだけど、とりあえずstatsを見てみると……ツォンガ。winner50本はともかくerror70本て、いかにもツォンガらしい数字(笑)。それこそ4年前の全豪快進撃のときがそんな感じだったような。
 せっかくだから公式でハイライトを見てみたら、ゲームセット後にツォンガが錦織のコートまで入ってきて、ほっぺたをぽんぽんって。なんか、「いい子いい子」されてるみたいだな(笑)。微笑ましい。

 ここまでは、長丁場の試合をしっかり戦えていて、以前のようなフィジカルの脆さはなくなっているように思える。ベネトーのコメントを見ても、長いラリーの間にペースを作っていく感じになっているようだから、自分の形でしっかりラリーを主導しているんだろうと思われる。絶好調なんだなー。
 で、次はいよいよ4強の一角マレーとのマッチアップ。今の4強の中で、ない隙をそれでも見つけるとしたらやっぱりマレーかなという感じはするので、是非是非QFまでと言わずSFまで駆け上がっていってほしいなぁ。ジョコと5セットマッチをどう戦えるか見てみたい!

 ……でもその前に明日ミックスの2回戦があるんだけどね。こっちもいけるものならいってもらいたいけど、でもシングルスに影響が出ないように、ほどほどに~……とか言ったら怒られるか。

 全体を見ると、ヒューイットが(悲しいことにロディックのretireもあったけど)ジョコのところまで上がってきて、今日結局敗れはしたものの今大会初めてジョコから1セットとった選手になったということで、やっぱりまだまだ頑張ってほしい選手だなと思う。そしてロディックにも、早く回復してほしいと思う……。
 あとはやっぱりロジャー様が(笑)。←笑うところなのかよ
 トミッチがあれだけ勢いよく勝ち上がってきて、完全アウェイの雰囲気だろうしどんな感じになるのかな? と思った昨日の4回戦だったのだが……いやもう格の違い、くぐった修羅場の数の違いとしか言いようのない試合だった。持ってる引き出しの違い。トミッチが「何もさせてもらえなかった」と言うのがわかる気がする。
 そういえば、フェデラーはデルポが台頭しだしたときにも似たような試合やってたな。デルポが真っ白になっちゃっただろうと思われるほど、こてんぱんにやっつけちゃった試合。あれに近い印象を受けました。

 そんなロジャー様のQFは、そんなこともあったけどあれから数年でしっかり成長もしたし今大会はだいぶ調子の良さそうなデルポと。フェデラーもここまでがものすごく快調だったので、明日は試合内容がいきなり厳しくなりそうな。ちょっとドキドキ。
 って、この試合もデイセッションなのか~。見れないじゃないか。くそう。

 ついでに言うと、そんなフェデラーをのっけから引き合いに出して語られる錦織の記事もなかなか興味深かった。大会公式でこうやっていろいろ取り上げられるのもとても喜ばしい!

「しあわせの理由」(著:グレッグ・イーガン/編・訳:山岸 真)

2012-01-22 22:41:33 | 【書物】1点集中型
 イーガンの短編は2冊目。「祈りの海」の世界が未だになんとなく自分の中に残っていて、あの一種単なるSFとだけ括ってしまうのがもったいないような世界を想像していた。「闇の中へ」とか、完全文系にとって(笑)世界界設定を理解するのにちょっと時間がかかったものもあったけど、読み終えてみると、作品世界を構築しているアイディアそのものはやっぱりすごいなぁと感じる。

 どの作品も、落着したように見せてどこかに何かしこりを残して終わっていくが、その余韻がこちらに少しだけ、その世界に自分がいたとしたらどう感じるか、自分がどういうかたちの「人間」でありたいのかを考える機会を与えてくれている気がする。
 遠い過去から連綿と人類が受け継いできたもののひとつの結果である自分。それはとりもなおさず何万何億の「死」を経た結果であり、そうして受け継いだものが「具体的に」何なのかを知っていることと、知らずに受け継いでいることの間にどんな差があるか。表題作「しあわせの理由」では、主人公が導いた結論に思わず納得させられた。

 あとは、「愛撫」「道徳的ウィルス学者」「移送夢」「ボーダー・ガード」あたりが個人的には好き(「宝石」にまたお目にかかれるとは思わなかった)。
 「移送夢」の、何が本物の現実なのかがだんだんわからなくなる、虚実の境界を認識できなくなるような世界というのは世界観としてよくあるものだと思うけど、(わたしはだれなのだ?)という問いがやはり、人間は何を以て人間となるのかを考えさせずにはいない。何度この手の作品を読んでも、答えは出るようで出ないんだけども。脳死は死かという命題と同じように。
 「ボーダー・ガード」はハッピーエンドと言ってもいいと思う。死のない世界で、死を覚えているマルジットの言葉は、決して空虚ではない。マルジットの見てきたものを理解しようとする、死を知らない人々の人生も。「生の価値は、つねにすべてが生そのものの中にある――それがやがて失われるからでも、それがはかないからでもなくて。」それがわかれば、生きていくことに意味を見い出せる人もいるのだろう。

 さらに、「チェルノブイリの聖母」はもう……昨今の社会情勢を顧みるに、何をかいわんやというような物語。福島にも「イコン」は存在するのだろうかと、埒もないことを考えて若干途方に暮れてしまった。

 そんな感じで、そろそろイーガンはまた長編に戻ろうかな。次の目標は「順列都市」で。

「最後の証人」(著:柚月 裕子)

2012-01-10 21:28:28 | 【書物】1点集中型
 「犯人がわかりきっている」事件の、事件が起きて裁判にたどり着くまでの見せ方が、一見当たり前に筋道立てて追っかけられているので、どこに山が来るのかと思ったら……なるほど、という感じ。「被告人」が明らかになった時点で「最後の証人」の正体もなんとなく見えてきて、一度そこで仕掛けがわかってしまえばトリッキーにも感じたけど、そういうひねり自体はうまく見せてくれてるなーと思った。

 裁判にかかる殺人事件の背景にあったできごとは、裁判が始まる前に読者に向けてはすべて明かされている。問題は、その発端となる、立件されなかった7年前の轢き逃げ事件だ。
 大事な仕掛けがあるので、あんまりストーリーを語りすぎるとネタバレになっちゃうので非常にぼんやりした表現になるが(笑)、「罪は代替できるものじゃない」という佐方の言葉は、それがまごうかたなき正論であるがゆえに、読者に「そうだけど、でも」というジレンマも起こさせる。隠されてしまった真実をいかにして現在の事件と結び合わせ、犯人を「犯した罪で」裁かせるのか。そこに佐方の手腕がじわじわと効いてくるのが面白い。

 罪をまっとうに裁かせることは、まっとうに救われること。大事なのは、二度と過ちを繰り返さないこと。2つの事件と絡み合って、それらがとても響く言葉になった。

「褐色の文豪」(著:佐藤 賢一)

2012-01-09 22:42:26 | 【書物】1点集中型
 デュマ3代記の2作目、「三銃士」「モンテ・クリスト伯」などで知られる文豪アレクサンドル・デュマ・ペールの物語。「黒い悪魔」と畏敬されたデュマ将軍の息子が、いかにして世界に名を残す大文豪となったかが、前作同様とても魅力的な人間像を通して描かれている。

 とにかく父を崇拝し、父のようになりたいと願ったアレックス。ほとんど勢いで作家を志した彼が、作家になっても父のいた世界に焦がれずにはいられなかった様子が、なんともいじらしい。父の方が硬派な感じはするけれども、「純真だからこそたちが悪い」とでも言いたくなるようなその自由闊達さも含めて、根っこのところではまさに「あの親にしてこの子あり」というところか。
 なんといっても、父・デュマ将軍がいたからこそ生まれた「三銃士」であると知ったからには、そんなアレックスの人物がだんだん愛おしくすらなってきてしまう。稼いだそばから金額も把握せず湯水のように使っていくダメダメ人間と知りつつも(笑)アレックスを讃えたくなるのである。それはまるで、一度は芯まで憤りつつも、ともに駆け抜けた時代を思い起こして、黄金の記憶を噛みしめなおす共同執筆者マケのように。

 以上、彗星のごとき勃興から、バブルのごとき隆盛、さらに絵に描いたような凋落という、前作で抱いた期待にたがわぬある意味ハチャメチャな2代目の人生を見せてもらったわけで。
 いよいよここまで来たからには、デュマ・フィスを描いた3作目「象牙色の賢者」を読まないわけにはいかないでしょう。読むまでにはもうちょっと時間が空くと思うけども、今作中ではずいぶんと理知的なひとかどの人物として登場したデュマ・フィスの人生がどう描かれているか、楽しみである。

「越境捜査(上)(下)」(著:笹本 稜平)

2012-01-07 22:27:59 | 【書物】1点集中型
 先日ドラマの2作目(だったと思う)が放映されていたのをちらっと見て、「あ、ドラマにもなってたんだ~」と今さら知った次第。こないだやっていたのはこの話ではなかったみたいだけど。
 主人公の刑事・鷺沼が、同じく刑事だけどダメ人間を絵に描いたような宮野のペースに引きずられそうで引きずられない、でも最終的にはノセられたの?(利害が一致するからだけど)という、つかず離れずのコンビネーションが、読み進めるごとにだんだんハマっていく。ダメダメな宮野にも主夫の才能があったりして、性格的にはポジティブだし、鷺沼だけだとともすれば重くなりすぎそうな物語にいいテンポを作っていくキャラクター。たとえるならば、書いてるうちに作者自身も思わぬ方向に勝手に暴走しそうなタイプ(笑)

 基本の物語は、表向きは詐欺に関わる事項寸前の殺人事件の捜査。それが、蓋を開けてみれば実は警察内部の裏金をめぐるものに……というような感じなのだが、話が進んでいけばいくほどあちこちの糸が絡み合って解けなくなっていく。
 伏魔殿に踏み込めば踏み込むほどストーリーが目まぐるしく展開していくし、人物は増えるしで(笑)追いかけるのが大変だったのは事実だが、一気読みがすごく楽な物語でもあった。

 はじめは鷺沼の方が嫌々ながらだったコンビがいよいよ面白くなってきたころに上巻が終わりを迎えて、しかしまだ全然謎が解ける兆しが見えないし、それどころか深まる一方だし、おまけに鷺沼が大ピンチに陥る。
 というわけで、下巻ではそうやってさんざんあちこち播き散らされた種のような伏線が「そうだったのか!」になる瞬間があるのだろうと思ったら、実はまだまだ話はこれからだった(笑)。下巻の頭で、わかりかけていた12億の行方がまたひっくり返されたところで、謎が解けるどころか深まっていくなあと思った……が、逆にこのあたりからいろんなことが転がりだしていったような感じ。
 鷺沼&宮野コンビに、極道の福富が加わってアウトロー感も増したところで、ほとんど阿吽の呼吸にも見えるチームワークが面白くなっていった。さらに韮沢が命を賭して用意していた大団円が痛快。とにかくキャラクターが良かったので、エンタテイメントとしてしっかり楽しめた作品だった。

年が明けてから

2012-01-03 21:44:48 | 【日常】些事雑感
 案の定寝正月で、TVと読書だけでは間が持たなくなってきたので(笑)おそらく今の家に引っ越して以来一度も整理していなかった、机の引き出し(の一部)の中を整理してみた。
 主に書簡といただきものの写真なのだが、なぜ大掃除のときにやらなかったのかと疑問を呈する向きもありましょう。つまり、年末ここに手をつけると大ごとになりすぎて、逆に部屋の掃除(汚れを落とす方の)ができなくなるから~。

 で、やってみたら何故かお金が出てきた。2回も。

 モノはポチ袋(多分お年玉的な……もしくは大入袋的な)と、何故か友人の(5年以上は前だったはずの)結婚披露宴の招待状に入っていた。前者はともかく、後者は会費払ってないはずがないので、何故だか全然わからない(笑)。
 しかし、やっぱり、時間がかかっても何でも一度は中身を見てみるもんですねー。我ながらびっくりした。

 というわけで今さらながら、あけましておめでとうございます。

「世界音痴」(著:穂村 弘)

2012-01-02 22:06:53 | 【日常】些事雑感
 「本当はちがうんだ日記」で初めてほむらさんに接したときほどの衝撃的なまでの笑いはなかったものの、(もちろん、いかにもほむらさん的なおかしみは変わらないが)その分さらに哀愁が深いような気がする。エッセイだと思って読んでいたら、ときどきちょっとショート・ショート風なものが混じっていたり、読みながら自分が世界のあっちにいるのかこっちにいるのか一瞬わからなくなることがあった。
 勝手なイメージだけど「ジャムガリン」とか「アイパッチ」ってなんか雰囲気が筒井康隆っぽくて好き。あそこまで突き抜けてブラックではないけど、ちょっとモノマニアっぽい感じが。

 ほむらさんの語る「世界音痴」に真顔で納得してしまう自分に気づき、「あ、私も世界音痴なんだ」と、わかっていたはずのことに改めて呆然とする。
 そういう意味では、「あとがき」がちょっとした種明かしみたいなものかも。「人間が自分かわいさを極限まで突き詰めるとどうなるのか」――それを、私も私自身を使って実験している。こんなんだからダメなんだよねぇ、という「わかってるんだよね、でも」的な自嘲の言葉をわざとらしく吹聴しながら。あたかもその言葉が免罪符であるかのように振りかざしながら。

 そして、各題の最後の短歌がまたときどき、ぐさっと、もしくはずしっと来る。五七五七七の中に詰まった哀愁と、昏さと、ときどき光と。意味のすべてを飲み込めなくても、極限までそぎ落とされた言葉ってすごいと単純に思う。