架空の宗教「ボコノン教」と、世界の終末について。相変わらずシュールに振り回してくれるナンセンス満載のヴォネガットで、読みながら自分が何を読んでるのか、どんな話を追っかけようとしてるのかわかるようなわからないような、煙に巻かれたような気になってしまうのである。
原子爆弾第一号の“父”の一人であるハニカー博士の遺児3人からしてが、見た目からして普通ではない雰囲気を醸し出しているし、その語ることはもっとわけがわからない。ただ、ボコノン教とその周辺に現れる諸々が描かれることによって、終末に向かっていることだけは感じ取れる。あまりにも浮世離れした少女モナの姿が見え始め、主人公が振り回され出すと特に。
科学も宗教も、それを妄信するとろくなことがない。……と、言われているのかどうかはわからないが、どっちに対してもシニカルな描き方がなされていることは確かなように思える。でも、手の中にはあやとりの紐しかなくても、そこにゆりかごがあって、猫がいると一瞬だけ“想像”することは、それはそれで無駄じゃない。と思えたら、終末も捨てたものではないかもしれない。それが虚構だと知っていて想像することと、妄想を信じ込むことは似て非なるものだから。
読んでいるときはその不可解さに押されてなかなか気づかないけど、読み終えて全体を見渡してみると、世の皮肉を表現しているように見えてくるから不思議だ。ボコノンは、人間の愚行を天に向かって笑い飛ばす。何を持てばよいのかわからなかったジョーナの手は、ボコノンのその仕種を真似るんだろうか。
原子爆弾第一号の“父”の一人であるハニカー博士の遺児3人からしてが、見た目からして普通ではない雰囲気を醸し出しているし、その語ることはもっとわけがわからない。ただ、ボコノン教とその周辺に現れる諸々が描かれることによって、終末に向かっていることだけは感じ取れる。あまりにも浮世離れした少女モナの姿が見え始め、主人公が振り回され出すと特に。
科学も宗教も、それを妄信するとろくなことがない。……と、言われているのかどうかはわからないが、どっちに対してもシニカルな描き方がなされていることは確かなように思える。でも、手の中にはあやとりの紐しかなくても、そこにゆりかごがあって、猫がいると一瞬だけ“想像”することは、それはそれで無駄じゃない。と思えたら、終末も捨てたものではないかもしれない。それが虚構だと知っていて想像することと、妄想を信じ込むことは似て非なるものだから。
読んでいるときはその不可解さに押されてなかなか気づかないけど、読み終えて全体を見渡してみると、世の皮肉を表現しているように見えてくるから不思議だ。ボコノンは、人間の愚行を天に向かって笑い飛ばす。何を持てばよいのかわからなかったジョーナの手は、ボコノンのその仕種を真似るんだろうか。