life goes on slowly

或る大阪近鉄バファローズファンの
偏愛と放浪の記録

「猫のゆりかご」(著:カート・ヴォネガット・ジュニア/訳:伊藤 典夫)

2018-09-27 23:26:50 | 【書物】1点集中型
 架空の宗教「ボコノン教」と、世界の終末について。相変わらずシュールに振り回してくれるナンセンス満載のヴォネガットで、読みながら自分が何を読んでるのか、どんな話を追っかけようとしてるのかわかるようなわからないような、煙に巻かれたような気になってしまうのである。
 原子爆弾第一号の“父”の一人であるハニカー博士の遺児3人からしてが、見た目からして普通ではない雰囲気を醸し出しているし、その語ることはもっとわけがわからない。ただ、ボコノン教とその周辺に現れる諸々が描かれることによって、終末に向かっていることだけは感じ取れる。あまりにも浮世離れした少女モナの姿が見え始め、主人公が振り回され出すと特に。

 科学も宗教も、それを妄信するとろくなことがない。……と、言われているのかどうかはわからないが、どっちに対してもシニカルな描き方がなされていることは確かなように思える。でも、手の中にはあやとりの紐しかなくても、そこにゆりかごがあって、猫がいると一瞬だけ“想像”することは、それはそれで無駄じゃない。と思えたら、終末も捨てたものではないかもしれない。それが虚構だと知っていて想像することと、妄想を信じ込むことは似て非なるものだから。
 読んでいるときはその不可解さに押されてなかなか気づかないけど、読み終えて全体を見渡してみると、世の皮肉を表現しているように見えてくるから不思議だ。ボコノンは、人間の愚行を天に向かって笑い飛ばす。何を持てばよいのかわからなかったジョーナの手は、ボコノンのその仕種を真似るんだろうか。

「[新版] 悪魔の飽食―日本細菌戦部隊の恐怖の実像!」(著:森村 誠一)

2018-09-18 22:07:53 | 【書物】1点集中型
 夏の文庫フェアでよく見る本かと思う。実際それでずっと読みたかった。で、読み始めた途端、久々に勢いづかされて読み切った。想像はしていたが想像以上だ。人体実験や生体解剖が、実験材料にされてしまう1人の「マルタ(丸太)」に対し複数回行われることもあったという。「マルタ」とは「実験動物としての芝山羊(パイロットアニマル)」の意味があるらしいが、それが日本語の「丸太」と語呂が合ってしまう、このおぞましい偶然。

 またこの細菌戦部隊(七三一部隊/石井部隊)には、実験をする研究者だけがいたのではない。図面作製にでも携わるつもりで軍に入ったら、「マルタ」への人体実験で起こる症状の過程をスケッチするのが仕事になったという、友禅の下絵画工だった人もいる。
 加えて、生後半年も経たない乳児に対して冷凍実験を行われた実績も明らかになっている。しかも、その実験結果がのちに学術論文として日本国内の学会で発表され、何の倫理的問題も問わずに学会はその論文を受け容れていることも指摘されている(これは別書籍から文中に引用されている内容)。さらに、医学的に既に判明していることに関してまで人体実験を行うという、まさに面白半分のサディズムの産物としか思えない実験も横行していたというのだから畏れ入る。

「日本軍がかつての侵略国においてどのような貢献を為したとしても、侵略の罪業を少しも償わないのである」
 侵略軍による非道は自衛のためのものではあり得ないと著者は言う。まさにその通りである。
 話は日本軍の暴挙だけでは終わらない。戦勝国にしても、自分たちが手を汚さずに過酷な人体実験の資料が手に入るのだからと、最終的に石井部隊を戦犯として告発することをしなかった。勝者が敗者を裁くことの是非は別として、人間の救いがたい業が発露した話ではないかと思う。

「民主主義というものは、本質的に脆い。それは民主主義に反する主義思想をも体内に包含する。自分を破壊し、覆そうとする敵対思想をも認めなければ民主主義は存在し得ないところに、この体制の脆さと宿命がある」
 著者のその言葉は民主主義を否定するものではない。多様な思想を受け容れ、その中でより良いものを一人一人の意思で選び取ろうとすることこそが大事なのである。
 戦争だから、どんな事態も実際に起こり得る。それは歴史を見ても明らかである。ホロコースト然り、原爆攻撃然り。決める者も、従う者も、すべてが狂気に流されてしまう。自分がその状況に置かれたらNOと言えるかどうか。そんな自信がない人がほとんどだと思う。だからこそ、一人一人が踏み止まるために、犯された愚行を繰り返されないために記録され語り継がれねばならないのだろうと思う。

「ケンブリッジ・シックス」(著:チャールズ・カミング/訳:熊谷 千寿)

2018-09-12 23:40:11 | 【書物】1点集中型
 刊行された当初に本屋で見かけて、気にしていたものの読んでいなかった本。タイトル通り、ケンブリッジ・ファイブには実は+1あったという、圧倒的に興味をそそられる題材。その謎の6人目について調べていた友人のジャーナリストの急死によって、ロシア史を専門とする学者である主人公がその後を引き継ぐ形になったものの、どうやらきな臭い方向に……とかいう話。
 個人的にはちょうどここ数年で「ケンブリッジ・スパイ」とか「SS-GB」「THE GAME」とかのとかそれ系のドラマを見る機会もあったし、キム・フィルビーの人物伝を読む機会もあったことも大きい。

 ジャーナリズムとのつながりを多少は持つ学者とはいえ、諜報活動とは無縁だった一般人がほぼ丸腰でSIS(MI6)やロシア側の刺客に立ち向かわざるを得なくなる。その事態からするとけっこうアクションぽくもなるのかなと思ったんだけど、そこはそうでもなく、謎解きと化かし合いがメイン。
 ……なんだけど、「6人目」の正体は意外と早めにわかってしまったのには若干、肩透かしを食らった。もともとはその正体を探すのが目的だったから、結局どこをめざしていたのかともいう感じにもなった。タイトルからしてもっとケンブリッジ・ファイブの内幕にも踏み込んだ物語があるのかなと勝手に想像していたから、その意味ではちょっと物足りなさがある。とはいえ、ロシア側のかなり上の方が絡んできた点は意外性もなくはなかったので、実はどちらかというとそこに主題があったのかもしれない。

 で、追いつ追われつの展開の結末も、最後には、それで解決してしまっていいのか? という取引だったりして。それ結局後日消されちゃったりしないの? とか余計な心配をしてしまった。まあでも、不穏でおさまりの悪い最終章はいかにもイギリスのスパイものらしい、ちょっとニヤリとさせられる感じで良かったけど。