life goes on slowly

或る大阪近鉄バファローズファンの
偏愛と放浪の記録

「クリロフ事件」(著:イレーヌ・ネミロフスキー/訳:芝 盛行)

2014-12-30 10:16:47 | 【書物】1点集中型
 どうやって見つけたのかすっかり忘れてしまった1冊(笑)なんだけど、読もうと思ったのは、帝国時代のロシアからフランスへ流れたのちにアウシュヴィッツ収容所で亡くなったという作者自身に興味を持ったのが大きい。

 1903年、ロシア高官クリロフの暗殺事件の犯人と目される「レオンM」の手記、その名も「クリロフ事件」として、物語は始まる。レオンMはシベリアに生まれながらも、父の逮捕によりロシアからスイスへ移った。母はスイスのテロリスト集団に属し、母を失ったレオンMもまたその「革命員会」の構成員となる。「生まれついての党員」と自身を称する所以である。
 スイス人医師の名を騙りロシアに潜入したレオンMは、クリロフの主治医に収まった。残忍で貪欲な「シャチ」として知られていたクリロフに近く接する中で、レオンMはクリロフが妻子に向ける愛情に満ちた視線や言葉に触れる。しかしまた逆に、二重スパイに告発されて自殺した息子のことで陳情に来た女性を激しく面罵する姿を見る。テロの標的としてだけではなく、否応なしに感じざるを得ない人間としてのクリロフの機微がそこにはあり、レオンM自身も自分の中に芽生えたクリロフに対する愛憎半ばする感情に気づく。

 それでも、レオンMは仲間のファニーとともに、暗殺決行の現場にいた。「あいつを殺せない」と口にし、しかしファニーがやっていなければ自分がやっていただろうとも語る。それがテロリストとしての自分と、一個の人格としての自分が相反していたということであったとしたら、公人として「シャチ」であったクリロフと、地位を擲っても妻への愛を貫く人間クリロフのアンビバレンスもまた、レオンMの理解するところになったのであろうと思う。

「機龍警察 暗黒市場」(著:月村 了衛)

2014-12-28 18:00:24 | 【書物】1点集中型
 シリーズ3作目。前回のライザに続き、今回フィーチャーされるのは当然ユーリである。……なんだけど、物語の始まりはなんとそのユーリが警視庁との契約を解除された! という一大事から。いや、本当のプロローグは機龍警察シリーズではもはや例によって例の如くになりつつある、「キモノ」=機甲兵装絡みの「虐殺」事件であるのだが。毎回のことながら、この先制パンチがまた相当にえげつない……。

 警視庁と袂を分かったユーリが身を投じた武器密売が、今作の核となる。さらにそこに乗り込んでいくためにユーリが接触したのは図らずも旧知の男ゾロトフ。いかにも理想的な警察官である父をに憧れる少年ユーリと、裏社会に生きる「ヴォル」と呼ばれる者たちのひとりを父親に持つ少年ゾロトフの対比が描かれる。ゾロトフ自身が言うようにまるで光と影のように、相容れず、しかしつかず離れず。
 もともとが警官出身のユーリであるから、今回明かされる彼の過去にも当然ロシアの民警時代が含まれる。警官としての誇りを「最も痩せた犬達」の呼び名に忍ばせた、かつてのユーリの仲間たち。彼らの中に身を置いたユーリが知ることになるロシア民警の腐敗という現実。2つの国の警察組織を渡り歩くことになるユーリの物語なので、今までよりさらに警察小説の色が強まっているような雰囲気も。

 民警を追われることになった経緯やゾロトフとの確執、ロシアを離れてから日本へ辿り着くまでの壮絶で凄惨なユーリの人生の描かれ方は、前2作からさらに迫力を増していたように思う。「デスマッチ」前のユーリの泣きのシーンなんかは、それまで語られてきたユーリの人生との相乗効果でかなり胸に迫ってきた。さらにダムチェンコとの再会によって、濁った水を喉に流し込むことの本当の意味を、ユーリは遠く日本の地で知ることになる。もう、究極の浪花節! と思いつつも、つい感情移入してしまいますな(笑)。

 で、これで「傭兵」3人については一応ざっと触れられたことになるので、次作はどういう方向に行くのかな? 期待しつつ早速貸し出し予約を入れました(笑)

「無限記憶」(著:ロバート・チャールズ・ウィルスン/訳:茂木 健)

2014-12-15 22:32:42 | 【書物】1点集中型
 「時間封鎖」の続編。「アーチ」の向こうの「新世界」とこちらの世界を行き来することが当たり前になった時代である。そうか、イクウェイトリアって地球のパラレルワールドとかじゃなくて、どこか別の惑星上の場所なんだなと読み始めて今さら気づいた次第(笑)。

 火星のテクノロジーによる延命処置を受けた「第四期」の人々と、彼らとともにいる少年アイザック。父の死に関する疑惑を探るべく彼らと接触することになる女性、リーサ。そして一般に知られている火星人とは違う、きわめて地球人に近い容貌を持つ女性、スリーン。それぞれがそれぞれの思惑を胸に出会い、行動をともにすることになる。
 アイザックが法の目を逃れて密かに暮らす「第四期」たちと暮らしているのには理由がある。火星の技術を究極的に地球人に活かそうとした成果が、彼自身である。生まれながらに仮定体と意思を通じあうことが可能な人間として、彼は「創られた」。そして彼は確かにその能力を持つに至り、仮定体が蓄積する死者の「記憶」を読み取り、時にはまるで彼ら彼女らが生き続けているかのように、その意思を伝えることができる。
 人の記憶は仮定体に記憶され、さらに集積され、蓄積されていく。ある意味、「魂の不滅」に近い状態であるともいえる、それがスリーンの言うように、本当に「第五期」と崇め奉られるようなことがあれば――その先にあるのは、肉体からの脱出をめざす人類の姿かもしれない。と考えると、やっぱりSFって最後はそこに行き着くものなのかなとも思うわけだが、果たして第3部では人類のどんな未来が描かれるのか。

 どうしても3部作の真ん中って、「つなぎ」感が強くなる作品が多いような傾向があるんだけども、この作品もご多分に漏れず……な雰囲気はある。クライマックスに持っていく前だから少し抑え目になってしまうのかな。でもその分、第3部でどういう落としどころを見せてくれるのかが楽しみではある。

「宇宙が始まる前には何があったのか?」(著:ローレンス・クラウス/訳:青木 薫)

2014-12-11 21:57:52 | 【書物】1点集中型
 かの青木氏の訳になる宇宙系の本ということであれば、読んでみないわけにはいかないと思い(笑)借りてきた次第。
 原題は「A UNIVERSE FROM NOTHING - WHY THERE IS SOMETHING RATHER THAN NOTHING」だそうな。「無から生まれた宇宙」ということであるが、ものすごく単純に考えると、常識として質量保存の法則だとかエネルギー保存の法則だとかが頭に染みついているので、無から有が生じる――極端に言うと、0=1になるようなこと――というのは、俄かに信じがたい話ではある。しかし、宇宙がビッグバンから生まれたということは既に明らかになっており、ではビッグバン以前には何があったのか? という話になるわけで、ここのところを論じつつ、その論に基づきこれからの宇宙についても述べられているのがこの本になる。

 宇宙の膨張、宇宙背景放射、暗黒物質に暗黒エネルギー、インフレーション理論ときて果てはマルチバースと、基本的には今までいくつかの同系の本で目にした話題が中心だった。が、当然表現は違うのでけっこう新鮮に読めた。「平坦な宇宙」の意味をはっきり理解できたのは今回が初めてのような気がするし(笑)。
 「空間も時間もない」という「無」は、実は決して安定していないのである。「ふつふつと煮えたぎるスープのように、仮想粒子が生まれては消える世界であり、場の値は荒々しく揺れ動いて」いて、だからこそそこから生まれるものがあるということだ。本来対称である物質と反物質に、初期宇宙でわずかな非対称が生じたことが今の宇宙のありようにつながるというのは、気の遠くなるほどミクロでかつ壮大な話だと思う。以前にもこの手の本を読んだときに思ったけど、宇宙というほとんど無限のものに向かっていくための学問が、素粒子物理学という果てしなくミクロな世界だということは本当に面白い。

 2兆年先になれば観測可能な天体がほぼ存在しなくなること、逆に現在のように宇宙のさまざまな様子を観測しその歴史を知ることができる環境は非常に稀有な時代であることというのは、今回この本で初めて出会った視点だった。確かに、宇宙が膨張し続けてあらゆる銀河が我々の銀河から遠ざかっているのであれば、遠い遠い未来にそういう事態になることは自明ともいえる。
 また、マルチバースの示すところとして、我々の宇宙以外にも宇宙が存在するのであれば、そこにあるのは必ずしも我々の宇宙と同様な宇宙とは限らないということ。我々の宇宙のあり方は必然性から生まれるものではなく、ただ単に偶然の産物である可能性も決して低くはないということ。そうすると、我々の知る物理学は唯一絶対のものではなくなり、この宇宙にのみ適応する「環境科学」となる可能性もある。これもまた大きなパラダイム・シフトではなかろうか。
 その意味では、ワインバーグの「科学は、神を信じることを不可能にするのではなく、神を信じないことを可能にするのである」――科学の本質について、この一言はまさに言いえて妙である。あえて神学と対比させなくても十分に面白い話だとは思うけどもね、宇宙論。