life goes on slowly

或る大阪近鉄バファローズファンの
偏愛と放浪の記録

ものすごいupsetが。@Wimbledon

2012-06-29 23:46:45 | 【スポーツ】素人感覚
 時間がアレなので試合は全然見れてないんだけども、今朝起きて結果を見て、久しぶりに強烈な衝撃を受けて目を剥いてしまった。ナダル敗れる。しかも2回戦って! しかも相手はランキング3桁って! ってな話で、思わずスコアを2度見してしまったし(笑)。

 そのときさらっとstatsを見た感じでは拮抗していたので、背も高いしサーブは速いみたいだからこのへんがキーなのかなぁとぼんやり思ったんだけど。なんだかナダルも今回、あまり(自分の)リターンが良くないと感じていたらしく、そうなると確かに不利なプレイスタイルではあるとは思う。流れを感じ始めたところでの中断も、絶対に気持ちのいいものではないしなぁ。
 でもナダルが対処しきれないほどにサーブが良くて、強打がばしばし決まるようなら、同じくウィンブルドンでフェデラーに勝ったときのツォンガみたいな感じだったのかな。普通なら強打の分ミスも多いはずなのに、そのミスが全然出てこないので糸口がつかめない、みたいな。見てないので想像でしかないけども。

 ロソルがもともとどういうプレイスタイルの選手なのか全然知らないのでなんともだけど、サーブの強烈さといえば断然カルロビッチ、しかしそんな彼もTOP10に食い込むようなところまでには至らない。だからロソルがこの先どこまで進めるか、いかにこの2回戦の調子(とまではいかなくても、それに近い状態)を維持できるか。サーブ以外の武器をもう1つ持てるか。今後、ツアーで本格的な存在感を確立できるかどうかは、それにかかっている(と思う)。
 そしてとりあえず、何はなくともどんな選手か知りたいので(笑)、次の試合を見てみたい!

 見てみたいといえば、錦織vsデルポも当然見たい。前回対戦したときは、まだデルポの方が1枚上手な印象を受けたけど、今ならあるいは……?
 まあしかしそれは明日の話なので、今日はまずジョコもセットは落としたけど無難に勝ったので、ロジャーにもきっちり勝っておいていただきたい。2日続けて、起き抜けにひっくり返る思いをさせられるようなことがないように。(笑)←笑い事じゃないんだけども

「乾山晩愁」(著:葉室 麟)

2012-06-29 22:12:36 | 【書物】1点集中型
 久々? の時代もの。って、本当は最近「黒龍の柩」再読してたんだった。感想はメモできていないけど、とても気に入ってる。

 それはさておきこの短編集、文学賞にも疎い私は寡聞にしてこれまで存じ上げなかった作家さんの手になる。が、日本画では昨今すっかり琳派に傾倒している私なので、「ジャケ買い」と言ってよいと思う(ていうか図書館だから「ジャケ借り」?)。

 藤沢周平のような雰囲気もおぼろげに感じつつ……とは言え藤沢作品も1、2冊読んだだけなので、ものすごい大雑把なくくりではある(笑)。北斎(と彼が見る広重)を描いた「溟い海」の印象があるので、「等伯慕影」ではそれこそ「溟い海」を連想しちゃったなぁ。あの等伯の、隠にこもる感じ、暗い情念が何とも(笑)。
 あと、普段恋愛ものは読まないけど、「雪信花匂」のような物語をたまに読むと何故かすんなり受け入れられるのが不思議(笑)。時代ものの、ある意味での非現実さ、その時代という背景ゆえの障害が、却って想いを純化しているようにも思う。逆に「永徳翔天」の永徳と仙千代の関係も危うげでいいし、「一蝶幻景」での朝湖と右衛門佐の距離感も、時代ものならではという感じ。2作にわたって登場の彦十郎(胖幽斎)も人間味があってすごくいい味が出ている。

 そして、なんといってもこの作品群の肝は、「雪信花匂」にて狩野探幽をもって語らしめた「絵師とはな、命がけで気ままをするものだ」という一言に尽きる。狩野派の威信を一身に背負うという、才能故の業を背負った探幽が「気ままをする」ことができるのはどうしたって狩野派の型の中で、そこからはみ出ることだけはできなかった。だから、そこから離れることができる雪信にこそ、いち絵師としての理想を遂げさせたかったのだろう。
 翻って他4作を見ても、どの絵師も「気ままをする」ためにさまざまの代償を払ってきている。何かを失いつつ、その先に自分の描きたいものを見つけていく姿がある。
 
 実際、光琳や等伯の作風を思い浮かべながら読めるのは楽しかった。赤穂浪士の討ち入りの場景や装束を「光琳好み」の画として想像するのも面白いし、そのあたりの陰謀史観的解釈も興味深い。英一蝶の来歴も初めて知ったし、狩野派の中での久隅守景の独特さの解釈も勉強になったし。
 ……と言っても、展覧会では図録も買わなければ音声ガイドも使わないので、これを読んで初めて久隅守景が狩野派だときちんと認識したようなものだったりもするんだけど(汗)。作中にもあったように、「夕顔棚納涼図」というモチーフが狩野派の王道とは一線を画していて、その意味ですぐに結びつかなかった……もちろん、それは作品の良し悪しとは全然関係なく。実際、「夕顔棚納涼図」好きだし。なかなか作品を覚えていられない私でも、すぐ思い浮かべられた。(笑)

 そんな感じで、題材に興味があったということもあって読後感は良かったので、またいずれ葉室氏の違う作品を読む機会を作ってみようと思う。

「ボーン・コレクター(上)(下)」(著:ジェフリー・ディーヴァー/訳:池田 真紀子)

2012-06-26 22:08:38 | 【書物】1点集中型
 アーチャーには手をつけたけどディーヴァーは初。映画にも疎いので当然見ていない。ということで何の予備知識もなく読み始めた。

 生きたまま肉を削ぎ落とされた指、スチームで焼かれた顔……こういう露骨で陰惨な仕打ちを受ける被害者の出てくるミステリを読んだのは久しぶりな気がする(想像して勝手に痛がっちゃうから苦手にしてるというのもある)。ううっ、しんどい。(笑)
 ……と思いつつも読んでいくうち、アメリアの苦悩と憤懣に満ちた鑑識の過程で、ボーン・コレクターの狙いがぼんやりと見えてくるような、いやそれも気のせいのような……というような気分になりはじめる。「未詳八二三号の言葉を理解できるようになりかけていた」ライムには遠く及ばないが、この、頭の中で何か言葉にできそうでできない微妙な感じがけっこう癖になる。

 しかし、ライムの鑑識眼を通して何かがわかりかけた(と思わされる気がしてきた)ところで、そのライム自身が事件から引き離される。ちょうどライムが、捜査に一心にのめりこむことで、あれほどたぎらせていた死への渇望を忘れかけていたそのころを、まるで狙いすましたかのように。
 その裏でまた次の事件が始まっていて、さあこのまま捜査をライムの手から離していいのか? という状況になっての下巻。
 結局、サックスはやっぱり何をおいても被害者を守りたい警察官であって、結局そのことがライムを捜査に復帰させることになる。捜査を再開する段になったときのライムの張り切りぶりといったらもう、微笑ましいくらい(笑)。正式にお墨付きが下りるまでの、FBIの目をかいくぐりながらの捜査活動withトムの芝居なんかは、もちろん真剣なのにデルレイがおちょくられている雰囲気もあって、ちょっと笑っちゃう。さらに、ついにライムが自分の嘘を認めて、現場に出張ってくるところも、かわいすぎる。(笑)

 そんなこんなでサックス(と、もちろんライム)は犯人の痕跡を追いかけて追いかけて、でも最後の1歩が届かない。被害者には届くのに! というそのじりじり感と、ジェットコースターな雰囲気に拍車をかけていくんだろう。
 その中で、突然ライムの前に開ける視界がこれもほんの一瞬の差で、ひとつの悲劇を呼ぶ。それはライムが再び「あきらめる」ことを選ばざるを得ない死のひとつではあるかもしれない。ただ、過去に背負った死をすべて「葬った」と言いながら、ライムにとってそれは「忘れる」と同義ではないのではないかな、とちょっと思う。「走ってさえいれば振り切れる」。だから、ライムには捜査が必要だし、そのなかでサックスという相棒を得たことは、生きるための新しい糧と言ってもいいはずだ。

 サックスとライムの、自分の過去に対する思いが重なり合って、なんかとっても純粋に通じあっていくのがいい。それでも自殺の意思を変えないライムと、なんとしても阻止したいサックスの、通じているのに平行線なもどかしさ。でもやっぱり人は、望まない形での死に直面したときには本能が何が何でも生き残る道を手繰り寄せようとするのだ。文字通り肉食獣のようなライムの格闘シーンは鬼気迫り、壮絶。これでもかというくらい画が見えてくる描写なだけに、思わず全身に力が入ってしまう(笑)。

 今回ライムを最終的に永らえさせたのは結果、新しい事件ということになったけど、彼の意思がどうなるか、本当に彼を止めるとしたら、それはアメリアの存在だと言い切れる日が来るのか。それを確かめに次作以降を追ってみたくなった。
 しかしこの新しい事件の出し方、まさに最後の最後でいちばん大きいどんでん返し(あるいは犯人がわかった瞬間の衝撃よりも!)が、心憎い限りである。

 ライムのキャラクターもかなりな癖をもたせて描かれているが、おかげで世話役(介護士、療法士? ということになってるが)のトムが相当いい味出してる。ライムの毒気を抜いてくれる感じ。美男子という設定だけに、より「毒をもって毒を制す」感もある(笑)。それがよかったりもするんで。
 ライムとアメリアの丁々発止は緊迫感があっていいが、ライムとトムのやりとりはなんかほっとするという意味でこれもいい。それを味わうためにも(笑)、やっぱり次作を読む機会を作ろう!

「もうおうちへかえりましょう」(著:穂村 弘)

2012-06-23 22:32:50 | 【書物】1点集中型
 ちょっと力を抜きたくなったのでほむらさん。ほむらさんの、特に話し言葉でのひらがなの使い方がとてもツボにはまる。

 個人的に今作、最も共感したのは「『未来』の奴隷」かな。日曜夕方の憂鬱、いわゆる「サザエさん症候群」を意識する時間帯が前倒しになっている、という話だ。ほむらさんがそれに気づいたころには日曜の朝にはもう憂鬱になっていたらしい。わかるわかる。私も、下手したら土曜の夜、布団に入るころに「ああ次に起きたらもう(その日で)休みが終わっちゃう~」とか思っている。ほむらさんも「心が冷えると」それくらい前倒しになるらしい。ねぇ、やっぱりそういうこと、あるよねぇ。でも、「嬉しくなるポイント」はやっぱり金曜の夜……早くても朝かな。木曜ではないな(笑)。
 あと、もうこれはほむらさんの真骨頂と言うべきか(笑)、「愛はいつも」の締めの短歌がもう、このエピソードの流れからしてほんとにホラー(笑)。

 「言葉の戦後性」「言葉の金利」「したあとの朝日はだるい」と、短歌を通した時代考察3連発も面白い。短歌だけでなく、キャッチコピーや命名の傾向の変遷などから、なんだか知らぬ間に過ぎ去ってしまっているいくつもの時代の中で、なんとなくぼんやりした感じでぽつんとたたずむほむらさんの姿を想像してしまう。でも、ぼんやりしてるような雰囲気があっても、ほむらさんの感じてることはある意味で鋭かったり、やっぱりほむらさんならではの独特な視点があったりするのだ。
 「いいところ」センサーが完璧にシンクロする人、最近見つけられてないなぁ。それはもちろん、いま自分がいる外の世界に探しにいかなければ出会えないからなんだけど。

「華氏451度」(著:レイ・ブラッドベリ/訳:宇野 利泰)

2012-06-22 21:43:51 | 【書物】1点集中型
 何つながりで読むことにしたんだったか忘れたけど、多分最近読んだSF小説の巻末の広告とかだと思う。
 それはさておき、「華氏451度とは、摂氏では233度にあたり、紙が自然発火する温度」(解説より)だそうだ。舞台になるのは本が禁じられ、「焚書官」によって焼かれる世界。焚書官モンターグがその禁忌に手を染めたとき、幸福であったはずの彼の周りの世界が一変する。社会に敵対する者となって追われるモンターグの逃避行の、いくつもの短く鋭い言葉で語られる緊迫感が真に迫っている。

 まるで箱庭の中の人形のように、与えたものの中だけで人を生かそうとする社会。モンターグの上司の焚書官として体制を具現化したような存在であるビーティの、矛盾も甚だしいほどの書物への造詣の深さ。ビーティ言うところの、「必要」なものは「機械的に反射作用をもたらすものにかぎる」ということはつまり、考えることは(国民にとって)不要であると言っているのと同じだ。
 死も悲しみもどこか遠くの誰かのもので、自分に降りかかることはないと信じて疑うことのない世界。その頭上に無慈悲に落ちかかる爆弾と、完膚なきまでの破壊。
 しかし、モンターグをはじめとする書物の伝道者たちは、その愚劣な人間の行為を記憶することで、灰から自らを再生させる不死鳥となったのだ。燃やされた書物の灰を糧に、自らを「書物のほこりよけのカバー」になぞらえながら。

 解説には「これはSFではない」とある。言わんとしていることは理解できる(と思う)。その反面、「テレビ室」の雰囲気やら戦争(戦勝)の報道がなんか「一九八四年」を彷彿とさせたりもするし、「海の貝」とかフェイバーのイヤフォンとかの小道具にSFっぽさはやっぱりある。
 ……が、そんな分類は実際、本質的にはどうでもいい。誰かの思索を形にし、それに別の誰かが触れることで新たな思索を生むのが本である。そこには、あらゆる角度からの思索の歴史が連綿と積み重なる。ただ消費されるだけの情報としてではない、歴史を形にし伝える手段としての本から、人間はこれまでも多くのものを学び取ってきたはずである。「考える葦」が考えることをやめてしまったら、ただの葦でしかなく、人間であることの意味はないのだ。

「服従の心理」(著:スタンレー・ミルグラム/訳:山形 浩生)

2012-06-13 22:05:42 | 【書物】1点集中型
 スタンフォード監獄実験を聞きかじったのと前後して、この文庫版を見かけたので読んでみた。
 基本的には実験の手順と結果、分析。ものすごく大雑把に言えば、人は権威の前に、選択権の放棄と引き換えに責任から逃れようとする傾向がみられるという結果だったが、この結果にある程度納得もできてしまう。しかしその納得の裏に、では納得するだけの自分でいいのかという、見過ごすべきではない示唆もある。
 さらには訳者の「蛇足」が、研究に対する検証の意味でとても興味深く、最後にこれがあることで、「主体的に考える」ということの意味を改めて考え直す機会になった。
 「『人を傷つけない』のは根本的な道徳か?」という点では、ちょうどまさにその時代を指す「傭兵ピエール」を並行して読んでたときに「近代以前の軍は、非戦闘員だろうと(略)収奪しつくすのが基本だった」という言葉が示されたので、確かにその通りだと納得してしまった。戦争における人道的見地というのは、あくまで後づけなのである。性善説も性悪説も、どちらの可能性も人間は持っている。それは否定しがたいことだと思う。ただそれを、「そういうものだから」で済ますわけにはいかないのだ。

 エピローグには「忠誠、規律、自己犠牲といった、個人として大きく称揚される価値こそがまさに戦争という破壊的な制度上のエンジンを作り出し、人々を権威の悪意あるシステムに縛りつける」のは皮肉だ、とあったが、「服従」という言葉を単に言葉として捉えるならば、「蛇足」に「服従は信頼の裏返し」とあるように、良いも悪いもないフラットな言葉として捉えることができるということは確かだ。忠誠と盲従、規律と束縛が紙一重であるように。
 だからこそ「服従」にも「反抗」にも、その行為自体に自分で責任を負う意思が必要なのだ。

 毀誉褒貶あり、賛否両論ありのあまりにも有名な実験。しかしその成否はともかくとして、その実験に参加することで何かを得た被験者の数は決して少なくはなく、そしてその結果がこうして世に広く知らしめられることで明らかに多大な影響を及ぼすものであったことは間違いない。こうして読み手が一瞬でも立ち止まり、考える機会を与える。その意味では、やはり大きな意義を持つ実験だったと思う。

「傭兵ピエール(上)(下)」(著:佐藤 賢一)

2012-06-11 21:03:44 | 【書物】1点集中型
 フランス百年戦争の時代を、「傭兵」の立場から切り取る物語。カタカナ名前が覚えられないのが難点で西洋史ものはあんまり読んでなかったんだけど、やっぱり書く人が書くと面白い。傭兵稼業の無法さ加減、宗教的な考え方と時代背景による女性あるいは農民の苦難やらは事実そうだったのだろうと思うと、今こういう世の中になっているのが不思議なような気もする。

 一言で言うと、とても「青春」な感じのお話。苦悩はあれど、基本的に「気は優しくて力持ち」な主人公ピエール。デュマ3世代シリーズでも思ったけど、佐藤氏はこういうタイプの主人公が得意なのかな。少年漫画の王道みたいな爽やかさがある。
 さらに、ピエール自身が叶わぬ恋を悟ったなりの狂おしい葛藤もある。ヴィベットがそんなピエールを受け容れるシーンが個人的にとても好き。ピエールは仲間たちのために軍を去り、ラ・ピュセルとも袂を分かつことになったが、歴史上ジャンヌを待つ運命ははっきりしてるわけで……そこに今や、帰る家を得たピエールがどう関わっていくのか? と期待を持たせて始まった下巻は、なるほどそう来ましたか、という感じ。先日まで読んでいた「黒龍の柩」がオーバーラップした(笑)。

 そして落ち着くところに落ち着くまでの紆余曲折、ここに青髭譚まで絡んでくると最早ファンタジーというか、いよいよもって伝奇小説の世界にまで広がるのかと思わされたりもして(笑)。
 でも、これはただのハッピーエンドではない。何故ただのハッピーエンドで終わらせなかったのか、わかるような、まだ理解できていないような。けど、政治のしがらみや利害関係に囲まれながらも最終的にはそれを超えたところで、すべての命にピエールが真摯に向き合うことになった結果なのかも、とも思う。

相当小さいけど部分月食

2012-06-04 20:48:56 | 【日常】些事雑感
 携帯電話のカメラでも写った。
 本当は外に出て撮影する方がいいんだろうけど、都合により窓ガラス越しで。こないだの日食は地理的条件により金環食でなく部分食しか見られなかったので、その穴埋めでもないけど(笑)

 食は思ったより長くかかるもので、まだ終わっていない模様。ただの満月でも見飽きないけど、変化するのが見てわかるのはやっぱりいいなー。