life goes on slowly

或る大阪近鉄バファローズファンの
偏愛と放浪の記録

「4522敗の記憶 ホエールズ&ベイスターズ 涙の球団史」(著:村瀬 秀信)

2015-04-23 22:46:52 | 【書物】1点集中型
 確かキノベスに入ってて、著者のコラムが好きなので期待して買った。で、買ってからややしばらくあっためており(笑)、さらに読み始めてからもかなりちまちまと、数か月かけてぶつ切りになりつつ読み終えたが、期待通りの熱情と丹念な取材で書かれ、非常に読み応えがあった。
 大洋時代も野球自体は見ていたので、選手の名前もなんとなく大体わかる感じではあったけど、それこそ1998年があって、さらにそれ以降(上原浩治の存在のおかげで)相当な感じで野球にはまり込んだ経験があったので、なるほどなぁと思うところがかなりあった(とはいえ、当時のように濃ゆい見方で野球を見なくなってもう5年くらいは経ってしまったが)。

 '98年の中心選手たち、いわゆる「98年組」の個々の能力が高かったことは疑いようもない。その能力の礎となったのは実は、若手だった彼らが否応なく「やらされる練習」であった。それがあったからこそ地力が確固たるものとなり、成熟から絶頂期を迎えるタイミングにものの見事にはまったのが、あの怒濤のような日本一だった。ただ、その後の横浜球団、さらにこの本で初めて知った大洋時代を見るにつけ、高木豊曰くの「あの年代は特殊」であったこともまた、否みようのない真実であろうと思われる。
 私自身はベイスターズファンであったことはないが、友人に横浜ファンがいるので、ファンとして感じる横浜球団の伝統的な体質も折に触れ耳にしていた。また、詳しくはないし横目程度でありながらもチーム編成の変遷を10年も見ていれば、「なんでこうなる(こうする)かなぁ?」と首を傾げたことも一再ではない。まあ、どんな球団であっても多かれ少なかれあることではあるだろうが、それにしても一貫性がないというか、いや、逆の意味で一貫性があるというか。その最たるものが、捕手というポジションに対する迷走ぶりである。
 それをはっきり裏付けるのが、「ベイスターズが弱くなったポイント」として、「全体の8割が『谷繁放出』がその要因であると答えている」という事実である。思わず笑ってしまうほど予想通りで、その後延々と続いた捕手を巡る放出あるいは流出と半端な獲得の繰り返しは、谷繁を引き留められなかった(あるいは、引き留めなかった?)ことが球団全体で解決しようもないトラウマと化していたのではないかと思えるほどだ。

 読み進めていくほどに、現場(特に選手)がわかっていることが、なぜフロント全体として理解や改善がなされなかったのだろうかと思わざるを得ない。大堀元社長や山中元専務のように「こうありたい」という思いを強く持っていた人々がいたのに、彼らは結果として志半ばで去らざるを得なかった。そして野球ファンとしては信じがたい、2008年の、石井琢朗や鈴木尚典がチームを去るときの扱い。見れば見るほどしんどすぎる。
 しかしそれが、親会社がTBSからDeNAに変わったことによって、多少なりとも新しい空気が流れているように見えてきた。正直、中畑監督に対しては、アテネでの監督代行としての采配を見る限り「どうなのかなぁ」と、就任当初は思っていたものだったが、就任以来のチーム運営を見ていると、かつての黒江監督代行時代のチームの弾けっぷりを思い出す。上も下も一度まっさらになって、チームの中での血もある程度入れ替わり、そのうえでこの球団の天国も地獄も見てきている進藤コーチを参謀に置く布陣。今までとはちょっと違うね、と思わせるには十分だと思う。

 だからこそ、どんなに弱くても、しょうもなくても、それでもチームが引き継がれていくことが一番大事だし、それさえできればなんとかなっていくんだよね、とあらためて思う、それとと同時に私としては自分が永遠に失った愛するチーム、大阪近鉄バファローズを、10年を経た今も癒えない寂寥とともに思い浮かべざるを得ないのであった。
 ……ってやっぱり最終的にこの話になっちゃった。でも本当にそう思うのだよ。マルハ時代の話なんて、限りなく昭和っぽい堅気じゃなさ満載だったけど(笑)そういうアレなところなんて、近鉄牛のバカ野球とオーバーラップせずにいられないもんね(涙)。誰か近鉄牛のこの手の本書いてくれないかなぁ。レクイエムとして。

 余談だがつい先日、数年ぶりに浜スタに野球を観に行った。当初、休日の暇つぶしのつもりだったのだが、行ってみたら自分が覚えているスタジアム周辺とは様変わりしていた。スタジアムの関内駅側の広いスペースが、イベントブース(移動水族館とか)やオープンテラスのように自由に休めるスペースになったりしていて、入る前から賑わっていた。入ったら入ったで、最終的にはスタンドの9割方が埋まるという盛況ぶり。正直、巨人戦以外でこんな状態の浜スタを見たのは初めてだったかもしれない(笑)。それに、昔はみかん氷を売る店が3塁側の1か所しかなかったのに、わりとあちこちで売られるようになっていたのが嬉しかった!
 まあそんな感じで、たまたまその時は試合展開もなかなか面白かったというのもあるけど、いい方に変わってきているのかなと、この本を読んだ後だからこそなおさら感じたものであった。とはいえ、チケット代の高さは(席種は増えたものの)変わってなかったけどな(笑)。

「天切り松 闇がたり」(著:浅田 次郎)

2015-04-21 22:18:34 | 【書物】1点集中型
 友人からの借り物。タイトルだけはなんとなく知っていて、そのタイトルだけ見たときは時代ものかと思っていたが、現代ではないが近代だった。最近の作品かと思っていたけど1996年の作品だそうで、実はそうでもなかった。←勝手に思ってただけだけど(笑)

 とある盗人一味にあった爺さん、その名も「天切り松」が、留置場で語る仲間と半生。誰もが一度は憧れそうな、アウトローでありつつも情に篤い人々の、それぞれの持つ一本筋の通った生き方を描き出した、浅田節全開の侠客浪漫である。獲物の金時計を通して女掏摸と時の元帥が通わせた想い、実父と養父の間で己の義理と愛情を通した「天切り松」の兄貴分、少年の日の「天切り松」の唯一の友と、生き別れた姉との再会と別れ。
 どれも、こんなできた話あるのかいなと思わせながらも(笑)確かな清涼感を残してくれる。当時の犯罪組織と警察の関わり方の人情味の部分なんかも垣間見えて、さすが、自らもピカレスクな世界にどっぷりはまっていた浅田氏ならでは。エンタテインメントとしては十分に楽しめる作品だと思う。

「64」(著:横山 秀夫)

2015-04-13 21:43:46 | 【書物】1点集中型
 横山氏の作品は、「クライマーズ・ハイ」「半落ち」を読んでみて、とにかく人間の描き方がすごいなぁと思った。あとは「第三の時効」など短編を少々。で、しばらく読んでいなかったのだけども、この「64」の文庫が本屋に平積みされていてなんとなく気になったので図書館より。←買えよ(笑)。

 というわけで数年ぶりに読んだ横山作品だが、一読して思うのはやっぱり期待を裏切らないなーということ。分厚さ以上に読み応えのあるさすがの作品。時効寸前の未解決誘拐殺人事件、その事件と現在の政治的要素をめぐるD県警の刑事部と警務部の激烈な確執。家出後行方不明となった娘を持つ、刑事出身のD県警広報官である主人公は、その刑事部と警務部の板挟みとなり圧死寸前である。「クライマーズ・ハイ」を読んだときも感じたけど、主人公がこれでもかというほど袋小路に追い込まれまくる様子が相変わらずの迫力で、読んでるこっちの息が詰まり、目を血走らせてしまっているんじゃないかという気になる。
 そんな組織のしがらみと人間関係の混沌をかき回すのは、広報官としての主人公の立場そのもの。主人公の主戦場とも言えるマスコミ陣営とのやりとりに描き出される、マスコミと警察広報の対立と共存の構造も臨場感たっぷり。もうなんというか、以上の諸々を含め、どうやったら主人公はこのにっちもさっちもいかない状況から活路を見出すことができるのか、見当もつかない。おまけにそうやって読むこっちの緊張を高めるだけ高めておいて、破裂寸前で一気に方向転換する誘拐事件特捜本部の設置の報。あの瞬間のカタルシスたるや、もはや麻薬の域である。

 事件を中心に据えながら、匿名報道と実名公開の是非を考えさせられるエピソードがしっかりと全体に絡んでくる。犯罪を現実化して世に伝えるために、何を重んじるべきかということ。そして犯罪被害者遺族の無念や執念と交わる、捜査に関わった者の抱え続ける後悔や苦悩が深みのあるリアルさで映し出される。さらに、主人公とその妻がそれぞれに見出す、姿を消した娘に対する思いへの折り合いのつけ方。
 これだけ多様な要素を織り交ぜることで人間関係の難しさをいやというほど見せつけつつも、ウェットになりすぎないのも骨太でいい。何もかもが明快な大団円ではないということも、その分むしろリアルさが増しているように感じる。世の中には今もきっと、失われている誰かを心に思い続ける人々が存在しているのだろうから。
 ドラマ化されるらしいので観たい気はするけど、ラストシーンの主人公の思いは小説だからこそ言葉として表現できたものだろうと思うので、あの思いが果たして映像から読み取れるかな? と思ったりもする。それとも、映像だからこそ表現できる何かが見られるのかな。

「元素周期表で世界はすべて読み解ける 宇宙、地球、人体の成り立ち」(著:吉田 たかよし)

2015-04-08 22:46:16 | 【書物】1点集中型
 宇宙論に興味を持ち出してから、結局のところ物理学に行き着くので物理系は少しずつ読めるようになってきた(?)ものの、そういえば化学系ってあまり出会っていなかった。ということで、元素と宇宙の関わりをどう解説してくれるのかが知りたくて読んでみた。あと、そもそも高校化学もろくにわからないし元素周期表も全然覚えられなかったという悲しさから、せめて人並みの知識を少しでも身につけられればと思い……(笑)

 とは言っても、元素周期表の簡単な覚え方とかが載ってるわけではもちろんなくて(いや、載ってたらすごくありがたかったんだけど~)そもそも元素とはどういうものなのか、というところから説明されてある。結局セシウムってなんなのか、カリウムはなぜ必要なのか、鉄分や亜鉛が人体に何をしてくれているのか、などなどごく基本的なことを読みやすく解説してもらえた。あと「希ガス」なんかは言葉としては知っていたけど結局何なのかあまりわかってなかったし、ほかと反応することのない元素があるというのも今さら知った。「周期表で人体がよく使う元素の真下にある元素は、毒性があることが多い」なんていう「元素あるある」的な話も面白い。
 結局、人体は物質ではあるけれども物質は元素からできているわけだ。当たり前のことだけど、元素であるということは当然、宇宙を形作るすべてのものと同じものからできているということだ。そして、天然の元素は温度が1000万度を超えないと生まれないので、(一部の例外を除き)「地球では元素は生まれない」。ビッグバンの残滓が、今この世界にあるすべてのものの原点になっている。やっぱり当たり前のことなんだけど、なんか壮大な話で、それだけで楽しくなる。

「V.」(著:トマス・ピンチョン/訳:小山 太一、佐藤 良明)

2015-04-04 23:39:48 | 【書物】1点集中型
 オーウェル「一九八四年」の解説でピンチョンを初めて知って、どんな作家なのか興味を持って手をつけてみた。が、ナンセンスコメディ風のノリなのに、エピソード単位では難解な話ではないのに……うむむ、読めば読むほど全然話が掴めない(笑)。
 結局、プロフェインとステンシルっていつ出会うのか? 話は実際進んでいるのかいないのか? と、情報量が多すぎて話の見えなさ加減に頭をかきむしりながら(笑)、しかし今さら読み返す気力もないのでとりあえず下巻へ進んでみると、上巻から続く「モンダウゲンの物語」はいよいよ強烈だし、SHROUDとプロフェインのやり取りはシュールでクールだし、やっと相まみえたプロフェインとステンシルの会話も間抜けなようでどこか儚げなような哀愁なようなだったりするし……上巻はわけわからなさの方が強かったんだけど、下巻はのっけからものすごい力で引きずり込まれた感じ。「現代」の話よりも臨場感があるような。

 ステンシルの物語は一応の終わりを見たけど、エピローグを締めくくる出港と、帆船の行く先は、ステンシルの追い続けていた「V.」の正体不明さとオーバーラップする。いきなり断ち切られた形だけど、その断ち切られっぷりが逆に極上の余韻を残す。

 ワニ狩りやヤンデルレンたちの輪には馬鹿馬鹿しさの中にも微妙に乾いた空気があり、一方ではモンダウゲンの物語や「悪坊主(バッド・プリースト)」の解体のシーン、「レディV.」とメラニーの場末の退廃のような物語に、得も言われぬ空恐ろしさが漂う。
 結局、「V.」とは何だったのかというミステリとして捉えるならば、答えは出ているようで出ていない。しかし明確な答えが必要な物語でないことだけはなんとなくわかる。とはいえ、全体としては全然わかってないけど(笑)わかりたい気にさせられる物語だなと思った。わかるまで読むには、私には相当な再読回数が必要になると思うけど、いつかわかりたいなぁ。でもやっぱメモとりながら読まないと無理かな(笑)