life goes on slowly

或る大阪近鉄バファローズファンの
偏愛と放浪の記録

「ヒューマン・ファクター」(著:グレアム・グリーン/訳:宇野 利泰)

2015-11-30 23:09:49 | 【書物】1点集中型
 図書館には古い版しか置いてなかったのでこちらで。イギリス情報部の外事担当、いわゆるMI6でアフリカ地域を担当するベテラン部員カースルの周りで、ソ連への情報漏れが発覚するのが事の始まり。二重スパイを中心に据えた物語である。

 冷戦期の話は今読むとかなり隔世の感を覚えるが、それはそれ。スパイ小説ではあるが、諜報のテクニック公開が主なのではなく、アクション的な派手なしかけや盛り上がりがあるわけではない。が、そこに在る人々の心の動きが静かに、丁寧に描き出されていて、いつの間にかその心情に引き込まれる。たとえば、未だ黒人への偏見が強いイギリスでアフリカ人の妻子を持つカースルと、その同僚でありワインや女性にうつつをぬかすある意味ごく普通の若者デイヴィス。それぞれの生活は対照的ではあるが、諜報員と言えど決して特別ではない市井の人間であることが、その生活や苦悩が描かれることによって浮かび上がっていく。
 デイヴィスの死によってカースルの心に起こった転回が、息子の愛犬ブラーを自ら手にかけたことで完全に後戻りできないものになった。何かを守るために否応なく何かを失う、その事実の冷酷さと感情の惑乱。カースルの「春の訪れをふたたび見れるのかどうか、まるで確信のない老人の声」に触れると、妻子との再会を待たずして彼が朽ちていってしまうのではないかと思える。

 しかし、ル・カレの作品もそうだけど、こうして見るとフィルビーが世界に与えた影響ってやはり絶大だったのだな。当時それを知らなかったのが、今になって惜しいかも。

「ピルグリム(1)(2)(3)」(著:テリー・ヘイズ/訳:山中 朝晶)

2015-11-17 22:22:40 | 【書物】1点集中型
 1巻「名前のない男たち」、2巻「ダーク・ウィンター」、3巻「遠くの敵」の3部作。「ピルグリム」とは「放浪者」という意味であるそうだ。

 ニューヨークのホテルの1室で起こった不可思議で凄惨な殺人事件について語る「わたし」は、国家の諜報に関わる〈機関〉に所属していたという過去を持つ。その事件が口火となるこの物語は、「わたし」か語る自身の過去と、彼が事件の中で出会った正体不明のテロリスト〈サラセン〉の生い立ちから始まる。どちらも「わたし」の語りで、〈サラセン〉の話も第三者の視点でありつつも「わたし」の主観が混じっている回想のような形なので、読んでいてちょっと不思議な感覚になる。
 ストーリーは「9.11」と殺人事件と新たなテロが交錯する壮大なもの。「名前のない男たち」とはつまり「わたし」と〈サラセン〉のことであろう。ブラッドリー夫妻の「わたし」に対する隔意ない親しみが、冷徹で殺伐としたテロと諜報の戦いの中で、読む側にほんの少しの安らぎを与える。それが、〈サラセン〉のあまりにも怜悧で狂信的なテロ活動をより引き立たせているような気がする。
 1巻では〈サラセン〉のめざすテロは、強化した天然痘ウィルスを使うものであることが明らかになる。しかし「わたし」がどのようにして〈サラセン〉と接点を持つようになるかが見えるところまではいかず、本当に序の口という感じ。どうやってつながるのか、それを知るのが楽しみに思える幕開け。
 2巻に進んでからは、さまざまな名でさまざまな姿を生きてきた、いや「演じてきた」と言っていいかもしれない「わたし」の人間性が垣間見える過去を織り交ぜながら、ストーリーが進んでいく。たった2回の〈サラセン〉と謎の女の電話記録から、女の正体を探るために「わたし」はトルコへ飛ぶ。ことここに至って、ナチスの影がちらついてくる。そして「わたし」の手が〈サラセン〉に届くかもしれないところまで近づく。手がかりらしい手がかりとはとても思えなかった電話記録から、じりじりと謎の正体を炙り出していくその経過は、静かながらも緻密で迫力ある描写である。でも、相当緊迫感のあるラストシーンには、それなのにちょっとだけユーモアもあったりする(笑)。

 結びの3巻ではいよいよ、〈サラセン〉の野望を止められないかもしれないという恐怖とアメリカ国家が戦わざるを得ないところまで追いつめられる。前巻でちらっと見えたナチスの影はさほど重要でもなかったけど、微かに見えた手がかりを引き寄せるも〈サラセン〉そのものにはどうしても追いつけないジレンマから一転、攻勢に移ってからの文字通り生命を賭した駆け引きがお見事。〈サラセン〉がテロリストになった経緯と、自ら身を滅ぼすことになった原因がどちらも家族であったことにはやはり、やるせなさを感じたりもする。単純なテロ阻止の物語というだけではなく。
 あと、ブラッドリー、「バトルボイ」、〈死のささやき〉と脇を固めるキャラクターもとてもよかった。個人的には「バトルボイ」が幸せになってくれたことは安心できたなあ(笑)。血の繋がった家族を持たない「わたし」の養父への思いや、「わたし」が素の自分を少しでもさらけ出すことのできる存在に出会ったのであろうことも含め、諜報者ではあるけれど、人の心の動きを描いた物語でもある気がする。

 実はこの3部作自体がさらに大きな3部作の第1部になるんだそうで、であればもしかして「わたし」の向こうを張った自称イングリッドのその後なんかも出てくるんじゃないかと思ってしまい、第2部の作品が発表される日が非常に楽しみになった。

「新 銀河ヒッチハイク・ガイド(上)(下)」(著:オーエン・コルファー/訳:安原 和見)

2015-11-13 22:19:57 | 【書物】1点集中型
 あのまんま「ほとんど無害」でシリーズ完結してしまったことを納得するのはどーしても忍びなく(笑)恐る恐る続編に手を出してみた。

 まずは何を措いても(笑)やぁぁぁっと、ゼイフォードが帰ってきたー!! である。フォードとはまた違う、かつレベルの高い(笑)すっ飛ばしぶりがずっと恋しかったので。やっぱこのシリーズはこうでないと。って、その反動かほとんどゼイフォードの独擅場になってるんだけど(笑)。満を持して現れたこのゼイフォードが、その見てくれの大きな特徴のひとつをあっさり捨ててるということに意表を突かれる。とはいえ、全くなくなったわけではないところがまた、このシリーズらしいわけのわからなさであろう。
 でも最初、アーサーとトリリアンが年老いてる状態だったので、老人アーサーが旅をするのか? 大丈夫か? とか余計な心配をしてしまった。しかもランダムがあんなになってたし。そのうえフォードって顎がなかったんだな、気づかなかった(笑)。そんでヴォゴン人があんなに執念深いとは、わかっていたつもりではあるが予想以上である。しかもまさかのワウバッガー。あいつがこんな重要な役回りになるとは思ってもみなかったよ。っていうかトリリアンは何をやってるんだよー(笑)
 そんなこんなで、上巻で個人的にいちばん笑えたのはやはりアスガルドに乗り込むゼイフォードである。それとヴォゴン人なのにあんな感じのモーンがなんか妙にかわいい。キャラは全く違うけど、存在感がなんとなくマーヴィンに近いような気がする。とか思うのは私だけだろうとは思うが(笑)。

 下巻は、ワウバッガーの死にたい願望を叶えるために奔走するゼイフォードと、のせられたトールと、アイルランド人丸出しのヒルマン・ハンターの応酬みたいな感じ。「しーずまりませチーーズ」とか、くだらないセリフがどうにもツボに入る(笑)。それにしても、イギリスのことを知らないとなかなかわかりにくいであろう笑いの部分もうまく訳してくれて、とてもありがたい。
 なぜかトリリアンは普通の(???)恋愛もののヒロインみたいなことになってるし、ワウバッガーもなんか普通の人みたいになってるし(笑)、でもまあとりあえずはそれぞれがそれなりにそれぞれらしい人生に戻っていった感じ。……なので、アーサーはまた「ふりだしに戻る」みたいなことになってる。どこまでいっても幸せになれないのは何故なんや(笑)←でも笑っちゃう。ただ、フォードでもいいから誰かアーサーと一緒にいてあげてほしいー(笑)

 テンションとしては本家(の前半)に比べると若干おとなしめにも見え、さらに下巻は話がだいぶきれいにまとまってきており、逆に「ガイド」シリーズにしては「まとまりすぎ」な感もある。ただ全体的に基本のノリは充分に踏襲されていたので、概ね違和感なく楽しめた。なんといっても、訳者あとがきにあったように、本家の結末を「なかったこと」にせずにちゃんと回収したうえで新しいストーリーを展開しているので、「これは続編だ」と納得できるし。かなり頻繁に出現する「ガイドによる注」がちょくちょく話をぶった切ってくれる感じもするんだけど(笑)中身が非常にアホらしく、その腰の折り方は「ガイド」らしくていい。
 世界観を維持してさらに新しい要素を生み出さないとならないわけで、コルファーもこれ書くの相当プレッシャーかかったんじゃないだろうか。でもこうして世に出された結果、充分楽しませてもらったし、アダムスへのオマージュとしても十二分なものだと思う。

「アメリカン・スナイパー」(著:クリス・カイル 他/訳:田口 俊樹 他)

2015-11-10 23:30:21 | 【書物】1点集中型
 共著はジム・フェデリス、スコット・マキューエン(タイトルに入りきらなかった)。米海軍特殊部隊SEALで「ザ・レジェンド」と呼ばれた狙撃手カイル氏の手記である。映画化もされたので興味を持ったが、例によって映画は見ていない。語り口が意外に淡々としていて、訓練も戦地での作戦もさも何も特別なことではないかのように書かれているので、これをどう映画化してるんだろうかと想いながら読んでいた。

 ごく自然に、敬虔にキリスト教に帰依し、国に誇りを持っている。家族よりも国を優先すると言えるほどに。
 そんなカイル氏の中にある愛国心と戦争の関係は、言ってしまえば極端なまでに簡潔だ。善か悪か、敵か味方か。自国に刃を向ける者には問答無用で刃を返す意志がある。とてもアメリカ人らしいと、私なんかは思ってしまう。なんでも簡単に型にはまるものじゃないけど、自国が一番だと胸を張って言える人が多いのだろう、そういうイメージの中にある。
 自ら戦場を望む以上、ものごとを目の前の「仕事」だけに単純化しないとそれこそ仕事にならないのであろう。が、罪を憎むだけでなく人までをも憎むことを憚らない考え方には、理屈としては理解できるけど共感はできなかった。なぜ敵がそうなのか、その背景をこそ解決しなければ戦争もテロも永久に終わらない。でもそれも、戦争の現実を知らないから言える理想論でしかないと言えばそれまでの話でもある。戦争と、戦争に臨む軍人についてあらためて考えさせられる内容ではあった。

 ただ、軍隊が実際はどのように動いているのか、そして戦争の「現場」は本当はどんなものなのか、それを知ることができる点では貴重な本だと思う。そして、戦地へ赴く伴侶を送り、迎える立場の人がどんな思いを抱えているのか。価値観がかみ合わない部分に折り合いをつけ、受け容れるまでに至るタヤ夫人の姿も生々しいが、彼女がこうあったことは、カイル氏にとっては決して不幸なことではなかったはずだ。
 カイル氏を含め、戦場を経験した人々がさまざまな形でPTSDを患うことを考えれば、「ホームレスはほとんどが退役軍人」という話には、確かに一面で理不尽さを覚える。ただカイル氏は自身で望んで戦争に参加する道を選んでいることを考えると、殺人者として(軍人が)非難される謂れはないという主張もまた違う気もする。でも、じゃあ誰が戦場で国を守ってくれるのかと言えば、それはまさに軍人なのである。難しい。

 そんな堂々巡りな思考に陥るとやはり、戦争がないに越したことはないという結論に至る。知性を持った生物でありながら、何故殺し合いという形で争い続けなければならないのか。「暴力でしか解決できないことがある」と断言できない世界に、どうしてなれないのか。
 「覚えているのは救った人ではなく、救えなかった人だ」とカイル氏は語った。もし戦争がなかったら、そんな思いもせずに済んだであろうに。