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知覧と鹿屋へ*鹿児島

2024-05-02 05:58:49 | 旅行記

霧島登山に来たが大雨で待機

その代わり昨日は薩摩半島の知覧(ちらん)

大隅半島の鹿屋(かのや)へ行ってきた

鹿児島半島の先端の知覧には

第二次世界大戦の慰霊碑、知覧特攻平和会館がある

大隅半島の桜島の先には鹿屋航空基地資料館がある

知覧は旧日本陸軍の特攻基地だったが

鹿児島湾をへて鹿屋には

旧日本海軍の大規模な航空基地が3つもあった

どちらも戦争終了間際の戦局が悪化してからは

特攻基地になっていた

知覧には平和会館があって

全国から訪れる人が多く特攻隊員慰霊式典で有名

鹿屋は現役の自衛隊基地なので訪れる方が少ない

鹿屋には旧日本海軍の飛行場が3つもあった

特攻に出陣した人数は

実は鹿屋からのほうが多い

知覧特攻平和会館は館内は撮影禁止です

館内全体にお亡くなりになった特攻隊員たちの魂がさまよっていますから

知覧から飛び立った特攻機で一番多く使われた隼です

ゼロ戦にそっくりですが隼は中島飛行機でつくられた陸軍の戦闘機

ゼロ戦は三菱でつくられた海軍の戦闘機

似ているのは当たり前で同じエンジン・中島製だからです

三菱製ゼロ戦と言えど中島製の「栄」エンジンを使っていた

中島のエンジンが良かったからです

中島は戦後解体(危険な会社と見られた)されたが

後に復活して富士重工とプリンス自動車に分かれた

プリンス自動車は名車スカイラインを作った

プリンス自動車は日産に吸収合併された

一方の富士重工はスバルを作っている

どちらも業界の中で独特な存在です

海外では隼よりゼロ戦の方が有名で

米軍は隼をゼロ戦と見間違っていたという話もある

当時の日本国内では隼の方が有名でポピラーだったそうだ

海軍のゼロ戦は重武装で速度が速く

陸軍の隼は軽装で空戦性能が高かった

同じエンジンを使っていたが

設計思想が大違い

ここで慰霊の祭典が毎年行われる

椅子の脇に立っているプレートは遺族グループをわけるもの

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知覧特攻基地戦没者慰霊祭 (チラントッコウキチセンボツシャイレイサイ)が、

なんと私が訪れた翌日5月3日に開かれた。

それで会場の設営がされていたんだ。

全く知らなかった!
この会場は1年中このままなのかと思っていました。
全国各地から200人余の遺族をはじめ、

関係者ら1000人余が参列し、

英霊らの冥福を祈ったそうです。

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戦局が悪化していて知覧にも鹿屋にも爆撃があったので

三角家屋は特攻に旅立つ隊員達の住まいです

林の中に目立たないように作られていた

知覧特攻平和会館は戦争を賛美しているんじゃなく

戦争で若い命を落とさなきゃならなかった時代を遺品などで見せてくれます

祖国と自分の親兄弟、恋人や仲間のために命をささげた

その思いが遺品の数々の中に浮かび上がってきます

ぜひ一度はご覧ください

大隅半島の鹿屋航空基地資料館には入れなかったが

外に展示してあった戦後の自衛隊機を見てきた

唯一大型の二式飛行艇が現存していた

エンジンが4つの当時としては超大型の飛行機です

B29は爆撃ですが式飛行艇は輸送機の範疇でしょう

 

二式飛行艇は防御にもぬかりなく

銃座が正面、上面、両サイド、後ろと米軍の爆撃なみだった

写真の尾翼の後ろの銃座は狭そうですね

この二式飛行艇の前身の川西四発飛行艇は

戦争終了時に17機残存して

戦後の離島輸送にも使われたそうです

二式飛行艇は戦後も開発発展して

新明和工業に引き継がれ救難飛行艇 US-2になった

世界はこのUS-2の性能に感嘆して

中国でもフルコピーした大型飛行艇を作った

鹿屋航空資料館には時間切れで入館できなかった

外に展示してあった「誉」エンジンです

日本が最後に作った傑作エンジンですが

劣悪なガソリンで性能をフルに発揮できなかった

戦後米軍が国に持ち帰ってテストして驚愕したという話があった

今も昔もエンジン技術は日本にはあったんだ

苔むしているのが過ぎ去った時を感じます

鹿屋も知覧も九州鹿児島の先端にあるので

中々行くことができない

天気が悪かったので霧島は大雨なので

こちらに回る機会が得られた

知覧は左に鹿屋は右に位置します

 

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