オヤジの畑(小平畑の別名です。正確には吉野農園と言います)でザック2つと大きな袋1つ収穫してきました。
里芋を掘る予定だったのでスタッフを連れて行った。
じゃーん
里芋の塊です。
土をほじくりばらすと、50個ぐらいの里芋になった。
里芋堀は中心から50cm離れたところから掘り出すけど、それでも2つばかりスコップでザクッと切ってしまった。
里芋の株は漂流教室みたいでお化けのようです。
特に中心にある八頭はでかくておどろおどろしている。
ニンジンはこれで全部収穫し終わりました。
いっぱいできたが、根瘤病にやられている。
食べるには問題ないけど見てくれが悪い。
大根はいいのがとれました。
右は紅しぐれですかーーー、真っ赤な赤大根もありました。
大根は小平畑に9本と新宿畑に5本残っています。
大根は簡単なのか、全部滞りなく大きく育った。
白菜は5個ぐらいもう食べたが、残り5個で霜対策に頭をひもでくくっておいた。
ブロッコリーはまだ小さい。
1月には大きくなっているでしょう。
ブロッコリーとカリフラワーは合計10個ぐらいはありそうだ。
順調に育っていて年明けに収穫しよう。
キャベツに似た葉だから、葉も食べられるのかしら???
思えば、、、小平畑は震災があった年の翌年から始めました。世の中が震災と原発事故で真暗のなか、ふと始めたが、畑仕事は面白くて、、、さらに景気が悪くなったなかで賞与が出せなくて、、、畑にできたお野菜を賞与にかえたっけ、、、。野菜の収穫が給料代わりだったんで、戦後間もない頃の食糧危機に似た状況だった。リーマンショックから立ち直ろうとした矢先に、東北大震災で巨大津波に日本列島は飲み込まれた。追い打ちをかけるように原発事故があって、東京近郊でも震災や津波の被害がなくても、心のなかは真暗だった。トレトレのお野菜はせめてもの賞与だった。収穫だって際限がないくらいあるわけじゃなく、みんなで分け合って食べたものです。戦後のひもじい時代のようだった。
今はようやく、賞与もたぷ〜り出せるようになってホッとしています。でも、節約が身についてしまって贅沢は敵だと体が覚えてしまった。ゆったり老人とは大違いの生活だなーーー。