ランシモ

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小平畑で里芋と大根、人参、小松菜、ネギを収穫

2016-12-19 19:40:06 | 畑仕事

オヤジの畑(小平畑の別名です。正確には吉野農園と言います)でザック2つと大きな袋1つ収穫してきました。

里芋を掘る予定だったのでスタッフを連れて行った。

じゃーん

里芋の塊です。

土をほじくりばらすと、50個ぐらいの里芋になった。

里芋堀は中心から50cm離れたところから掘り出すけど、それでも2つばかりスコップでザクッと切ってしまった。

里芋の株は漂流教室みたいでお化けのようです。

特に中心にある八頭はでかくておどろおどろしている。

ニンジンはこれで全部収穫し終わりました。

いっぱいできたが、根瘤病にやられている。

食べるには問題ないけど見てくれが悪い。

大根はいいのがとれました。

右は紅しぐれですかーーー、真っ赤な赤大根もありました。

大根は小平畑に9本と新宿畑に5本残っています。

大根は簡単なのか、全部滞りなく大きく育った。

白菜は5個ぐらいもう食べたが、残り5個で霜対策に頭をひもでくくっておいた。

ブロッコリーはまだ小さい。

1月には大きくなっているでしょう。

ブロッコリーとカリフラワーは合計10個ぐらいはありそうだ。

順調に育っていて年明けに収穫しよう。

キャベツに似た葉だから、葉も食べられるのかしら???


思えば、、、小平畑は震災があった年の翌年から始めました。世の中が震災と原発事故で真暗のなか、ふと始めたが、畑仕事は面白くて、、、さらに景気が悪くなったなかで賞与が出せなくて、、、畑にできたお野菜を賞与にかえたっけ、、、。野菜の収穫が給料代わりだったんで、戦後間もない頃の食糧危機に似た状況だった。リーマンショックから立ち直ろうとした矢先に、東北大震災で巨大津波に日本列島は飲み込まれた。追い打ちをかけるように原発事故があって、東京近郊でも震災や津波の被害がなくても、心のなかは真暗だった。トレトレのお野菜はせめてもの賞与だった。収穫だって際限がないくらいあるわけじゃなく、みんなで分け合って食べたものです。戦後のひもじい時代のようだった。

今はようやく、賞与もたぷ〜り出せるようになってホッとしています。でも、節約が身についてしまって贅沢は敵だと体が覚えてしまった。ゆったり老人とは大違いの生活だなーーー。

コメント
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