館林ロストシティーランブラーズ・フォークソングシングアウト

フォークを歌って43年の坂を今登坂中。世間に一言あってこそフォーク。軟弱アコースティックミュージックにシングアウトだ!

NOBの厨房・満喫日和。

2007-02-20 07:05:44 | グルメだ!


こじゃれた、そこいらの「レストラン」に行ってきた訳では無い!

しかし・・・・旨かった。



カリフォルニアから、密輸じゃなくって、空輸してきた「極上赤ワイン」は、香り豊かにして、その味わいは、ふくよか・・・であった。

旨かった・・・・・・

飲めない娘と女房には、美味しいジュースであった。
「あのワイン美味しかったね」
「何、飲んだの?」
やつは(女房ね)酒は好きである。なめる程度(これでは警察のお世話にはならないって程度に、ほんとなめるのよ)であるが・・・・



「奥様の焼いたパン」

ブログ仲間のNOBさんにご招待して戴いたのである。
昨年から、僕のキノコに参加したり、適当な理由つけての飲み会に参加してもらって、僕らはすっかり馴染んでいたのだ。
あかんべやま・にも来てくれたのだ。

まあ、NOBさんの料理の腕前は、僕のブックマークから、覗いてほしいと思う。

最初の写真「前菜」である。カリカリの山形産の鳥・おっそろしく旨い「えびのカルパッチョ」である。
サラダ感覚の前菜・その芽キャベツも甘かった。

芽キャベツ(子持ちかんらん)は3年前まで作っていたが、最近はやめていた。
今年、作付けだな。


「ビーフシチュウ」

見た目千両・香り千里であるぞ。

のこった、汁にさ、さっきのパンをちぎって、付けて、うまいっす!



日本酒も「純米大吟醸」が用意され、シングルモルトまであって、たまりません。
しかし、このスペイサイドのモルト「グレンファークラス10年」は飲みはぐってしまった!ワインと日本酒、それとジン「ボンベイサファイア」は飲んだが・・・
このスペイサイドの10年は、ふくよかな甘さが身上である。ボトルの入った、缶がおしゃれだ。

木に成ったまま、乾燥させた「干しぶどう」・カマンベール、つまみにはことかかないのである。



こちらも、手作りの「鴨のハム」。
昨年この「鴨」を戴いて、僕らはたらふく「鴨すき」をたべたのだ~



さて、メイン・僕がおねだりしておいた「スカンビ(手長えび?)」のパスタである。

でた~~。

トマトベースににんにく・玉ねぎ・モッツアレラチーズのハーモニーが、たまらない、1品である。(僕は本日、朝飯抜きでいどんだのだ!えらい!せこい!)



スイーツね。女房・娘はむさぼっていた。NOBさんは僕には出さない。

で、オ 寒さんには「苦いジェラード」ね・・・とマスクメロンのやつが出た。
熱を加えると「マスク」ちゃんは、苦くなるらしい・・・
ジンをかけたら、旨かった。
僕の前職?或いは年齢を加味して、「先割れスプーン」がおしゃれだ。

音楽の話・ブログの話・ちょっとだけ仕事の話と、会話ははずんで、あっという間に時間が過ぎた。



最後は持ってくる前その匂いで「KEIさんの珈琲」と僕は分かった。
KEIさんとは面識は無いが、NOBさん絶賛のコーヒーを供給してくれる方と、お聞きしている。

ゆるやかで、楽しい時間のおしまいに、ぴったりのふくよかな味だった。

僕らは、浅ましく、残ったシチューやパンも、来れなかった「息子(やつは、余ったら貰って来て・・と叫んでいたのだ)」にと、戴いてきたのだ。

ブログ・・・・これもさ・・・使い方?
こんな出会いもあります。
僕は、何人かの親しい、「ブログ仲間」をすでに持つことが出来ているのである。


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歌と講演と落語の集いで、かましてきたで。

2007-02-19 07:01:53 | ロスト シングアウト
お知らせに載せた、企画で歌ってまいりやした!

この主催者のおじさん・おばさん達、日ごろ僕らのコンサートでは、何かかとお世話になってるのだ。
だからして、「ご辞退」の文字は、はなっから、無いのだ。



今から「ここだけの話し」をする。
多分PCなど、苦手な年齢諸氏である。この記事・見られない事が前提。
皆!教えちゃだめよ。

さて、この方たちにその昔「演奏」を頼まれた。まあ100人は入る規模よ。

で。

オ サム「ハイ!分かりました。ところで、マイクとかあるんでしょうか?」

主催者「マイク?司会がいるので、1本あります」

オ サム「僕ら8人のグループなので、ボーカルに2、インスト(楽器用)に2、無いと?」
(ホンとはさ6本は欲しいで・これでも遠慮したのよ)

主催者「そうですか?じゃ、ハンドマイクなら3つ用意できます」



ハンドマイク・デモ行進じゃないのよ~~

さて、ここだけの話し終了。

今回の企画・高名な講演者・落語は立川志の輔の1番弟子などが、参加する。
そのあたりの、音響の用意を聞いたら、こりゃ手伝う以外無い!と判断した。

で、出演と音響の「裏方」をやったのだ。

まあ、ロスト・アマチュアで専属の音響かかえてるのは、僕らくらいかもね。
これもS氏のおかげである。今回ロスト・完璧な音を拾い出してもらった。
(で、ミストーンもクリアになのだ・・・・・・)



企画趣旨はこれ。

で、10時から仕込み&リハ、お昼は弁当が用意され、出演者・主催者で粛々と戴いた。



開場となって、本番を待つ、ステージ。



演奏しながら、写真は撮れない。誰かに頼めばよかった~
袖で、最後の「チューニング」のささくれとアバウト。
これが、唯一の楽器を持った写真だった。


南米では続々と「反米政権」が誕生している。昨年暮れにはチャベスの政権が誕生した。
北半球に生きてると、皆アメリカ追随?とみまごうが、もはや、ブッシュも危ない。
僕らは、チリのノーベル賞作家・詩人のパブロ ネルーダの曲を、皆でシングアウトした。会場も歌って、成功であった。
演奏は幾多のミスはあったが、多くの拍手を受けた。
うれしい・・・・



新日本歌人協会代表幹事の奈良達雄氏の講演は、なかなか熱の入ったものだった。




若手・立川志の八の前座である。好青年であった。「垂乳根」を披露。



色物・マグナム小林の「バイオリン漫談」は抱腹絶倒だ!

芸だね~と思った。まだまだ若手、この方、化けるかも?

演歌師、この伝統をしっかり学んでいる。吉本のような「人の失敗や不足」をさげすんだりの笑いではない、笑いである。



とりは立川志の吉がつとめた。古典落語・演目は「文七元結」である。
人情話しに会場では、涙を流す方もいた。

江戸の庶民・その貧乏を笑いに昇華する落語の力に関心した。

TVの人の失敗や見た目の醜さを「笑う」弱いものいじめの、笑い、とは明らかに違う、文化を感じたね。



はねて後、近くの「会館」を借りて、打ち上げが行われた。

ご近所の「蕎麦」が大盛りで出前され、主催者「おばば」達の「手料理」が並んだ。
旨かった。

ここでは、このおばば達が大活躍した。
その「ボケ」方、本番の落語をしのいだかも知れない。



打ち上げの図・主催者の皆さんがまあ・・・うつってますね~
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僕の育った音楽・Cの仲間達その15・カントリーガゼット。

2007-02-17 07:38:38 | 僕の育った音楽


1972年に西海岸でB・バーライン、R・ブッシュ、K・ワーツの3人がカントリー・ガゼットの始動に向けて動き出す。バンジョー奏者のアラン・マンデをメンバーに迎えて4人組となった彼らはユナイテッド・アーティスツとの契約を得て、ようやくデビュー・アルバム『A Trailor In Our Midst』を発表する。その音楽性は都会派ブルーグラスと呼ぶべきもので、すでに「ソリッド」なブルーグラスが、若者に受け入れられず、廃れ始めた時期である。

若い彼らは十分にロックの洗礼も受け、新しいものを作ろうとする意欲にあふれていた。

続く『Don't Give Up Your Day Job』では一部の曲にドラムとエレキ・ベースを導入。しかし、時代が既にブルーグラスを求めてはいなかったのか、セールスではまったく成功しなかった。

この為、1975年にはバーラインがグループを脱退、カントリー・ガゼットはその後アラン・マンデを中心にメンバー交代を繰り返しながら、前2作とは違った、同名異質のチームとして、足跡を残すのである。R・ホワイト J・カーなどのメンバーが加わった、この時期、実は僕は、このほうが好きである。


爽快な西海岸のCSN&Yのもたらしたハーモニーとテンポ良いブルーグラス・グルーヴが身上である。
そして、音が「やさしい」のである。
マンデの時々もつれるバンジョーもかわいい。
ローランドって、この辺りから「音数が少なくなって」リリカルになるのだ。

アルバムは僕は多く持っていない。
でもさ、時々、無性に聞きたくなる、そんなグループである。

大胆なロックのリズムを取り入れて「ニューグラスリバイバル」が登場。
JAZZを取り入れて、「ドーグミュージック」が出現。
ブルーグラスの新しい実験が始まる時代である。

今それらを聴くと、肩が凝ったり、気が抜けなかったりする。

ここ、ガゼットはさ、今でも癒されるで。

時々、如何ですか?ブルーグラス ファンの皆様。

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彫刻の小径・館林の散策スポット。

2007-02-16 06:53:50 | 旅は続く


館林のお勧めしたい、散策&お散歩スポットである。
大きな声では言えないが、実は、ここの一角で僕は「エノキタケ」や「キクラゲ」を入手しているのである。

時々なんやかやと、部分的に立ち寄ってはいたが、すべて歩いた事は無い。
結構地元のスポットって、そんなもんじゃ無い?

で、初めて、回ってみたのである。
まあ、ついでに今年の秋辺りの、キノコが、可能であるかも調べようって、寸法である。



総延長2キロ強の赤松の林が、その場所である。
僕の母校(小中)はまさにこの場所にある、と言って良い。
写生大会、自然散策など、この場所だったのだ。
大谷休泊と言う人物(江戸時代の開拓者であり、この地の農業に今も、その開拓の恩恵は不可欠に役立っている)の防風林事業の跡である。

近年になって、公園として整備されたが、僕が子供のころは、笹に覆われ大変荒れていたのだ。

「モウセンゴケ」と言う食虫苔があったらしく、もうせんやまの別名があった。
やまつつじも美しかった時代があったらしいが、今、その名残は無い。

その分・新しく「彫刻」が鎮座する、自然公園に作り変えられているのである。

詳しくは・館林の紹介ホームを参照されたい。

ホームはこちら。



さて、この様な彫刻があちがこちらに、38体あるのだ。



このジャジーなおじさんの彫刻は、見たことあるのだ。
これとおんなじ人、しかも、ほかの楽器の奏者の彫刻が、福島県いわき市の駅前にあるのだ。
懐かしかったな。

いいぞ!このおじさん!



これも僕のお気に入りである。



林の中は、こんな状態である。



ウーム!「もも尻」

この方のお尻である。



誰か置いたのかなあ~
松ぼっくりを抱えていた。



楽器弾きがどうしても目に付いてしまうのだ。



この抽象的彫刻は、いかがでしょう?

近接して、県立美術館がある。
また、松林に併設して、公園が今盛んに作られている。
子供連れの家族は、公園で遊んでいた。

この彫刻遊歩道は、散歩に良い。
ってわけで、何人かのお散歩にもすれ違う。



館林を代表する彫刻家である。

広島の平和祈念像の共同制作者である。

しかし、この作品は、僕の、お好みでは無い。

まあ、たっぷり1時間、散策を楽しんだ。
いいところである。
こちらにお立ち寄りの折、ぜひお訪ねあれ!

きのこ?

松林は、老木が多く、ちょっとね?

ただ、近接公園には芝、そして、若い松が盛んに植えられている。

ここがさ、これから、楽しみかも?

「ハツタケ」だね・・・そして僕の「エノキ・キクラゲ」・・開発するなよ!
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今月の僕の新譜・その2(07・2)。

2007-02-14 07:34:39 | お勧めCD/LPなど


昨年悲しいかな、お亡くなりになってしまった、ジューン カーター。

映画のヒットもあって、またぞろ、過去の音源の焼きなおしが、沢山並ぶ。
まあ、「カーター」と冠されりゃ、無意識に買ってしまっている、僕である。
しかし、見境が無いそして、いつものことだが、編集物故、結構ダブってるんだよ。
この手のCDの出し方・なんとかならんか?えー!

★「KEEP ON THE SUNNY SIDE」(写真上)
ジューン カーター・2005年・SONYである。

ジューン本人・キャッシュと一緒・カーターシスターズとのもの・メイベル入りなどで構成。
1曲・ニッティーグリティー&アール スクラッグスと一緒などが、変ったトラックか?これ、晩年の歌唱である。さすがに声は出ない。しかし、ますますメーベルだった。すっごく、いいよ。


★「「EARLY JUNE」(写真真中)
2006年・COUNTRY STARS CTS-55537

CDの題名の如く・幼かった頃(オースザンナなどやってるが、実にキャワイイ!)から少女、メイベルに引き連れられていた頃の、「カーターシスターズ」の音源が中心。当然の如く、チェット アトキンスの流暢なギターもフンダンに入っています。

あっちゃこっちゃの僕のカーターライブラリーとダブりまくっていますが、初物もあるので、買ってしまうのだ。

かしましかったシスターズですが、これ、なんかいいっす!

ヘレンの歌唱力を、妙に再認識しました。

★「DELIVERANCE WILL COME」
ジャネット カーター2004年新譜であります。
BEAR FAMIRY REC  BCD-16335 AH。

こちらは、セーラさんの娘さんである。

日本にも招かれて来日。今は無き「高石ともや&ナターシャセブン」との宵々山コンサートのジョイントはすばらしかった。

いくつかのCDが日本でも紹介されたが、本新譜・前作よりも声に張りがあって、入魂のできである。
まさに、伝統のカーター節が堪能できます。

そう・・・お母さんのようです。

すぐ、こちらファンの皆様は、購入に奔走しましょう。

さて、カーターファミリーって何?ってな方に、オリジナルメンバーの時代・その他カーターファミリーの冠される、グループなど、ちょっとメモします。




① Mother Maybelle and Carter Sisters (1940年代前半)
メイベル・カーターと彼女の三人の娘さん。ヘレン・ジューン・アニタで活動されていました。

② カーターファミリー(1952-56)
AP・サラ・ジャネット (榊)

③ ザ・オリジナル・カーター・ファミリー
A.P.カーター(アルビィン・プレザント・ディレィニー゛ドック″カーター)1891年12月15日生まれ(1960年11月7日没)ヴァージニア州スコット郡に8人の子供の長男として生まれる。線路工夫の仕事をした後26才頃から苗木を売る仕事をはじめた。そのため近郊を旅しているうちに故郷についての歌をつくりはじめていた。多くは採譜したものであるようだが、彼のオリジナルとして、クレジットされている。

セイラ・カーター 1898年2月21日、ヴァージニア州ワイズ郡に生まれ。おじのニックルスとその友人が弾くフィドルの伴奏として幼い頃からバンジョーを練習した。後に当時アパラチア山間地ではめずらしいオートハープで唄うようになる。A.P.がニックルス家をたづねそこで家族とうたうようになって、やがて二人は結婚する。(1915年6月18日)

メイベル・カーター(1909年5月10日生まれ)二人の結婚のとき、6才、セイラの家とは近所同志で育った。1926年3月13日(16才)にA.P.の弟・エズラ・カーターと結婚して、カーター家にやって来た。3人で演奏するためにメイベルが新しく買ったギターが当時としては非常に高価なギブソンL7($125)だった。

最初にレコーディングした“柳の木の下に″など三曲にメイベルは18才の若々しい歌とギターで加わっている。

この3曲ではじまる、オリジナル カーターファミリーの作り出した音楽とそのスタイルが、以降のアメリカのフォークやカントリー、ブルーグラスに及ぼした影響は、計り知れない。原点たる音楽の創造をした、グループである。

少しながくなりました・・・
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