過ぎてみるとあの頃は大層楽しかった。
七年ほど前になるが俳句の教室で共に学んでいた一人に「私の開いている俳画教室に来ない?」と誘われた。
彼女は香久山会館で俳画を教えていた。夫が亡くなる前だったので、よく車に乗せて行ってもらって昼を外食して、一時にすべりこんだものである。
彼女は毎月奈良まで習いに行って、そこから私と同い年の助師がヘルプに来ていた。
先ず画が好きで暇さえあれば筆を離さず八人の生徒に一枚一枚手描きの手本を渡してくれていた。
厳しい指導であったけれども、先生二人はぺちゃぺちゃとよくしゃべっていて掛け合い漫才みたいで、飽きさせなかった。
教室の合間に書く画がユニーや香久山会館にとっかえ引き換え展示してあり和室には掛け軸の書も達筆なのを出したりしていた。
子供は無くて旦那と薬剤師で結婚をしなかった姉との三人暮らしであったが、その五、六歳年上の九十歳近い我侭な姉の事を良く愚痴っていた。
そのうち姉を施設にいれてあの世に見送りやれやれと思ったのも束の間でこんどは自分が脳溢血で倒れてしまった。
美味しいものが好きでいつも顔色が赤かったから、血圧が高かったかも・・・
救急車で運ばれた病院が私が月に一度薬を貰いに行く病院なので見舞い方々覗いたら大きな図体でベットに寝かされていて私が誰だか判らない様子であった。
旦那が人に見せたくないと言っておられるらしいのに覗いて悪かったかしら。でも、[がはは]と大きな声の闊達な、器も大きかった先生が懐かしかったのである。
私はと言えば、 教室が無くなってからは叱られる人が無く我流で画いているので少しも上達しない。何枚も何枚も丹念に画く先生と二枚画いたら嫌になる者との差は顕著である。
俳句 残菊の白くなりても力あり
待ちおりしボジョレ解禁石蕗の花
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何時も素敵な俳画だと感心しています。良き師匠あつてこそ良き弟子だったのでしょう。
素晴らしい俳画が立派な俳句に華を添えていると思うのは私だけではないでしょう。