おにゆりの苑

俳句と俳画とエッセー

オ リ ン ピ ッ ク

2013-09-13 14:19:34 | Weblog

 大東亜戦争と言ってしまう年代の私である。
 第二次世界大戦の始まる前小学校一年や二年生頃映画を観に行くとその都度ニュースで「前畑秀子」「前畑頑張れ」と耳にたこが出来るほど叫んでいた。
 第十一回ベルリンオリンピックで女子平泳ぎ200メートルを日本が優勝した時のことである。その後戦争が始まったり終わったりしても、幼少期に聞いたフレーズは耳が忘れない。今でも耳の奥深くで響いている。
 千九百六十四年(十月十日)の第十八回東京オリンピックは、千九百五十九年(昭和三十四年)ミッチーブーム以降テレビの受像機が(白黒)急速に普及したので家に居ながら観ることが出来た。
 聖火台のリレーの点灯や、大会の行進などは胸を熱くしながら観たものである。
 特に日本の上は赤、下は白の制服の出で立ちは、凛々しくて清楚で見栄えが良かったものである。
 商売をしながら、三和土を行ったり来たりして観ていたが、競技といえば東洋の魔女(全日本女子バレーチーム)の仕合を手に汗して応援したりマラソンのアベベの優勝を観たりしたことを思い出す。
 当時どこで遊んで居ても自分の観たい番組になると、きちんとテレビの前に座っていた息子は、私が前畑秀子のニュースを食傷気味に観ていた齢格好と同じ六歳くらいであったから、私よりは、はっきり覚えていることであろう。
 今回の二千二十年の東京オリンピックの誘致は安部政権の頑張り特にあの堂々としたスピーチが効を奏して政権の景気回復を渇望する国民にとっては本当に良かった。
 しかし前回の戦後の経済の高度成長期で人口構成も若く希望に満ちていた時とは違って、少子高齢化にもかかわらず「明日をつかもう」とスローガンを掲げたからには相当な覚悟を持って対処しなければならないと思う。
 国債の発行高も、前回からは何倍にも膨れ上がっている。
 本当にやって欲しいことをしっかりと国民目線で見据えながら、ゼネコンと不動産屋と広告会社だけが涌き上ることのないように七年間を進むべきである。
 私も更に七年間頑張って生きて成果を見なければならない義務が生じてきた。

 俳句 七回の敬老一つやり過ごす
    百日紅白きも高く揺れにけり

 

 

 

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