僕のほそ道   ~ のん日記 ~

  
これと言ったテーマはなく、話はバラバラです。 つい昔の思い出話が多くなるのは年のせい? 

シンモエダケで思い出すこと

2017年10月13日 | 思い出すこと

いつも言いますが、このブログは話がバラバラです(笑)。

で、きょうは競馬の話です。これまで10年間綴って来たこのブログに競馬の話はほとんど書いていませんが、実は僕は若いころ、競馬に凝っていた一時期がありました。今日は改めてその時の話をします。

これは、僕が就職をして間もない頃のことです。

同じ課の先輩に競馬好きの人がいて、週末になれば競馬場へ行ってました。

「おい、競馬はおもろいで~。お前も馬券買うたろか」と言われて、僕はスポーツ新聞の予想などを見ながらその人に馬券を頼んでいました。まあ、頼んだのは大きなレースだけでしたけど。

そんな頃具体的には1972(昭和47)年頃の話ですが

その1972年の競馬界は、前代未聞のアクシデントに襲われた年でした。競走馬の間に「馬インフルエンザ」が流行し、クラッシックレースの桜花賞や皐月賞、日本ダービーなどがそのために日程が大幅に延期されたのです。

普通なら4月初旬に行われる桜花賞は5月21日に延期して開催されました。その桜花賞の話をこれからするわけですが、ついでに言うと、いつもは5月に行われる日本ダービーも、この年は7月に行われ、世間では「七夕ダービー」などと言われたものです。

さてその桜花賞ですが、僕はかなり馬券を当てる自信がありました。優勝するのはこの馬、という超人気実力馬がいたのです。僕はその馬を中心に、あと3頭ほどの馬を選んで「枠連」で馬券を先輩に頼みました。オッズは低かったですが、堅実にいかなければね~。しかし、実を言うと、それ以外にちょっとだけ気にかかっていた馬券があったのです。それは

このレースの少し前の4月27日に、長男が誕生しました。22歳で結婚をし、23歳の時に出来た男の子でした。その長男が生まれてから、最初に馬券を買ったのがこの桜花賞だったのです。

で、単なる数字合わせですが、長男が生まれたのが27日だから、これにちなみ、この桜花賞も「2-7」を1枚でも買ったらどうか?と思ったのです。でも出走馬の表を見ると、2枠と7枠の馬はどう見ても入りそうにない馬でした。そんなことで、僕は本命馬から流しただけという、まあ、堅実な馬券を買ったのです。

それが、結果はどうなったか?

驚くべき番狂わせが起きました。

アチーブスターという単勝8番人気の馬が優勝し、さらに2着にはハジメローズという13番人気の馬が食い込んだのです。あっと驚く結果でした。勝ったアチーブスターに騎乗していたのは、武豊の父である武邦彦騎手でした。僕が買った本命馬は7着と惨敗しました。

それで驚いたのですが、なんとまあ、馬券をみてもっと驚きました。

2-7と入ったのです。

2-7は19番人気で、払戻金としては当時としては破格の9,000円でした。もうちょっとで「万馬券」ですよね。

「ありゃりゃりゃ~!」
と、僕はこのとき、どれだけ地団太を踏んだことでしょうか。
やっぱり2-7だったんだ。買っておけばよかったぁ~

「2ー7も考えていたんやけどなぁ~」
と周辺の人たちに言ってまわったものでした。
「そんなん、後からやったらなんぼでも言えるやん」
と、周囲の目は、冷ややかでした(そらそうですわね)。

というようなことが、むかし、ありました。

そんな古いことを、なぜ今ごろ思い出したのか?

これにはわけがあります。

さきほどの桜花賞で、「優勝するのはこの馬、という人気馬がいたのです」と書き、僕もこの馬の優勝を疑わず、この馬を中心に馬券を買いました。強い強い牝馬で、この時の桜花賞でも断然一番人気でした。その馬は、
「シンモエダケ」
という名前の馬だったのです。

シンモエダケと言えば
あの新燃岳と同じ名ですよね。

ご存知のように、新燃岳は鹿児島と宮崎の県境にある霧島連山にある火山で、11日から噴火が続き、連日新聞・テレビなどで報じられていました

僕は今回のニュースで「シンモエダケ」という言葉が出たので、思わず当時の競馬の馬の名前を思い出したのです。あのレース。断然1番人気で僕も買っていたのに、着外に沈んでしまったシンモエダケ。

そして、そのレースの結果が2-7で、長男の誕生日と一緒だったことの思い出が、いまだに生々しく頭に残っているので、この名前は特に忘れられない名前だったのです。

何だか不謹慎な話だったかも知れませんが、忘れられない思い出なので、書きました。

なお、新燃岳は今日(13日)になって噴火が止まったと言われています。今のところ大きな被害は出ていないようですが、二次噴火の可能性もあるそうで、まだ安心はできないとのことです。

まあ、そんなこともあって、長男が生まれた頃のことはよく覚えているのですが、その長男の子がいま小学校6年生のモミィですからねぇ。月日の経つのは、おそろしく早いです。

 

 

 

~ 1972(昭和47)年桜花賞 ~

シンモエダケは7着でした。

http://jra.jp/datafile/seiseki/g1/ouka/result/ouka1972.html

 

 

 

 

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