僕のほそ道   ~ のん日記 ~

  
これと言ったテーマはなく、話はバラバラです。 つい昔の思い出話が多くなるのは年のせい? 

お彼岸と一心寺へのお参り

2017年03月26日 | 日常のいろいろなこと

お彼岸も数日前に終わり、そろそろ桜の開花情報などがニュースで報じられるようになりました。で、この「彼岸」という言葉ですが、広辞苑には、「生死の海を渡って到達する終局・理想・悟りの世界」とあります。ひとことで言えば「あの世」ですよね。対義語は此岸(しがん)。これは「この世」ですよね。

この世、つまり此岸は東にあるとされ、そして亡くなった人が行く彼岸は西にあるとされているそうです。彼岸の中日である春分の日と秋分の日は、昼と夜の長さがほぼ同じなので、太陽が真東から真西に沈むこの日こそ、あの世とこの世が一番近く、最も通じやすくなると考えられているため、御先祖様を偲び、故人と向き合う日とされる、ということなんだそうです。

そういう詳しい話は最近まで知らなかったのですが、とにかくお彼岸だからと、例年どおり、先祖のお墓参りはもちろんですが、連休明けの21日に、母の納骨先である天王寺の一心寺へ妻とお参りに行きました。普段から一心寺にはよく行くのですが、お彼岸とお盆の時期は、一心寺は超満員となり、受付は長蛇の列で、本堂も人であふれ、長い間待たなければなりません。それを覚悟の上で行ったわけですが、その日は雨が降っていたせいか、拍子抜けするほど人の数が少なく、受付でも大して並ばず、比較的早く順番が来ました。

本堂へ上がっても、普通の日ぐらいの人の数でした。が、違っていたのは、おつとめの場所が、今日は本堂の左と右の2カ所であったということです(普段は左側だけですが)。お彼岸でお参りの人数が多いことを見越しての措置かと思いますが、畳に座って待っていると「〇〇さん」と自分たちの名が呼ばれ「そちらへ」と、右側で待つように指示されました。人数が多くなかった上、おつとめの場所が2カ所に増えたので、短時間で順番が来ました。

そしてさらに、この日は、一組当たりのお経を読む時間がいつもより短かったと感じました。だから余計に順番が来るのが早かったわけ。お彼岸なので、どど~っと人が押し寄せると混乱する…ということから短くしたのかも知れませんが、お参りを終え、帰る道々で妻が「お経が短いのはどうなんだろ?」と首をかしげていました。僕が「でも、きょうが雨じゃなくて大混雑していたとしたら、短くしなきゃ待っている人たちがどんどん増えて大変なんじゃない?」と言うと、妻は「う~ん」と、納得したような、しないような。

「じゃぁ次は彼岸じゃなく、その前後の時に来て、ゆっくりお経を読んでもらう?」と僕が提案したら、「でも、やっぱりお彼岸は特別だから、お彼岸でなければ駄目なのかなぁ」とつぶやくのでした。

そこで、帰宅してから、ネットで、お彼岸の期間にお参りが必要なのかということについて調べてみた結果、前述のように、お彼岸のそもそもの意味について、少しわかりました。そして、どうしてもその期間中に行けない場合は別の日でもいいでしょう、と書かれていた(そりゃそうですよね)。でも僕らの場合は、どうしても行けないのではなく、お経の時間が短いから…という理由なので、それはちょっと理由として変かなぁ、と思ったりもしています。

やっぱり、お彼岸はお彼岸ですからね。その期間中にお参りに行くのがやはり本来であろうと思うので、お経の時間という枝葉の問題は、別にいいんじゃないかと考えることにします。

 

   
   「おつとめ」の様子(一心寺のHPより)

 

 

 

 

 

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