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 僕のほそ道   ~ のん日記 ~

  
これと言ったテーマはなく、話はバラバラです。 つい昔の思い出話が多くなるのは年のせい? 

モミィのスイカ割り

2012年08月19日 | モミィの成長日記

昨日、キックベースの練習後、スイカ割りが行われた。
練習場所は、モミィたちが通う小学校の校庭である。

モミィはスイカ割りは初めてなので、何をどうするかわからない。

「は~い。では小さい子から順番にやって行きましょうね」
と、部員のお母さん方が、まずモミィを呼んで、目隠しをした。


 
   左から2番目がモミィ。 部員のママから手ほどきを受ける。

モミィは目隠しをしてもらって、言われるままその場で2回まわってから、
重そうな金属バットを両手で握り締めて、一歩を踏み出した。

そっちと違うよ~ もっと右、右。
あ、右へ行きすぎたよ。 今度はもう少し左だよ~

キックベースの先輩たちや大人たちが、ウロウロするモミィにアドバイス。

モミィは言われるままに方向を修正しながら、そろりそろりと前進する。

「あっ! そこ、そこ。 そこでとまってぇ!」

みんなのその声で、モミィはピタリととまった。

「さあ、そこでバットをおろすのよ~」

 

 

モミィは、エイヤ~とばかりバットを振りおろした。

おおっ、バットは見事にスイカを直撃した!


 


しかし、ポコンという可愛い音がしただけで、スイカにはヒビが入らなかった。

要するにバットはスイカに命中したのだけれど、
パワー不足で、スイカは、かすり傷ひとつ負わなかったというわけ。

この日の練習部員は全部で9名だったが、スイカは少しずつヒビが入り、
9番目に出てきた6年生の女の子が、鮮やかにフィニッシュを決めました。

 

 

炎天下もなんのその。
その場に座り込んで、割ったばかりのスイカを食べる子どもたちでした。

モミイは写真の上のほうにいますが、顔が写ってませんでした(笑)。

 

 

 

 

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今日は終業式ですね

2012年07月20日 | モミィの成長日記

早朝、大阪は久しぶりの雨である。
最近、九州各地に豪雨の被害が出ているけれど、
大阪方面は、大雨が降っても長引かず、被害もほとんどない。

大阪というところは、比較的、災害の少ない地域である。

最近は地震らしい地震もなく、

僕が住む大阪府中南部は津波の心配もない。

雨の被害も滅多にない。
洪水を経験したことといえば、

ちょうど30年前の夏に集中豪雨で床下浸水したのが一度だけ。

あの時、1982年(昭和57年)はわが家も家族ぐるみで公民館へ避難した。
避難をした…という経験は、自分の長い人生でも、あのときだけである。

その年の7月末日に、台風が来たのだった。
そこでさんざん雨が降ったけれど、翌日は台風一過で晴天になった。

穏やかに晴れ上がった空を見上げ、やれやれ、これで一安心…
…と誰もがそう思ったはずである。

ところがその翌朝から、またも豪雨が襲ったのである。
天気予報でも、そんなことはひと言も言っていなかった。

まさか、台風が過ぎた直後に、こんな集中豪雨が来るとは…

気象庁が、60年に一度の大雨…と発表したほど凄まじい雨であった。

(いま、ちょうどその60年の半分の30年が経ったところだけど)

そんなことを思い出しながら、いま、このブログを綴っているが、
今日は、学校の終業式のところが多く、モミィの小学校もそうである。

今は雨だけど、家を出るときには止んでくれたらいいな、と思う。

4月、ピカピカの1年生になったモミィは、
行くときは近所の上級生や同級生たちと一緒に登校するが、
最近では帰り道は前半は友達と一緒で、後半は一人で帰ってくることが多い。

住んでいる場所が小学校からかなり離れているので、
いまでも途中まで迎えに行く親や祖父母が多いけれど、
わが家では、そういうことは4月の末でやめた。
いつまでも子供の自立を阻んではいけない。

妻は、モミィの帰ってきそうな時刻に玄関付近にいてやるだけだ。

よその子に比べ、どこか頼りなげなモミィだったけれど、数ヶ月経ち、
小学校で鍛えられてきたのか、ここのところ、かなりの変化が出てきた。

エレクトーンやダンス、キックベースなどで学校以外の友だちも増えた。

国語や算数の授業、はじめての給食、毎日の宿題、日直当番…
新しい生活に、モミィは好奇心を隠さず、楽しんでいる様子だ。

ただ、ああ言えばこう言う、という口のききかたをするようになったり、
注意をするとスネたりするけれど、これもまあ、成長のひとつと捉えたい。

6月に体調を崩して学校を3日間休んだけれど、
それ以外は遅刻も早退もなく、まずまず順調に1学期が過ぎた。

先日、懇談会で、担任の先生が妻に、
「人前で発表するとき、もう少し大きな声を出せばいいのですが」
とおっしゃったそうである。
話の内容はしっかりしていて、よく考えてモノを言う、とのこと。

そういえば、僕が付き添っているエレクトーン教室でも、声は小さい。
(家ではうるさいほどの大声を出したりするんですけどね~)

まあ、ともかく、今日でモミィの1学期が終わる。

これから40日余り、学校が休みになるということは、
モミィはほとんど毎日、朝から家にいるわけで…

保護者にとって、これはこれで、大変ですよね。

…さて、どうやら、今まで降っていた雨も、上がったようです。

では、幼稚園や小中学校に通う子供さんを持つご家庭の皆さん。

明日から始まる夏休みは大変ですけど、今日は節目の終業式です。

元気に送り出してあげてくださ~い。

 

 

 

 

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メガネのモミィ

2012年06月16日 | モミィの成長日記

先週半ばから約1週間体調を崩していたモミィも、
今ではすっかり元気を取り戻し、食欲も旺盛だ。

やはり子どもは、食欲がないと心配ですよね。

そのモミィが、5月からメガネをかけ始めている。

幼稚園の最後の頃、園で視力検査があり、そこでひっかかった。
「念のため、眼科で検査を受けていただきますように」と言われたのだ。

4月に入り小学生になってから眼科へ連れて行った。
一般的な検査をしてから、次に精密検査の予約をして、
後日、再びその眼科で、本格的な検査をしてもらった。

診断結果は、遠視と乱視が混じっている、とのことだった。

妻と2人で、医師の説明を聞いた。

医師は、
「それで、メガネが必要かどうかということなんですが…」

と言い、「う~ん」と腕組みしながら、うつむいて考え込んだ。
「むずかしいところやな~」と目を閉じ、独り言をつぶやいた後、
「どうされます、メガネは…?」と僕たちのほうを向いた。

医師が言うには…

メガネをかけるのには抵抗があるかも知れない。
女の子だし、かけずに済むものならそれに超したことはない。
それに絶対にメガネをかけなければならないほど悪くもない。

しかし、視力は9歳まで発達していくものだから、
今、物がやや霞んで見える状態ではあるけれど、
そのままで成長していくよりも、メガネをかけて、
物がはっきり見える状態で成長していくほうが、
少なくとも遠視が改善される確率は高いし、
脳にもいい影響を与えることは間違いない。

…と、まあそんな説明だった。

(それなら、かけたほうがいいに決まっているじゃん)

「わかりました。メガネをかけさせます」
僕も妻も、思うところは同じだったので、すぐにそう返事した。

そのあと、モミィに、
「メガネをかけることになったよ」

と告げると、ごく普通に「うん」と返事した。
別に何の抵抗も感じていないようである。
…というより、ちょっとうれしそうな顔も見せた。

そして「メガネの愛眼」で、メガネをつくってもらった。
モミィが選んだピンク色の可愛いフレームのメガネである。

今のメガネは、軽いし、お洒落だから、あまり違和感はない。
遠くから見たら、かけているのかいないのか、わからないほどだ。
それに、モミイがこのメガネをかけると、ちょっとだけ賢そうに見える(笑)。

大好きなテレビ「プリキュア」「ムーミン」「トムとジェリー」「お猿のジョージ」など、
メガネをかけて真剣に見ているモミイの顔が引き締まって見えるから不思議だ。

顔だけでなく中身の方も、もうちょっと引き締まってぇ… とは言いませんけどね~

 

 

 


 

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小児救急はなぜ少ない?

2012年06月09日 | モミィの成長日記

水曜日の夕方、モミィが熱を出した。
お腹も少し、こわしていたようだ。

翌木曜日の朝、妻と2人で駅前の小児科へ連れて行った。
診察を受け、風邪薬、抗生物質、頓服の解熱剤、胃腸薬などをもらって帰った。

その日の症状はあまり変わらなかったが、38度前後の熱が続いた。

そしてその翌日の金曜日の早朝…

モミィといっしょに寝ていた妻が僕のところへ来て、
「モミィの様子がおかしいの」
と、心配そうな顔で言った。

39度以上の熱があり、口内炎や喉の痛みを訴えて、
お茶も水もアクエリアスもジュースも、何も飲まないという。
モミィは布団の上で 「痛いよう、しんどいよう」 とシクシク泣いていた。

むろん、こんな早朝に、まだどこの医院も開いていない。

「救急病院に連れて行ったほうが…」 と妻。
「そうやね。救急…って、どこにあるのかなぁ?」 と僕。

消防なら詳しいだろうと、地域の消防本部に電話をした。

電話口に出てきた消防士に、
「小学校1年生ですが、発熱がひどく、救急病院を探しています」
と伝えると、「じゃ、メモのご用意をお願いします」 と言ってから、
「え~っと」 と何かを調べている様子。

「小児科ですね…。小児科…。 え~、河〇総合病院がありますね」
「どこにあるのですか?」
「東大阪市の〇本付近だと思います。電話番号を言います」
僕は言われるままにメモしたが、ここからはずいぶん遠い。

「遠いですね。 もっと近くにはないのですか?」 と聞くと、
「小児科が…なかなか、ないのです」 と申し訳なさそうな声に、
「わかりました。ありがとうございました」 と電話を切った。

モミィはもう乳幼児ではなく小学生だし、症状は風邪である。
小児科でなくても、内科の先生でも診てくれるのではないか。

そう思って、急いでネットで近隣の救急病院を調べてみた。
消防士が言ったように、内科や外科は沢山あるが、小児科はない。

そこで、僕も何度も通ったことのある城〇病院へ電話をした。
「小学1年の女の子で、高熱が出てます。診てほしいのですが」

すると電話に出た男性は、「申し訳ありませんが…」 と前置きし、
「それは小児科になります。当方に小児科はありませんので…」
「でも、内科の先生がおられるでしょう? 風邪の症状ですから」
なんとか診てもらえないか、と僕は言おうとしたけれど、
「すみません。ダメなんですよ。内科の先生は診られないのです」

これ以上言っても押し問答になるだけだ、と思った。

「では、どこかこの辺で小児科の救急のあるところ、知りません?」
と聞いてみたが、相手は「ちょっと、それは…」と口ごもったので、
「わかりました」と僕は電話を切った。

次は自分が2ヵ月に一度通う徳〇会病院に電話をした。

ここならどんな状況でも患者を引き受けてくれるはずだ。

「もしもし、うちの小学校1年生が、熱で苦しんでいるのですが…」
「は? 小学生さんですか?」
「そうです、小学1年生です」
「それは小児科に…」
「ええ、わかっているのですが、この辺に小児科の救急がないのですよね」
「はぁ…」
「で、風邪引きのようだし、内科の先生に診てもらいたいと思いまして」
「はぁ…、しかし、小児科の先生がいませんので…」
「だから、内科の先生に診てもらいたい、ということで…」
「いえ、内科の先生では小児の治療法はわからないわけで…」
「わからない? なんで? 風邪引きぐらいがわからないの?」

救急でなければ、普通は、内科でも小学生を
診てくれるはずだ。

電話の相手は黙ったままなので、
「僕もそちらの病院へ何年も通ってるんですよ。なんとかなりません?」
と、僕は別の方向から攻めてみた。 しかし…
「はぁ…。すみません…」 という声が返ってくるだけである。

「ですから、なぜ内科の先生が小学生の風邪を診られないのですか?」
…と、自分でもしつこいとは思いながらも、懸命に食い下がる。

「薬の出し方とかがですねぇ、小児科の先生しかわからないのです」
「薬の出し方…?」
「はい。子供さんの場合、出す薬の量が年齢によって違ってきますので…」
「はぁ…、う~ん、まあ、そりゃそうだと思いますが…」
「そこが内科医は専門外とのことで、出来ないことになっています」

へぇ~
そういうこと…?

「じゃぁ、いったい何歳までが小児科なのですか?」 と質問を変えた。
「15歳未満です。ですから、14歳までが小児科です」

14歳までは小児科…?
14歳と言えばすでに中学生ではないか。
それでもまだ小児科なのか?

「15歳以上は薬の量が大人と一緒ですので、内科医が診られるのです…」

「…ふ~ん。 わかりました。 朝早くからどうも」 と僕は電話を切った。

何のことやら…

結局僕は最初に消防で教えてもらった河〇総合病院に電話した。

電話の受付の男性は、僕の話をきちんと聞いてくれ、
「わかりました。ではお名前と生年月日を教えてください」
と言った。

「はい。 名前は〇〇、生年月日は、昭和…」 と僕。
「あのぉ、お子様のお名前と生年月日なんですけど…」
げっ。 恥ずかし~
つい、自分の名前と生年月日を言ってしまったのだ。

「すみません。名前はモミィ、生年月日が平成17年の…」

…ということで、行く準備をしたら、妻が 「ちょっと」 と声をかけた。
「どうしたの?」
「熱が38度に下がったの」
さっきは39度5分くらいあったのに…

それに、口の中を痛がって飲めなかったジュースも今は飲んでいる。

あちらこちら電話をしているうちに、モミィの症状が和らいできたようだ。

「どうする…?」
「医院の開く9時まで待っても、いけそうやね」

そんなわけで、すったもんだのあげくの果て、結局、
救急病院に頼らず、かかりつけの医院へ行くことにした。
河〇総合病院には、キャンセルの電話をかけ、お詫びした。

医院では、昨日今日と2日連続で来たものだから、
モミィに、点滴をすることを勧めた。

「てんてき、イヤや~」
とモミィが言っても、またしんどくなるよ…と妻が言い聞かせ、
看護師さんについて、処置室のほうに2人で入って行った。

あぁ、やれやれ…
なんとか一段落したようである。

この2日間、初めて学校を休んだ。

そして今日の土曜日は、口内炎が出来てそれが痛いと言っている。
午前9時半現在、熱は37度台である。

機嫌はずいぶんよくなって、口数も増えてきた。

この土・日曜日はキックベースの練習には行けないけれど、
2日間で完治させ、月曜日からまた学校へ行けるようになってほしい。

それにしても…

どうして小児科救急がこれだけ少ないのか?
しかも、14歳までは小児科…というではないか。
時間外に切迫した症状を起こす子も多いはずだ。
そのことが腑に落ちないし、不思議でしようがない。
これでは子育て中のママたちも、不安で仕方ないだろう。

なんとかならんもんでしょうか…?

 

 

 

 

 

 

 

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キック ベース 鮮烈?デビュー

2012年05月22日 | モミィの成長日記

  
  いざ、キックベースの試合開始。 この中に、モミィがいます。
   (5月20日。 市内の中学校の校
庭で)


先月、モミィが小学校に入って間もなく、近所の女の子から、
地域のキックベースチームに入らないかと、誘われていた。
小学生の女の子たちだけで結成されているチームである。

桜が満開になった頃、そのチームの子どもたちや保護者、監督らが、
近くの公園でお花見をするので、来ませんか…とのお招きを受けた。

僕と妻とモミィの3人で公園へ行き、モミィは小学生の先輩たちに遊んでもらい、
僕たち夫婦は、監督、コーチらに「ぜひモミィちゃんをチームに!」と誘われた。

ビールを呼ばれながら、僕は妻と顔見合わせ、
「いいよね」 という感じで、お互いにうなずき合った。

ただ、モミィがチームに入るには、2つの問題があった。

チームは、毎週土曜日の午前中に小学校の校庭を借りて練習する。
土曜日の午前中といえば、モミィがスイミングへ通う時間帯だ。
まずこのスイミングを、別の曜日に変更しなければならない。

もうひとつの問題は、モミィはお世辞にも運動神経がいいとは言えず、
特にボールを投げたり蹴ったりというのは、まるで苦手な子なのである。
キックベースチームに入れてもらっても、チームの戦力になるかどうか…?

「まだ小学生になったばかりじゃないですか。大丈夫ですよ」
と、監督さんは、今年は新1年生のチームへの加入がゼロなので、
ぜひともモミィに入ってほしい…と、熱心に僕たちを口説いたのだった。

そういう経過で、結局、土曜日に通っていたスイミングを、
5月半ばから水曜日の夕方に変更することで調整がつき、
先週の土曜日、モミィは初めてキックベースの練習に参加した。


ところで、このキックベースだけど、ルールなど僕もよく知らなかった。

ウィキペディアには、こんなふうに説明されている。

ドッジボールと野球とサッカーが入り混じったようなスポーツである。

また、大阪市鶴見区のキックベース大会の動画があったので、
興味のある方は、どうぞご覧ください ↓

 http://www.youtube.com/watch?v=9nLNsh2VWeg

 

そして、いよいよ、先週土曜日の初練習の日が来たのである。

モミィが毎日通う小学校の校庭を借りて練習が行われるので、
僕はモミィを連れて行き、練習風景を見学させてもらった。

冷たい飲み物や折りたたみ椅子やテーブルなどが並び、
選手のお母さんたちが、何かとお世話をされている中で、
子どもたちと監督、コーチが運動場に出て、練習が始まった。

モミィはたったひとりの1年生なので、中でもひときわ小さく、
激しく走ったり、ボールを受けて投げ返したりする選手たちの間で、
まごまごしたり、コーチからマンツーマンで指導してもらったり…

遠くから見ても、結構楽しそうにしているのがわかる。
まあ、これなら長続きしそうだな~、と一安心した。

9時から12時まで、みっちりと練習が行われた。

モミィは、先輩女子に手を引かれ、何度も休憩に戻ってきた。
チームの女の子たちみんなが、モミィの世話をしてくれる。
「お茶、飲む…?」
「トイレに行きたくない…?」
と、女の子たちが、モミィを気遣ってくれていた。

こういう、年齢を超えた交流が、モミィにとってはきっとプラスになるだろう。
その経験を踏まえ、来年以降はモミィが年下の子を世話するようになる…

そんなことを想像すると、このチームに入れてよかった、と思う。

これで土曜日は、朝の9時からキックベースの練習日となった。
そして日曜日には、月に1~2回、いろいろな試合があるという。

火曜日はエレクトーン、水曜日はスイミングと隔週でエレクトーン、
木曜、金曜はダンス教室
…と「稽古事」でとても忙しくなってきたけれど、
当のモミィは全然嫌がらず、むしろこういう多忙を楽しんでいるみたいだ。

  ………………………………………………………………………

…そして、翌日、日曜日。
さっそく地域のキックベース大会があり、
モミィも「選手」として参加させてもらうことになった。

世話役の方から、前日に試合用のユニフォームと帽子などを届けてもらい、
日曜日の朝、僕はモミィとともに早朝から待ち合わせ場所に行き、
みんなで試合場である近くの中学校へ向かった。

試合用のユニフォームは6年間使うものである。
だから、モミィが着ると大きすぎて、ドレスのように長い。

それを見て、お母さんたちが、
「うちの子も、最初は“ドレス”でしたよ。懐かしいです~」
そう言って、ぶかぶかのユニフォーム姿のモミィに目を細めた。

試合場の〇〇中学の運動場には、さまざまなユニフォーム姿であふれていた。

開会式の入場行進でも、モミィは一番小さかった。
他のチームのお母さんたちも、モミィを見て、
「あの子、可愛いね~。まだ1年生やろね~」
と話しているのが聞こえた。

試合は地域のチーム対抗で、午前中は予選リーグ3試合が行われ、
午後から、予選順位による決勝トーナメントが行われる日程だ。
この1日で、なんと、6試合も戦うことになるのだ。
選手たちにも大変なスタミナが必要である。

モミィのチーム「ミ〇キー」は予選を2勝1敗で決勝トーナメントに進んだ。

その予選の試合で、一度だけ監督さんがモミィを「代打」で出してくれた。
相手チームの関係者や選手たちが 「ん…?」 という顔でモミィを見た。

プロ野球の試合に、急に子どもが打席に入ってきたような雰囲気である。

審判の合図を受け、モミィがボールを蹴った。
コロコロと、いちおうボールが前に転がった。

当然、1塁へ走らなければならないが、モミィはじっと立ったまま。
すると相手の監督さんが、「走るんだよ~」とモミィのそばへ行き、
一塁方向を指すのを見て、そうかという顔で走り出したがむろんアウト。

僕はお腹を抱えて笑ったが、他の人たちもみんな笑顔になり、
一瞬、試合の緊張がほぐれたようでもあった。

昨日、初めて練習に参加し、今日、いきなり試合デビューとは…

それだけではない。
午後からの決勝トーナメントで、このチームは連勝し、
ついに決勝戦まで進出したのである。

さらにそれだけではない。
決勝戦も、追いつ追われつの大激戦の末、
昨日、モミィが入ったばかりのこのチームが、
最後に逆転して7対6で勝ち、みごと優勝したのである。

ぱちぱちぱちぱち。

午後4時過ぎから行われた表彰式で、
チームに優勝旗とカップが手渡された。
そして、選手たちの首に金メダルがかけられた。

モミィにも、金メダルがかけられたのである。

昨日初めてチームに入って、
まだキックベースの 「いろは」 もよくわからないうちに、
地域の大会に参加し、しかも金メダルを授与されるとは…

なんとも、まあ、運のいい子である。

 

  
   試合開始前。 背番号7の小さな 「選手」 がモミィである。
   ひとり、ユニフォームが 「ドレス」 になっちゃってる~

 

  
  試合中はアウトカウントのパネルを持って、
  チームメイトを応援するモミィ。

 

  
   ついに試合にデビュー。
    ボールを蹴ったモミィ。 しかし蹴るだけで、走らない。

   相手チームの親切な監督さんが飛び出してきて、
   「一塁へ走るんやで~」
と言われ、
   あわてて走り出すモミィであった。  

 

   
    優勝の瞬間。 モミィ(右端)もベンチから飛び出して喜ぶ。

 

 

  
   優勝旗といっしょに記念撮影。 モミィも金メダルをかけてもらった。




 

 

 

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おしとやかモミィ…?

2012年05月13日 | モミィの成長日記

モミィは他人の目からは「おしとやか」に見えるようである。

毎日モミィといっしょに小学校へ通う児童のママから、
「モミィちゃんはどんな習い事をしているのですか?」
と尋ねられたので、妻が、
「スイミングとエレクトーンとダンスを習っています」
と答えたところ、そのママは、
「へぇ~、ダンスも、ですか? 活発なんですね」
とちょと驚いた様子であったという。

「おうちでおとなしくお習字の稽古でもされているのかなぁって」
みたいなことを、そのママは思っておられたそうである。

家の中では決しておしとやか…なんかじゃないのに。

そういえば、エレクトーン教室でも、生徒のママから、
「モミイちゃんって、純日本調という感じですよね」
と、いつか言われたことがあった。

動作がゆっくりめで、話し方もおっとりしているので、
なんとなくそういうイメージがついてまわるのだろう。

しかし、今習っているヒップホップダンスを見ていると、
純日本調な雰囲気などどこにもないような、
シャカシャカとした動きを見せている。

週2回、近所のスタジオへ通い、1回はダンス、1回は体操を習う。

モミィは小さい頃から運動神経がイマイチだったけれど、
最近になって、ブリッジがしっかりできるようになった。
今は主に側転にチャレンジ中である。

先日、スタジオへ迎えに行った時、モミィたちが踊っているところを、
スマホで撮影させてもらったのが、この写真である。 ↓


    
   右手前がモミィ。

 

新年度に入って、そのダンス教室が生徒募集のチラシを出した。

それを見せてもらうと、キッズヒップホップの写真の中に、
他の子どもたちに混じって、モミィの姿も写っていた。



  

        


 
  真ん中の赤いのがモミィ。


そんなことで、モミィはダンスのレッスンもお気に入りである。

4月から小学校へ通い始め、先生や友だちともすっかり馴染み、
そのかたわら、音楽、ダンス、水泳などでの稽古事にも励むモミィだが、
今月から、地域の少女たちのキックベースチームにも入ることになった。

次の土曜日が、練習への初参加となる。
チームの少女たちはみんな、男の子も顔負けの活発さである。

どうも、今後ますます、「おしとやか」から遠ざかって行きそうである。

 

 

 

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小学1年生

2012年04月15日 | モミィの成長日記

モミィが小学校に通い始めた。

4月9日の始業式の日。

幼稚園のときは毎朝、園まで送り迎えに行ったけれど、
小学生になると、当然、児童だけで通学することになる。

しかし、いきなり玄関先で「は~い、行ってらっしゃぁい」
と手をふって見送るだけ、というわけにはいかないだろう。

小学校も、幼稚園の隣にあるので、
これまでと同じように、歩いて15分はかかる。

ちょうど中間点くらいに大きな道路があり、その信号を渡ると、
あとの道は信号のない狭い道だけれど、むろん車は走っている。

交通事故などに遭わないか、とても心配である。

そんなことで、子どもが通学に慣れるまでの期間、
保護者が途中まで付き添って行く、というケースも多い。

僕も、モミィを、せめて信号のところまで送ろうと思っていた。

そして4月9日の始業式を迎えたのである。

朝の支度を終え、あと5分ほどしたら出ようと思っていた時、
ピンポーンと音がしたので、妻が玄関に出たら…

「おはようございます」
幼稚園の時いっしょだった近所のサクラちゃんと、ママだった。
そしてもう一人、サクラちゃんのお姉ちゃんも横に立っていた。

サクラちゃんのお姉ちゃんは小学5年生だ。

サクラちゃんのママが、妻に、
「この子たちと、モミィちゃんもどうですか?」
と、いっしょに登校することを誘ってくださったのである。

思わぬことだったが、とてもありがたいお誘いだった。
5年生の子がいっしょに行ってくれるなら、これは心強い。

「ありがとうございます」
妻が礼を言い、モミィは2人といっしょに学校へ向かったのである。

途中までモミィについて行くつもりをしていた僕も、家で見送った。

そうして、あれから1週間が経った。
「がっこう、たのしいわ~」とモミィが喜ぶのを見て、安堵した。

帰りは集団下校で、例の信号の場所まで先生が送ってくださり、
僕たち保護者はそこでバトンタッチをして、子どもたちと帰宅する。
下校時には、そんなことをこの1週間、続けてきた。

来週からは、先生同伴の集団下校はなくなるが、
モミィは、近所の友だちといっしょに帰るから、
信号のところまで迎えに来なくてもいいよ、と宣言した。
「おうちで待っておいてね」 と。

なんとなく心配だけど、自主性は尊重しなければなるまい。
妻も、「あまり構わないほうがいいよね」 と言っている。

これで僕も、来週からいっさいの送り迎えをせずに済む。
あぁ、なんという解放感。 うれしいですね~。

それにしても、ついこの間まで幼稚園児で甘えん坊だったのが、
小学校へ行き出したとたんに、しっかりしてきたのには驚く。

う~む。
ほんとうに、驚くべき変貌ぶりである。

これを、脱皮、というのだろうか… ??

 

  

  近所の姉妹といっしょに登校するようになったモミィ (左端)。
  4月10日の朝、初めてランドセルを背負って歩いて行く姿を、
  3階のベランダから、つい 「盗撮」 してしまいました (笑)。
  

 

 

 

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モミィの入学式

2012年04月06日 | モミィの成長日記

   


 

昨日、モミイの小学校の入学式があった。
「あと何日やろ?」
モミィが指折り数えて楽しみにしていた日が、とうとうやって来た。

少し風はあったものの、青空が広がり、暖かい日差しが心地よい。

小学校は幼稚園と隣り合わせにあるので、
これまでの通園路と、これからの通学路は同じ道である。

モミィと妻と3人で、その 「通学路」 となるいつもの道を歩いた。

毎日幼稚園への送り迎えで歩いていた道なので、顔見知りの人も多い。
途中、何人かの人たちから「入学式ですか? おめでとうございます」
と、声をかけていただいた。

玄関先で、感慨深げにモミィを見て、僕たちに会釈する女性もおられた。

「あのぉ、入学式に行かれるのでしょうか?」
と、一人の若い女性が妻に近づいてきて、そう聞いた。
妻が 「はい、そうですが…」 と返事すると、その女性は、
「今日は、えぇっと、ランドセルは、いらないのですか?」
と、不安げな顔で尋ねた。
妻は 「案内文に書いていなかったので、いらないでしょう」 と答えた。
女性は安心したように表情をほころばせ、
「ありがとうございます。それを今、悩んでいまして…」
と、頭を下げ、目の前の家に入って行った。

その家をよく見れば、通園中に建築されていた住宅で、
モミィが、通園途上に工事中のこの家を見ながら、
「まだ木(柱)ばっかりやねぇ」
「あ、屋根とか戸がついたで~」
「もうすぐ完成するねぇ」

と言っていた家である。春休みの間に完成し、もう人が住んでいる。
その女性は、新築のこの家に越してきたばかりで、子どもさんが、
今日、モミィ同様、入学式を迎えるということなんでしょうね。

さて、これまでは僕が同伴していたこの道だけれど、
これからは自分だけで歩いて行かなければならない。
あらためて、交差点などで、
「ちゃんと、右と左を見てから、渡るんだよ」
「ここは、絶対に飛び出してはいけないよ」
などと、口をすっぱくして注意をする。
モミイはあわてんぼうなので、それが心配なのだ。

ゆっくり歩いて、約15分で小学校に着く。
小学校が近づくと新1年生の姿が増えてくる。
モミィの幼稚園友だちも、大勢いる。
先月15日の卒園式以来、久しぶりに、顔なじみのママたちとも会った。

新1年生は71人で、2クラスである。
学校の入り口にクラス分けの表が貼り出されていた。
モミィの名前は、1組のほうにあった。

モミィが仲良しだった女の子たちは
「あ、〇〇ちゃんは同じ組や」
「あ、〇〇ちゃんは2組やなぁ」

そんなことを言いながら校舎に入り、受付をした。

モミィは 「お世話係」 の6年生のお兄ちゃんに名札をつけてもらい、
教室の方に誘導されて行った。 そして僕たちは会場の体育館へ行った。

会場では、幼稚園時代からのママ友同士が顔をあわせると、
「わぁ、久しぶりね~」と、笑顔で挨拶を交わし合っていた。

保護者席の前には6年生の席があり、その前が新1年生の席だ。

やがて新1年生が入場してきたが、僕らの席からは小さくしか見えない。
チラっとモミィの姿が見えたけれど、着席したら見えなくなった。

校長先生の式辞や、来賓の祝辞や、先生方の紹介が終わったあと、
舞台に、新2年生の子どもたちが出てきて、♪ 小学生になったら~
と歌い、それから、1学期、2学期、3学期の楽しい行事を、
みんなで声を合わせて説明するという楽しい一幕もあった。

そして6年生たちが起立して、校歌を歌った。
かつて長男、次男も通ったこの小学校であるが、
「♪清き流れの大和川~」 という歌詞を聴いていると、
その昔、わが息子たちがこの歌を歌っていたなぁ、と懐かしく思い出した。

ちょうど1時間で式が終わり、新1年生たちは教室へ戻った。

僕たちはしばらくその場で待機したあと、教室へ向かった。

モミィのいる1組の教室へ入り、子どもたちと一緒に先生のお話を聞いた。

9日から始まる新学期の当面の下校時刻や、集団下校の詳細などを聞き、
教科書や連絡帳などをもらい、学校と家庭の連絡方法の説明を受け、
また、子どもたちが登下校に必ず携帯する防犯ベルなども配布された。

モミィの1組の担任は女の先生で、2組は若い男の先生だった。

幼稚園の先生方は、みなさん、やさしい方たちばかりだったが、
小学校の担任のこの先生は、才気煥発、というイメージである。

このへんが、幼稚園の先生と、小学校の先生との、
役割の違いによるキャラの違いなんだろうな~と、思ったりした。

教室でのお話が終ると、保護者たちは自分の子どもの席へ行き、
教科書をはじめ、ドサッと重い一連資料を抱えて、教室を出るのだった。

校庭は記念写真を撮る人たちで賑わっていた。

僕らはまた通学路を、家に向かって歩いた。

途中に古墳公園があって、桜が満開である。

3月下旬から、モミィのコンサートや東京への旅行、
そして最近の悪天候などもあって、桜のことを思う余裕はなかった。
こんなに桜が満開になっていたとは、思いも寄らなかった。

でも入学式なんだから、桜が咲いていても不思議ではない。

さぁ、モミィの新たな出発の日だ。

これから、桜の花が満開になるたびに、ひとつずつ学年が上がる。

桜の季節の訪れが、今まで以上に楽しみになってくるんだろうな~

 


  
  舞台では新2年生たちが、歓迎パフォーマンス。 手前は6年生たち。
  新1年生は、その前の席に並んで座っているが、ここからは見えない。

 

  
 教室で、担任の先生から、児童と保護者にいろいろなお話があった。

 (モミィは写真右上、最前列に座っている白い服です)
 

    
 
 帰り道、古墳公園の桜の樹の下で。
 写真の左側に小道があり、そこが通学路になっている。

 

 

 

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はじめてのコンサート

2012年04月03日 | モミィの成長日記

3月29日。
大阪府八尾市のプリズムホールで、音楽教室のコンサートが行われた。
モミィの 「舞台デビュー」 の日である。


 
   会場前で。

 
本番に備え「幼児科春組」のモミィたち9人は懸命の練習を重ねてきたが、
幸い、この日は誰も休む子はなく、全員が、ホールに元気な姿を見せた。

モミィたちの出番は最終の第3部で、開演時間は午後3時である。
第3部の真っ先に登場するので、2時45分までには、ドレスに着替えて、
ロビーの所定の場所に集合し、そこから子どもたちだけが引率されていく…
と、そんな手はずになっていた。

会場には早い目に着いて、妻がさっそくモミィを着替えさせる。

同じクラスの子どもたちが次々と姿をあらわし、ドレス姿に変身してゆく。
そして、それぞれが、どのエレクトーンに座るかが決まっているので、
エレクトーンナンバーの入ったリボンを腰につけてもらった。

このあたりで、どの子の顔も、何となく緊張した表情になってきた。 ↓ 


   
   モミィ(右から3人目)も、緊張の表情だ。

そして第2部が終わり、休憩時間に入った。
集合時間までのあいだ、子どもたちは舞台に上がって、
それぞれ家族の人たちの構えるカメラの前で列を作った。
モミィ(左端)も行ったので、僕も写真を撮らせてもらった。 ↓ 
 

  
  左端がモミィ。


そして2時45分になり、子どもたちは先生に引率されて楽屋の方へ行った。

やれやれ…。 僕も妻も、ホッとした。

まだ終わってはいないが、ここまで来られたことが、何よりもうれしい。
あとは僕たちは、客席から見ているだけである。 

第3部の幕が開き、この部に登場する15組の子どもたちが出てきて、
「四季の唄メドレー」を合唱した。

「春よ来い」 「うみ」 「村まつり」 「雪やこんこ」 のメドレーだけど、
幼児科春組のモミィたちは、初舞台なので、最前列で歌った。
これも、教室のレッスンで、何度も練習していた歌だ。 

  


歌が終わると、モミィたちのグループだけ残り、エレクトーンの前に座った。

そして、いよいよ、演奏が始まった。 


 



 
 一番左端がモミィ。
 曲はメロディ、伴奏など4つのパートに分かれ、モミィは2パートを受け持った。
 もう一人2パートを受け持つ子が上手な子だったので、その点、気が楽だった。



曲目は、
「ファンタスティックパーティ こもりうたがきこえるよ♪」
という、オリジナル曲だった。

舞台で演奏する子どもたちは、みんな輝いていた。

曲は3分余りで終わったけれど、
子どもたちにとっては永遠に輝く素敵な3分間だったのでしょうね。

第3部が終わるまで、子どもたちは一般席より前のシートに引率されて、
そこへ並んで座り、他のグループの演奏を鑑賞した。 

子どもたちを引率したり、途中でトイレに連れて行ってくれたりするのは、
役をしていただいた2人のお母さんで、ご自分の子どもさんたちもいるのに、
モミィら9人の面倒を丁寧にみていただき、たいへんお世話になった (感謝)。

コンサートの全てが終わり、ロビーに飛び出してきたモミィたちは、
みんな、心の底からうれしそうな表情をしていた。 

みんな、本当によくがんばったよね。 おつかれさま~


 

思えば、第一回目のレッスンに行ったのが、去年の5月10日だった。
ドの鍵盤がどれかを覚えることから始まった。
右手人差し指で「ド、ド、ド、ド、ド~」 って弾いていたなぁ。

あれから1年近くが経ち、今日のモミィは、両手指を自在に使って弾き、
そして同時に足元のペダルまで、少しだけれど、踏めるようになった。

  ………………………………………………………………………

去年5月16日のブログに、はじめてのレッスンの様子を書いている。
先ほど、それを読み返し、へぇ、こんなんだったんだ、と驚いた。

             ↓

http://blog.goo.ne.jp/non-ap/d/20110516

成長したなぁ、とつくづく思う。

 

 

 

 

 

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モミィの卒園式

2012年03月16日 | モミィの成長日記

昨日、モミィの幼稚園の卒園式が行われた。

思い起こせば2年前の4月、モミィは大阪北部の幼稚園に入園した。
そこで集団生活になじめず、発達障害などと診断された。
そのまま数ヶ月が経ったが、モミィは落ち込み続けていた。

そして夏休みに入った時、僕たち夫婦がモミィを引きとり、
9月の新学期から、今の幼稚園に通わせることにしたのである。

今の幼稚園は、長男(モミィのパパ)が通った幼稚園でもあった。

家庭環境が変わり、幼稚園が変わると、モミィは見事に変身した。

いい先生方やいいお友だちに恵まれたのだろう。
いつのまにか、「幼稚園大好き~っ子」 になっていた。

そして1年半の時を経て、晴れの卒園式の日を迎えたのだ。
理想的な形で卒園式を迎えることができて、本当に嬉しい。

さて今日は、きちんとした服装で出席しなければ…と、
久しぶりにスーツを引っ張り出し、ネクタイも選んだけれど、
ネクタイなどは退職後、めったに締めたことがなかったので、
ひょっとして結び方を忘れたんじゃないか…?
と、恐る恐る結び始めたら、手が勝手に動いてくれた。ホッ。


                    


妻とふたりでモミィを連れて幼稚園に行き、いっしょに校庭に入った。
そこからモミィと分かれ、僕たちはスリッパに履き替えて2階へ上がった。

そこが卒園式の会場である。

やがて園児が一人ずつ、一礼をしながら入場してきた。
ぞろぞろと並んで入って来るのではなく、
一人ずつ、間(ま)をあけて入って来る。

今の園長先生は、30数年前、わが家の次男が幼稚園のときの、
担任の先生である。去年4月にここへ園長先生として来られた時、
むかし、保護者会の役員をしていた妻が、「あら~〇〇先生だわ」
と園長先生の旧姓を口にし、当時の記念写真を出してきたりした。

そんな馴染み深い園長先生から、園児ひとり一人が卒園証書を受け取った。



  
    
モミィも、卒園証書をしっかり受け取っていた。


園長先生の式辞では、32人の園児ひとり一人の名前を挙げ、

その子の幼稚園での心に残る思い出やエピソードを語られた。

通り一遍の式辞ではなく、先生方の温かい気持ちが伝わってきた。

そのあと、園児たちが壁を囲むように並んで、思い出の歌を歌った。
園児たちの歌声が流れると、会場はさらに華やいだ。

僕たち夫婦が座っているすぐそばにモミィがおり、間近で写真も撮れた。  

   

 
      左から2番目がモミィです。

 

最後に「卒園の歌」を合唱して、閉会となり、園児たちが退席した。

しばらく待った後、先生方の案内を受けて部屋(保育室)に入った。
そこで子どもたちが輪になり、担任の先生が真ん中に立っておられた。
それを、保護者たちがぐるりと取りまく。

担任の先生も、今日は凛々しい袴姿である。
(しっとりとした雰囲気の、お優しい先生です)
その先生から、園児たちひとり一人にお手紙が渡された。



 

 
   担任の先生に握手をしてもらった。

 

その次には、今度は園児たちから1束ずつ、先生に花が贈られた。

先生は最後に「小学校でもがんばってね~」と園児たちにエールを送り、
僕たち保護者にも、丁寧な挨拶をされて、予定の全てが終了した。

30数年前、妻はこの幼稚園で2人の息子たちの入園式と卒園式に出た。
僕は、仕事の関係で、そのいずれの式にも出席したことがなかった。

それが、まさか30年以上後に…
僕たちが夫婦でこの幼稚園の卒園式に「親」として出席するとは…

夢にも思わなかった話である。

美空ひばりさんも「愛燦燦(さんさん)」で歌っておられましたが、

人生って 不思議なものですね~

 

 

  
 去年、年少組だった時の担任の先生ともお別れを告げる。

 

 
 いちおうこんな写真も…。 久々にネクタイを締めると、気持ちも引き締まる ?

 

   
   帰宅して、卒業証書を示すモミィ。
   1年半、よく頑張りました~。
   次は小学校で、また頑張ってね。

 

 

 

 

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ジタバタ子育て 第2章へ

2012年03月08日 | モミィの成長日記

2日前の火曜日の夕方、ヤマハのレッスンから帰ってきたあと、
モミィの様子が、なんとなく元気がなくて、変だった。
夜ご飯の大好きなカレーライスも、ほとんど残した。

熱を測ると、案の定38度以上あったので、すぐに布団に寝かした。

翌日は幼稚園を休ませてお医者に連れて行こうと思っていた。
しかし、朝にパッと起きたモミィは、
「さあ、幼稚園に行かなくっちゃ」
と、昨晩とは打って変わって元気な声を張り上げた。
熱を測ると、平熱に下がっていた。

ふ~ん、回復が早いなぁ。
じゃあ、幼稚園に行くか…

まあ11時半までだから、幼稚園で過ごすのは2時間半余りである。

いつものように、支度をして、幼稚園へ送って行った。
毎朝、門の前に立っておられる園長先生に事情を話した。
「何かあればすぐ電話ください。迎えに来ますから」と僕が言い、
「は~い、わかりました。でもモミィちゃん、大丈夫だもんね~」
と、園長先生がモミィを抱きしめるのを見ながら、僕は家路についた。

妻がこの日は市民病院の健康診査の日で、午前中は不在であった。
僕はいつ幼稚園からあるかもしれない緊急電話に備え、自宅待機だ。

10時ごろ、電話が鳴り響いた。
「あっ、幼稚園からかな…?」とあわてて電話を取った。
「はい。〇〇です」と言うと、電話の向こうは女性の声。
幼稚園の先生みたいだった。緊張した次の瞬間…
相手は、「投資信託のご案内なのですが…」

おいおい。
ややこしいときにそんな電話、かけてくんな。

「いま天ぷらを揚げているところですので、手が離せません」
と、僕は適当にウソをついてさっさと電話を切った。
(午前10時に天ぷらを揚げている人ってあまりいないだろうけど)

すると、10分ほどして、また電話が鳴った。
また「もしもし~」と女性の声で、今度こそ幼稚園からと思われた。
「はい」 と、再び緊張する僕。 
するとその電話の主は、
「あぁ山田さん? さっき2袋注文したお米だけど、1袋でいいわ」
「は…? 山田さん…? お米…? なんですか…それ?」
と僕が聞き返すと、
「だから1袋でいいのよ。まだ家にお米たくさん残っていたから」

もぉ~、バカバカバカ。

僕は電話を受けたとき、必ず「はい、〇〇です」と名前を名乗る。
それを聞こうともせず米屋の山田さんと間違うって、何だそれは。
しかも、まだ間違い電話だとは気付いていない様子なのだ。

「わかりました。では米百表、配達させてもらいますわ
と言って切ろうかと思ったけれど、さすがにそれはちょっと…。

「間違い電話ですよぉ」と、少しうんざりした言い方で伝えると、
相手は「すみません」の一言も言わずガチャっと電話を切った。

まったくぅ…
マナーを知らないオバチャンだと、としばらく不快な気持ちが残った。

結局、幼稚園からの電話はなく、11時半に迎えに行った時には、
担任の先生から「元気にしていましたよ~」と言っていただいた。

まずはほっと一息ついた。

そんなモミィの幼稚園生活も、間もなくピリオドを打つ。

ちょうど今から1週間後の3月15日が卒園式である。

すでに、一昨日の火曜日に、お弁当は終わった。
このあと卒園式までは、ずっと午前中だけの保育である。
モミィのお弁当が終わったことで朝の家事がひとつ減った。

一昨年の9月に今の幼稚園に変わってからずっと弁当を作ってきた。
まあ、僕は食べ物を作るのは元々好きなので、苦にはならなかったが、
それでも朝の必須義務から解放されると思うと気持ちもグンと楽になる。

卒園式が終わると、春休みを経て4月5日が小学校の入学式である。

僕たち夫婦の「ジタバタ子育て日記」も、次の章へと移ってゆく。

 

 

 

 

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塔の上のラプンツェル

2012年03月02日 | モミィの成長日記

3月1日。モミィの幼稚園で保育参観があり、妻と2人で出かけた。
そして園児たちが演ずる劇「塔の上のラプンツェル」を見せてもらった。

今年に入ってから、家でモミィが「ラプンツェル」を口にしない日はなかった。
この日の「公演」のため、連日、園児たちは劇の猛練習を続けてきたそうだ。
だからわが家でも、毎日、モミィから「ラプンツェル」の話を聞かされていた。

その「ラプンツェル」を、園児30数人が1時間以上にわたって演じてくれたのである。
場所は幼稚園の講堂兼遊戯室で、親たちがビデオなどを構えて熱気ムンムンの中、
その劇は、先生のナレーションから始まって、いよいよ「開演」した。

「ラプンツェル」はご承知のようにグリム童話に出てくるお話である。
去年の春、ディズニー映画「塔の上のラプンツェル」で人気を呼んだ。

http://www.youtube.com/watch?v=IRt3zcz03aA

ストーリーを紹介すると…

大盗賊フリン・ライダーは、山奥の谷にそびえ立つ高い塔を見つける。
塔に入ったフリンは、髪が驚くほど長い不思議な少女ラプンツェルと出会う。

ラプンツェルは赤ん坊の時に魔女に誘拐されてこの塔に閉じ込められたのだ。
そして18年間、塔の中だけで生活をしてきたのである。

なぜ魔女は、赤ん坊だったラプンツェルを誘拐し、塔の中で育てたのか…?
それは、ラプンツェルの髪に魔力があり、その力を自分のものとするためだった。

そんなとき、盗賊フリン・ライダーが塔の中に入ってきたのをきっかけに、
ラプンツェルはフリンに頼み、外の世界へ出してもらい、冒険の旅に出た…

とまあ、こんな感じのストーリである。

園児たちが、ラプンツェルや、魔女や、「酒場のあらくれものたち」や、
衛兵や、ネズミたちや、その他いろんな役で何度も登場する。 可愛い!

モミィの仲良しでわが家に遊びにくる女児も多いので、
「あ、〇〇ちゃんやね」 「あれは…〇〇ちゃんかな?」と、
女の子がさまざまな役で登場するたびに、僕は横の妻にささやく。

5歳から18歳までのラプンツェルも、何人かの女児が交代で演じた。

そのうちの一人に、モミィが入っていた。

劇も後半に入ってきた時のこと…

魔女の命を受けてフリンとラプンツェルを追う兵士たち。
そして彼らに取り囲まれたフリンは、ラプンツェルを逃がし、
兵士たちと果敢に戦うのだが、ついに命が尽き果ててしまう。

このシーンのラプンツェルを、モミィが演じていたのである。

息絶えて横たわるフリンに駆け寄ったモミィ・ラプンツェルは、
魔法の髪の毛を使いながら、歌を歌ってフリンを生き返らせようとする。

それが、このシーンです。

          


  



やがてフリンの生命が戻り、起き上がる…

         


   


いや、ホント、感動的なシーンだったわ~ (爺バカ!)

まあ、劇はここからまだラストシーンに向けて続いていくのだが、
この、モミィがフリンに向かって歌うシーンは、胸にジンときた。

…というわけで、園児たちの1時間以上の熱演が終わり、
保護者の家族たち観客陣は、惜しみない拍手を送った。

思えば1年前、年少組の時に演じたのは「おむすびころりん」だった。

1年間でこんな長い物語を演じるところまでに園児たちは成長した。
モミィも、そんな園児たちに囲まれて着実に成長してきたんだなぁ…

そのことを、ほのぼのと感じたひとときだった。

 

 

 

 

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コンサートとドレス

2012年02月29日 | モミィの成長日記

モミィの通うヤ〇ハ音楽教室の生徒たちが出演するコンサートは、
3月29日に行われるので、今日がちょうど1ヶ月前に当たる。
モミィにとっても、初めての舞台でのコンサートである。

そのコンサートには「舞台衣装」を着て演奏する、と最近に知った。
全員(といっても8~9人だけど)お揃いのドレスを着るのだそうだ。

先生から「衣装はどうなさいますか?」と尋ねられた時、
「は…? 衣装がいるのですか?」と僕は思わず聞き返した。

強制ではないが、ほとんどの子はお揃いの衣装を作るのだという。
まさかそんな場で、ひとりだけ私服を着せて出すわけにもいくまい。

そして前回のレッスンの時、生徒のお母さんが型紙を作ってくださり、
僕は型紙と生地を受け取り、完成したドレスの写真を見せてもらった。

もちろん、こうした仕事は僕には無理である。妻の出番だ。
帰宅して妻に一部始終を伝え、生地を手渡した。
「なんだか、むずかしそうね」
モミィの布かばんや雑巾などは縫ったことはあるが、ドレスは…
はたして自分に出来るのかなぁ、という妻の様子であった。

その型紙を作り、生地を渡してくれたNさんという若いママは、
クラスの中でも最も親しくさせてもらっている人だったので、
これまで、いろんなことで何回もメールのやりとりをしていた。

そこで「むずかしそうですね…」とNさんにメールを打った。
他のお母さんたちも、生地を切って縫ってドレスを作る…
なんてこと、できるのかなぁ、という疑問もあった。

すぐに返事が来て、「わかりにくかったですかあ」
と、若いママなので絵文字をいっぱい入れたメールで、
やはり作り方がわからないという母親たちが大半だったらしく、
「次回のレッスンが終った後で、みんなでやってみますね~」
そして、完成品の写真と作り方の写真がメールに添付されていた。

Nさんからの「作り方」の写真を、スマホからパソコンに送り、
それを読みやすく拡大して印刷したものを妻に見せると、
「あ、これなら何とかわかりそうだわ」
と妻がホッとしたように言った。

「わかりそうだと妻が言ってましたよ。ありがとうございました」
と僕はまたNさんにメールを打った。
Nさんはいつもすぐに返事をくれる人で、このときも数分後に、
「わかりそうだと言っていただいてうれしいです。
 これで次回、皆さんの前で落ち着いて説明ができそうです」
と、絵文字いっぱいの可愛らしいメールが来た。

その「次回のレッスン」が昨日の火曜日だったのだ。

モミィがヤ〇ハに入会して以来、ずっと僕が付き添ってきたが、
月曜日から体調を崩して2日間寝ていた僕に代わって、
昨日は初めて妻がモミィをレッスンへ連れて行った。
レッスン後にドレスの作り方の「講習」があるので、
妻が行ってくれてちょうどよかったのかもしれない。

ところで…
クラスにお孫さんを連れて来ている女性がひとりおられるのだが、
昨日、妻がクラスに行ったとき、その女性と会って驚いたという。
昔、幼稚園の役員を一緒にやって馴染み深い仲の人だったそうだ。
その人も妻を見て「あらまあ~」とよく覚えてくれていたという。

「へぇ、じゃああの人(僕のこと)は、あなたのご主人だったんだ。
 男の人なのにずっと付き添ってエラいなあって、家で言うてたんよ」
…ですって(笑)。

と、まあ、そんなことで、妻も知り合いがいてよかった、よかった。

レッスンが終わった後、別室にお母さんたちが集まり、
Nさんらから、ドレスの作り方の説明があったそうだ。
妻はわずかに洋裁の心得があったので、最初の説明だけ受けて、
「ありがとうございました」とお世話いただいた人たちにお礼を言い、
皆さんより一足先にモミィを連れてその場を出た。

「ドレス、可愛いなぁ。早く着てみたいわぁ」と、はしゃぐモミィ。

しかし、楽器を習うと、コンサート用のドレスまでいるとは…

わが家は2人とも男の子だったからわからなかったけれど、
女の子を育てるというのもまた、いろいろ大変なことである。

以下は、Nさんが写メールで送ってきてくれた写真です。

              

 

  

  ドレスが完成したらこうなる(背中側ですけど)



 

  こんな感じで縫っていく…

 

 

   詳しい作りかたも、写メールで送っていただいた。

 

 

 

 

 

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食物アレルギー

2012年02月16日 | モミィの成長日記

火曜日の午後4時半、いつものようにモミィを音楽教室に連れて行った。
教室に入り、エレクトーンの前に座ってレッスンが始まろうとしたとき。
急にモミィが顔をしかめた。え、なんだろう…?と思ったら泣き出した。
「どうしたん…?」 こんなことって、今までなかったので、びっくりした。 
「お腹、いたい」モミィはお腹を押さえて、弱々しい声を出した。

教室から連れ出してトイレに行ったが、それでもおさまらないらしく、
「いたい、お腹、いたい」と涙をポロポロこぼして泣く。 えらいこっちゃ。

廊下のソファに座らせ、家に帰るか? と聞くとこっくりとうなづいた。
僕一人で再び教室に戻り、先生に事情を説明して荷物を持って出た。
「お大事にね~」と先生やママたちの声が、背中から聞こえてきた。

そのままモミィを家に連れて帰り、あとは妻に託した。

家でもトイレに入り、下痢症状が出ていたそうだが、
そのあと妻が和室に布団を敷き、モミィを寝かせた。

僕は夕食の支度をし終えて妻が来るのを待ったが、
部屋からなかなか出てこないので、僕のほうから行ってみた。

妻は横たわっているモミィのそばで心配そうな顔で座っていた。

「身体中にジンマシンが出ているし、顔が赤く腫れているわ」
と言うのでモミィの顔を見ると、なるほど頬が赤く腫れ上がっている。

「お医者さんに連れて行かないとね」
と深刻な顔で言った。

すぐにタクシーを呼び、かかりつけの医院へ連れて行った。
幸いなことに、車の中でモミィは徐々に元気を取り戻してきた。

医院に着き、妻とモミィは診察に入り、僕は待合で待った。

しばらくして、2人が出てきた。
医院を出て、薬局へ寄って薬をもらい、帰途に着いた。

僕は「どうだった?」と妻に訊いた。
妻によると、診察室で医師が、
「何か普段と違うものを食べませんでしたか?」と尋ねたそうだ。
そこで妻は「そういえば、あれ…」と、あることに気がついたという。

3時のおやつのとき、モミィはカシューナッツを一粒口に入れた。

僕がビールのツマミに買ったカシューナッツが袋の中に残っていたので、
妻がコーヒーのアテにつまんでいたら、横からモミィが一口食べたという。

これまで、モミィはカシューナッツは一度も口にしたことがなかった。
妻は「今まで一度も食べたことのなかったナッツを食べました」
と、そのとき、医師に告げたのだった。

「典型的な食物アレルギーですね。下痢もそこから来たのかも知れません」
と、医師は慎重な口ぶりでそう言ったという。

モミィはもともとアレルギー体質で、今でも2ヵ月に1度、羽曳野市にある、
「大阪府立呼吸器・アレルギー医療センター」というところに通院している。

2~3歳くらいまでは、大豆をはじめ、さまざまな食物アレルギーがあった。
しかし、ここ数年は、モミィは何を食べても大丈夫になった…はずである。
それが、カシューナッツを食べて顔が腫れるほどのアレルギーが出たのだ。

「顔が腫れてきたときはどうなることかと思ったわ」と妻が言った。
「ぐったりと、本当にしんどそうにしていたから」とも言った。

ちょうど新聞で「アナフィラキシーショック」のことが連載されていた。
その記事を読んでいた妻は、ひょっとしてそれではないかと思ったそうだ。
「アナフィラキシーショック」というのは、食物アレルギーから湿疹が出て、
顔が腫れて、ひどいときは呼吸困難に陥るという恐ろしい疾患なのだそうだ。

でもまあ、モミィの場合、それは杞憂に終わったことは幸運だった。

その夜は遅い晩御飯になったが、モミィにあまり食欲はなかった。
でも翌日はすっかり元気になって、幼稚園へ行った。

幼稚園の先生にもナッツを食べてアレルギーが出た報告をしておいた。

それにしても、カシューナッツというのは、恐い食べ物である。
食物アレルギーについていろいろ調べてみると、カシューナッツは、
ソバと並んで最も警戒すべき食べ物のひとつだ、とも書かれていた。

食物アレルギーは、呼吸困難の症状を引き起こすことまである…と。
そんなことを、僕は初めて知った。いろいろあるんだなぁ~
今更なんだけど、子どもを育てるって、ほんと大変ですね。

あれから2日経ち、もうモミィはすっかり元に戻り、走り回っています。

やれやれ…

 

 

 


 

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春を待つランドセル

2012年01月19日 | モミィの成長日記

 

 
 


昨年末にフジテレビで再放送された「マルモのおきて」を見ていたら、
主演の芦田愛菜ちゃんが、小学生になる前、「どんなランドセルがいい…?」
とマルモに聞かれたとき、「ピンクのランドセルが好き」と答えるシーンがあった。
それを見て、あぁ、モミィも同じことを言ったなぁ、と思ったものである。

モミィのランドセルも、大好きなピンク色だ。
去年の12月に、わが家にやってきた。
今は「出番」を待つばかりである。

そしてちょうど1週間前に、依頼していた勉強机が届いた。

これまで、玩具や絵本などでにぎわっていたモミィの遊び部屋も、
勉強机を置くと、なんとなく引きしまって見えるから不思議である。

3月に卒園式があり、4月からいよいよ小学校だ。

もう、あと2ヵ月ちょっとである。
春の訪れが待ち遠しくて仕方ない。

モミィが小学生になれば、毎日の送り迎えをしなくて済む。
小学校には給食があるので、弁当も作らなくていいしねぇ。
それだけでも、ずいぶん楽になる。

要するに…
自分が楽をしたいから、早く小学生になってほしいわけで…。 だはは~

 

 

 

 

 

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