めぐろのめばる

目黒川近辺で日本の四季を楽しみ、未来の日本を憂う。
かつての美しい日本と日本人がいかに素晴らしかったかを思う。

独裁国家日本のからくり

2017-08-24 14:46:50 | 日本人

スポーツを敵味方に分かれて行う時、様々な展開を想像し
如何に勝利するか苦慮するのですが、完璧なまでに計算して
戦いに挑んだとしても、殆どの場合、思い通りになりません。
例え完璧な戦術を考えたとしても、同じように敵も考えていて
どちらかが圧倒的な勝利を得ると言う事は有り得ないのです。

増して、戦争となると、勝利するためには、ルール無用の
究極の戦術が求められ、その結果は、敵味方に関わらず、
悲惨な状況が想定されます。
アメリカが、圧倒的軍事力を見せつけたベトナム戦争に於いても
遂には、世界一の軍事大国が、撤退と言う思いもよらない結果が
世界中を驚かせました。
ベトナム人の被害もさることながら、アメリカ軍が受けた被害は、
多くのアメリカ兵の犠牲と言うだけでなく、戦後長くに渡り
戦いに参加した軍人やその家族にいつまでも続く心の傷跡を残し
精神的障害を引き起こす兵士も少なくなかったのです。

戦いとなると、いつも、具体的な軍事力によって評価されがちですが、
どんなに強力な兵器を用いても、それを使うのも、被害を受けるのも
人間であり、其々が被害者加害者と言うだけでなく、人として
究極の環境で戦う事で、実際の被害以上に、その後長く心の深い傷として
苦しめられる事と成るのです。

実際に、被害を受けた人たちも、その悲惨な状況を後に知った人たちも、
どちらも、憎しみと悲しみを背負って生きる事と成るのです。
楽しい思いで人生を送る事と、悲しみや憎しみを背負って生きる事では
人の人生として、雲泥の差が生まれるのです。
基本的に、人は、人によって育てられる為、他人を傷つける事も
傷つけられる事も好みません。
しかし、戦争は、一番嫌な事を求められるのです。

人が人であることを見失った戦争は、どんな理由が有るにせよ、決して
行ってはならないのです。
どちらが勝った負けた問う事よりも、戦争を行う事で、人々の心に
悲しみや憎しみが生まれる事が問題なのです。
お互いに助けあい、歴史を築いて来た人類の、最大の恥部は戦争です。
相手の事より自分の欲望が優先し、思い通りにならなければ、
力を持って、相手を思い通りにすると言うのは、人としての最低の行為
であり、その事で、誰も幸せに離れないのです。
ただ、欲望を成し遂げる事に喜びを感じる一部の方のみが満足するだけです。

日本が、アメリカの傘下に居て、戦争被害を免れると言う事は有り得ないのです。
アメリカが日本を守ってくれると言うのは、日本国民を守ってくれると言うので無く
アメリカの方針に追随して、自分達の利益を目論んだ方々だけを守ると言う事です。
いざ、戦争になり、日本人の多くが犠牲になれば、お決まりの想定外で逃げるのが
彼らの常套手段であり、国民がその否を問えば、記憶にないと嘯くのです。

つまり、日本人が、被害を受けない方法はただ一つ、絶対戦争をしない事です。
例え、今回の非常事態が回避できたとしても、将来的に、諸外国と戦う条件を持てば、
必ず、日本人が被害を受ける事は間違いないのです。
どんなに軍事力を増しても、国民を守れないアメリカの苦悩を学習しなければなりません。
数字的な軍事力の差は、なんの安心材料にもならないのです。
増して、条約で日本はアメリカに守られているとする寝言を信じている様では、
世界の流れにはとてもついていけないのです。

今や、日本は、近隣諸国と戦って、無駄な出費をしたり、国民を傷つけている場合では

無いのです。
今の日本は、多くの国民が、日々の暮らしに苦しんでいるのです。
一部の人の懐を増やすために作り変えられていく社会構造は、国民の多くを
苦しませる事は有っても、幸せにはしていないのです。

日々の生活を送るだけで精一杯の庶民が殆どなのです。
一部の恵まれすぎた富裕層の為に、国民は汗を流して働いているのでは在りません。
生きて行く為の最低限度の生活をする為に働かざるを得ず、余裕を持って、人生を楽しむ
豊かな日本人が少ないのです。
見た目の豊かな生活をする為に、どれだけの日本人が苦しんでいるか、今のリーダー達は
国民に背を向けて、我欲を求めている事から、全く解りません。

まずは、自分達の欲望を叶える為、更には、自分達の安全を確保するための政治は、、

国民を危険な目に合わせたり、生活苦に追いやるに十分な行動と言えます。
国会で真偽を問いただされても、数々の不祥事を暴露されても、彼らを守ってくれる
人達がいる限り、なんの不安もありません。更には、例え戦争と成っても、自分達は
大国に守られていると言う自負が有るのですから。

メディアが取り上げる華やかな大都会の生活に比べ、地方都市の現実は酷いものです。

経済的に恵まれない人たちが、街を復興させる事はほとんど不可能であり、何十年も
寂れたシャッター街が無くならないのは、どれだけ地方に住む人達が経済的に追い詰められ
自力では復活できない事を物語っています。

更に問題は、何処の田舎に行っても、巨大ホームセンターやコンビニと言った、

大手企業の商業施設が有ると言う事です。
そこに行けば何でも手に入り、しかも安価である事から、田舎の人達は全てその場で
生活必需品を手に入れます。
その結果、益々地元商店街は寂れ、人々の生活は、その便利施設に頼らざるを得ないのです。

所得を増やす術も仕事も無く、支出を促す大手施設が立ち並ぶ田舎に住む多くの人が

年金を頼りとした高齢者です。
地元産業を維持する若い人は都会に向かい、残された年寄りは、大手資本に生活を託すのが
現代日本の縮図ともいえるのです。

戦争も、一部の人達の身勝手な考えで勃発し、生活も、一部の裕福な人達の作った施設で

コントロールされる日本は、どう考えても、国民が幸せになれる国とは言えません。
様々な地域で、その土地に根付いた文化が育ち、地域に相応しい消費経済で成り立っていた
日本社会が、一部の人達の欲望で独占されている事で、全ての不幸が生れているのです。

例え、華やかな都会で有っても、それは、昆虫を集める煌びやかなネットの様なものです。
日本中から集まった人たちから、膨大なる利益を得るための施設に過ぎないのです。
多くの方が、その華やかな生活が出来る事がステイタスと思っていますが、
残念ながら、高収益を得るための顧客として利用さえているに過ぎないのです。
民主主義国家と言うのは、国民が幸せになる国家でなければなりません。

日本は、巧妙に作られた、一部の人達が潤う為に造られた独裁国家なのです。
適度な餌を与えられ、幸せであるかのような錯覚を起こさせる事で、不穏な分子が
生れる事を防いでいるだけなのです。
経済的に豊かである事が幸せと思っている限り、いつまでも、私たち日本人は
一部の方々の奴隷から解放されることは無いのです。
消費する事は、常に、生活費を上納している事と同じであり、ほんとうに必要な物は
一体何なのか、何の為に経済的に豊かになるのかが解っていないと、気が付いたら
身ぐるみ全てがはぎとられて、全ての財産も日本人の心も見失ってしまいます。

 

 

 

 

 



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