出勤する途中、バスの中に財布を落としてしまいました。
その中には、免許証から生活に必要なカード類が入っていて
もし失うと途端に身動きが出来なくなってしまいます。
私が物を落としたのは、30年程前に靴を入れたシューズバッグを
タクシーの中に置き忘れた時以来の事です。
バスの行先は解っているので、バスセンターに問い合わせをしましたが、
最終地点に着くまで連絡が取れないとの事でした。
多少お金も入ってはいたのですが、早速仕事に差し支えてしまいます。
ともかく仕事場に行かなければならず、その後の問い合わせは妻に任せ
一抹の不安を抱きながらその場を後にしました。
それから、30分もしなかったでしょう。
突然、妻からの電話、妻の元気な声で見つかった事が解りました。
一時間ほどして妻が受け取りに行くと、中身は全く紛失することなく
私の手元に戻ってきました。
よく、海外で物を無くすと、ほとんど戻る事は無いと言われます。
日本以外の国々がすべてとは言えませんが、日本人がいかに誠実で
困った人の事を自然に考えられる民族だと、思わず誇らしげに思いました。
かつて、他人の財布やバッグを拾った事が有りますが、何も考えず
ただ、普通に届けたものです。
ひょっとしたら多額の現金が入っていたかも知れません。
いや、入っていたとしても、それを取ろうなんて考えも浮かびません。
多くの日本人はそうやって育ってきているのです。
でも、いざ自分が落とした時の不安と焦りは相当なものです。
それゆえ、直ぐに戻ってきたことが、本当に幸せに思えたのです。
こんなにも素晴らしい国民性を持った日本人が、人を傷つけたり
憎んだりする民族にならない様、国のかじ取りはしっかりと
考えて欲しいものです。
近い将来の大津波に備えて、今や太平洋側の海岸では
巨大な堤防の建設が計画されています。
東日本の大災害を目の当たりにして、日本中がその恐怖におののき
人命と財産を守るべく、国、地方共に対策に追われています。
確かに、3年前、テレビに映し出される大津波の恐ろしさは
日本人の多くの人に未来の不安を抱かせました。
でも、近年私達が災害に対して行なってきた対策は、
必ずしも私達日本人にとって相応しいとは言い難いと思えます。
明治から西洋の文化が怒涛のごとく日本の文化を変えていきました。
生活のみならず、物事の価値観も随分変化して行きました。
開発と言う名目で、日本中に重機の音が鳴り響き、戦後至っては
日本の国土がことごとく壊されて行きました。
高度成長期には経済成長は著しいものの、その引き換えに失った
素晴らしい日本の自然は取り返しのつかない状態になってしまいました。
河川や沿岸はことごとくコンクリートの壁で覆われ、川は下水道に
海は汚れきった巨大な池へと変わって行ったのです。
私達は、太古からすべての自然に対し畏敬の心で接し、人々は
お互いに相手を尊重し、自分を中心に考えるのではなく
周囲の人や自然を大切にする心で生きてきました。
その結果、世界に類を見ない、万物に優しい心が持てる民族として
世界中の人々から称賛される様になったのです。
この素晴らしい民族を育てたのが、太古から続く美しい自然であることは
言うまでもありません。
私達は自然から沢山の恩恵を頂き、共存する事によって生きてきました。
特に、水に対する思いは強く、自分たちを生かす水をいかに大切に扱うか
歴史を紐解くまでもなく、日本人の身体も心も育てられてきた事が解ります。
ところが、今や日本中の河川がコンクリートで覆われ、水辺と私達の間に
日本人の心を踏みにじる壁が出来ているのです。
人類は太古の昔から水際に生活をしてきました。
陸と水界に住むあらゆる生物の接点でもあります。
単に食料を得たり交通の手段にするだけでなく、人類の心のよりどころ
成長の場として大切な聖域でもあるのです。
確かに、地震による大津波で昔から沿岸地域は多大な損害を受けてきました。
もし、その地の生活が苦であるならば、遠い昔にその地から人々は去ったでしょう。
何故、そんなにも危険な地域に留まり、次に確実に来る大津波から逃げないのでしょうか。
それは、その地が、人々にとって、単に生活するだけでなく、沢山の自然の恵みや
心の安らぎを得られるからです。
私達は、もし、水が無くなり空気が無くなるとしたら、どれ程うろたえてしまうか
考える事も出来ない程恐ろしい事です。
でも、いつも命の糧は気が付かない自分たちの周りでいつも守ってくれているのです。
時に大自然は猛威を振るい、私達を傷つけ苦しめます。
でも、それは地球が出来た時から繰り返されている自然な事なのです。
その中で私達は生かせれ、工夫して生活してきたのです。
被災者の人達が一番恐れているのは、津波によってまた災害が起こる事ではありません。
巨大なコンクリートの堤防が自分たちの街と自然を隔て、さらには、そこで育てられてきた
人々の心にも壁を作ってしまわないかという事です。
安全な生活は必要です。でも、刑務所の様な心の交流が人々にも自然にも無くなって
故郷が消えてしまう事を案じているのです。
私の故郷は伊勢湾台風の後、街をぐるりと巨大なスーパー堤防が取り囲み、川を幾つも埋め
護岸で固めました。素晴らしい自然の溢れた街が、都会のベッドタウンのようになり
昔から住んでいた人も多く去り、いまでは、いったいどこの街なのか解からなくなりました。
建設にあたって巨額の金が流れ、人々の心も荒れてしまいました。
経験者だから言うのです。未来に、本当に残せるものなのか。
目先の恐怖におびえて、日本を草木も生えない要塞島にしたいのか。
将来の日本人が私達を誇りに思えるように、じっくりと考えた対策を講じて欲しいものです。